第6話 10月20日(2)


 14時。美術館。



 金の髪を揺らし、純白のワンピースドレスを揺らし、ソフィアがあたしに振り向いた。


「テリー、見てごらん」


 七匹のヤギと狼の絵。


「テリー、見てごらん」


 三匹の豚と狼の絵。


「テリー、見てごらん」


 一匹の赤狐と狼の絵。


「テリー、見てごらん」


 一人の赤い頭巾の少女と狼の絵。


「テリー、見てごらん」


 一人の嘘をつく少年と狼の絵。


 あたしは後ろで両手を結んで、絵を眺めながらソフィアと一緒に歩く。


「絵画の狼って、おどろおどろしいわ。子供が狼が悪いものって決めつけるのはこれのせいよ」

「その方がいいじゃない。下手に狼は優しいって教えて子供が近づいてごらん。親が後悔するよ」

「野生の動物は皆そうでしょう。動物には近づかないようにって教えないと。狼だけの問題じゃないわ」

「くすす。君はきっといいお母さんになるね。テリー」


 ソフィアと赤い廊下を歩いていく。


「この絵は、皆、美術学校の生徒が描いているそうだよ。審査に通った子達の絵なんだって」

「ふん。道理で考えが浅はかだと思ったわ」

「それでも、売ったら相当な金になる」


 あたしはソフィアの手を掴み、その顔を見上げ、すごむように睨みつける。ソフィアがくすすと笑う。


「盗みは引退した。残念だ」


 掴んだあたしの手を握り、あたしとソフィアが一緒に歩く。


「お気に入りの絵はあった?」

「あれ」


 ソフィアに訊かれ、指を差す。

 パン職人と貴族の娘が描かれた絵。一つのパンを職人が渡し、貴族の娘が受け取っている。お互いの目はお互いを見つめ合っている。その目はまるで恋に落ちているようだ。


「パンが上手く描けてる」

「くすす、素敵な絵」

「……あんたは盗むとしたら、どれ?」

「あれかな」


 ソフィアが指を差す。

 笛を吹く男とついてくる子供と鼠の絵。


「色も世界観も素敵。ぜひ隠れ家に飾りたい絵画だ」

「これも学生が描いたの?」

「らしいね」

「ふーん」


 赤い廊下を進む。右と左、前と後ろに絵が並ぶ。

 ソフィアが足を止めた。その絵を見つめる。あたしも足を止めた。絵を見つめる。

 赤い靴を履き、カカシ、きこり、ライオン、犬と冒険する魔法使いの少女の絵画。


「おやおや、ずいぶん可愛い魔法使いだ。テリー、見てごらん」

「実際は違うの?」

「どうだろうねえ?」


 ソフィアがくすすと笑った。


「あんた、会ったんでしょう?」

「会ったよ」

「じゃあ、知ってるんじゃない」

「なんて言うんだろう?」


 ソフィアが首を傾げた。


「会ったはずなのに、覚えてない。覚えているのに覚えていない。ぼんやりしてるんだよ。治療して毒を抜いた瞬間、毒と一緒に記憶までも抜かれたようにぼんやりしてるんだ」


 ソフィアが絵を見つめた。


「こんなに可愛くなかった気がする」


 ソフィアが絵を見つめた。


「こんなに幼くなかった気がする」


 ソフィアが絵を見つめた。


「こんなに大人じゃなかった気がする」


 ソフィアが絵を見つめた。


「こんなに茶目っ気は無かった気がする」


 ソフィアが首を振った。


「ああ、あれだけ感謝して尊敬して憧れていたはずなのに、催眠が解けたみたいに何とも思わない」

「何も覚えてないの?」

「何も、というわけでもないけど、ぼんやりしてる感じかな」


 ソフィアが歩き出す。あたしの手を優しく引っ張る。


「あの時は全てを憎んでいたから」


 周りが見えなかった。私の全ては魔法使い様だけ。あなたが望むなら、私はこの命を捧げましょう。


「貴族が憎かった」


 ソフィアは怪盗となる。パストリルと名乗る。


「でも、ターゲットを間違えたな」


 仮面舞踏会が開かれると聞いて、はしゃいでしまった。


「予告状を送ったまでは良かった。すんなり入れるなと思ったらキッド殿下の登場だ。君をさらってそのままとんずらこけば、まだ怪盗業で稼いでいたのかな?」

「その前に呪いで死んでるし、あたしを誘拐するなんて馬鹿な想像をしないことね」

「君と話した時に連れて行けば良かった」

「……話したって?」

「仮面舞踏会で二人で話したでしょう?」

「……何の話?」

「すごく具合悪そうな君を介抱した金髪の紳士を覚えてない? あれ、私」

「……」


 あたしは顔をしかめる。

 ソフィアは微笑む。

 あたしは考える。

 頭の中の棚からアルバム帳を開く。

 一年前の仮面舞踏会と書かれたページをめくる。

 アメリとメニーと別れた後、気持ち悪くなって、バルコニーに出て風に当たっていた。さらに気持ち悪くなって呼吸が乱れた。

 そこへ紳士がやってくるのだ。とても素敵な金髪の紳士が。


「ああ、これか」


 アルバムを見て、あたしは指をぱちんと鳴らす。


「なるほど、これがソフィアだったのね」


 あたしは満足して、アルバム帳を閉じた。

 あたしは意識を現実に戻す。

 あたしは顔を闇で歪めた。

 あたしの眉に皺が思いきり間に寄せられた。

 あたしの険しい目が、ソフィアを見上げた。

 ソフィアは美しく笑った。


「くすす。そんな顔のテリーも好きだよ。実にテリーらしい」

「……あんた、その馬鹿でかい胸、どうやって隠してたの?」

「前にも言ったけど、これ、意外と隠せるものだよ。何でもいい。包帯でもさらしでも巻けば、つるーんとね」

「でもあんた、その胸」

「そりゃあ、苦しいよ? 踊ってる時も苦しかったよ? でも女が怪盗なんて魅力が少し足りないと思わない? 女であれば令嬢の心を盗むなんておかしな話じゃない。だったら紳士として作り上げ、男か女か分からなくしたほうが、謎めいてて素敵でしょう? どこかの小説みたい」

「……相変わらず、変なところでロマンチストよね……」

「お褒めにあずかり光栄です」

「褒めてない」


 あたしとソフィアの足が進んでいく。


「でもそのお陰で君とダンスが出来た。そうだ、テリー。11月にお城で社交界のパーティーがあるんだって」

「知ってる」


 レオの間抜けな笑顔を思い出しながら頷くと、ソフィアが首を傾げた。


「来るの?」

「行くんじゃない? ベックス家として呼ばれたら、行くしかないもの」

「私もキッド殿下の部下として行くんだ。ねえ、どちらがいいかな? ドレスとスーツ。スーツなら、テリーと踊れる」

「ドレスにしなさい。で、かっこいい紳士と踊ればいいわ」

「じゃあスーツにしよう。一緒に踊ろう」

「あんたとは御免よ。高いヒールにしないと踊れない」

「くすす。大丈夫。君も身長が伸びてるし、私も合わせる。君も知り合いと踊った方が気が楽じゃない?」

「リトルルビィは?」

「来るよ。キッド殿下の部下だからね」

「じゃあ、リトルルビィと踊ればいいわ」

「リトルルビィの方が身長が合わない。それに、私は君と踊りたい」

「あたし、メニーのお守りがあるもの。無理よ。適当にご飯食べて帰る」

「大丈夫。それこそ、メニーにはリトルルビィがいる。二人でいれば何も心配はない。当日は私と踊ろう。で、踊り疲れたら、一緒に夜景を眺めながら飲み物を飲もう」

「キッドの見張りするんじゃないの?」

「何かあれば無線機で連絡が来る」

「呆れた。真面目に仕事しない奴は嫌い。将来ろくな人間になれないわよ」

「社交界とは言え、礼儀さえなっていれば自由に動いて良いんだよ。キッド殿下は君を見つけ出せば皆に婚約者だと言って回るかもよ? 私はそれを逃がすことが出来る」

「……それは確かにやりそう……」

「でしょう?」

「分かった。じゃあ、メニーと隠れることにする」

「はあ」


 ソフィアがため息を出して、頭を押さえた。


「全然相手をしてくれないんだから。寂しい。君の心はどんなに盗んでも盗めない宝石だよ」

「紳士に言ってあげたら? デートも誘われてるんでしょ?」

「興味ないって言ってるのに」

「関心されるのは悪いことじゃないわ」

「私には君一人がいれば十分だ」

「お黙り」

「好きだよ。テリー。今日も君が恋しい」

「傍にいるのに恋しいなんておかしい奴ね」

「傍にいても手を繋いでいても心が離れている以上は、何も満たされない。恋が愛に変わることはない。……本当に寂しい」


 ソフィアがあたしに屈んだ。あたしの耳に、ひそりと、囁く。


「テリー、私と恋を愛に変えよう。愛に変われば毎日が幸せになるよ。充実して仕方がない。あい相合あいあいすれば恋を乞いすることも無くなる」

「女と女が恋と愛を奏でるなんて、まあ随分と素敵。素敵だけど、他とやればいいわ。あたしは結構」

「テリー、来年は15歳だね。15歳ってさ」


 ――正式に結婚が出来るんだよ。


 ソフィアを睨む。

 ソフィアが微笑む。


「……同性同士で結婚なんて、おかしいわ」

「この国にそんな差別は無い。批難してる人は確かにいるけど、教会に頼めば異性同士と同じく結婚出来るんだよ。まだ来年まで時間がある。私達はお互いをもっと知るべきだ。テリー、君の時間を私が盗んでみせよう。遅くはない。早くもない。一年のお試し期間だ。恋しい君、私と同棲しよう」

「早い。すっ飛びすぎよ。同棲しようは早すぎるわよ」

「じゃあ、恋人になろう」

「却下」

「じゃあ、キスしよう」

「却下」

「じゃあ、手を繋ごう」

「それはもうしてる」

「じゃあ、腕を組もう」

「結構」

「じゃあ今日家に泊まって」

「却下」

「マッサージ付きでも?」


 あたしは黙った。

 ソフィアが微笑む。

 あたしは悩む。

 ソフィアが微笑む。

 あたしは大いに悩む。

 ソフィアが微笑む。


「……また後日ならいいわ」

「あははは! 駄目だよ。テリー。隙だらけ。マッサージでつられないの。全く。心配だよ。……ほら、こっちにおいで」


 ソフィアがあたしの肩を掴みながら手を引く。絵画はずらりと並んでいる。あたし達は絵画を通り過ぎる。泡になる人魚の絵が飾られている。


「あんたが言ったんじゃない。マッサージのためなら行ってあげないこともないわ」

「ねえ、テリー。今後マッサージは私がしてあげる。だから他の人にはさせないようにして。私以外は君を取って食っちゃうかもしれないから、絶対に駄目」

「……あんたも人のこと言えないじゃない」

「私は君を取って食ったりしてないよ。さっきだってちゃんとマッサージしてあげたじゃない」

「図書館でのこと、あたしは忘れてないわよ」

「あれは君が悪い」

「どうして?」

「君が他の子ばかり構うから、私が寂しくなったんだ。よってあれは君のせい」

「24歳の大人のくせに何言ってるのよ。意味分かんない……」


 野獣が美女と手を繋ぎ踊っている絵が飾られている。


「ところで、そろそろ訊いてもいい? テリー」

「何よ」

「会った時から訊きたかった」

「何よ?」

「首の包帯はどうしたの?」

「……ジャックにやられた」

「…へえ。会ったんだ?」

「ええ」

「……で? 誰?」


 あたしはソフィアを見上げる。ソフィアは微笑む。


「君なら覚えてるでしょう?」


 あたしは首を振る。


「覚えてない」

「……何? ジャックはもしかしてメニー? そうか。だから隠したい?」

「覚えてない」

「そんなわけない。だって、恋しい君は魔法にかからないじゃない」

「……それでも、あたしは覚えてないわ」

「……消された記憶は見せられた悪夢?」

「そうじゃないかって、キッドも言ってた」


 ソフィアと再び歩き出す。


「あんたもジャックが中毒者って分かってるのね」

「キッド殿下がジャックに会ってから、情報が共有されてね。もしも会ったらキッド殿下に会うように伝えること。その時点で少し違和感を持ってたから訊いたんだ。中毒者ですか? って」


 ――その可能性があるから、言ってるんだ。ソフィア、本当に魔法使いの顔、覚えてないのか?


「残念ながら私も覚えてない。テリーと一緒だね」


 繋がれた手が揺れる。


「ソフィア、その目って、結局呪いの後遺症なんでしょう?」

「そんなところだろうね。リトルルビィが吸血鬼から人間に戻れないのと同じさ」

「魔法使いはどうしてそんなことをするの?」

「さあね?」

「魔法使いは、人間を幸せにしてくれるんじゃないの?」

「テリー、実を言うと、私も未だに信じられないんだよ。貰った飴が呪いの飴だったなんて、ちゃんと信じられてないんだ。だって、不幸だった私を助けてくれたのは、その魔法使いだけだったんだよ? この目の力だって、魔法の笛だって、怪盗として使わなければ、呪いに蝕まれることなく、過ごせたかもしれない」


 あるいは、魔法使いは、そうなることが分かっていたのではないか?

 快く飴を舐め、知らないうちに呪われ、体を蝕み、命を燃やす人間を選んでいるのではないの?


(一度目の世界を知っていて)

(一度目でも同じことをしていて)

(二度目でも、繰り返しているとすれば)


 ドロシーが危険人物だと言っていた理由も、想定できる。


「くすす」


 突然、ソフィアが立ち止まって笑い出す。きょとんとすると、ソフィアが肩を揺らして笑いながら、あたしに言った。


「いけない子だね。テリー」


 あたしの手を引っ張る。


「またそうやって、何考えてるの?」


 薔薇に囲まれる城で眠るお姫様とキスをする王子様の絵が飾られている。


「いけないよ。テリー」


 紳士の格好をした猫と少年の絵が飾られている。


「君が何を企んでるか分からないけど、ジャックに関しては、私もいるし、リトルルビィも、キッド殿下も、最善を尽くそうとしている」


 腕無し娘の絵が飾られている。


「私達に任せるんだ。テリー、君には何も出来ない」

「……何言ってるの? 別に何もしてないじゃない」


 あたしはあえてとぼける。ソフィアは分かっているように微笑む。


「じゃあ、これは私の独り言」


 赤い唇があたしに近づいた。


「君は魔法にかからない。だからと言って、中毒者に立ち向かえると思ったら大間違い」


 ソフィアの手に力が入る。


「私の時は、君の運が良かったのと、相手が私だったから、君は助かったんだ」

「残念だったね。今回、魔法にかかってしまって、可哀想に」

「でも、それも君が悪いんだよ」

「油断してるからそうなるんだ」

「テリー」


 ソフィアが、とても優しく微笑む。


「もう何もしないで」


 ソフィアの目があたしを見つめる。


「そうすれば危険はない」


 ソフィアがあたしを見る。


「お願い。やめて。君が怖い思いをする前に」


 ソフィアが微笑む。

 あたしは返事をしない。

 ソフィアは分かっているように、あたしの手を握り続ける。

 ソフィアは、あたしが既に動いているのを分かっているように、あたしの手を引っ張り、再び歩き出す。

 あたしは絵を眺める。

 ガラスの棺桶で亡くなったお姫様を小人達が囲んでいる絵が飾られている。


「ああ、これで最後だ」


 ガラスの靴を履いて喜ぶみすぼらしい少女の絵が飾られている。


「ああ、楽しかった」


 出入り口に戻ってきて、呟き、あたしを見下ろした。


「どう? テリー。楽しかった?」

「まあまあ」

「おいで。これだけだけじゃない。美術館の裏には池がある。ボートの貸し出しが出来るんだ。さっきの薄気味悪い話なんか忘れて、池の上で優雅なひと時を」

「ボート……」


 美術館は来るけど、ボートはあまり乗った記憶が無いかも。


「いいわ。暇つぶしに付き合ってあげる」

「くすす。有難き幸せ」

「優雅な時間を送るには悪くないわ。連れて行きなさい」

「そうだね。じゃあ、優雅な時間を過ごすために」


 ソフィアが屈んだ。


「少しアクションを取り入れようか」

「あ?」


 あたしの膝と腰に手を伸ばして、腕であたしを抱えた。


「よいしょ」

「ひえっ!?」


 突然のお姫様抱っこ。

 驚いて目を見開き、両手をグッと握る。


「じっとしてて。テリー」

「あ、あんた! 何を!」


 するのよ! と言う前に、ソフィアが軽やかに走り出す。ドレスだというのに容易く足を動かし、草木の生えた自然豊かな公園の道を走り、池の方向へ向かっていく。もう少しで池に着くのに、ソフィアがそこで木に隠れた。


「ここか」

「ぎゃっ!」


 小さく悲鳴をあげると、ソフィアに口を押さえられる。


「むぐっ!」

「しっ」


 ソフィアが静かにする。あたしも静かにする。突然、秋風の突風が吹く。一瞬で風が止む。静かになる。ソフィアがくすりと笑って、腕に抱えるあたしに微笑んだ。


「怪盗ごっこ。私と手を組んでれば、こんな毎日を過ごせたかもね」

「突然抱えられて突然隠れるの? そんな毎日嫌よ」


 ソフィアを睨む。


「下ろして。馬鹿なことせず行くわよ」

「かしこまりました。お嬢様」


 気取ったセリフを言って、ソフィアがあたしをそっと下ろす。

 そして辺りを見回し、あたしの手を握り、ボートの貸し出し場に向かった。



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