第17話 ハロウィン祭(6)


 16時20分。商店街通り。



 アリスと人混みをかき分ける。


「ニコラ! あれ見て!」


 モグラ叩きを指差す。


「お祭りは、あれをやらないと始まらないわ!」


 アリスがハートのステッキを持ちながら、あたしを引っ張る。


「すみません!」

「よお! アリス! ニコラ!」

「1ゲーム! お願いします!」

「いいだろう! やってごらん!」

「よーし!」


 アリスとあたしがハンマーを持つ。


「ニコラ、そっちからここまでの範囲見ててね!」

「アリスはそっちよ」

「任せて! 二人ならパーフェクトも夢じゃないわ!」


 二人でハンマーを構える。ゲームが始まる。


「いた! モグラちゃん!」


 アリスがハンマーを叩く。


「ていていていていてい!」


 モグラが引っ込んでいく。


「あー! 待って! 今、叩いてない!」


 モグラが出てくる。


「ニコラ、そっちよ!」

「アリス! よそ見しないで!」

「はっ!!」


 モグラが出てきて、引っ込んで、出てきて、引っ込む。


「ていていていてい!」

「アリス! そこにいる! アリス!」

「ニコラ、こっちにいるわ! あ、そっちにも!」

「アリス! それ叩いて!」

「うら!!」

「こら、アリス! 素手で叩くのは反則だぞ!」

「違いますぅー! 手袋してますぅー! 素手じゃありませぇーん!!」


 ぴょこぴょこ頭を上げては引っ込んでいく。


(くそ……! ちょこまかと……!)


 この感じ、はっきりしないメニーを思い出す。


(うぐぐぐ……!)


 あたしは狙いを見定めた。


「らぁ!!」


 ぴこん。


「らぁ! たぁ!」


 ぴこん。ぴこん。


「あたぁ!」


 ぴこん! ぴこん! ぴこぴこぴこ!


「あーーーたたたたたたたたた!!!!」

「あ、あれは!かの有名な流星百烈拳……!! まさか、ニコラが選ばれし五人の戦士の……」

「あたぁ!!!」


 モグラにハンマーが当たり、ゲームが終わる。ポイントは平均レベル。アリスが不満げに点数を見る。


「えー、なんでかなー? 結構上にいけると思ったのにー。これ、何か細工してるんじゃないですか?」

「アリス、リタにチクるぞ」

「も、冗談じゃないですかぁ!」


 出店の主人とアリスが笑う。景品のキャンディを貰い、アリスとあたしが口に入れる。


「ニコラ、何味?」

「葡萄」

「私は林檎だったわ!」


 口の中でころころ転がしながら、再び手を繋いで歩き出す。人の波に沿って歩いていると、アリスが再び目を輝かせる。


「ニコラ、あれ見て!」


 お化けの絵が描かれた台が置かれ、上には帽子。出店の従業員が声をかけてくる。


「やあ、アリス。ニコラ」

「こんにちは!」

「遊んでく?」

「どうやるんですか?」

「ボールを帽子に当てるんだよ。帽子が落ちたら景品」

「よし、ニコラ、やろう!」


 アリスに誘われ、あたしも参加する。ボールを二つ持ち、アリスもボールを二つ持つ。


「ニコラ、どっちから行く?」

「アリス、先いいわよ」

「こういうのは年下から行くものよね」

「ううん。こういうのは年上から行くべきよ」

「ニコラ、先輩命令よ」

「命令とか良くないと思う」


 あたしとアリスがじっと見る。二人で片手を出す。


「「最初はぐー!」」


 じゃんけん、ぽん。


「っしゃぁあ!」

「ぐっ!」

「見たか! ニコラ! これぞ、アリスちゃんの本気よ!」


 勝ち誇ったようなアリスを見て、うなだれる。


「……いいわよ。行けばいいんでしょ。行けば」

「頑張って!」


 あたしはボールを構える。帽子に狙いを定める。


(あたしならいけるはずよ)


 あたしは狙いを定める


(こういうのはね、勢いと投げる勇気が必要なのよ)


 あたしは構える。


(今こそ! あたしの本気のぱわぁーを! 見せてくれるわ!!)


 この星に生まれた全ての生命達よ。ほんの少しだけ、あたしに元気を分けるのよ!


(くらえぇええええ! 元気で溢れたあたしのぱわぁーーーーー!!)


 あたしはボールを投げる。ボールが飛んでいく。見事に帽子の上を飛んでいく。


「何!?」


 あたしは唾を飲みこんだ。


「アリス! あのボール危険よ!」

「え!?」

「軽いから、簡単に飛んでいくわ!」

「なるほど! そういうからくりってわけね!」


 アリスがどんと構える。


「アリスちゃんに任せなさい!!」


 今度はアリスがボールを構える。


「スーパーウルトラハイパーミラクルロマンティックのアリスちゃーーん!!」


 うーーーずっきゅん!


 アリスがボールを投げた。ボールが飛んでいく。帽子のかなり上を飛んでいく。


「ひ!!」


 アリスが頬を押さえた。


「なんてこと! これは、レベル難よ!!」

「アリス、次で決めるわ」

「そうよ! チャンスはこれっきりよ! ニコラ、私は景品が欲しい!」

「任せて」


 あたしは決めて見せるわ。


(今こそ! あたしの最大のぱわぁーを見せる時!)

(あたしはこのボールで、あの帽子を落としてみせる! そして!!)


 きゃー! ニコラ、やったわー! 流石私の親友ね!

 ニコラ! すげぇじゃねえか!

 あんな難しいゲームをクリアするなんて、なんて美しい人だ! 僕とデートしませんか!

 なんて可愛い人なんだ!お 名前は!?

 貴方がゲームに勝つところを見て、惚れました!

 ニコラ!

 ばんざーい! ばんざーい!

 ニコラ! ニコラ! ニコラ! ニコラ! ニコラ!


 あたしの目が妄想に燃える。


「うらああああああああああああああ!!!」


 あたしはボールを投げた。ボールが飛んでいく。お化けの顔に直撃して、ボールが跳ねてどこかへ飛んでいく。帽子は落ちない。現実なんてこんなものだ。


「ああ!」


 あたしは絶望と共に、膝から崩れ落ちた。


「終わった……!」

「ニコラ! ニコラは頑張ったわよ!」

「ああ! せっかくのモテるチャンスが……! アリス……! あたし……!」

「いいのよ! ニコラはよくやったわ! ここは私に任せて!」


 アリスが構える。


「狙いを一点に定めて」


 アリスが集中する。


「構えて……」


 アリスが過集中する。


「構えて」


 アリスが腕を振った。


「えいっ」


 アリスがボールを投げた。ボールが飛んだ。帽子に当たった。


「アリス!」


 あたしは思わず声を上げる。


「あっ!」


 アリスも一瞬微笑んだ、が、帽子は落ちず、ボールだけ飛んでいった。あたしとアリスが声を上げる。


「「えーーーー!」」

「はい。お疲れ様でした!」


 出店の従業員があたしとアリスの背中を押して、次の人を案内する。


「ほら、アリス、ニコラ、これは残念賞のチョコレート」

「ありがとうございます」

「ダニアさん! あれ、当たったじゃない!」

「文句言うなよ。帽子落ちなかっただろ?」

「ちぇっ!」


 アリスがチョコレートを口に入れた。あたしもチョコレートを口に入れる。


「ニコラ、次行こう!」

「ん」


 また二人で手を繋いで歩いていく。はぐれないようにお互いの手を握り、出店を確認していく。


「ニコラ、見て、ジミーさんよ」

「……何あれ?」


 骸骨の顔をした水風船が、緑色の水が流れる水槽の中で浮いている。ピエロの格好をしたジミーがあたし達に手を振った。


「ニコラ! アリス! やっていけ!」

「ニコラ、やろう!」


 アリスに引っ張られ、水槽の前に二人でしゃがむ。お金を渡すと、水風船を釣るための釣り針を渡された。


「ニコラ、やったことある? これで釣るのよ」

「ふーん……」


 あたしは針を水につける。水風船を釣ろうと狙う。針が引っかかる。


「あ」


 引っ張ると、糸が切れ、針と水風船が落ちた。


「あっ!」

「ははは! ニコラ、水につけすぎだ」


 ジミーがもう一つ釣り糸を渡してきた。


「ほら、もう一つやるから、釣ってみろ」

「つけすぎたら駄目なんですか?」

「この糸は水に弱いんだ。だから切れないように釣るゲームなんだよ」

「なるほど……」


 アリスはにこにこしながら釣れている。


「ニコラ! ファイト!」


 あたしは針を水風船の輪に入れる。引っ張る。やっぱり切れて落ちる。


「ははは! しょうがないな!」


 ジミーが水槽に指を差した。


「好きなの持っていっていいぞ!」

「ニコラ、これは?」


 アリスが指を差す。血みどろの骸骨の絵が書かれた水風船。


(……なんかジャックみたいな顔)


 あたしは水風船を貰い、アリスも貰い、手で跳ねさせる。


「ジャック、ジャック、切り裂きジャック、切り裂きジャックを、知ってる、かーい」


 アリスが水風船を跳ねさせながら歌って、あたしと一緒に歩き出す。あたしも輪ゴムを指に突っ込ませ、ぱちぱち上下に跳ねさせる。


(……所詮、子供のおもちゃね)


 まあ、悪い気はしないけど。

 手でぱんぱん叩けば、下に落ちて、また上に戻ってくる。

 アリスがあたしに顔を向けた。


「ニコラ、なんか食べる?」

「アリス、何がいい?」

「あ、なんか美味しそう」


 指を差す。魔女の格好をした果物屋のテアネが棒に刺したリンゴを蜂蜜に入れていく。


「テアネさん、こんにちは!」

「あら、アリスとニコラじゃない!」

「こんにちは」

「これリンゴ飴ですか?」

「生の蜂蜜につけた焼きリンゴだよ。美味いから買ってお行きな」

「いくらですか?」

「200ワドル」

「ニコラ」

「ん」


 アリスとあたしが200ワドルずつ出す。


「はいよ。ありがとう!」


 蜂蜜のついた焼きリンゴを貰う。二人でかじる。


「あら、本当。まろやか!」

「……美味」


 口の中をもぐもぐ動かしながら二人で歩く。周りの仮装する子供達がお菓子が詰められたバスケットを腕に下げながら歌う。


 ジャック、ジャック、切り裂きジャック、切り裂きジャックを知ってるかい!


 横を見れば歩く人々。行列。出店。どんどん夕暮れは沈んでいく。時間は進んでいく。足は動く。人は動く。アリスが周りを見た。


「ニコラ、すごい人ね」

「ハロウィン祭だもの」

「すごく盛り上がってるわね」

「祭だもの」

「とても事件があった場所とは思えないわよね」


 あたしとアリスがハロウィン祭を眺める。笑い合い、楽しげに笑う人々が歩いている。


「一週間前は悪夢にうなされてたのよ? それに、雨も嫌なほど降ってたわ」


 アリスがどんどん暗くなっていく空を見上げる。


「信じられる? ニコラ、切り裂きジャックがいたのよ」


 つい最近まで、


「傍にいたのよ」


 あたしはリンゴを噛む。アリスもリンゴを噛む。


「ニコラ」

「ん?」

「私ね」


 アリスがリンゴから口を離した。


「不思議な夢を見たの」


 ジャックが目の前にいた。


「私に言うの」


 トリック・オア・トリート。


「私はね、お菓子持ってないって言うの」


 ジャックは私に恐怖を見せた。


「私が怖いと思うものを見せてきたの」


 でもね、


「全然怖くないの」


 それは、全部、私が死ぬ夢。


「『いくこと』は、私の願望」


 だから何も怖くない。


「もっと怖いものをちょうだいって注文するのよ」


 ジャックがきょとんとした。私は要求した。ジャックが待ってろと言った。私は待った。ジャックは次の日も悪夢を見せてきた。


「でも全然怖くない。だって、目を覚ましたら私は生きてるのだから」


 私は殺されてない。私を殺して。いっそ、悪夢で私を。


「ジャックは来るたびに恐怖を与えてきたけど、正直ね、私、何も怖くなかったのよ」


 怖がらない私を見て、今度こそは! ってジャックは言ってた。


「今度も見せに来て」


 また見せに来て、


「またまた今度も見せに来て」


 くすりと笑って、


「ずっと見せに来て」


 ジャックがむくれた後に、笑い出す。


「夢を見て、また夢を見て、また夢を」


 待ってたら、


「ジャックは来なくなった」


 人々の声が耳に響く。アリスがリンゴをかじった。


「でもね、その後、一回だけ会えたのよ」


 それは不思議の国で。


「大きな木の下で、ジャックに会えたの」


 ジャックは来年も私の目の前に現れる。10月になったら、恐怖を見せに来る。


「そう。私、夢を見て、ジャックと会ってたから」


 橋を歩く。アリスが人の波から逸れた。


「私ね」


 あたしはアリスの横に立つ。


「何が起きたか、分からないの」


 アリスが川を見つめる。


「ニコラ」


 あたしはアリスを見つめる。


「これは、あくまで、私の見た悪夢の話ね?」


 アリスがあたしに微笑み、橋の手すりに背をつけた。


「皆は変に思うから、二人だけの秘密よ?」


 アリスはリンゴを噛む。


「ダイアン兄さんの体がね、突然、変になるの。皮膚が膨らんで、化け物みたいになって、ニコラを捕まえるの」


 あたしは息を呑んだ。


「それで、私も、街の人達も、ニコラを助けようとするんだけど、いきなり眠くなってね、私は寝てしまうの」


 その時にね、


「ジャックに会ったの。大きな木の下で」


 ジャックと遊んでたの。


「お別れの挨拶を言って、目を覚ましたわ」


 そしたら、


「おかしいことに、兄さんに捕まったはずのニコラを兵士の人達が運んで、優しく私の膝に置いたの」


 変に思って、目を閉じていたら、


「次に、コートニーさんの声が聞こえたの」


 くすす。皆さん、どうかされたのですか? 変なものは何もなかった。ここには町を破壊した犯罪者しかいなかった。そうでしょう?


「コートニーさんの声が終わると、皆、人が変わったみたいに、さっきまでのことを忘れてた」


 ダイアン兄さんは、化け物、ではなくて、ただの犯罪者になった。


「目を開けてはいけない気がした」


 ニコラの体が動いた気がした。私は目を開けた。そしたらニコラも目を開けてた。だから、もう大丈夫なんだなって思った。


「コートニーさんを見たら、いけない気がしたの」

「皆の声を信じなければいけない気がしたの」

「私、何か、大切なものを失うんじゃないかと思ったの」

「ニコラ」

「ね」

「怖い悪夢でしょう?」

「私が求めていた恐怖よ」

「何かが起きている」

「でも、私以外、誰も覚えてない。皆、忘れちゃってるの」

「怖いでしょう?」

「そして、この大切なものは、私の悪夢の中にしまっておかないと」

「私は、この恐怖を忘れてしまう気がしたの」

「やだ。ニコラ」

「なんて顔してるの?」


 アリスが微笑んだ。


「言ったでしょう?」


 アリスがあたしに笑った。


「これは私の悪夢の話よ」


 アリスが、ハートのステッキをリンゴを持っている方の腕で挟み、あたしの猫の手を握った。


「ニコラがどんな悪夢を見ていて、どんな幻覚を見て、どんな痛い目に遭ったのか、どんな怖い思いをしたのか、私は知る権利もないし、別に興味もないから、何も聞かない」


 でも、ニコラ、これだけは言っておくわね。


「ニコラは私の恩人よ」

「心から信頼出来る人よ」

「ねえ、ニコラ。私、脳は人と違うけど、ニコラの話し相手くらいにはなれると思うの」

「何か困ったことが出来たり、暇を潰したい時とか」

「私がニコラの吐き口になるわ」

「だから、これからも仲良くしてくれる?」

「……11月も会ってくれる?」


 あたしはその手を握り返す。


「会えるわ」


 あたしはアリスを見つめる。


「11月だって、12月だって」


 アリスはあたしを見つめる。


「1月だって2月だって3月だって」


 手は離さない。


「あたしは、アリスの親友よ」

「私も、ニコラの親友よ」

「いつだって会えるわ」

「……今日で一緒に働けなくなるの、すごく寂しいわ」

「アリス」

「ニコラ、本当に楽しかった。本当に、この一ヶ月、すごく楽しかった」


 アリスが微笑む。


「来年は、必ずニコラに帽子をプレゼントするわ」

「アリス」

「私の誕生日は、私の家でパーティーをするの! ニコラも呼ぶわね!」

「ええ。必ず行く」

「ニコラ、……本当に今日で辞めちゃうの?」

「うん」

「そっか。……残念」

「でも、また遊びに行く」

「私がレジを打つわ。ニコラ、来るなら私がいる時にしてね」

「アリス」

「ん?」

「アリスも、何かあったら電話して」

「あ、じゃあ、ニコラの家の電話番号教えて」

「……」


 あたしは微笑む。


「今、メモ帳持ってないから、また今度教える」

「そう?」

「ええ」

「分かった。約束よ」

「ええ」

「ねえ、ニコラ」

「ん?」


 アリスが――微笑んだ。


「お別れの時間みたい」


 アリスが寂しそうな声を出すと同時に、教会の鐘をシスターが鳴らした。



 17時。



 アリスは静かに微笑む。あたしは時計を見る。アリスがあたしの手を握る。


「ニコラ」


 アリスがあたしに抱き着いた。


「大好きよ、ニコラ。本当に大好き」


 あたしもアリスを抱きしめる。


「アリス」

「元気でね。ニコラ」

「またすぐに会えるわ」

「会えるかな?」

「会えるわ」


 あたしは微笑む。


「会いに行く」


 体を離す。アリスと目が合う。夕暮れがどんどん沈んでいく。アリスの灰色の髪の毛が風で揺れる。赤いヘッドドレスが揺れる。ドレスが揺れる。アリスの笑顔は向日葵のように温かい。


「それじゃあ、お別れのキスね!」

「ん?」


 アリスが顔を近づけた。


「ん!」


 あたしの唇に、その唇を押し付ける。あたしは目を見開く。


「んっ!!」

「あはははは!」


 アリスが離れ、笑い出す。


「セカンド・キスも、ニコラに貰ってもらっちゃった!」


 アリスが一歩下がり、二歩下がり、リンゴをかじった。


「初めてのキスはレモンの味がするって聞いたことがあるんだけど、あの時は何も味が無かったし、今はリンゴの味だったわ」


 アリスが不思議そうに首を傾げ、呟く。


「おかしいの」


 あたしを見て、微笑み、ハートのステッキを振る。


「じゃあね、ニコラ」

「……ん」

「ばいばい」


 一言、付け足す。


「また、11月に」


 アリスがニッ、と悪戯な笑みを見せてから、人の波に沿って歩き出す。人の中に紛れ込んでいく。アリスが見えなくなる。橋の隅には、あたしだけが残された。


(……アリスがキス魔になってしまった)


 あたしはリンゴを唇につける。


(……キッドの影響だわ……。あいつ……絶対許さない……)


 リンゴをかじる。芯だけになり、橋を渡り、設置されたごみ箱に捨てる。


「ふう」


 周りを見回す。


(ここからまっすぐ歩けば、商店街の裏から出られる)


「よし」


 あたしは意気込んだ。


(帰ろう!!)


 キッドに見つかる前に、


(あたし、帰ろう!!)


 あたしは歩き出す。


(帰ろう帰ろう! これだけ人が多いと、誰がどこにいるかなんて分からないもの!)


 あたしは人混みに紛れる。


(よし! このまま一気に帰るわよ!!)


 そんな時に、情けない音が耳に聞こえる。

 ぴろりろりろりん。


(ん)


 あたしはポケットからGPSを取り出す。新着メッセージが来ている。


(げっ)


 キッドからだ。


(何よ)


 あたしはメッセージを開く。



『テリー、謎解きだ。俺はどこにいるでしょうか?』



 あ?


 ぴろりろりろりん。二通目。



『ヒントをあげよう。俺は素敵な夢見るレディだ』



 ぴろりろりろりん。三通目。



『猫の散歩を眺めていた美しい少女だ』



 ぴろりろりろりん。四通目。



『猫は自由気ままで実に困る。猫は簡単に浮気をする』



 ぴろりろりろりん。五通目。



『猫って高いところが好きだよな。木の上とか。橋とかさ』



 ぴろりろりろりん。六通目。



『猫が上にいるなら、レディはその下を通って近道をするはずだ。なぜなら、レディは迷子になって帰り道を探しているからだ』



 ぴろりろりろりん。七通目。



『帰り道を探しているレディがいたら、猫が案内しないと』



 ぴろりろりろりん。八通目。



『そろそろ分かったかな? 俺の居場所』



 ぴろりろりろりん。九通目。



『さあ、約束の時間だ。会いにおいで』



 ぴろりろりろりん。



「気持ち悪い」


 あたしはGPSの画面を消した。


(いいや。何も見なかったことにしよう)


 あたし、気づかなくて帰っちゃったの! 疲れてたんだもの! おっほほほほほ!!


(よし!)


 あたしは一歩踏み込んだ。


(あたしは帰るのよ!)


 もう少しで商店街の裏出口だ!


(帰る!)


 逃げる!


(キッドから逃げるのよ!)


 出口に前までたどり着く。


(着いたわ! ゴールよ! やった!)


 あたしは駆け込む。


(このまま一気に!!)


 足を踏み込んで、


「逃げる!!」

「よーし、掴まえたー」


 走りこもうとした体が、前から歩いて来た少女の肩に抱えられる。


(ひえ!!)


 がっちり捕まって、商店街の出口から遠ざかっていく。


「あああああああああああああああ!!」



 罪滅ぼし活動サブミッション。キッドに見つかる前に逃げる。



 失敗。あたしは手を伸ばして叫ぶ。


「畜生! もう少しで! 帰れたのに! 畜生!!」

「お前、本気で逃げれると思ったの?」


 少女の格好をしたキッドがあたしを地面に下ろす。


「メッセージちゃんと見た?」

「……」


 あたしはGPSを見る。


 十通目。


『GPSを見てごらん。俺の居場所もお前の居場所もはっきり分かるよ』

「わああああああああああああああああ!!!」


 あたしは悲鳴をあげる。美しい少女に成り代わったキッドを青ざめて見上げる。


「ストーカー!」


 後ずさる。


「キモイ!!」


 後ずさる。


「来ないで! 変態!!」

「よし、決定した。沢山虐めてやる。覚悟しろ」

「やめろ! 触るな! あたしに触るな! 触るならもっと親切丁寧設計設定で触れ! 真心こめて水晶玉のガラスを触るようにさっとしっとすっとせっとそっとタッチで優しく触れ!!」

「はいはい」


 キッドがあたしに手を差し出す。


「ほら、リュック持つから」

「……いい」

「疲れてるだろ。持つよ」

「……川に投げるんでしょ」

「お前の行動次第かな」


 あたしは強くリュックを掴んだ。


「いい。持ってる」

「冗談だよ。ほら、ちょうだい」


 キッドが手を差し出す。大人しくリュックを下ろして、キッドに渡す。


「重いわよ」

「普段からもっと重いの持ってるから平気」


 キッドが片方の肩にリュックをかけて、あたしの左手を握る。


「行こう」

「ん」

「あれ」


 キッドがきょとんとして、あたしの左手の小指を見た。


「……お前、……指輪は?」

「……失くした」

「落としたの?」

「……爆発事件の時に」

「……ああ」


 キッドがあたしの小指を見つめる。


「お前の指も大きくなってるし、頃合いだったかもな」


 キッドがあたしの手を握る。


「せっかくだ。指輪も見てみるか」

「いらない」

「また二人で揃えようよ」

「嫌よ。お前とは二度と揃えない」

「傷つくな」


 キッドが歩き出し、引っ張られるようにあたしも歩き出す。キッドのピナフォアドレスが揺れる。あたしは横顔を見上げる。


(女の子みたい)


 その横顔は、長い髪のせいもあるだろうけど、


(本当に女の子みたい)


 視線を動かす。人の波に向かって歩き出す。


「ねえ、キ……」


 その瞬間、手で口を押さえられた。


「むぐ!!」

「人がいなくて良かった」


 キッドがあたしの顔を覗き込む。


「お前、ここで俺の名前を呼ぶ気か? 前とは違うんだぞ」


 手をぽんぽんと叩く。


「ああ、悪いね」


 キッドがあたしの口から手を離す。あたしは自分の口を撫でた。


「……ごめんなさい。うっかりしてた」

「そんなことになるだろうと思って、お前が偽名を使っているように、俺も別の名前で呼んでもらおうか」

「……何よ」


 あたしはじろりと睨む。


「お前をなんて呼べばいいのよ。ゴミ野郎とでも呼べばいいの?」

「ふふふふふ! 美しいレディに戯言を言う猫の口はこれか!?」


 ふにぃいいいいと頬を掴まれる。


「むうううううううううううう!!」

「はははははははははは!! 自分の罪を償うんだな!!」

「ひっほおおおおおおおおおおお!!!」

「テリー」


 キッドが屈み、あたしの顔を覗き込む。


「いいか。今から俺はキッドではない」


 キッドが微笑んだ。


「あたくしはクレア」


 少女が微笑む。


「今から、あたくしはクレアだ」


 呼んでごらん。


「……」

「ほら、呼んで」

「……ク」


 あたしは少女を呼んだ。


「クレア」

「よろしい」


 クレアが微笑んだ。


(……クレアって)


 あんたのお姉さんの名前じゃ――、


「さあ! 準備も整った! 祭に行くぞ!」

「わっ!」


 クレアが、ぐい、とあたしの手を引っ張る。


「行くぞ! 遊ぶぞ! あたくしはこの日を待っていたんだ! 遊ぶぞ!!」

「ちょ、ちょっと!」


 あたしはクレアを見上げる。


「あんた、じいじとも遊んだんでしょ!」

「お前、じいやにそんな無理をお願い出来ると思ってるのか? 全く、呆れた奴だ!」


 クレアが笑う。


「ニコラ、行こう。ほら、早く」


 クレアがあたしの手を引っ張る。本物の少女のように、誰よりも美しく微笑む。前を歩いてきたゾンビが見惚れる。前から歩いてきたミイラが見惚れる。前から歩いてきた狼男が見惚れる。前から歩いてきた吸血鬼が見惚れる。前から歩いてきたフランケンシュタインが見惚れる。


 クレアは凛と背筋を伸ばして、微笑み、あたしの手を引っ張り、祭の中へと潜り込んでいった。


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