第17話 ハロウィン祭(5)
15時。
夕方が近づき、にぎやかさが増していく中、ホレおばさんが出店のテントに歩いてきた。
(……今日は、顔に炭がかかってない……)
ハロウィン効果だろうか。いつもと違って綺麗な顔のホレおばさんが、奥さんの前にやってくる。奥さんがホレおばさんに気づき、声を出した。
「あら」
奥さんが微笑んだ。
「トリック・オア・トリート。ママ」
……。
(え!!!?)
「お菓子ならあんたの後ろに沢山あるじゃないか。リタちゃん」
ホレおばさんがにんまりと微笑む。奥さんがくすっと笑い、ホレおばさんを見上げた。
「ああ、そうだ。ママ、ティーパックありがとね。美味しかったよ」
「そうかい。そいつは良かった」
リトルルビィが頑張って声出しをしている中、カリンが子供にお菓子を渡してる中、あたしだけ、奥さんとホレおばさんをじーーーーっと見つめる。
(……はっ!!)
本当だ!!
(言われてみたら、目の形と鼻が似てる)
「リタちゃん、ロールケーキをおくれ」
「パンプキンの美味しいよ」
「社長の手作りかい」
「そうだよ」
「ああ、じゃあ買っていこうかね」
ホレおばさんがいつも通りお菓子を買っていく。
(奥さんのお母様だったのね)
全く気付かなかった。あたしは視線を外し、接客をしようと前を向くと、奥さんに呼ばれた。
「ニコラ」
振り返ると、奥さんと目が合う。奥さんが手招きした。
「ちょっとおいで」
「……はい」
席を立ち、奥さんの元へ歩くと、奥さんがホレおばさんにあたしを差し出した。
「この子だよ。今日までの子」
「あら、そうだったのかい!」
ホレおばさんがあたしに微笑む。
「レジをよく打ってくれてたね! それに品出しも真面目にやっていた子だよ。あたしゃ、見てないようで、この目でちゃんと見てたんだから」
「ああ……はい……」
「いやね、あたしゃ、真面目に誠実に働く子が好きでねえ」
ホレおばさんが口を押さえて笑う。
「でもね、お気をつけ。働きすぎて社長のようにならないようにね」
「え?」
「ああ」
奥さんがあたしを見上げ、微笑んだ。
「あの人ね、一回鬱病になって、働けなくなったことがあるのさ」
「え」
「私が子供を流産しちまってね。そのショックで」
――働きすぎて、愛する妻を見てやれなかった。
「その責任が体に響いちまってね」
でもさ、ニコラ、見てごらん。
「今や、中央区域にそびえ立つ商店街のお菓子屋の社長で、今日も元気に美味しいお菓子を作ってくれてるだろ?」
顔に傷があれ、怖い風貌であれ、今日も社長は働いている。
「働くことってのは、確かに大切なことだよ。お金を貰わないと生活が出来ないからね。でも、決して働いてる人が偉いわけじゃない。働いてない人が怠け者なわけじゃない」
「私の旦那にみたいに体を壊す人もいるんだ」
「でも、働かないと生活する金は入ってこない。理不尽に見えるだろうけど、人として生まれた以上は、それが決まりなのさ」
「だからその上で、ニコラ、これからあんたは大人になっていく」
「どうしていきたい?」
「どうやって働いたら、笑顔で生活出来ると思う?」
「幸せになれると思う?」
「それは、今後のあんたにかかってるんだよ」
「だから子供は勉強するのさ」
「自分が幸せになるために、勉強して、沢山遊んで、たまにはアルバイトなんかもしてみてさ」
「色んな経験して、立派な大人になるんだよ」
ほら、見てごらん。
「旦那の笑顔」
奥さんが指を差す。あたしが指の指された方向を見る。社長が焼きたてのクッキーが入った袋を乗せたトレイを持って歩き、歪な、それでも確かに、にこやかに微笑んでいる。仮装する子供を眺めては、にい、と微笑む。笑ってた子供は、それを見て急に硬直してしまう。奥さんが爆笑した。
「あっはっはっはっ! あんた! その獲物を見つけたような笑顔はやめな! 子供達が怖がってるよ!」
社長が棚にトレイを乗せて、子供達に微笑みながら去っていく。子供の手の力が緩み、持ってたキャンディを落とした。
「ま、見た通り、どんな過去があろうと、笑ったもん勝ちさ」
奥さんが笑って、肩をすくめた。
「よくあそこまで回復したよ。家から一歩も出なかったんだから」
奥さんが昔を思い出しながら、懐かしそうに微笑んだ。
「私がどれだけ働いて、あの人の生活費まで補ったことか」
「だから私は反対したんだよ。あの男と結婚するからそうなるのさ」
「いいじゃないのよ。ママ。今は、もうあの人が養ってくれてるんだから」
テントの後ろを振り向けば、立派なお菓子屋はそこに建っている。
何年の歴史があり、社長も、奥さんも働き続けてきた過去がある。
他の店もそうだ。瓦礫に囲まれた店もそうだ。
皆、生活するために働いて、笑っている。
体が弱くてなかなか働けない母親のために、8歳のエミリがパン屋で働いている。
あたしと年齢の近いエリサや、ベッキーや、フィオナや、アリスが、働いている。
あたし達はこれから、大人になっていく。
大人になったら働く。自分で生活費を作っていく。
(どうやったら幸せになれるか)
あたしのやりたいことは、もう決まっている。
「良いお話が聞けました」
奥さんに頭を下げる。
「ありがとうございます」
「嫌だわ。ママの血が出てきて、説教臭くなっちゃった。いいんだよ、ニコラ。ただ話したかっただけなんだよ。気にしないで」
「お礼を言えるなんて、本当にいい子だね」
ホレおばさんがあたしに微笑む。
「お嬢ちゃん、将来は煙突掃除をしないかい? あたしゃの手伝いをしておくれ」
「やめてよ。ママ、ニコラの顔を炭だらけにする気? 煙突掃除なんて冗談じゃない」
「何言ってるんだい! あたしゃ達がいるから町の煙突は綺麗なんじゃないかい! 立派な社会貢献だよ!!」
「はいはい! 分かったよ。今日は祭なんだから怒鳴らないでよ、もー!」
奥さんがあたしに顔を向けた。
「ママが最終日の子を見たいってうるさくてね。呼んで悪かったよ。ニコラ」
「いいえ」
「あと一時間だね。最後まで頼むよ!」
「はい」
頷いて、奥さんとホレおばさんから離れる。席に戻る。リトルルビィがちょうど接客を終えたところだった。
「ニコラ、お帰り」
「ん」
「ただいまー」
アリスが戻ってきた。
「お帰り。アリス」
「ただいま、ニコラ!」
アリスが鞄をテントの奥に置いてから、自分の席に座るリトルルビィの肩を掴んだ。
「こら、そこ私の席よ!」
「アリス、こっち!」
「駄目! ここは私の席よ!」
「むう!」
リトルルビィがむくれながら自分の椅子に戻る。アリスが自分の椅子を奪還する。
「よし、16時まで頑張るわよ!」
商店街はどんどんにぎやかになっていく。
「すみません」
「いらっしゃいませー!」
「100ワドルデス」
「トリック・オア・トリート!」
「ニコラ、さっきね、姉さんとアイスを食べた後にね?」
「ん? 何?」
「すみません」
「いらっしゃいませー!」
「ふふふ!」
「切り裂きジャックを知ってるかい!」
「100ワドルデス」
「お猿のジョージがお菓子を持って登場だー!」
「ママ、お猿さん!」
「ジョージ君、飴も持ってきてぇ」
「了解!」
「おばちゃん!」
「こんにちは」
「あら、これはこれは、フロリカさん」
「ハロウィンですよー!」
「いらっしゃいませ!!」
「さぁさぁ! お菓子はぁどぉですかぁー!?」
「いらっしゃいませー!」
「ありがとうございますー!」
「お菓子はどうですかー!」
アリスがあたしの肩を掴んだ。
「今なら猫ちゃんもついてくるー!」
「ついてこない」
あたしが言うと、リトルルビィが手を上げて立ち上がった。
「買う!!」
アリスが首を振った。
「リトルルビィは従業員でしょ。駄目よ」
「むーーーーう!!」
「ぶふふう! リトルルビィ! ほっぺたが赤ちゃんみたいよ!」
「むーーーー!!」
「ぶふふふふぅ!!」
「やだ! ニコラがついてくるなら買う! お菓子買う!!」
「リトルルビィ、ニコラじゃないわよ。ニコラが化けてる猫ちゃんよ」
「猫ちゃん欲しい!!」
「残念だが」
あたしの手がそっと掴まれた。
「この子猫は、私がいただこう」
あたしはぽかんとした。
アリスがぽかんとした。
リトルルビィがぽかんとした。
あたしの手を取った紳士に、ぽかんとした。
「なんて可愛い猫だろう」
あたしの猫の手の甲にキスをする。
「ぜひ、私のものにして、可愛がりたいものだ」
きらきら輝く美しい顔の紳士に、あたしが、アリスが、顔を真っ赤にさせた。
「……っ」
「あ! あ! あ! えっと! あ! あの、今の、冗談で!」
あたしは黙る。アリスが慌てふためく。リトルルビィは硬直する。あたしの猫の手が緊張でぶるぶる震えだすと、紳士があたしの猫の手を撫でた。
「君を私のものに出来たら、きっと毎日が輝くに違いない」
紳士があたしに輝かしく微笑む。
「そう思わない? 子猫ちゃん」
「ぅえっ……」
思わず言葉が詰まる。顔が熱くなるのを自分でも感じる。美しい目があたしだけに向けられる。
(超好みのタイプのイケメン!!!)
大人の紳士!!!!
(目が離せない!!!)
唇を震わせ、手を震わせ、体を硬直させると、紳士の肩がとんとんと叩かれる。
「父上」
とても低い声を出す少女が苦く笑う。
「迷惑だから、やめて」
「えー?」
紳士が微笑み、あたしの手をにぎにぎする。
「やだあ。ヤキモチ妬いているのかい? 我が娘よ」
「いいから、早く」
あたしは目の前の紳士を見る。じっと見る。超好みのタイプの紳士を、じっと見る。じっと見て、
――少女のことを見上げる。目が合った。
「あ」
「ううん!!」
少女が咳払いをして、紳士を引っ張る。
「父上! 母上が待ってるよ!」
「えー?」
紳士がにこにこしながら、あたしの手から離れる。
「ほら、早く!!」
「じゃーねー。ニコラー」
紳士がにこにこしながら、あたしに手を振る。その笑顔と、紳士を引っ張る少女の腕の筋肉の形を見て、ため息をついた。
(……スノウ様だ)
超好みの紳士。
(スノウ様の男装だ……)
そして、あの少女は、
(なるほど。……だからヘンゼとグレタが二人で自由に歩いてたのね)
親と一緒だから、見てなくても大丈夫だったのだろう。
「レオ!」
呼ぶと、少女の足が止まった。ぴたりと硬直して、嫌そうな目であたしに振り向く。スノウ様がにやにやして少女を見る。少女が扇子で顔を隠し、またテントの前に戻ってくる。
「……レオって誰のことかしら! あたくし、そんな人知らなくってよ!」
「下手な裏声使わないでくれる? 気持ち悪い」
「……う、裏声なんて、使ってなくってよ!」
「レオって」
アリスが横から声を出す。
「ニコラのお兄さん?」
「ぐっ!!」
リオンの手がびくっと痙攣した。しかし、顔は隠し続ける。
「なななななな、何のことだか、あたくし、分かりませんわ!」
「レオ、ハロルドさんから伝言なんだけど」
「え! 来たの!?」
一気に扇子を持ってた腕を下ろしてあたしを見下ろす。あたしは頷いた。
「偶然来たのよ。エスメラルダさんと」
「ええ、そうだったんだ。伝言って?」
「あの二人結婚するんですって」
「なんだって!?」
リオンがぱっと微笑んだ。
「そっか、それは、……うん、良かった! そうか、……結婚するのか!」
「それで、お礼のサインを渡したいから、今度ラジオ局に遊びにおいでって」
「お礼のサインだって!? これは見過ごせないな! よし、ニコラ、時間を作って二人で行こう!」
「あたしはいい。あんた一人で行きなさいよ」
「何言ってるんだ! あの時計屋を見つけたのはニコラの力もあるんだぞ! 二人で行って、二枚サインを貰おう!」
「結構よ」
「日付を決めよう!」
「いいって」
「旅は道連れ! 兄妹は二人で一つ!」
「姉妹の間違いじゃないの?」
言うと、リオンがはっとした。今の自分の姿を思い出し、膝から崩れ落ちた。
「僕は!! 嫌だって言ったんだ!! でも、母上がこれしか仮装しちゃ駄目って言うから!!」
「ニコラ、お兄さんが嘆いてるわよ」
「放っておいて。アリス。いつものことだから」
「そう」
「ニコラ! この薄情者! こういう時はな! どんな格好してたってお兄ちゃんはかっこいいわよって、励ますところだぞ!!」
「知らないわよ」
「畜生!」
リオンが地面を叩いた。リトルルビィが哀れみの目でリオンを見下ろした。アリスも心配そうにリオンを見つめる。
「ニコラ、お兄さんが悲しみに打ちひしがれてるわよ?」
「放っておいて。アリス」
あたしにリオンにしっしっ、と手を振る。
「ねえ、いつまでそうしてるの? 邪魔よ。行って」
「冷血! 冷酷! 血も涙もない! マイ・シスター! 君はいつからそんな冷淡な人間になってしまったんだ!?」
「うるさいわね。とりあえず伝言は伝えたわよ」
「ああ……。冷たい妹を持ったものだ。僕は悲しいよ」
リオンが立ち上がり、顔を上げ、テントの棚を眺めた。――そして、あるものを見つけて、目を光らせた。
「……ニコラ、あの抹茶のロールケーキっていうのは何だ?」
「社長の手作りのロールケーキよ」
「美味しいか?」
「社長の腕は認めてる」
ちらっとアリスを見ると、アリスも微笑んで頷いた。
「美味しいですよ!」
「そう」
リオンがアリスに微笑む。リオンの影が、少しだけ揺れた気がした。
「よし、じゃあ、それを……」
「待って!」
男装したスノウ様がリオンの肩を抱き、リオンと同じく棚の一点を見つめた。
「子猫ちゃん、あの詰め合わせにはどんなものが入っているんだい?」
「色々入ってます。あっちはパンプキン系のお菓子で……」
そっちに指を差す。
「リンゴ味のお菓子の詰め合わせは、それですね」
「買った!!」
「待て、母上! 抹茶もだ!」
「レオ、抹茶のお菓子の詰め合わせはないわ」
「クッキーは!?」
「ある」
「ロールケーキと、クッキーだ!」
「はい」
あたしは立ち上がり、棚から抹茶のロールケーキとクッキーを袋に詰める。
「レオ、見て! 尻尾が揺れてるわ!」
「母上、ニコラがちゃんと働いてるよ!」
あたしは詰め合わせの箱を袋に入れた。
「ところであんた、なんでニコラと仲良いの? いつから?」
「え。あっ、いや、その……」
「お会計が」
えっと、足し算して、
「1200ワドルデス」
「ニコラ、今訛っただろ」
リオンに笑いながら指摘され、ぎろりと睨む。リオンが眉をひそめる。
「え、なんで睨むんだよ……」
「乙女心が分かってないな。我が娘よ。デリカシーがない乙女は嫌われるぞ」
「……意味分かんない……」
スノウ様が財布から2000ワドルを取り、あたしに渡す。
「はい。子猫ちゃん」
「オ預カリシマス」
アリスが箱を取って、あたしの前に置いた。あたしはそれにお金を入れ、800ワドルを取り出し、スノウ様に渡す。
「800ワドルノオ返シデス」
お菓子の袋を渡す。
「オ品物デス」
ぺこりと一礼。
「アリガトウゴザイマス」
「愛のこもった接客をありがとう。子猫ちゃん」
再び猫の手をなでなでされる。アリスが横からその風景を眺める。
「ねえ、ニコラ」
アリスが首を傾げる。
「レオさんがその方を母上って言ってたけど……」
アリスがスノウ様を見上げる。
「ニコラのお母さんってこと?」
「あら! ばれちゃった!」
スノウ様が嬉しそうに笑い、アリスの手を握った。
「こんにちは! ニコラのママですうううううう!」
「きゃーーー! どうも初めまして! ニコラの親友のアリスと申します! お母様!」
「アリスちゃん! まあ、なんて素敵なお名前!」
「素晴らしい仮装ですね! 男性にしか見えませんでした!」
「あらやだ、お上手だこと! くははははは!!」
スノウ様がアリスの横で静かに見つめているリトルルビィを見て、手を振る。
「ルビィちゃん! お仕事お疲れ様!」
「……お疲れ様です」
リトルルビィがか細い声で微笑む。リオンがそれを見て、スノウ様の腕を引っ張った。
「ほら、もう行こう。迷惑になるから」
「ニコラ、最後までお仕事頑張ってね!」
「父上も待ってるから!」
リオンが大声をあげ、その先に向かって歩き出す。
(え)
「えっ」
あたしとリトルルビィが顔を引き攣らせた。
リオンの歩く先に、無理矢理女装させられたような化粧の濃い男性が、俯いて立っていた。スノウ様が男性の手を組み、歩き出す。
「さあ、行こう! 私達の未来へ! ハロウィンへ!」
「……」
「父上、気を確かに!」
リオンが男性の背中を撫でる。男性がリオンに顔を向ける。
「……お前、すね毛剃ったか?」
「……うん。腋毛も」
「……そうか……」
「大丈夫! すね毛も腋毛も、生えてくるさ!」
「……そうだな……」
「元気を出して! さあ! 祭を楽しもう!」
「そうだ! 我が娘と我が愛する妻よ! 共に楽しもう!」
「……」
男性がリオンに励まされ、紳士に成り代わった妻に引っ張られていく。
あたしとリトルルビィが、自然と目を合わせた。
(……テリー……)
(リトルルビィ……)
あたし達は、こくりと頷いた。
((見なかったことにするのよ!!))
ここに王様はいなかった。スノウ王妃もリオン殿下もいなかった。
仮装した知り合いが歩いていただけ。
(……めちゃくちゃなハロウィン祭ね)
人はにぎわって、引く気配がない。
(疲れた)
肩をとんとんと叩く。
(疲れた)
でも、隣にいるアリスは楽しそうで、リトルルビィも笑いながら座っていて、カリンはのんびり接客をしていて、奥さんは商店街で働く人と笑いながら世間話をしていて、たまにジョージが品を運んできて、社長が作ったお菓子を持ってきて、知ってる顔が祭を歩いていて、ベッキーやエリサやフィオナも時々歩いてたりしていて、商店街中が笑顔と興奮と仮装とお化けで埋め尽くされる。
この雰囲気は、
(……嫌いじゃないかも)
疲れるけど、
(……別に、悪い気はしない)
にぎやかな祭は続いていく。時間の針は進む。アルバイトの終わりを迎える。
16時。
「お疲れ様」
奥さんがあたし達三人を呼んだ。
「はい、お給料。アリス」
「やったー!」
「それとお菓子の詰め合わせもね。必要だろ」
「ありがとうございます!」
アリスが貰う。
「リトルルビィ」
「わーい!」
「お菓子もね」
「やったー!」
リトルルビィが貰う。
「ニコラ」
「はい」
お金の入った袋を貰う。開けてみる。
「……」
「出勤分入れておいたからね。それとこれも」
奥さんがあたしに微笑み、お菓子の詰め合わせが入った小さなバスケットを渡してきた。
「本当にありがとう。ニコラ。助かったよ」
「いいえ、こちらこそ」
バスケットを受け取って微笑む。しかし、……驚いている。
袋の中に入っていたお金は、あたしの一ヶ月分のお小遣いよりも少なかった。
「……」
一ヶ月一生懸命働いたのに、悪夢を見たのに、汗水流して働いたのに、朝早く起きて働いたのに、……結果が、この金額。
(……軽い)
一ヶ月分のお給料。
(軽すぎる)
自分が恵まれた環境であることを分かっていたけれど、いざ自分の力で働いた分の給料を確認すると、
(……)
あたしは奥さんに顔を上げた。
「奥さん、ありがとうございました」
とても、胸が痛くなる社会勉強だった。
「……本当にありがとうございました」
「またおいで」
奥さんが微笑む。
「ニコラなら大歓迎だよ。稼ぎたくなったらいつでも戻っておいで」
「はい」
「やったわーーー!」
アリスが両腕を掲げた。
「これで、来月のキッド様イベントに出れるわ! やったわ! 私、やったのよ!」
「はっはっはっはっ! アリスとリトルルビィは、引き続き来月もよろしく頼んだよ」
「任せてください! 奥さん! 一家に一台アリスちゃんがいれば一安心です!」
「あんたが一番心配なんだけどね」
「え!?」
その場で、皆がげらげらと笑い出す。ジョージが、カリンが、奥さんが、リトルルビィが笑う。社長はテントを覗き込み、薄く微笑み、店の中に戻っていった。カリンがあたしと握手を交わした。
「ニコラちゃん、元気でねぇ」
「お菓子買いに来ます」
「いつでも来てぇ。待ってるわぁ」
ジョージがあたしと握手を交わした。
「じゃあね。ニコラちゃん」
「お元気で」
「ニコラちゃんも元気でね。またおいで」
もう一度、奥さんに握手を交わす。
「お世話になりました」
「いつでも遊びにおいで。旦那も私もいるからさ」
「はい」
手を離す。ジャケットをリュックに積んで背負う。上着はいらない。外はそれほど寒くない気がした。アリスも鞄を持った。リトルルビィも鞄を持った。三人で挨拶。
「お疲れ様でした!」
「お疲れ様でしたー!」
「……お疲れ様でした」
アリスとリトルルビィとあたしが挨拶をして、三人があたし達に手を振った。奥さんが叫ぶ。
「ハロウィン祭、楽しんで!!」
リトルルビィとアリスとあたしが顔を見合わせる。
「アリス、どこに行く?」
「リトルルビィは?」
「メニーと待ち合わせしてるの!」
「じゃあ、行ってきなさいよ」
アリスが微笑んでリトルルビィを促す。リトルルビィはあたしの顔を見る。
「……ニコラは?」
「……行けなくなった」
その一言で、リトルルビィが何かを察した。
「ニコラ」
あたしに近づき、耳打ちする。
「何かあったらメッセージ送って。駆け付けるから」
「……ありがとう。あんたは優しい子ね」
「えへへ」
リトルルビィの頭を撫でると、でれんとリトルルビィが笑った。
「じゃあね! アリス! ニコラ!」
「ばいばーい!」
「ん」
二人で手を振って、リトルルビィが走っていくのを見届ける。リトルルビィが人混みの中に紛れ、姿が見えなくなる。
あたしとアリスが顔を見合わせた。
「さて」
アリスが一息ついた。
「ニコラ、この後誰かと待ち合わせしてるの?」
「……ううん」
「え?」
「待ち合わせしてないの」
あたしは笑顔で嘘をつく。
「爺ちゃんに帰って来いって言われてて」
「あら、じゃあお爺さんと歩くの?」
「そうなると思う」
罪滅ぼし活動サブミッション。キッドに見つかる前に逃げる。
「……そっか」
アリスが眉をへこませた。
「あのね、私、一時間くらい暇を潰さないといけなくて」
「ん?」
「父さんと姉さん、一回家に帰ってるの。で、今度はランタンを持って、街を歩くんだけど」
どうせあと一時間で来るから、
「だったらどこかで時間潰そうと思ってたんだ」
アリスがあたしを見る。
「ねえ、ニコラ、付き合ってくれない?」
一時間だけ。
「一緒に歩かない?」
「いいわよ」
頷くと、アリスがきょとんとした。
「え、いいの?」
「あたし、もう帰るだけだもの」
「そう」
「うん」
「じゃあ、歩けるの?」
「うん。一時間?」
「うん!」
「いいわ」
「じゃあ……」
アリスが嬉しそうに微笑み、あたしの手を握った。
「歩こう! ニコラ!」
ハートの女王様と尻尾を揺らす猫が、手を繋いで歩き始めた。
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