第14話 10月28日(2)

 ??時。



 雨の音を聞きながら、ピナフォアドレスに着替えたアリスが話す。


「ニコラはどんな時が好き?」

「パンを食べてる時が好き。アリスは?」

「帽子の絵を描いてる時が幸せかな」


 雨の音を聞きながら、アリスの服を着ているあたしが話す。


「アリスの嫌いな言葉は何?」

「努力が足りない」

「どうして?」

「よく言われるから」


 雨の音を聞きながら、アリスとあたしが話す。


「ニコラ、映画は好き?」

「アリス、お芝居は好き?」

「ニコラ、本は好き?」

「アリス、美術館は好き?」

「ニコラ、兎は好き?」

「アリス、トランプは好き?」

「ニコラ、ハートは好き?」

「アリス、薔薇は好き?」

「ニコラ、薔薇に色をつけるとしたら何色?」

「白かな」

「私は赤」

「アリス、好きな色は何?」

「青。ニコラは?」

「黒。友達の髪の色なの」

「ニコラ、お誕生日、リオン様と同じ日だっけ。何がいい?」

「アリスは何がいい?」

「ふふっ。そうね。ドレスが欲しいかな」

「ドレス?」

「舞踏会に行けるようなドレス。私、貴族でもお金持ちでもないから、仮面舞踏会の時、すごく困っちゃったの」


 いきなり招待状が来るんだもん。


「ニコラも行った?」

「ええ」

「私は行かなかった」

「そうなの?」

「知らない人がいっぱいいたし、怖かったから」

「そうなの」

「キッド様、見たかったな」

「キッド様のこと、どこで知ったの?」

「去年のキッド様のお誕生日会で、初めて会ったの」


 父さんが誘われて、その関係で行ったの。


「私、借り物のドレス着てたのよ。おめかしもして、でも、私、ざわざわする所って苦手なの。うるさくて驚いちゃうの。だから、大勢の人から離れたベンチに座ってた。そしたら、キッド様が隣に座ってきたのよ」


 アリスが笑った。


「私、その時ね、ふふっ。彼のこと知らなかったの。王子様の誕生日があるって聞いてて、キッド様の名前も顔も知らないまま行ったのよ」


 だから普通に世間話を始めたの。


「あら、こんばんは。ミスター」

「こんばんは。レディ」

「お疲れ様です」

「君もお疲れ様」

「あのケーキ、食べました?」

「うん? 食べてない。美味しかった?」

「苺ケーキ大好き。あの苺美味しかったですよ」

「おや、奇遇だね。俺も苺ケーキ好きなんだ」

「美味しいですよねえ」

「甘いんだよなあ」

「とろけるんですよねえ」

「名前は?」

「アリーチェ」

「素敵な名前」

「貴方は?」

「俺はキッド」

「年齢は?」

「今日で17歳」

「わあ、王子様と同じ誕生日だなんていいなあ」

「羨ましい?」

「クリスマス・イブにお誕生日って素敵。ロマンチックだわ」

「君の誕生日は?」

「五月です」

「春も素敵。出会いの季節だ」

「恋人は?」

「婚約者がいる」

「え、17歳で婚約者?」

「何? 変な話じゃないだろ?」

「色気づいてる。気持ち悪い」

「あははははは! 失礼だな!」

「好きなの?」

「好きだよ」

「へえ、どんな子?」

「すごく可愛い子。君も可愛いけど、誰よりも愛おしい」

「素敵ね」

「君は? 彼氏」

「片想い」

「そう。頑張って」

「ねえ、どうやったら両想いになれるのかしら」

「俺も考えてるよ。俺の婚約者も相当手強いんだ」

「婚約者なのに?」

「今日、会いに来てくれなかったんだ。俺の誕生日なのに」

「あはは! 嫌われてるんじゃない?」

「どうやったら好きになってくれるかな?」

「女の子だもの。優しくしてあげたら好きになるわよ」

「応援してくれる?」

「いいわよ。私で良かったらいっぱい応援してあげる!」

「ふふっ。それは嬉しい」

「キッドさん、人に励まされたら人って強くなれるのよ。私がキッドさんを励ましてあげるわ。だから頑張ってよ」

「あははは! 本当だ。勇気が湧いてきた。どうもありがとう!」

「あははは! どういたしまして!」


 第一王子とは知らずに、私はその肩をばんばん叩いた。キッド様は笑ってた。キッド様も私の肩をばんばん叩いた。私達は笑い合った。キッド様だと知ったのは、翌日、テレビで映ってたのを見て知ったの。唖然としたわ。


「だから応援してるの」


 アリスが薄く微笑む。


「キッド様は覚えてないだろうけど」


 アリスがくすっと笑った。


「キッド様が強くなれるように、応援してるのよ」


 キッド様の顔を新聞の記事で見かけるたびに、思うの。


「頑張れ。頑張れ。お仕事頑張れ。国を守って。キッドさんって」


 ああ、それと、


「顔も好みなの。見てたら癒されるのよ」


 部屋の天井や壁に貼られたキッドは健全。


「……アリス、友達だったのね」


 アリスは首を振った。


「友達じゃないわよ」


 アリスが肩をすくめた。


「たまたま一晩だけ喋って、盛り上がっただけ。好きなものが一緒だったの。苺のケーキだったり、甘いものだったり、私も甘党だし、彼も甘党だったから、お菓子の話題で盛り上がっただけ」


 アリスがため息を出した。


「王子様だなんて分かってたら、喋らなかったわ。挨拶して逃げた」

「王子様は嫌い?」

「王子様を嫌いなレディはいないわ。ニコラ」


 私の場合は、


「怖い」


 人に嫌われるのが怖い。


「滑舌も悪いし、私の声、聞き取りづらいじゃない。それも嫌」

「そんなことない」

「そんなことある」


 アリスは微笑む。


「不器用で、鈍感で、思ったことすぐ口に出ちゃうの」

「人間として変わりなさいって何度も言われた」

「何度も否定された」

「だからね、ニコラ、私の外見は普通に見えるけど、中身は欠陥だらけなの」


 でも、これは病気じゃない。


「遺伝によるものなんだって」


 血が流れると、発症しやすい。


「私の場合は生まれつき。生まれる前から、作りだされた時から、そういう脳で生まれてしまったの」


 だから私は結婚出来ない。

 子供を産んではいけない。

 人を好きになってはいけない。

 子供が欲しくなるから。


「ねえ、ニコラ、毎日頭の中がうるさいの」


 がやがやしてるの。


「ふとしたら、帽子のことを考えてる」


 先生に怒られてる時も考えてる。ずっと考えてる。あら、先生ってば、白髪があるわ。


「でも、それって、普通の人は、制御出来るんでしょ?」


 私は出来ない。


「いいな」


 アリスが微笑んだ。


「ニコラが羨ましい」

「あたしは」


 アリスの手を握る。


「アリスが羨ましい」

「どこが?」

「友達が多くて」

「多くないわよ」


 アリスがあたしの手を握る。


「笑顔って疲れる」

「分かる」

「いきたくなるの」

「でも、笑うのね」

「面白いと笑うわ。もちろん」

「でも疲れるのね」

「しんどい」

「アリスはからかわれてるわね」

「すごくしんどいの。いじられキャラって呼ばれてるけど、あれ何なんだろう」

「でも、それがアリスにとっての交流なんでしょう?」

「そうなの。それが交流よ」

「皆、悪気はないわ」

「分かってる」

「しんどい?」

「すごく」

「雨止まないわね」

「いつ止むんだろ」

「こんな天気ばかりで、頭がおかしくなりそう」

「10月だもの。仕方ないわ」

「アリス、11月になっても会える?」

「もちろん会えるわ。私はまだいるんだから」

「嘘つき」


 アリスが黙り、瞼を閉じた。


「……嘘じゃないわよ。現に、私、ここにいるじゃない」

「いかないで」


 手を握り合う。


「アリス、いかないで」

「変なニコラ。私、ここにいるのに」

「すごく寂しいの」

「すぐに忘れるわ」

「嫌なことって忘れられないじゃない」

「そうね。楽しいこととか幸せなことって、忘れてしまうのに、嫌なこととか悲しいことって、こびりついて離れないのよね」


 アリスがあたしの肩に頭を乗せた。


「私も寂しいわ。ニコラ」

「アリス、いかないで」

「大丈夫よ、ニコラ」


 アリスは優しく微笑む。あたしは強くアリスの手を握る。


「ニコラ、ふふ。手、痛い」

「アリス」

「大丈夫、大丈夫」

「アリス」

「大丈夫よ」


 アリスの瞼が上げられた。


「穴埋めはされるものだから」


 ――扉が叩かれた。アリスとあたしの視線が扉に移った。


「……姉さんかしら」


 アリスがベッドから下りた。あたしはベッドに残る。あたしの手とアリスの手が離れた。アリスが歩き出す。


「何? 姉さん」


 アリスがドアノブを捻った。扉を開けた。




 ――アリスがきょとんとする。




「……ん?」


 見覚えのない背の高い青年を見上げて、アリスが首を傾げる。


「え?」

「やあ」


 青年が帽子のつばを上げて、頭を上げて、顔を見せた。アリスがきょとんとした。固まった。硬直した。


「……」

「久しぶりだね。アリーチェ」


 キッドがにんまりと微笑んだ。アリスが石になる。


「いや、アリスだっけ? そいつが君の名前はアリスだって言ってた」

「……」

「どっち? アリーチェ? アリス? 俺を混乱させないで」

「……」


 アリスが硬直する。瞬きする。ぽかんと、口を開けた。


「キッド、さん」

「うん」

「なんで、ここに」

「呼ばれた」

「誰に」

「婚約者」


 キッドが指を差す。あたしに差す。アリスが振り向く。あたしを見る。キッドを見る。あたしを見る。キッドを見る。アリスの血の気が引いた。後ずさった。顔を青ざめた。そのままふらりと倒れた。泡を吹きだした。あたしの目が見開かれた。


「アリス!!」

「おっと」


 キッドがアリスを見下ろした。あたしは慌ててアリスに駆け寄った。


「駄目よ! アリス! いかないで! 大丈夫って言ったじゃない!!」

「……ぶくぶくぶくぶく……」

「お前! アリスに何してくれたのよ!!」


 ギッ! と睨むと、キッドが呆れた目であたしを見下ろした。


「何もしてないよ。くくっ。倒れるなんて、可愛いレディだ」

「……ぶくぶくぶくぶく……」

「駄目よ! アリス! いっちゃ駄目!!」


 あたしは叫んだ。


「助けてください!!」


 あたしは世界の中心で叫んだ。


「助けてくださぃぃぃいいいいい!!」


 あたしは世界の中心で、アリスに叫ぶ。








(*'ω'*)







「えええええええええええっとおおおおおおおおおお……」


 アリスが頭を押さえた。眉をひそめて、青い顔であたしとキッドを見た。


「婚約者? キッド様の婚約者がニコラ?」

「そうそう」


 キッドが紅茶を飲みながら頷き、マフィンを頬張るあたしの頬を指で突いた。


「手強いだろ?」

「……確かに手強い……」

「でもさ、デレるとすげえ可愛いんだよ」

「あ、分かります。ニコラ、手を掴んできてゆらゆらするの、すごく可愛いんですよ」

「何それ。詳しく教えて」

「今日のこの子、すごく甘えん坊なんです」

「何それ。どんな風に甘えん坊なの?」

「いや、それが……」

「そんなことはいいから」


 あたしはむすっとして、キッドを睨んだ。


「話聞いてあげて」

「何かあったの?」


 あたしはアリスの背中を叩いた。


「……アリスが馬車に突っ込んだの。自分から願って」


 言うと、キッドが瞬きをして、ひょいとマフィンを食べた。


「えー? 困るなあ。せっかく応援してもらってたのに」

「……キッド様」


 アリスが呼ぶと、キッドが笑った。


「キッドでいいよ」

「年上に失礼だわ。……じゃあ、キッドさん」

「なんだい? レディ」


 アリスが息を吸った。


「そうしたいと願うのは悪いこと?」

「願いは人それぞれだ。悪いとは思わない」

「私は毎朝、そうなることを望んでしまいます。この世とさよならして楽になりたいと願います。それは悪いこと?」

「願いは人それぞれだ。悪いとは思わない」

「じゃあ、……いってもいいですか?」

「まだ早いんじゃない?」

「……早いと思う?」

「この先どうなるかは分からない。でもさ、その選択をすれば、それで終わりだよ」


 死人に口なし。


「後悔も、幸せになるこの先の未来も、何も出来なくなる」


 それでも、


「君はそれを願う。それでもそうしないためにあがいてる。自分の手足を傷つけようが、あがいて生きようとしている。俺は、個人的に、それは素晴らしく、勇敢なことだと思う」


 ふふっと、キッドが笑う。マフィンをかじる。アリスが顔をしかめさせる。


「……勇敢じゃないわ」

「どうして?」

「皆は普通に生きてる」

「君だって普通に生きてる」

「私は怠けてます」

「どこが?」

「疲れたら、だらけるし、だるかったらぼうっとしてる」

「人間は疲れたら動けなくなるし、だるかったらぼうっとするよ。何がいけないの?」

「普通の人は、もっとしっかりしてる」

「君の場合は、それが出来ない?」

「はい」

「でもやろうとしてる」

「はい」

「人よりも倍やろうとしているんだ。だから疲れる」

「はい」

「勇敢だよ。俺は尊敬に値する」


 人よりも数倍、何倍も抗って生きてる。


「それの、どこが怠けてるの?」


 アリスはきょとんとして黙る。


「ねえ、アリーチェ。人生ってのは、開き直るしかないよ。苦手なら克服する。当たり前かもしれないけど、それが出来ない人間もいる。克服が出来ないんだ。したいと願っても出来ないんだ」


 だったら、どうする? 諦めるか?


「そうだよ。諦めるんだ」


 キッドが笑った。


「だってさ、何が悲しくて絶対に出来ないことを出来るようになるまでしなくちゃいけないの? いいよ、しなくて。そんなこと。絶対克服出来る人がやればいいんだから」


 もっと楽に生きていいんだよ。君は罪人かい? 違うだろ? 君は一人の不器用な人間だ。


「ねえ、君に出来ることは何?」

「……帽子の絵が描けます」

「製作は?」

「そこまでの技術はありません」

「それは君の好きなこと?」

「ええ。幸せを感じるひと時です」

「だったら、帽子の道へ進むといい。そのための勉強をすればいいさ」

「でも、そんな簡単に上手くいきません」

「君はいくつ?」

「15歳」

「まだ若い。全然未来がある。ねえ、人間は100年くらい生きられるんだよ? あと85年も残ってる」

「ん……」

「50歳まで待ってみたら? それくらいなら丁度いいんじゃない?」


 キッドは軽く、非常に軽く、それでもその提案を、慎重に言葉を選んで、アリスにしてみる。

 アリスは口を閉じる。真剣に考える。軽い言葉を、重く、真剣にとらえて、考える。


「50歳……あと、35年」

「そうそう」

「35年、生きて、いくことを考える?」

「そうそう」

「……35年って長そう……」

「でも、35年経ったら、いつでもいっていいんだよ?」

「……んー……」

「その合間で俺のこと励ましてよ。俺も落ち込むことあるから」

「え? ……キッドさんが?」

「聞いてくれる?」


 キッドがアリスに声をひそめた。


「あいつ浮気したんだよ」

「え!? ニコラが!?」

「そうだよ。俺よりも弟の方が好きって言ったんだ」

「あら、ニコラったら! リオン様派だったのね! 言ってくれたらグッズあげたのに!」

「酷くない? 婚約者だよ?」

「でも、キッドさん。ニコラもまだ14歳よ。まだふわふわしてる年頃なんだわ」

「国の王子様と婚約してるのにこれだ」

「キッドさん、元気出してよ。励ましてあげるから」

「ありがとう。でも、君がいなくなったら、励ましてもらえなくなる。俺は困ってしまうよ」

「……んん……」


 アリスが眉をひそめて考える。


「あと35年……」

「あっという間だよ」

「35年か……」

「どう?」

「そうね……」


 アリスが考える。


「……」


 黙って考える。


「……35年……」


 呟いて考える。


「……んー……」


 唸って、考える。

 考える。自分で考える。

 考えて、妄想する。

 帽子のことを考える。

 帽子のアイディアが浮かぶ。



 アリスが決断した。



「……。……35年くらいなら、生きてもいいかな」

「うん。それから考えても遅くないだろ?」

「分かった」


 アリスが頷いた。


「じゃあ、35年は生きる。またそれから考える」

「うん。それでいいと思うよ」

「確かにいってしまったら、全部終わりだものね」

「極限まで行ったら国から出て行けばいい。家のお金を持ち出して、ゆっくり旅でもしてさ。残りの年月、好きに生きていいんじゃない?」

「家族に迷惑をかけるの?」

「迷惑をかけない人なんていないよ」

「なんだか綺麗事に聞こえます」

「自分が生きられない世界なんて意味がない。生きていくためには人に迷惑をかけないことなんて無理だ。自分が幸せになるために人々を傷つける人は、何千人といるんだ。だったら君だってかけてもいいじゃないか」

「……そういうものですかね」

「そういうものさ」

「難しいわ」

「アリーチェ、逃げ道なんて沢山あるよ。絶対に出来ないことをしようとする姿勢は諦めていいと思うけど、逃げることを諦めるのは実におかしな話だ」

「逃げ道……」

「生きてるだけで困難なんていくらでも襲い掛かる。環境、人、いっぱいあるんだから、当然だ。逃げ道は自分で作らないと」


 自分が出来る逃げ道を。大丈夫。逃げ道は必ずある。自分が出来る逃げ道は、小さな穴でも存在する。


「あとは、時間が解決する」


 時間は進むけど、巻き戻ることはない。必ず終わりが来る。


「アリーチェ、ニコラは君が大好きなんだ。あと35年、いかないでくれる?」

「ふふっ、キッドさん、私もニコラが大好きなの」


 アリスが向日葵のように微笑んだ。


「キッドさんと同じくらい好きなの」


 アリスがあたしの手を握り、あたしを見た。あたしと目が合う。


「ねえ、ニコラ、あと35年。私がしんどくなったら、また、話、聞いてくれる?」

「……いくらでも」

「嫌いにならない?」

「……分からない。喧嘩したら嫌いになるかもしれない」

「そう」

「でも、それまではずっと好きだと思う」

「そう」

「あたしはアリスのこと大好きよ」

「あら、奇遇ね。私もニコラのこと大好きよ」


 手を握り合う。アリスが微笑んであたしを見つめる。キッドが目の前にいるのにあたしを見つめる。アリスがゆっくり呼吸した。


「……ニコラに専門家を呼んでもらって正解だったわね。とりあえず、今日は大丈夫。いく気が失せたわ」

「……本当?」

「あと35年生きれば、いつでもいけるんだもの」

「そうよ」

「そうね。だったらそれまでどうやって過ごすか、考えてみる」

「明日も会える?」

「明日で35年は経たないわ。嫌でも会える」

「どこにもいかない?」

「ええ。とりあえず、まだいかない」

「アリス、また会える?」

「ええ。明日も会いましょう」

「本当ね?」

「信用無いわね。会えるわよ」


 アリスがあたしに微笑んだ。


「大丈夫。ニコラ、明日いつものように会いましょう。約束する。私、約束は人並みに守れるのよ」


 時計が鳴った。アリスが時計を見上げた。


「ああ、せっかくキッドさんが来てくれたのに、私ったら気絶してたせいで、時間を無駄にしたわ」


 外は薄暗い。


「日が沈んできた。ニコラ、もう帰って」

「……あたし、まだ大丈夫」

「うふふ。ニコラ、今日はデレ日確定ね」

「まだ傍にいる。その方がいいわ」

「まだ時間があると思ったら、帽子の絵を描きたくなってきたの」


 アリスがキッドに振り向く。あたしの手を掴んで、キッドに差し出した。


「キッドさん、この子連れて帰ってくれますか? ちょっとしつこくて」

「しつこいってさ」


 キッドが小馬鹿にしたように笑い、あたしの手を掴んだ。


「帰るよ」

「やだ。まだいる」

「しつこい奴は嫌われるぞ」


 あたしはむっとする。お前に言われたくないとキッドを睨む。キッドがアリスに微笑んだ。


「帰るよ」

「そうしてください」

「アリーチェ」

「はい」

「また話せて嬉しかったよ」

「お世辞が上手ですね」

「何だよ。声をかけても倒れて気絶したのはそっちだろ」


 アリスがきょとんとした。キッドが肩をすくめた。


「看板から助けた時もそうだった」

「……ああ、そうだった」

「パレードの時も、声をかけたのに」

「……ふふっ! 本当だ。私、全部気絶しちゃった」

「祭の準備の時だって」

「私ね、キッドさんの顔好きなのよ。かっこいいから、見てたら癒されるの。でも、王子様としては別。緊張して倒れちゃうの」

「緊張しなくていいのに」

「しちゃうんです」

「友達だろ?」


 アリスがキッドを見た。キッドは微笑む。


「そう思ってたのは俺だけ?」

「……いいえ」


 アリスが微笑んだ。


「これからも応援するわ。キッド」

「ありがとう。アリーチェ」

「頑張ってね」

「君もね」

「……ニコラのこと、お願い出来る?」

「任せて」

「ニコラ」


 アリスがあたしの背中をぽんぽんと叩いた。


「帰って」

「……嫌なの?」

「明日も会えるでしょ?」

「……そうやって邪魔者扱いするのね」

「もう、何言ってるのよ」


 アリスがおかしそうに笑った。


「キッドさんと帰れるなんて夢のようじゃない」

「あたし、一人で帰れる」

「駄目よ。暗くなってきたから、キッドさんと帰って」

「アリス」

「もう大丈夫だから」

「やだ」


 アリスの胸に顔を埋めた。アリスが驚いて、あたしを見下ろす。


「……今日、泊まる」

「ニコラ」


 アリスがあたしの背中を撫でた。


「心配かけてごめんね。でも、大丈夫よ」

「ここにいる」

「私ね、一人になって色々考えたいの。今日は帰って」

「……服」

「乾いてたら、明日持っていくから」

「……」

「それあげるわ。あんまり着てないやつだから」


 アリスがあたしの着ているピナフォアドレスの皺を伸ばした。


「ほら可愛い。ニコラに似合うわ」


 アリスがあたしの手を握り、一緒に立ち上がる。


「ニコラ、気を付けて帰ってね」

「……ん」

「大丈夫だから」

「……明日も会える?」


 アリスの手から離れられない。離れたら、消えてしまいそうで。


「絶対会える?」

「絶対会えるわ」

「……お昼、食べれる?」

「ええ、一緒に食べましょう!」


 アリスがあたしの背中を押した。


「ほら、帰って」


 キッドを見る。


「キッドさん、お願い」

「あまり迷惑かけるな」


 キッドがあたしの手を引っ張る。あたしはキッドを睨んだ。


「痛い。やめて。触らないで」

「アリーチェ、また来るよ」

「あの、キッド。……変装用の帽子なら、いくらでも売ってると思うわ」

「へえ。そいつはいい」

「また来て」

「うん。必ず来るよ」

「……じゃあね、ニコラ。今日はありがとう」


 アリスとあたしの手がようやく離れる。


「また明日」

「……また、明日」


 アリスの笑みを見ていると、キッドに手を引っ張られる。アリスの部屋から無理矢理出される。引きずられる。アリスが視界からいなくなる。階段を下りる。店の売り場へと戻っていく。


「妹がお邪魔しましたー!」


 キッドが大声をあげると、奥からカトレアが出てくる。あたしのジャケットを持っている。キッドが帽子を深く被り、大袈裟に頭を下げる。


「暗いんで、もう帰ります! ご迷惑おかけしました!」

「ああ、こちらこそ……」


 カトレアが力なく微笑み、あたしに上着を返した。


「ニコラちゃん、これ」

「……ありがとうございます」


 乾いたジャケットを着る。カトレアが微笑んだまま、眉をへこませた。


「ニコラちゃん、今日はごめんなさいね」

「……また来ます」

「ええ。ぜひ。……またアリスと遊んでやって」

「はい」


 あたしは頷く。


「絶対また来ます」

「では、失礼します!」


 キッドがあたしを引っ張った。


「やい、お前、食器洗いの当番代わるんだろ! 早く帰って爺ちゃんのご飯食べるぞ! 俺はその後ゆっくりしてやる! へへん!」


 カトレアが見守る中、あたしとキッドが店から出た。扉を閉める。キッドが傘を差した。あたしが傘を差そうとすると、手を引っ張られた。


「おいで。大きめの傘を持ってきたんだ。二人で入ろう」

「……」


 あたしは傘の中に入る。キッドが持ち手を握る。二人で足を揃えて歩き出す。レンガの道を歩く。傘を差してる人々が歩く。水溜まりが出来ている。長靴が水溜まりを跳ねる。キッドのブーツが水を跳ね飛ばす。

 あたしは俯く。キッドは前を見る。肩がぶつかる。何も言わない。


 あたしから、ぼそりと、キッドに言った。


「……ありがとう。来てくれて」

「一個、貸しだからな。はい。腕」


 腕を差し出される。あたしはキッドを見上げる。


「……何?」

「腕組んで」

「……やだ」

「濡れたいの?」

「お前とくっつくくらいなら濡れた方がマシよ」


 キッドが傘をあたしから避けた。上から大粒の雨が降る。


「ちょっと!」


 キッドが傘をあたしの上に戻す。


「腕」

「……」

「相合傘の醍醐味だ。ほら、早く」


 あたしは黙って、キッドに腕を組んだ。


「よろしい」


 キッドが満足そうに微笑み、再び歩き出す。あたしもついていく。雨が降る。傘に当たる。音が跳ねる。泥が地面に流れる。


 あたしは思い出す。


「……あのね」

「うん」

「突然、アリスが飛び込んだの」

「馬車の前?」

「……人通りも多かった」

「よく無事だったな」

「突き飛ばしたのよ」

「お前が?」

「ええ」

「そうか。よくやった」

「あたしも一緒に転んだの」

「見たら分かるよ。その時にその膝やったんだろ」

「……ん」

「でもアリーチェは助かった。お前も」

「……ん」

「事故は?」

「……無かった」

「そいつは良かった。一安心だ」

「……馬車に乗ってたのが、偶然あそこのお店の常連客で、アリスのことを知ってたの。それで送ってもらった」

「そっか。……電話をくれたのは、その後?」

「そう」


 とても手に負えないと思った。


「あたし一人じゃ無理だった」


 アリスを止められなかった。


「本当に最後だと思った。アリスに会えるの」


『死』に執着するアリス。

『生』に執着するあたし。


「初めて見たわ」


 あたしは思い出す。


「死にたいって思って死のうとした人、初めて見た」


 工場では誰もそんなこと考える人なんていなかった。残りの人生だけでも謳歌しようとして、工場から、牢屋から逃げ出す人だらけだった。

 皆、生に執着してた。

 でも、アリスは死ぬ気だった。間違いなく死ぬ気だった。アリスが死んだら惨劇は起きない。誰も死なない。アリスが死ぬだけ。


「……あたしの親友が、死のうとしたのよ」


 飛び出した。


「あたしを友達って言ってくれたアリスが」


 死を望んだ。


「……」


 あたしは黙る。足を見る。水溜まりを見る。雨が降る。


「色んな人がいるんだよ。テリー」


 キッドが白い息を吐いた。


「お前は生きたいと言うけれど、逆も然り。もちろん、アリーチェのような人間は大勢いるよ。自らの死を心から願い、祈る人も、大勢いる」


 それでも、


「無理矢理抗って、何としてでも生きようともがいてる人も大勢いる。アリーチェもその一人だ」


 キッドが笑った。


「俺達、良い友達を持ったな。勇敢で、強い友達だ。いろんな傷をつけられても反発せず、堪えきって、我慢強くて、抗って、苦しんで、毎日命と戦って、誰よりも強い心を持ってる。何かあったら、間違いなくアリーチェは、お前や俺を助けてくれるよ」


 雨の音が響く。


「あははっ。それにしてもびっくりしたな。電話に出た途端、お前からの可愛いお兄ちゃんコールが聞けて」


 ――お兄ちゃん、今、暇? 帽子屋に来てほしいの。


「猫なで声の可愛い声が」


 ――ねえ、お願い。食器洗いの当番変わるから。


「だんだん震えてきて」


 ――ねえ、お願い。帽子屋に来て。


「お前、ショックだったんだろ」


 ――エターナル・ティー・パーティーっていう素敵なお店があるの。あたしの友達のお家でね。


「自殺未遂か。まぁ、友達がしてるところを目の前で見たら、確かに、ショックか」


 ――お願い。来て。早く来て。


「悲しかったね」


 ――お願い。なるべく早く来て。


「辛かったね」


 キッドが言った。


「もういいよ。テリー」


 キッドが呟いた。


「誰も見てないよ」


 あたしは黙る。歩く。

 キッドは前を見る。歩く。


「雨、いつ止むかなあ」


 キッドが呟く。

 あたしは鼻をすすった。


「明日、祭の準備だっけ? 俺も明日見回りに行けって言われてるんだ。また早起きしないと。ああ、面倒くさい」


 あたしは鼻をすする。ぐす、と下品な音が漏れる。でも鼻をすする。はしたないと思われても、すする。


「傘って楽だね。顔が隠れるから、あまり変装しなくてもばれないや」


 あたしの唇が震える。鼻水が垂れてくる。すする。


「じいやのご飯なんだろうなあ。ああ、俺、お腹空いてきた」


 あたしの手に力が入る。キッドの腕を強く握る。キッドは気にしない。


「よし、帰るまでに当ててみせよう。テリー、当てたら俺にご褒美ちょうだい」


 キッドが声を出す。


「ステーキ、いや、ビーフシチュー、それとも普通のシチューかな。スープかも。柔らかい白パンに、コーンスープ。良い線いってると思うな。いや、待てよ。もしかしたら林檎料理かもしれない」


 あたしが鼻をすする。キッドの声がその音を隠す。雨の音があたしの音を隠す。

 キッドが歩く。あたしの腕を組み続ける。雨が降る。傘に当たる。あたしは濡れない。俯いて歩き続ける。キッドの肩が少しだけ濡れているのをあたしは気づいてない。キッドはあたしを見ない。あたしの頬が濡れている。あたしは手の甲で頬を擦った。キッドは見ない。転ばないように前だけを見て、傘を持って、帰り道を歩く。

 組んだ腕は、離れない。

 街のイルミネーションは、きらきら光る。

 雨が降る。

 あたし達は歩く。

 街の中を歩く。


 城下町は、とても平和だった。




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