第6話 10月20日(1)


 ――何もきっかけはないが、ぱっと目が覚めた。


「……ん」


 ぐっと伸びをする。


「んーーーー……」


 ぐうううっと伸びをする。


「はあ」


 脱力。


(……何時?)


 腕を伸ばして、目覚まし時計を見る。


(あ、まだ全然眠れる)


 寝ようかな。


(……ソフィアと出かけるのか)


 面倒くさい。


(ごろごろしたい)


 ベッドでごろごろする。


「ケビン……」


 ベッドの端に座ってるケビンを抱きしめて、ベッドの上でごろごろする。


(ケビンに会いたい……)


 彼はイケメンの鼠だったわ……。


 ふう、と息を吐くと、ぴろりろりろりんと、情けない音。


(……GPSが鳴ってる)


 あたしの手がGPSに伸びる。ぽちぽちとボタンを押すと、ソフィアから。


『おはよう。今日楽しみにしてるよ』


 あたしはボタンを押す。


『行けるの?』


 返信が返ってくる。


『何があっても予定を空けておいた。行こう』

『分かった』


(キッド、残念でした。てめえは城で仕事してなさい)


 うなじの恨みは大きい。

 ふん、と鼻を鳴らしてGPSをベッドに置き、再び枕に頭を置いてくつろぎ始める。

 その時、がさがさと、はっぱをかき分けるような音が外から聞こえた。


(……ん?)


 あたしはゆっくりと起き上がる。


(何の音……?)


 ベッドから下りて、スリッパでぺたぺた歩き、窓のカーテンを開ける。窓の扉を開けて下を見下ろすと、じいじが果樹園のある広い庭の紅葉達を、箒で一ヵ所に集めていた。


 窓の音に気付いたのか、顔がこちらに向く。登る太陽の光がじいじの顔に当たり、じいじが手で影を作り、あたしに微笑んだ。


「おはよう」

「おはよう。じいじ」


 あたしは二階の窓から、じいじは庭から挨拶をする。


「何やってるの?」

「おいで」


 じいじがあたしに手招きする。


(何?)


 あたしは窓を閉じ、ストールを肩と腕に巻いて部屋から出ていく。一階に下りて、靴を履き替えて、いつもの動きやすい靴を履き、外へ出る。家の後ろに回り、庭の中へ入っていく。木の間をくぐれば、石と薪と紅葉にじいじがマッチを入れていた。


「……何やってるの?」

「朝ご飯じゃ」


 じいじが新聞紙で包んだ芋を石の上に置いた。


「芋を焼くの?」

「石焼は美味いぞ」

「ふーん」


 しゃがんで燃える場面を見つめる。医師の合間から火が燃えてきて、秋風が吹き、あたしの方に煙が飛んでくる。


(……熱い)


 あたしは隣に移動する。また秋風が吹く。

 煙があたしのいる方向へ飛んでくる。


「ごほごほっ! 煙! この! くたばれ!」

「いい感じだわい」


 じいじが満足そうに頷き、置いてあった網の中から林檎を掴み、あたしに差し出した。


「先に食べるかい?」

「食べる」


 林檎を丸かじりする。もぐもぐ食べる。じいじも丸かじりする。もぐもぐ食べる。それを見て、あたしはじいじを見上げる。


「じいじ、歯は大丈夫なの?」

「ああ。昔から硬いものを食べてるからのう。これくらい問題ない」

「歯が丈夫なのね」

「ニコラも硬いものを食べないと、どんどん劣化していくぞ」

「美味しいものなら食べるけど、硬いのにまずいんじゃ食べたくないわ」

「硬くても美味しいものは沢山あるぞ」

「林檎とか?」

「ああ」

「あたしは柔らかい方が好き」


 がり、とリンゴをかじる。


「今日はソフィアと出かけるんだったな」

「ええ。だからランチはいらない」

「分かった。ディナーは?」

「もちろん、家で食べる」

「何か食べたいものはあるかい? 10月も今日で下旬に入る。お前の好きなものを作ろう」

「……」


 今日は20日だ。残り8日。


(惨劇が起きる)


 この一週間が山場だ。今のうちに美味しいものを食べておこう。食べられなくなってから後悔しても遅いのだから。


(そんな結果にする気はないけれど、ドロシーの言うように、念には念を)


「……夜ご飯は、じいじに任せる。貴方の作るご飯は何でも美味しいもの」

「うむ。何にするかのう。パスタはどうじゃ?」

「ああ、素敵。味付けは?」

「何がいい?」

「何でもいいの?」

「リクエストがあれば、お答えしよう」

「……クリーム。ベーコンとか、卵とかが乗ったやつ」

「ああ。あれか。分かった。作っておこう」


 もぐもぐ林檎をかじる。


「……じいじの好きなご飯は何?」

「私はスープ類なら好きだよ。冬は温かくて、夏は冷たくも出来る。作るのも楽で、食べても美味しい。スープは研究に研究を重ねた。スープならば、兄弟の中でも一番美味くできる自信があるぞ」

「昨日のスープ、美味しかったわ」

「ああ。喜んでくれて良かったよ」

「あれだったら材料があったらあたしでも作れそう」

「覚えて、メニー殿に教えてあげたらどうだい?」

「……」


(最悪。メニーのことが話題に出るなんて)


 だが、あたしはこの感情を表に出さない。ただ、微笑む。


「そうね。じいじ、今度教えて」

「三連休は会いに行かないのかい?」

「あの子も忙しいのよ」


 誰が会うか。

 あたしは無理矢理話題を変える。


「キッドもスープを作ってたわ。ほら、生理になった時」

「ああ。作ったらしいのう。どうだった?」

「味付けが少し貴方に似てた」

「そうかい」

「教えたの?」

「一緒に住んでるからな。家事全般を出来るようにはさせておいたよ。それも教育であり、教えるのは私の仕事だ」

「ふーん」

「面倒くさそうだったが、それでも楽しそうにやっていたよ」

「あいつは何でも笑ってやりそう」

「文句は言うがな」

「口うるさいのよ」

「落ち着いてはきたが、あいつの性分なのだろうな。文句が絶えん」

「思ったことを口に出しすぎるのよ。あいつの嫌なところ」

「我慢という言葉を知らないのさ。周りがあいつを甘やかせたからな。……というよりも、甘やかせるつもりがなくとも、そういう結果になってしまったというべきか」


 そういえばスノウ様も去年辺り、そんなことを言っていた気がする。

 キッドは決して悪いことはしていない。悪いことをしていないのだから怒ることは出来ない。躾が出来ない。キッドは怒られない行動を無意識で選んでいて、だからこそ何も言えなかったと。

 じゃあリオンはどうだろうか。


(あいつのことだ。色々言われたに違いない)


 だからああなったんだ。

 王族としては半人前。正義感だけは一人前。


 じゃあ、もう一人はどうだろうか。


『クレア』


(いや、詮索はしない)


 自分に関係ないことに、あたしは何も言わない。言ったところで余計な情報が増えるだけ。知って、増えて増えて増えて、もしも、危険人物と関係を自分から作ってしまったら。


(また余計な問題が、起きるだけ)

(耳を塞いで目を塞ぐ。平和に安心快適安全性を考えて生きるためには、余計な情報は取り入れないべきよ)


 そうすれば、変な劣等感も、変な嫉妬も、沸き起こることはない。


「いい頃合いだ」


 そう呟き、じいじがトングで銀紙に包まれた芋を取り出す。あたしはリンゴの芯を持ったまま、眺める。


「もう食べれるの?」

「待たせたの」


 じいじが袋を広げる。


「この中に入れなさい」

「はい」


 林檎の芯を捨てた。代わりに手袋をはめて、じいじから新聞紙で包んだ芋を渡される。


「ほれ、気を付けて」

「はい」


 受け取って、じっと見る。


「開けてごらん」


 新聞紙を開く。さっき見た通り、芋が入ってる。たくさん焼かれて、ほかほかだ。


「少し冷ましてから食べるといい。美味いぞ」

「はい」


 じいじは熱いままの芋にかじりつく。熱いはずなのに、もぐもぐ食べる。あたしはそれを眺め、また自分の芋に視線を戻す。秋風が吹く。匂いを嗅ぐ。焼き芋の美味しそうな匂いがする。


(まだかな)


 焼き芋は冷めない。


(まだかな)


 冷める頃、時間が進んでる。


(まだかな)


 惨劇までのカウントダウンは、既に始まっている。


(まだかな)


 焼き芋は、冷めない。






(*'ω'*)






 12時。マンション。



 ベルを鳴らす。しばらく待っていると、扉が開いた。


「こんにちは。テリー」


 ソフィアがにこりと笑って、挨拶をする。あたしは瞬きをし、その姿を見る。ソフィアがエプロンしている。


「何か作ってるの?」

「美味しいのを作ってるよ。カボチャはお好き?」

「嫌いじゃないわ」

「そう。それは良かった」

「これ」


 ずいっと持ってきた袋を差し出す。


「お菓子」

「ああ、素敵。ありがとう」


 ソフィアが微笑みながら受け取り、黄金の瞳をあたしに向ける。服を見られる。


「やっぱり、君にはドレスが似合うね。ボーイッシュなテリーもいいけど、ピナフォアはまた新鮮。見るたびに思うよ。まるで童話に出てくる少女のようだ」

「……褒められてるのかけなされてるのか分からないお世辞ね」

「褒めてるんだよ」


 あたしはソフィアの服装を見た。


「あんた、それで行くの?」

「まさか。料理を作ってたから、汚したら嫌だと思って普段着を着てただけさ。せっかくのデートなんだから、お洒落くらいしないと」

「デートじゃないわ。出かけるだけよ。女二人で」

「そうそう。二人きりでね」


 くすすと笑い、ソフィアが体を退ける。


「中へどうぞ。テリー」

「ん」


 中へ入り、部屋のソファーに腰をかける。鞄を隅に置くと、ソフィアが隣に座ってきた。


「テリー、髪の毛に何かついてるよ」


 言われて、あたしはじっとソフィアを睨む。


「……あんたそう言って、また何かするつもりでしょう。あたしは騙されないわよ」

「酷いね。本当だよ。ここについてる」


 指を差されて、その場所を推測して手で押さえる。


「違うよ。そこじゃない。取ってあげるから大人しくしていて」

「……分かった。大人しくしててあげるからさっさとお取り。やれ。早く。あたしの髪の毛を守るのよ」


 ソフィアに任せて手を退かす。ソフィアの手があたしの頭に触れ、ソフィアの顔が近づき、ソフィアの口角が、


 にぃんまりと上がった。


「はい。隙あり」


 むちゅ。


 頰にキスされ、あたしは金髪の髪の毛を掴んで、思いきり引き剥がした。


「ひゃっ! 痛い!」


 悲鳴をあげるソフィアを、血走る目で睨む。


「だーーかーーらーーおーーまーーえーーはぁーーー!」

「くすす。テリーってば、そんなに激しく私の髪の毛に触りたいなんて、言ってくれたらすぐに触らせてあげたのに」

「黙れ! 泥棒猫! 怪盗猫! ひったくりの恋泥棒! 猫と愛でキャットとラブでキャッツ・アイのお前なんて二度と信じるか!」

「信じてくれなかったら、この紅葉は取ってもらえなかったよ。テリー?」


 ソフィアの手には小さな紅葉の欠片が握られていた。それを見て、むすっとして、ソフィアの髪の毛から手を離す。


「あたしの美を守ったお礼は言うわ。どうもありがとう」

「どういたしまして。恋しい君」


 ソフィアが微笑む。

 あたしはじろりと睨む。

 お互いの目が合う頃、あたしの鼻がすんすんと動いた。


「……なんか焦げ臭くない?」

「あ」


 ソフィアが速やかに立ち上がり、華麗に歩き、沈黙の後、優雅に歩いて戻ってきた。


「大丈夫。食べれるよ」

「あんた、変なもの食わせたら、その綺麗なお顔に料理をぶちまけるわよ。いいわね。あたしは容赦しないわよ」

「くすす。さて、お披露目といこう。座って」


 ソフィアに促され食卓テーブルの椅子に座ると、ソフィアがミトンを手にはめて、熱そうな容器をキッチンから持ってくる。テーブルに置いてあった鍋敷きの上に置き、容器の蓋を開ける。

 その中身を見て、美味しそうな見た目と匂いに、つい目を奪われてしまう。


「少し焦げ目がついてるけど、美味しそうでしょう? パンプキンパイ」


 微笑んだソフィアがパイを切り分け、テリーの花柄の皿にパイを乗せ、あたしの傍に置く。置いてあったカトラリーケースをあたしに向け、あたしがフォークとナイフを手に取り、紙ナプキンを膝の上に広げている間に手際よく紅茶を入れて、あたしにティーカップを差し出し、エプロンを脱いで、ようやく落ち着く。


「それじゃあ、食事としよう」

「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」


 握った手を離し、焦げ目のついたパイを食べる。


(……くそ。美味)


 むきゅむきゅ食べていると、ソフィアがあたしに微笑む。


「どうだい? テリー」

「……悪くないんじゃない?」

「相変わらずつれない反応」


 おやおや、もしかして?


「テリー、もしや、君、パイを焦がしてしまうなんて、ソフィアにも可愛いところがあるじゃないかと思っていたんじゃない?」

「思ってない」

「くすす。別にどう思ってくれても構わないよ。こうやって二人きりになれてこそ、普段見えないお茶目な私を見せれるいい機会というものだ。どう? テリー。ドジっ子な私も魅力的じゃない?」


(この女は何言ってるの……?)


 呆れた目をソフィアに向ける。その瞬間、ソフィアのフォークからパイが転げ落ちた。


「ああ、いけない」


 ソフィアが手で取ろうと上体を下げた。起き上がろうとした瞬間、頭がテーブルにぶつかる。


「ひゃっ!」


 悲鳴をあげたソフィアが頭を押さえ、体を震わせる。

 あたしはもぐもぐ食べながら、じっとするソフィアに眉をへこませる。


「……忙しい奴ね。あんた、それでよく怪盗なんて器用な真似出来たものよ」

「くすす……。テリー、物を盗む時は……一瞬だったし……私には……魔法の笛が……あったから……」


 ひりひりひりひり。


「ああ、なんか腫れてる気がする。テリー、こぶが出来てない?」

「ドジっ子なソフィアは魅力的だなんて、よく言えたわね。腫れてないから平気よ。平気」

「分かってないね。テリーってば。身長が高いと大変なんだよ。天井がどこまで低くて、足元に何があるか、上から下まで見ないと足を怪我してしまうのだから」


 ソフィアが頭を撫でながら上体を戻し、パイを頬張る。がりっと噛む。


「ひっ」


 今度は口を押さえた。

 あたしは呆れた目を再びソフィアに向ける。


「今度は何?」

「……ほっぺを噛んだ……」

「薬塗っておきなさい。口内炎になるわよ」

「くすす。どうやら緊張しているようだ。目の前にテリーがいるから」

「あたしのせいにするな」


 その瞬間、ぴろりろりろりんという間抜けな音が鳴る。

 その瞬間、あたしの口の中で、がり、という音が鳴る。


「ん?」


 ソフィアがポケットからGPSを取り出す。ぽちぽちとボタンを押して、画面を見て、微笑み、電源を切った。

 そして、口を押さえるあたしを見て、きょとんとした。


「おや、テリー、どうしたの?」

「……あたしの美しいほっぺが……あんたのせいで歯がずれたのよ……噛む対象を間違えたのよ……」

「くすす。君もそんなヘマをするんだね。不器用な君も魅力的だよ」

「くそ……。帰ったら薬塗ってやる……。思いきり塗ってやる……」


 うなだれながら焦げ目のついた、若干焦げた、不器用なパンプキンパイを食べていく。口の中は、鉄の味と、パンプキンの味が混合している。


 ソフィアがにこにこして、パイを頬張るあたしを眺める。


「そんな痛みなんか忘れるくらい、今日は楽しくなるよ」

「あんた、GPSはいいわけ? それが鳴るってことは仕事じゃないの?」

「ああ、いいのいいの。大したことじゃないから」


 ソフィアが口の中が痛いはずなのに、どうしてか、とても美しく微笑む。


「テリー、私が今日、どれだけ楽しみにしてたか分かる?」

「知らない」

「君とプライベートで、二人で話せるなんて、去年以来じゃない」

「……ああ。確かに、そうかも」


 パストリルの部屋で、銃で撃たれて、話した時以来。


「銃は無しよ」

「分かってるよ」

「今日は女二人で出かけるのよ」

「ああ、女二人で、ゆっくり、色んな話をしよう」


 あ、そうだ。


「テリー、出かける前にマッサージやっていく?」

「っ」


 あたしは顔を上げて、目を輝かせる。ソフィアは微笑んでいる。


「……や、」

「やる?」

「……やらせてあげないこともなくってよ!」

「じゃあ、食べ終わったら」

「胸大きくなる?」

「一時的に」

「いいわ。食べ終わったら、やらせてあげないこともなくってよ!」

「くすす。じゃあ、やろっか」

「いいわ。そういうことなら、やらせてあげないこともなくってよ!」


 マッサージ! マッサージ!!


(胸が大きくなる!)


 ぐっと拳を握ると、ソフィアがため息をついた。


「……それ言うの、本当に私だけにしてね」

「ん? 何か言った?」

「え? 何も?」


 ソフィアが輝かしい笑顔を浮かべると、またGPSが鳴った。しかしソフィアは取らない。ただただ、幸せそうに、あたしに微笑むだけ。


(メッセージいいのかしら)


 でも、本人が取らないし。


(まあ、いいか)


 あたしはパンプキンパイを、再び頬張った。



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