第18話 10月13日(5)


 18時。中央区域。丘。



 日が暮れた周辺はもう既に暗い。

 キッドの部下の一人が足元に明かりを照らす。それに沿って歩く。息を切らして、ふうと息を吐けば、


「到着」


 キッドが呟き、そのまま丘の草原に座る。


「ほら、テリーも座って」

「……椅子が無い」

「椅子が欲しい?」


 背もたれならここにあるよ。


「ここにおいで」


 ぽんぽんと、キッドの前を叩かれる。


「お前はここ」

「いい」


 首を振って、キッドの隣に座る。少し距離を離して座ると、キッドが寄ってくる。あたしはキッドを睨んだ。


「近づかないで」

「くくっ。酷い奴だな」


 あたしの肩に、キッドが頭を乗せてくる。


「重い」

「あとでマッサージしてあげる」

「退いて」

「いいじゃん。もう少しこのまま」


 キッドの体重があたしに乗しかかる。ついでに、あたしの腰を抱く。ため息を吐く。それでもキッドは満足そうに微笑む。秋の夜風が吹く。ジャケットを着ていても少し肌寒い。

 座ったまま、特にやることもなく、ぼうっと景色を眺める。高い丘からは城下町全体が見える。空と、山と、湖と、時計台と、その周りを囲うような町と、どでかい一つのお城。……あ、小さいけど、向こうにベックス家の屋敷があるわ。ああ、帰りたい。


 美しい夜景が、ただひたすら見える。


(……ん?)


 ふと、周りにキッドの部下達がいなくなっていることに気付いた。


「……あの人達、どこに消えたの?」

「丘の周りを見回ってるんじゃないかな? 誰も来ないように言ったから、見つけたら下りてもらうはずだよ」

「……」

「言っただろ? 誰にも見られないようにするって」


 キッドが嬉しそうに呟く。


「俺とお前、二人きり」


 目の前には美しい夜景。


「どうだ? テリー。俺に惚れたか?」

「星が綺麗」

「星よりも、お前の方が綺麗だよ」

「当たり前よ。あたしは星よりも美しいのよ。なめないで」

「こいつは失敬」


 キッドもあたしの肩にもたれながら、星空を見上げる。


「思わず目を奪われてしまうな」

「ええ」

「まるでお前みたいだ」

「そうやって口説けば誰でもころっと行くと思ってるんでしょ。くたばれ」

「本当のことを言っている」

「嘘つき」

「人間は、皆、嘘つきさ」

「……」


(知ったような口を)


 その中でも、特にお前は嘘つきだって言ってるのよ。くたばれ。


 むう、とむくれながら星空を眺める。隣にはキッドがいる。一緒に星空を眺める。


「……アリス」

「うん?」

「今日、アリスがすごく楽しそうだった」

「……出掛けたんだっけ」

「……ん」

「お前はどうだった? 楽しかった?」

「……そこそこ」

「……ね、あの子さ、俺のグッズ持ってたけど、お前、どこに行ってたの?」

「……毒にまみれた呪われた会場に行ったのよ…」

「ねえ、それどこ? 昨日言ってなかっただろ。俺、その件に関して詳しく聞きたいなー?」

「お黙り。お前には、あのおぞましさは理解出来ないわ」

「何を見たのかな? テリー」

「すごく怖いものを見たわ……。あれこそ悪夢よ……。あれはジャックが見せる悪夢より恐ろしい悪夢だったわ……」

「んふふ! そう! くくくくく! へえ! 俺も行きたかったなー! くひひひひっ!」


 こいつ、楽しそうに笑いやがって。


(あんたのせいで、あたしは初めて魔法にかかったのよ……! キッド殿下万歳!! くたばれ!!)


「……その帰りよ。パレードを見たの」

「……すごかっただろ」

「ええ。パレードはすごかった」


 キッドがソリから下りなければ、最高だった。


「……」


 眉をひそめて黙り込むと、キッドがちらっとあたしを見た。その視線を感じて、キッドを横目で睨む。


「何?」

「別に?」

「見ないで」

「うーん?」


 キッドがほくそ笑んであたしを見続ける。その顔をさらに睨む。


「気持ち悪い」

「うん。そうだね」

「星を見て」

「俺は星よりも、目を奪われてしまうものがあるんだよ」

「あっそ」


 あたしはキッドから視線を外す。


「アリスがあんたにキスされて喜んでた。気絶するくらい」

「へえ」

「……何?」

「別に? 話の続きを」

「……」


 あたしはキッドの視線を無視して星を眺める。


「……喫茶店に運んでもらって、少しお喋りしてから、アリスの家に遊びに行ったの」

「アリスの家か。どうだった?」

「あの子の家、帽子屋なの」

「へえ、そうなんだ」

「そこでもちょっと喋って……」


 アリスが、冷たい目を向けた。


「……キッド」


 あたしはキッドに訊く。


「結婚しちゃ駄目なレディっていないわよね?」

「ん? もちろん。そんなのは存在しない。皆、平等に結婚していい権利はあるよ」

「……そうよね。じゃあ」


 あたしはキッドに訊く。


「子供を産んじゃ駄目なレディなんていないわよね?」

「もちろん。そんなのは存在しない。皆、平等に子供を産んでいい権利はあるよ」

「そうよね」


 でも、アリスは言ってた。


「子供を困らせてしまうかもしれないから、子供を産んじゃ駄目な人なんて、いないわよね?」

「それは、環境による」


 キッドが答える。


「貧困だったり、乱暴な行いによる無理矢理の妊娠だった場合、人の事情でそれは起こりうる。子供のことを考えて、子供を産まない人にも事情がある。テリー、中絶って、悪い響きに聞こえるだろ? でも、何も出来ないのに、子供を産んで子供を不幸にすることが、お互いの幸せになると思う?」


 事情があるんだよ。


「色んな事情が積み重なって、子供を産みたくないレディも、結婚したくないと祈るレディも存在する。決めるのは全て本人達だ。口出しは無用だ」


 ああ、でもテリー、安心して。


「お前は俺の赤ちゃん産んでね。そうだな。三人くらい」

「……おえっ」


 キッドとの子供を考えたら吐き気がしてきた。青い顔になると、キッドがはっとした。


「テリー! お前、つわりか!?」

「んなわけあるか!」


 怒鳴ってから、また星を眺める。


「あんたとなんてお断りよ。絶対嫌だ。女神アメリアヌ様が微笑んだってお断り」

「テリー、俺達きっといい夫婦になるよ。一緒に玉座に座ろうよ」

「王妃の顔して各国を回れって言うの? 無理無理。あたしにはベックス家と紹介所があるのよ。大切な二つを捨てるなんて馬鹿な選択はしないわ」

「大丈夫。母さんは専業主婦みたいなもので王妃だけやってるけど、テリーの場合は仕事しながら王妃をやればいい」

「……そんなこと出来るの?」

「出来るよ。大切な時だけ城にいてくれたらいいんだ」

「……面倒くさそう……」

「どう? 結婚する?」

「しない」

「いつしようか?」

「しない」

「10月は? 悪いことが起きるって言われてる10月に結婚して、幸せになる月って言われるようにするんだ」

「他とやって」

「つれないなあ」


 キッドは微笑む。


「プリンセスになりたいって、ニクスに言ってたのは誰だ?」

「冗談だったって言ってるでしょ。あのね、あんたは過去の話を掘り返すのよ。悪いところよ。喧嘩した時に、お前はあの時もその時もこうだった、ずっと我慢してたっていうタイプだ。うわ最悪。絶対、結婚なんてしない」

「人間は過去を掘り返すのが好きな生き物だよ。テリー。お前だって、あの時はこうしておけばよかったってよく愚痴るじゃないか」

「……今はあたしの話じゃない」

「うわ。何それ。あのさ、そういうところ、お前の悪いとこだぞ」

「お黙り」

「ふふっ。ねえ、アリスとそんな難しい話してたの?」

「女の子はね、大人の話をするのよ。いつまでも心が少年なあんた達と違ってね」

「14歳って、そういうお年頃だもんな」


 そうか、そうか。


 頷いて、キッドが微笑んで、あたしに唇を近づかせ、囁いた。


「テリー、……お前は俺が相手になるよ」

「……ん? 何が?」

「……分からない?」

「え?」


 きょとんと、キッドを見る。


「何の話?」

「だからぁ……」


 にやけたキッドが言いかけた瞬間、きらりと夜空に星が光る。


「んっ」

「あ」


 あたしとキッドの声が重なる。


「流れ星」


 キッドが呟く。あたしの目が星を追う。心中で祈る。


(死刑絶対回避死刑絶対回避死刑絶対回避)


 流れ星が消える。


「何か願った?」


 キッドが訊いてくる。


「キッドは?」

「願ったよ」

「……キッドも願うことがあるの?」

「あるよ。沢山ね」


 お前知ってるくせに。


「俺は貪欲なんだよ。何でも欲しいの」


 キッドがくくっと笑う。


「唄遊びで例えるなら、こうかな?」


 キッドが息を吸って――唄った。



 キラキラ光る コウモリさん

 一体 お前は 何してる?

 翼広げて 夜空を飛ぶか

 人間見下ろし 喜ぶか

 願いを叶えよ この願い

 星々キラキラ コウモリさん

 流れて落ちろ 地面に落ちろ

 俺が捕らえて 奴隷にしよう

 主の俺は 絶対幸福

 願いを叶えよ コウモリさん

 キラキラ光る コウモリさん



「俺は願いを叶える星も欲しい。全部手に入れられる。落ちてきたら俺は大切に愛でて、願いを何でも叶えてもらうよ」

「馬鹿。願いは自分で叶えるから気持ちいいのよ」

「その気持ちは分からなくもない」


 でもさ、テリー。


「人の心は、努力しても、変えられないこともある」


 キッドがそっと、あたしの顎を掴む。自分に向かせる。またキッドと目が合う。


「テリー」


 キッドが唇を寄せてくる。


「やだ」


 その口を手で押さえる。あたしの掌に、キッドの唇がくっついた。


「んっ」


 キッドが驚いたように目を見開いて声を漏らし、不満げにあたしを見つめる。


「……お前、また、そうやって……」

「あたしはロマンチックな景色に流されたりしないわ。恋人でもないあんたなんかと、誰がキスするもんですか」

「ああ。確かに俺はお前が好きだけど、お前は俺に恋をしてない。でも」


 だったら、一つだけ、気になることがある。


「なんで、俺にキスをしたのかな? 美しいレディ」


 キッドが首を傾げた。


「刺されて血が止まらなかった俺に、キスをしていた。だろ?」


 あたしは黙った。


「ねえ、なんであの時、俺にキスしたの?」


 キッドが訊いた。


「死にそうになった俺に、死なないでって言いたかったわけ?」


 キッドが眉をひそめる。


「そんな風には見えなかったんだよな。その前にお前、すごく怒ってたし」


 キッドが違和感を感じている。


「あの時、俺が死にそうになって、皆が泣いてた」

「でもお前だけ泣いてなかった」

「絶対に俺が死なないって分かってた目だった」

「死なせるもんかって言うような目だった」

「分かってるみたいだった」

「まあ、その目を見た途端、俺はお前との運命の赤い糸に気付けたわけで、それは良かったんだけど」

「でも」

「未だにその違和感が消えないんだ」

「ねえ、テリー」


 今なら、答えてくれるよね?


「なんでキスしたの?」

「人工呼吸」


 言うと、キッドがぽかんと間抜けな顔をした。


「馬鹿ね。あれは人工呼吸よ。何難しいこと言ってるの?」

「……ねえ、苦しすぎない? 俺、刺されてたんだぞ」

「呼吸をしてなければ、人工呼吸をして対応するのよ。あんた、保健、って知ってる?」


 あまりにも堂々としているあたしを見たキッドがきょとんとして、ふっと笑って、呆れたように笑って、ぶふっと吹き出して、大爆笑した。


「あっはははははははははは!!!」


 人工呼吸!?


「ねえ、本当? それ本当に言ってるの!?」


 嘘よ。


「あたし13歳だったのよ。知識を使おうと必死だったのよ」


 魔法を使おうとしたなんて言うわけないでしょ。馬鹿。


「へえ! ぶふふふ! 必死になったんだ? くくく!」

「人が刺されて、誰も何もしないんだもの。これは人工呼吸しかないって思うじゃない」

「くくく! でもさあ、お前あれだけキスすることを拒んでたのに、人工呼吸はするわけ?」

「キッド、自分の知ってる人が死にそうになってる時ってね、もう無我夢中なのよ。どうでもいいって思ったのよ」


 それは真実だ。あたしは無我夢中で考えていた。この先、キッドがいなくなれば中毒者を追う者がいなくなる。婚約解消も出来なくなる。だから助けただけだ。


「人助けにカウントはしないわ。あれはキスじゃない。ただの人工呼吸よ」

「へえ、そう。ただの人工呼吸ね」


 へえ?


「……まあ、そういうことにしといてあげるよ」


 くくっとキッドが笑った。


「何よ。信じてないの?」

「信じるとかじゃなくてさ。違和感が消えないんだよ」


 悔しいほど、キッドの勘は鋭い。


「だって、俺の体は刺されたのに、傷も怪我も何も残ってなかったんだよ?」


 まるで、


「魔法にかかったみたいになくなってた」

「じゃあ、あたしは魔法使いになったのね。きっと、あんたに魔法をかけたんだわ。スプーンでも曲げてみる?」

「ああ、テリーは魔法使いの血を継いでるのかと、推測をしてみたこともあるんだよ」


 歴史を学んだだろ?


「人間と人間の間に生まれても、時々、魔力を持つ人間が生まれる時がある。それが魔法使いと呼ばれた人々。テリーもその一人かもって思ったんだよ。お前と関わってると、不思議なくらい中毒者に会えるからね」


 でも、その予想は見事に外れた。


「お前は人間だよ。間違いなくね」

「魔法使いなら、リトルルビィの時に、一人で何とか出来てたはずだし」

「ソフィアの時だって、隠れ家に連れて行かれた後、一人で何とかなったはずだ」

「何も出来ずに助けを求めたお前は、純粋な人間だよ。間違いなく」


 ただ、


「お前の呪いにかからないその体は気になるな」

「ああ」


 あたしも頷く。


「あたしも気になってるのよ」


 ――君は、魔法にかかりにくいのかもしれない。


「ニクスの時も、メニーにはかかって、あたしだけ呪いにかからなかった。まあ、ニクスが守ってくれてたお陰かもしれないけど……」


 ――世界が一巡された時、君は生と死の狭間にいたわけだ。その時に、発動された膨大な魔力が君に何かかしらの影響を及ぼした。


「それでも、ソフィアの時も、催眠にかからなかった」


 ――そのせいで、君は魔法にかかりにくくなった。


「キッド、これが才能ってやつよ」


 ――君は呪いにかからない。


「それ見たか。きっと、あたしは魔法に強いのよ。じゃんけんでいうなればグーの位置。最初にあたしを囮としてなめてたら、次にチョキが負けるのよ。ああ、愉快愉快」

「確かに、魔法にかからない才能を持った人間がいたところで、不思議じゃない。俺だって魔法に詳しい人間なんだから」

「それ」

「ん?」

「答えなくてもいいわ」


 訊いてみる。


「魔法について書かれた記録書があるって言ってたけど」

「ああ」

「本当にあるの?」

「あるよ」

「……」

「見たい?」

「……」

「城に来れば見れるよ」


 キッドがあたしの頭をすりすりしてきた。


「去年、ついてくれば見せてあげたのに」

「……あんた、自分の姿を見てないからそんなこと言えるのよ。あれはね、どう見たって目覚めた魔王だったわよ」

「怖がらせて悪かったよ。俺なりに落ち着かせようとしたんだ」

「無理矢理キスしようとしたわ」

「もうそんなことしないよ」

「どうだか」

「しないよ。テリーが大切なのに」


 腰を抱き寄せる。


「俺はテリーの騎士だよ。何があっても守るから」

「その必要はないわ」


 リトルルビィだっているんだし。


「中毒者だって、もう現れないんじゃない? この一年近く、ソフィア以外現れてないのよ?」

「一つ、良いことを教えてやろう。テリー。お前の悪いところはそうやってすぐに平和ボケして油断するところだ」


 事は突然に起きるんだ。


「もしかしたら、明日ジャックが現れるかもしれない」

「もしかしたら、明日父さんが死んで俺が即位するかもしれない」

「もしかしたら、明日リトルルビィが突然人間に戻れるかもしれない」

「もしかしたら、明日ニクスが城下町に帰ってくるかもしれない」

「考えたら切りなんてない」

「いいか? テリー」

「中毒者の事件は解決してない」

「解決してない以上、魔法使いは、また心の弱さを見せた人間に近づいて、飴を渡すだろうさ」

「気をつけなよ。テリー」

「お前は本当に、中毒者と関わりやすいからね」


 むっとして、あたしはまた視線を逸らす。


「何よ。関わりたくて関わってるわけじゃないわ。たまたま出くわした奴らが、皆、中毒者関連の人物だっただけよ」

「誘拐事件から通り魔事件、からの地震災害から怪盗事件。みーーんなお前がいるんだぞ?」


 今回はどこで誰と関わることになるかな?


「ま、大丈夫さ。俺だって国に帰ってきたんだから」


(ええ。安心なさい)


「今は、お前の傍にいるんだから」


(お前が傍にいなくても、レオがいる)

(……リオンがいる)


 最強の協力者。だから、お前の助けなんていらない。


「俺がお前の傍にいる」


 キッドが呟く。


「テリー」


 星を眺めているあたしに、キッドが言う。


「レオ」


 あたしの指が、ぴくりと動く。キッドが訊いた。


「誰?」

「……友達」

「……本当?」

「それ以外、何?」

「んー。誰かと思っただけ」


 キッドがあたしの耳に唇を寄せた。


「ね、テリー。俺は怒らないよ」

「あ、そう」

「正直に言ってごらん? レオって誰?」

「友達」

「誰?」

「友達」

「どんな奴?」

「……関係ないでしょ」


 はっ。


「……そっか。あんた男が好きだから。……悪かったわ」

「そうじゃない」


 キッドが顔をしかめた。


「お前が遊んでる『お友達』に興味があるだけだ」

「そういうことなら止めておくわ。やめておきなさい。彼はノーマルよ。絶対ノーマル」

「ねえ、教えて? レオってだぁれ?」

「詮索しないで。うっとおしい」

「もしかしたら、お前を惑わしてる悪い奴かも」

「惑わしてるなんて、ソフィアじゃあるまいし」

「好きなの?」

「友達に好きも嫌いもある?」

「好きなの?」

「……。そうね。あんたより好きかも。ほら、満足?」

「……」


 キッドが黙って、あたしを見つめる。


「何よ」

「……俺には好きって言わないくせに……」


 ふいっと、キッドがあたしから視線を逸らす。


「可愛くない……」


 キッドが体重を乗せる。


「えっ」


 押し倒される。


「ちょっ!!」


 草と土と背中がこんばんは。


「ちょっと! 服が汚れるでしょ! 最悪!」

「好きって言わない……」


 キッドがあたしを抱きしめ、あたしの胸に顔を埋める。


「傷ついた。俺は酷く傷ついたよ。あーあ。もう落ち込んで立ち直れないや……」

「退け! 重い!」

「テリーが悪いんだぞ……。俺に好きって言わないから……」

「好きじゃない奴に好きって言う方がどうかしてるわ!」


 キッドの肩を押す。


「退け!」

「テリー」


 キッドが顔を上げて、体を起こす。あたしを見下ろす。


「ん」


 キッドの顔が近づいた。


(あ)


 ――ふに。


「んっ」


 キッドに唇を重ねられる。


(ちょっ……!)


 キッドの顔を両手で押さえると、その手を掴まれる。


「んっ」


 地面に押さえつけられる。


「んぅ……」


 キッドの柔らかい唇が動く。


「んっ」


 あたしの唇を自分の唇でつまむように、動く。


「んっ、んっ、んっ……」


 むにむにと動く。


「……ぁっ……」


 キッドが離れる。息を吐いて、吸う。呼吸が少し乱れてる。


「やめ……」

「……テリー……」


 またキッドが唇を重ねてくる。


(し、しつこいっ!)


 ぐっと手に力をこめるが、いつもの如く、びくともしない。


「ん……」


 眉をへこませると、キッドの熱い唇が離れる。はあ、とキッドが息を吐いて、あたしの額に、自分の額を重ねる。


「テリー」


 キッドが熱い眼で、あたしを見る。


「好きだよ」

「……あたしは嫌い」

「……それでも」


 頬を赤らめたキッドが微笑む。


「お前にキスするのは、俺だけだよ」


 あたしの手にキッドの手が重なる。指が絡まる。きゅっと握られる。


「レオじゃない。俺だよ。俺だけだからね」

「……なんでレオが出てくるのよ」

「俺にキスをするのも、アリスじゃなくて、お前だけだよ」

「……なんでアリスが出てくるのよ……」


 眉間に皺を寄せると、キッドが少しだけ、どこか嬉しそうににやけた。


「うん。俺は一途だよ。お前だけ」

「……嘘つき……」

「お前の初めては俺がいただく。……大丈夫。ちゃんと気持ちよくしてあげるから……」

「……言われなくとも、ファースト・キスは、もうあんたに取られた。セカンドもサードも全部取られた!」

「うん。だから、ちゃんとその後も、俺が貰ってあげる」

「その後なんてないわよ」

「あるだろ」

「……何のことよ?」

「うん。何のことだろうね」


 キッドが額を離して、またあたしの胸に頭を乗せる。ぐりぐりと押し付けられて、くっついてくる。それを見下ろす。


「ねえ、お腹空いた」

「もう少しだけ」

「お腹の音鳴るかも」

「いいよ。俺が聞いてあげる」

「また笑うの?」

「笑わないよ」

「退いて」

「もうちょっとだけ」


 キッドがあたしから離れない。


「もう少しだけ、お前に酔いしれさせて」


 諦めて、体を地面に委ねる。


(……重い……)


 星空が視界いっぱいに広がる。


(流れ星来ないかしら)


 もう一つだけ、お願いしたいのよ。


(どうか)

(どうか)


(惨劇を、回避できますように)


 流れ星。


(来い)


 見つめる。夜空を見つめる。


(来い)


 流れ星は来ない。





(*'ω'*)





 21時。リビング。



 門限までに家に帰り、じいじのご飯を食べる。その後は、生理も止まって、よしこれきたわと思って久しぶりに湯舟に浸かった。はあ、良いお湯。上がって、リビングに戻ると、キッドが立ち上がってあたしの腕を掴み、



 あたしを、ソファーへ押し倒した。




「……んっ」


 あたしが思わず、声を出す。


「ここがいいの? テリー?」


 キッドが触ってくる。


「あっ、だめっ……そこは……」


 ぴく、と、体を強張らせる。


「大丈夫。力抜いて……」

「……あっ……」


 ぐっと押される。


「……やっ……怖い……」

「怖くないよ。大丈夫。ゆっくり呼吸して……」


 キッドがあたしに囁く。


「……はっ……」

「そう。上手……」

「や、優しくして……」

「少し乱暴になるかも……」


 しょうがないよ。


「俺、スイッチが入ると止まらないんだ……」

「んっ……」

「大丈夫。絶対気持ちいいから……」

「……あっ……キッド……」

「……テリー……」


 ぐぐっと押されたら、


「そこーーーーーーー!!」


 あたしが叫んだ。


「キッド! そこ! そこがポイントよ! そこがつぼぉぉおおおお!!」

「ここなー。いいよなあ。ここ。俺もここ押されるの好きなんだよ」


 ぐりぐりぐりぐり。


「素晴らしい! マッサージ素晴らしい!」

「俺の手を甘く見ちゃいけない。俺を誰だと思ってるんだ?」

「キッド殿下万歳!」

「そうだろ! 俺はすごいんだ! なんてたって、俺は神に愛されし王子様だからな!! はっはっはっはっは!」


 ぐううううううううう!


「あああああっっっっ! いい! そこそこそこぉぉぉおおおお!」

「くはははははは! ここか! ここがいいのか!」

「ひゃははははは! いいわ! そこよ! そこおおお!!」

「あーはははははははは!」

「おーほほほほほほほほ!」


 テーブルからじいじが微笑ましそうに、あたしにマッサージをするキッドと、気持ちよさそうなあたしを見つめていた。


「重たいものを持つからのう。毎日大変だろう」

「キッド、マッサージ屋を経営したら? くう……! ……このあたしが、通ってあげてもよくってよ?」

「うーん。なるのは王様だけで十分かな」


 キッドがあたしの背にのしかかり、膝でぐりぐりしてくる。


「ううううううう! そこいい……! あんた、分かってるじゃない……!」

「俺を誰だと思ってるの? キッド様だよ」

「いいわ。今だけ崇めてあげる。キッド様。あんたのマッサージ力は最高……!」

「お褒めいただき光栄です。レディ」


 ぐうううううううう!


「はああ……。やばい……。これはやばい……じゅるり……」

「ほらテリー、肩やるよ。座って」

「ん」


 起き上がって、ソファーに座ると、専門技術の如く、キッドの手にマッサージをされる。


「……」


 言葉が出ないとはこのことを言うのね。


(至福……幸福……このまま寝れそう……)


「キッドや、明日はゆっくりするのかい?」

「うん!」


 キッドがあたしの腕をぐーーーっと伸ばしながら、じいじに頷く。


「暇つぶしにテリーの問題集でも手伝おうと思って」

「テリーや」


 じいじにじっと見られて、びくっとする。


「だ、だって、終わらないんだもん……」

「問題集は自分でやって、ようやく身に着くんだぞ」

「クロシェ先生が課題出しすぎなのよ……。野獣だわ。彼女こそ課題の野獣……!」

「ミス・クロシェも元気そうだな」


 キッドが微笑んだ。


「お前が泣きついた日が懐かしいよ。思い返せば、あの頃が一番可愛げがあった……」

「可愛いは卒業したのよ。もう14歳よ。あたしは大人っぽく、エレガントになるの」

「お前がエレガントねえ……?」


 キッドがふふっと笑って、あたしに囁く。


「ソフィアにエレガントを習うといい。あいつの方がお前より詳しいぞ」

「嫌味?」

「くくっ。どうだろうね?」


 ああ、でもさ、テリー。


「ソフィアに会う時は、誰か連れてね。もうあんな失態は許さないよ」

「……何のことかしら?」

「お? とぼけるのか?」


 キッドがツボを押す。


「えい」

「ぎゃあああああああああああ!!!」


 痛みに涙が出てくる。


「ここか。ここがいいのか」

「痛い痛い痛い痛い!!」

「疲労回復ー」

「痛い痛い痛い痛い!!」

「視力回復ー」

「痛い痛い痛い痛い!!」

「睡眠不足の軽減ー」

「痛い痛い痛い痛い!!」

「かーたーこーりーけーいーげーんー」

「いいいいいいいいいいいい!!!」


 あたしが涙目でじいじに訴える。


「じいじ! 助けてじいじ!!」

「キッドや」

「全部ツボだよ」


 キッドがツボを押すのを止める。あたしは胸を押さえて呼吸する。


「酷い……! レディにこんなことするなんて酷い! ぐすん! ぐすん!!」

「これもマッサージだよ」


 はい、深呼吸してー。ふーはーふーはー。


「はい。おしまい」


 とん、と肩を叩かれる。ふわりと体が軽くなった気がする。


「はああ……」


 あたしは深く息を吐いた。


「すごかった……」

「だろ?」


 キッドがぱちんとウインクする。


「疲れたら、いつでもおねだりしていいよ。俺が疲れてなかったら、やってあげる」


(おねだり……?)

(キッドにおねだりしろっての……?)

(このあたしが……?)


 ……。


(背に腹は変えられない)


 きりっと、あたしは頷く。


「いいわ。そういうことならおねだりする。いっぱいする」

「お前……マッサージにはつられるんだな……」


 キッドが冷めた目であたしを見た。だけどあたしは気にしない。


「はあ。悪くない気分。愉快爽快心は晴れやか」


 立ち上がる。


「問題集してくる」

「三冊残ってるんだっけ?」

「このままじゃ終わりそうもないし、出来るだけ一人でやってみる」

「頑張って」


 キッドにひらひらと手を振られ、じいじがそれで良しと言うように頷き、あたしは二階に上っていく。廊下を歩き、部屋に入る。椅子に座り、机に置かれた問題集に手を伸ばした。


「さて」


 集中する。


「やるわよ」


 本来、あたしは14歳じゃない。だからこの手の問題、お茶の子さいさいのはず。


「やればいいのよ。やれば。あたしは答えがわかるわ。大丈夫。やれる」


 鉛筆を握る。


「いけるわ」


 鉛筆を握る。


「……ん」


 指輪が邪魔。


「……うん。外そう」


 外して、机に置く。


「……うーん……」


 ちらっとリュックを見る。


「ああ、鞄の中身整理しようかしら。頭がすっきりしていいかも」


 あたしは立ち上がって、リュックに手を伸ばした。


「えっと、えっと」


 中にあるものを取り出して、整理する。


「えっと、えっと」


 丁寧に丁寧に、整理する。


「これでいいわ」


 物が取りやすくなった。満足して、リュックを壁にかける。


(よし、勉強に戻ろう)


 椅子に座って、鉛筆を握る。問題を解いていく。


(ふむふむ……)

(……)


 ちらっと、クローゼットを見る。


(そうだ。明日、10時にアリスの家に行かないと)

(……)


「何着よう……?」


 呟いて、立ち上がり、クローゼットを開ける。


(服装について、言われたわね)


「女の子っぽい服装……」


 今日のは駄目だったかしら?


「……並び変えようかな……」


 こっちとこっちで。


「えーっと」


 こっちとこっち。


「ん」


 頷く。


「素晴らしいわ。物がどこにあるか分かる」


 整理整頓って素晴らしい。


「あ、だったら靴下も……」

「テリー」


 扉が叩かれる。キッドの声がする。


「じいやがアイス食べないかって」

「食べる!」


 あたしはクローゼットの扉を閉めて、駆け出した。本日の終わらせた問題は、全二問。




(*'ω'*)




 三人でテーブルを囲み、あたしとキッドがアイスを食べる。じいじの特性アイス。あたしはじっとそのアイスを見つめ、じいじに訊く。


「これってリンゴ?」

「うぬ。リンゴをすりつぶして作った」

「……流石ね。じいじ」

「ねえ、じいや、今度葡萄のアイスも作って。俺、あれ好きなんだ」

「マスカットでいいかい?」

「うん。テリー食べたことある? 美味しいんだよ」

「食べたことない」

「ああ。今度作ろう。テリーがここにいる期間は限られているからのう。近いうちにでも」

「やった」


 キッドが微笑んで、アイスを頬張る。


「テリー、じいやの苺のアイスも美味いんだよ。そうだ、今年の俺の誕生日に出そうよ。じいや」

「苺ケーキはもういいのかい?」

「何言ってるの。苺のケーキと、苺のアイスだ」

「苺尽くしじゃのう」


 じいじがくすっと笑った。


(誕生日……)


 キッドの誕生日は12月。


(今年は何を用意したらいいかしら……)


 あ、そうだ。


「キッド、今年の誕生日は新しいマフラーにする?」

「ん? なんで? マフラーなら前にお前から貰っただろ」

「毛糸ほつれて使い物にならなくなったって、お正月頃に言ってたじゃない」


 年明けにした戦いを思い出して、改めて納得する。


(まあ、あれだけ暴れたら、そうなるのも納得出来るけど)


「……ん?」


 キッドがきょとんとした。


「ほつれて使い物にならなくなったって?」

「ええ。福袋をあたしに渡しながら言ってたじゃない」

「俺が?」

「……言ってたでしょ?」


 キッドがきょとんとした。


「……」


 目を一瞬左に動かして、考える。


「……」

「何?」


 あたしは言った。


「ジャックに記憶でも消された?」


 アイスを頬張ると、キッドが笑った。


「くくっ。お前もベッドにお菓子置いておけば?」

「金平糖でも置こうかしらね」


 ドロシーがやってくるかも。


「テリーや、置くなら、日持ちするものを置きなさい」

「そうね。ビスケットなんてどう?」

「飴の方がいい」


 じいじが微笑んで、キッドに目を向ける。


「キッドも置くかい?」

「俺はいい。ジャックにまた会えるなら会いたいもん」


 キッドが呟く。


「余計に会いたくなったよ」


 くくっ。


「そうか。……だから無かったんだ」


 キッドがぼそっと、呟いた。


「……やってくれるな……」


 あたしはちらっとキッドを見た。


「ん? なんか言った? キッド」

「うん。聞きたい?」


 キッドがあたしの耳元で囁いた。


「ジャックが悪夢を見せに来たら、俺の部屋においで。添い寝してあげるよ」

「っ」


 ぞわっと、鳥肌が立つ。


「じいじ……」


 あたしはじいじを見つめる。


「今すぐキッドを追い出して……」

「無理を言うんじゃない」


(チッ)


 頭の中で舌打ちして、にこにこするキッドを睨みながら、またあたしはアイスを頬張った。


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