第5話 10月19日(3)
18時。家。
リビングに入ると、キッチンから良い匂いがした。キッチンを覗くと、じいじがご飯を作っていた。ちらっとあたしを見て、振り向く。
「おや、帰ってたのかい。ニコラや」
「貴方も帰ってきたのね」
「ああ。ただいま」
「お帰り、じいじ。……ただいま」
「お帰り」
キッチンに入り、じいじの横に立って鍋の中身を覗く。
「何作ってるの?」
「今日はカボチャが安く手に入ってのう。カボチャスープじゃ」
「カボチャは嫌いじゃないわ。手洗ってくる」
「良かったら、少し手伝ってくれんか?」
「………」
(あたし、遊び歩いて疲れてるんだけど)
顔を向けると、有無を言わせないじいじの笑顔。あたしはうなだれて、頷く。
「……はい……」
「ここで手を洗いなさい」
流し台で手を洗う。ぱっぱっ、と水を振り落として、タオルで手を拭いて、じいじを見る。
「何したらいい?」
「おたまでスープを回してくれ」
「分かった」
じいじにおたまを渡され、ゆっくり回す。カボチャのスープの匂いが鼻の穴から入ってくる。隣ではじいじがカボチャの揚げ物を作っていく。美味しそうな匂いは充満してばかり。
(……一気にお腹空いてきた……)
「……ニコラ呼びってことは、キッドはいないのね?」
「今夜は城で寝るんだと。急遽呼び出されたらしい」
「王子様って大変ね。せっかくの三連休でも働かないといけないなんて」
(デートしなくて良かったじゃない)
「じいじ、あいつ仕事出来てるの?」
「すごいぞ。昔から物覚えは良かったが、それ以上だ。書類整理も早いし、まだ17歳なのに、それ以上の結果を出してしまう」
「何それ。むかつく。顔も良くて頭も良くて要領もいいわけ? でもね、じいじ、そういう奴って油断して痛い目見て足元をすくわれるのよ。あいつも痛い目に遭うといいんだわ」
「おそらく、先生の教え方もいいのだろうさ」
「じいじのお兄さん?」
「ああ。先生と呼ばれるくらいだからな。王子として色々勉強させているのだろう」
「そのままこっちに戻らないで、王子様として過ごせばいいんだわ。あたしは引き止めないし、喜んでさようならと言って手を振るわよ」
「どうした? 今日はやけにキッドに冷たいじゃないか」
「見てよ。これ」
首の包帯を指差す。
「キッドに首噛まれたのよ」
「何?」
じいじの目がぴくりと動く。
「お前に怪我をさせたのか?」
「血は出なかったけど、噛み痕がついたわ」
「なぜそんなことを……」
「三連休に自分以外と予定作ったことが気にくわなかったみたいよ。浮気するの? って何度も言われた」
「ああ、またあいつは……」
じいじが呆れたようにため息を吐いた。
「すまんのう。ニコラ」
「なんで貴方が謝るのよ。悪いのはキッドよ。じいじは悪くないじゃない」
「私が留守にしていたせいもある」
「じいじはお仕事だったんでしょ。仕方ないわよ」
「会ったら懲らしめておくよ」
「そうして。いっぱい怒ってくれていいからね」
「人を噛んでいいと言った覚えはないのだが、仕方ない奴じゃ。痛くなかったかい?」
「すごく痛かった。でもその後、キッドがこの包帯巻いたんだけど、その時が異常に優しくて……」
――テリー、じっとして。ああ、可哀想に。くくっ。苦しかったら言ってね。どう? 大丈夫? 痛くない? 苦しくない?
「あたし、絶対結婚したくないと思った。自分で噛んでおいて怖すぎる」
「正しい判断じゃ。そんなことをする奴はろくな人間ではない」
「そうよ。キッドはろくでなしよ。人として軸がぶれてるのよ。アスリート達を見習うべきよ。彼らったら軸がぶれてない。素敵。じいじ、二度と出来ないくらい怒っていいからね」
「言っておこう」
おたまがスープを回す。スープの味が混ざっていく。
「でね、その後リトルルビィと出かけたの」
「ほう」
「マンチキン通りで祭があって、そこに」
「そうかい」
「ねえ、じいじ。リトルルビィって可愛いのよ。今日のために、プランを立てたんだって」
「ほう。プランか」
「大したことじゃないんだけど。自分が出店で物を買うとか、あたしをあまり待たせないとか。面白い話題を話すとか。話す内容がなくなったら、どこかでサイコロを振って決めるとか。とにかく、話題を無くさないように、喋っていたいって」
「そうかい」
「わざわざあたしに気遣って服も新しいの着てた。すごく似合ってたわ」
「ほう。そうかい」
「でも、少し心配なことがあって」
「うん?」
「キッドに言わないでね」
「何だい?」
「……あの子に身長を追い抜かされそうなのよ」
「ほっほっほっ。そうかい!」
「笑い事じゃないわよ。じいじ。あたしの身長はどんどん停滞しているのよ」
「確かにあの子もだいぶ成長してきたな」
「そうよ。ぐんぐん伸びてるのよ。怖い。それが怖い」
「テリー、灰汁が出ている。取ってくれ」
「ん」
あたしは言われた通り、灰汁を取って捨てた。またスープを回し始める。
「明日はどこか出かけるのかい?」
「ソフィアと展示会に行ってくる」
「ほう。ソフィアと」
「うん」
「そうかい。楽しんでおいで」
「……ちょっと話してくる。女同士で」
「お前はプランを立てなくていいのかい?」
あたしはじいじに『嫌です』という目を向けた。じいじが笑う。あたしの視線が再びスープに戻った。
「別に、ソフィア相手にプランも何もないわよ」
「何時から出かけるんじゃ?」
「12時。お昼ご飯作ってくれるんだって」
「ソフィアの手料理は美味いらしいな。キッドも絶賛しておった」
「……そうね。ま、悪くないけど、じいじには負けるわ」
「ふぉふぉふぉ! 別に褒めてもらいたくて言ったわけではないんだよ」
「分かってる」
「手土産だけでも持っていったらどうだ?」
「あたしお小遣い限られてるから、また今度にしておく」
「親しき中にも礼儀あり。知り合いだからと言って、あまり失礼な態度を取らないようにな」
「はーい」
大雑把な返事に、じいじが微笑む。あたしはむすっとする。
「……分かった。お菓子くらい持っていく。お小遣い、まだ残ってるし」
「それがいい」
スープがぐつぐつしてくる。
「そういえば、あれはどうだい? あの……GPSとか言ったかのう」
「GPS? ああ、あれね」
「使い勝手はどうじゃ?」
「じいじ、聞いて。あのね、毎晩よ。毎晩キッドから寝る前に連絡がくるの」
「ああ、前にもキッドが言っておったのう。毎日連絡してるとか」
「寝る前に気持ち悪いメッセージを見なきゃいけないあたしの心境分かる? ああ、今夜も来るのかしら……」
「キッドがお前に手紙を書くようになってから、随分と戯曲に興味を持ち始めたんじゃよ。スノウも喜んでた」
「ああ。スノウ様、演劇やってるんでしょ?」
「時々な」
「……実際、どうなの?」
「人の趣味を悪いとは言わんが、そうじゃの。幼稚園児の発表会と思えば、見れなくもない」
「幼稚園児……」
「それでも色んな人達が協力し合い、一つの作品を作り上げるというのは素晴らしいことだ」
ちらっとじいじがあたしを見て微笑む。
「今度、一緒に見に行くかい?」
「じいじと?」
「嫌かい?」
「じいじとならいいわ」
「そうかい。それは有難い。キッドがそろそろうんざりしていてな」
「あいつのお母様でしょ。見てあげたらいいじゃない」
「そんな暇があるなら遊びたいの一点張りじゃ」
「子供ね」
「ふぉふぉふぉ。お前も子供だろう?」
「あたしはキッドと違って親孝行する可愛い娘よ」
「親孝行する可愛い娘が、どうして屋敷から追い出されてここにいるのかな?」
「……」
「親子というのは面白いものじゃ」
親孝行したいと思いつつ、子供を可愛いと思いつつ、喧嘩もするし反抗もする。思ってもないことを言葉に吐き出す。
「それでも愛があれば、元に戻る」
家族というのは、不思議な関係だ。
「相手がいなかった私には、とても不思議なんじゃ」
他人同士が結婚という契約を交わして家族になって、子供を産んで、いつまでも一緒にいるなんて、
「すごいのう」
スープから美味しそうな匂いがする。
「ニコラ、屋敷に戻ったら、まず謝罪をするんだよ」
「……反抗して悪かったって言うの?」
「大人というのはな、素直に謝れない生き物だ。そうでない人達もいるが、大人になればなるほど、素直さが薄まっていって、プライドが大きく育っていく。貴族は特にな。子供のお前からいけば、夫人も許してくださるさ」
「あたし沢山謝ったのよ」
「それでも、お前からいくんだ」
「子供だから?」
「ああ」
「大人のくせに、心は子供みたい」
「そうじゃのう。それも不思議じゃ」
「なんで大人になればなるほど子供っぽくなるの?」
「さあ? なんでだろうな? 不思議じゃのう」
「不思議ね」
あたしは呟く。
「この世界はまるで不思議の国だわ」
スープがぶくぶく煮えてくる。
「じいじ、これ焦げたりしない?」
「ああ、大丈夫だよ。そのまま回してくれ」
「分かった」
あたしはおたまを回した。
( ˘ω˘ )
「トリック・オア・トリート!」
にこりと微笑む。
「はい」
少女はお菓子を差し出す。
「あげるわ。今日はとても気分がいいから」
少女はくるくると回る。
「この気分が晴れることはないけれど、今日はそれでも気分が良いの」
少女がくるくると回る。
「うふふ」
少女は笑う。
「ジャック」
少女は足を止める。
「悪夢ってそんなに怖い?」
少女は質問する。
「まあ、確かに怖いかもしれないけど」
少女は振り向く。
「私は、もっと怖いものが見たい」
少女は微笑む。
「だって、そうしないと『衝動』が治まらない」
少女は微笑む。
「でも今日はいいわ。今日は衝動が起きなかったから」
少女は再び足を動かす。
「だからお菓子をあげる」
少女がくるくると回る。
「大丈夫。ジャック、心配ないわ。私なら大丈夫」
少女は優しく微笑む。
「だからジャック、明日も来てね」
少女はジャックの手を握る。
「怖いのを用意して、来てね」
ジャックは微笑んだ。
「絶対よ」
「ウン」
少女とジャックが微笑み合った。
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