第14話 10月28日(3)


 23時。







 明かりの消した部屋。暗い部屋。毛布に包まる。寝返る。胸が寂しくなって、また寝返る。うつ伏せになる。苦しくなって横になる。仰向けになる。横になる。あたしは手を伸ばす。ベッドの端に置いた鼠のケビンを抱きしめる。ケビンが胸にすっぽり埋まる。目を閉じる。胸は埋まる。けれど、心臓と皮膚の間には、穴が空いたような感覚。


(忘れられない)


 雨の景色。


(忘れられない)


 走るアリス。


(忘れられない)


 アリスの自殺未遂。


(忘れられない)


 二の腕の傷。


(忘れられない)


 アリスの笑顔。


(忘れられない)




 眠れない。





 あたしは起きる。暗い部屋の中で、ベッドに座る。


「……」


 年甲斐もなく、ケビンを抱きしめたまま、立ち上がり、部屋の窓を見る。雨が降っている。


(……いつ止むのかしら)


 明日、ドロシーと話そう。


(28日が終わる)


 全て終わる。


「……」


 ジャック騒動も解決した。問題の惨劇は起きなかった。


(広場は平和だった)

(城下町は平和だった)

(殺人鬼は現れなかった)

(アリスは死ななかった)


 アリスは笑顔であたしを見送った。

 アリスはずっと笑ってると思ってた。

 とても死を望んでいるようには、見えなかった。


「……」


 ドロシーは見ていただろうか。

 メニーを見ていただろうか。

 アリスのことを、見ていただろうか。


(なんで助けてくれないの)


 魔法使いは、人間を助けてくれるんでしょ?


(メニーは助けて、なんでアリーチェは助けてくれないの?)


 あんなに苦しんでるのに。

 あんなにもがいてるのに。

 死を望むようになるまで、追い詰められているのに。


(なんで助けてくれないの)


 雨が降る。


(なんで)


 雨が窓に当たる。


(なんで)


 これが現実か。


(こんなの、苦しい)

(こんなの、痛い)


 なんでアリスなの。

 なんでアリーチェなの。


(メニーでいいじゃない)


 メニーはプリンセスになって幸せになる未来がある。

 アリーチェには、殺人を犯して死の未来が待っていただけ。


(衝動って言ってた)


 アリーチェは、衝動で死にたくなる。


(衝動で、人を殺したのかしら)


 衝動で城下町で暴れ回ったのか。

 衝動で人を殺し回ったのか。


(……もう、どうでもいい。惨劇は起きなかった)


 起きたのは、アリスの自殺未遂。


(なんで)


 あたしを友達と言ってくれた。

 優しく仕事を教えてくれた。

 人々に囲まれて、楽しそうにしてた。

 姉の恋人に不毛な恋をして、

 自分の体のことを分かった上で身を引いて、

 遠くから眺めて、

 人々の幸せを願って、祈って、


 自分には、死を願う。


「……」


 あたしはケビンをベッドに戻した。


(……眠れない)


 窓を眺める。


(……眠れない)


 窓が濡れている。


(星空も見られない。最低)


 あたしはスリッパで歩き出す。


(……ホットミルクでも飲もう……)


 扉を開ける。部屋から出る。扉を閉める。廊下は暗い。キッドの部屋の明かりはついてない。


(明日、朝早いんだっけ?)


 雨の中、城下町を見て回ると言っていた。


(いいわね、あんたは。呑気に眠れて)


 あたしは歩き出す。


(眠れない)


 目が冴えてる。一歩歩く。


(眠れない)


 目を閉じれば思い出してしまう。一歩歩く。


(眠れない)


 廊下を歩く。一歩歩く。


 がちゃりと、音が鳴った。暗い廊下の中、扉が開く音が響いた。


「悪い子」


 振り向くと、小さなろうそくを持ったキッドが扉を開けて、あたしの背中を見ていた。


「良い子は寝る時間だ。お前も明日あるんだろ?」

「……ホットミルク飲んだら寝る」

「飲みすぎておねしょしても知らないよ」

「……しない」


 むっとして答えると、キッドがくくっ、と笑った。


「テリー、ちょっとおいで」

「……何?」

「おいで」


 キッドが扉を開けたまま、一歩引いた。


(……何?)


 あたしはろうそくの灯につられるように、キッドの部屋に一歩近づく。


(何よ?)


 あたしは一歩近づく。


(何?)


 あたしはキッドの部屋を覗く。キッドがろうそくを机に置いた。


「早くおいで」

「……」


 あたしはキッドの部屋に入る。逃げられるように扉を開けたままにしたら、キッドに顔をしかめられる。


「寒いだろ。閉めて」

「……」


 むすっとして、扉を閉めて、また振り向く。逃げられるように扉の前にぴたりとくっついて、キッドを見上げる。


「何?」

「ベッドに座って」

「なんで?」

「ちょっと話そう」

「いい」

「いいから、話そう」

「話したくない」

「眠れないんだろ」


 キッドを睨む。キッドは微笑む。


「おいで」


 黙ったまま、あたしの背が扉から離れて歩き出す。大股で歩き、ベッドに座る。腕を組む。足を組む。キッドを睨む。キッドが隣に座る。ろうそくは小さく揺れている。横目でキッドを見た。


「……明日、早いんじゃないの」

「少なくとも、お前が起きる頃には出発してるよ」

「見回りでしょ」

「明日から開かれる商店街が多いからね。歩き回る人も多くなるだろうし、食料が尽きてる人たちだって歩き回るだろうし、これは王子様として、俺がいかに王様にふさわしいか東西南北でアピールしておかないとね」

「はっ」


(呑気ね)


 鼻を鳴らし、また黙る。キッドがふふっと笑う。


「お前も祭の準備だろ?」

「だと思う」

「商店街は大盛り上がりだ」

「そうね」

「気分を暗くしちゃいけない。寝て、すっきりして、気分を変えないと」

「……アリスは今も苦しんでる」


 あたしが気分を変えたところで、アリスは死を望む。35年後の死を望む。


「アリスが苦しんでるのに、あたしは気分を変えろというの? 横暴よ」

「じゃあ、お前は今すぐアリスと死にたいと思うか?」

「何言ってるの。思うわけないじゃない。あたしはアリスを救う術を考えてるのよ」

「救う術は一つだけだ」


 雨の音が響く。


「受け止める」


 キッドの声が響く。


「お前の想いは押し付けず、あの子の気持ちを受け止める。それだけだ」


 アリーチェは祈る。いきたいと。

 アリーチェは願う。逝きたいと。

 そうして生きることしか出来ないのが、アリーチェだ。


「それを受け止めるんだ」


 それもアリーチェ。

 それがアリーチェ。

 それが、アリーチェという少女。


「受け止める相手がいたら、あの子も身を投げられる」


 受け止める相手がいないと、あの子はどこかへ身を投げる。


「お前が受け止めるんだ」


 アリーチェが落ちてきたら、お姫様のように腕に抱えてあげるんだ。


「そうすれば、あの子はずっと生きていける。逝きたいという願いから、生きたいという願いに変わる日が来るかもしれないよ?」


 まあ、分からないけど。


「どう? お前に出来そう?」


 キッドがあたしの顔を覗き込む。あたしはキッドを見上げて、頷く。


「出来る」

「頼もしいな」

「お前ならともかく、アリスだったら抱えられるわ。頑張れば」

「そう」

「それでいいのね?」

「そうだよ」

「受け止めればいいのね?」

「そうだよ」

「分かった」


 あたしはアリスを受け止める。身を投げてきたら、その体を腕に抱える。アリスをキャッチして、ケタケタ笑うアリスを優しく抱きしめる。


「……分かった」


 それしか出来ない。


「…分かった」


 それなら出来る。


「分かった」


 受け止める。


「親友だもの。出来るわ」

「明日ランチを一緒に食べて、違う話で盛り上がればいい。リトルルビィもいるんだろ?」

「ん」

「相手が気まずそうにしても、いつも通りに」

「分かった」

「変に蒸し返すようなことはしないこと」

「分かった」

「それと、今日みたいにしつこいのも感心しないな」

「……心配だったから」

「押し付けたら駄目だよ。相手はお前の気持ちも十分分かってるから、お前は黙って受け止めてあげるんだ」

「……分かった」

「よろしい」


 ぽんぽんと頭を撫でられ、ぎろりと睨み、その手を払う。


「触らないで。汚らわしい」

「何だよ。お前の大好きな王子様だろ?」

「王子様なんか好きじゃないわ」

「へえ? そう」


 キッドはいつも通りにやにやしている。腹立つ顔しやがって。


(……受け止める)


 思い出を忘れたあたしに、キッドがそう言った。


(受け止める)


 アリーチェの思いを、あたしは受け止める。確かに、あたしにはそれしか出来ない。変に触れずに、距離を保って、アリーチェが負担にならないように、一定の距離で、アリーチェを受け止める。


(……明日、隣でパンを食べよう)

(それで、一口あげよう)

(それでいいわ)


 それが、友達同士のやりとりでしょう?


(……それでいいんだわ)


 いつもの日常通り。


(……。眠くなってきた)


 ふい、とキッドから顔を逸らす。


「寝る」

「寝るの?」

「寝る」

「眠れる?」

「寝る」

「一緒に寝ようよ」

「やだ」

「添い寝してあげるから」

「部屋に戻る」


 立ち上がると、手を握られる。


「ねえ、テリー」

「やだ」


 キッドが引っ張った。


「ねえ、テリー」

「っ」


 キッドがあたしを受け止めた。


「ねえ、テリー」

「ちょ」


 キッドがあたしを受け止めたまま、ベッドにごろんした。


「ねえ、テリー」

「ちょおおおおお!」


 ぽかぽかキッドを叩く。


「離せ! あたしは自分の部屋で寝る!」

「一緒に寝ようよ」

「いい!」

「目覚ましは8時でいい?」

「自分のがあるわ!」

「そう言わずに」


 キッドがあたしを抱きしめ、背中を優しく叩く。ぽんぽんぽんぽん。


「お前! こんなことしてタダで済むと思うなよ!」


 ぽんぽんぽんぽん。


「セクハラよ、セクハラ! 畜生! 最初からこれが目的だったのね! ああ、なんて野蛮な奴!!」


 ぽんぽんぽんぽん。


「触るな! あたしに触るな! 触るならもっと大切に触れ! あたしはね、ガラスの水晶玉なのよ! ちょっと触っただけで傷がついちゃう乙女なのよ!!」


 ぽんぽんぽんぽん。


「この乱暴者! 商店街中に言って回ってやる! キッド殿下はかよわい乙女をベッドに連れ込む下品で卑劣でえっちな奴って広めてやる!!」


 ぽんぽんぽんぽん。


「そうなればお前もおしまいよ! ほほほほ! ざまあみろ!」


 ぽんぽんぽんぽん。


「全くおかしいわよ! いかれてるわよ! アリスもあんたの何がいいのよ!」


 ぽんぽんぽんぽん。


「アリスはあんたと違って……」


 ぽんぽんぽんぽん。


「すごく良い子で……家族思いで……」


 ぽんぽんぽんぽん。


「……友達思いで……」


 ぽんぽんぽんぽん。


「……ん……」


 ぽんぽんぽんぽん。


「……やさ……しく……て……」


 ぽんぽんぽんぽん。


「……ア……リス……」

「寝ていいよ」

「……んん……」

「寝ていいよ。俺に構わず」

「……んー……ん……」


 ぽんぽんぽんぽん。

 ぽんぽんぽんぽん。

 ぽんぽんぽんぽん。


「……キッド……」

「ん?」

「……あの、ね……」






 ――すやぁ。






「……」


 キッドは微笑む。愛おしい少女を見つめて笑う。

 キッドは微笑む。愛おしい少女を見つめて微笑む。


「何? テリー」


 返事をしないのは分かっている。


「俺に何を言おうとしたの?」


 眠る少女を見つめる。髪の毛を沿うように撫でる。薄く開かれた唇が揺れる。その唇から目が離れない。頬を撫でれば温かい。普段力の入った鋭い目元は脱力し、だらんと緩んでいる。あどけない。


「テリー」


 見ているだけで、胸が締め付けられる。


「テリーってば」


 抱きしめれば、体に欲が駆け巡る。


「くひひっ」


 欲を忘れるように抱きしめる。


「テリー」


 キッドは見つめる。


「思い出して」


 キッドの手が少女の手を握る。


「触っただろ?」


 少女の手を、自分の胸に押しつける。


「ほら、触った」


 キッドは見つめる。


「触ったのに」


 キッドは見つめる。


「ねえ、テリーってば」


 少女は眠る。


「思い出して」


 キッドは見つめる。


「俺のことも受け止めてよ」


 頬にキスを。


「悪い女め」


 キッドがテリーの頬に、唇を押しつけた。







( ˘ω˘ )






 もう悪夢は見ない。

 無が広がるだけ。





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