第18話 10月13日(4)


 17時40分。西区域。



 アリスの家を出る頃には、夕暮れが沈んでいた。


「最近、日が暮れるの早いわね」


 レンガの道をアリスと歩く。湖の奥へ落ちていく夕暮れを見ながら、歩幅を揃える。


「ねえ、ニコラ、店にいるの10月までなんだっけ?」

「ん」

「このまま11月も働いちゃえば? ニコラ、覚えがいいから戦力になってるって奥さんが言ってたの」

「うーん……」


 あたしは苦く微笑む。


「お爺ちゃんが、その、……厳しい人でね。どうかしら?」

「ああ、親が厳しい人は大変よね。私はどちらかというと、放置されてるから、好き勝手出来るのよ。だから何かあっても、自己責任? 誰のせいにも出来ないの。それもそれで結構きついのよ」


 夕暮れの光がアリスを照らす。まるで舞台の照明のようにアリスに当たる。照らされるアリスの笑顔が素敵だと思った。本当に向日葵みたい。アリスの目は温かい。


 ――ふと、アリスが笑顔を崩した。


「あ」


 何か思い出したように声を出す。


「あっ!」


 アリスが声をあげた。


「あーーー! 忘れてた!」

「え?」


 きょとんとすると、アリスがあたしをじっ! と見た。


「ニコラ!」


 アリスが眉をへこませて、あたしの手を握る。


「ごめん! 明日の昼、時間ある!?」

「え? べ、別にあるけど……」

「10時!」


 アリスが言った。


「ニコラに渡したいものがあったのよ! あー……忘れてた……」

「……キッド様のグッズならいいわ。アリスがそのまま持ってて」

「何言ってるのよ!」


 アリスが首を振る。


「もっと大切なもの!」

「え?」


 きょとーんとすると、アリスがまた笑う。


「ね? 明日、10時、また来れそう?」

「……10時ね。店に行けばいい?」

「ええ。……待ち合わせしようか?」

「ううん。道は覚えたから、あたしが店に行く」

「じゃあ……それでお願い!」


 にこっ、と笑ったアリスがあたしと手を繋いで、また歩き出す。湖を見て、アリスがその景色に見惚れる。


「ニコラ、夕方の湖って綺麗ね!」

「ええ。そうね」

「好きな人とこんな所に来たら、きっといい思い出になるわよ」

「ええ。そうね」

「今日は私とニコラの、何でもない平和な休日よ。ちゃんと頭の思い出リストに刻んでおいてね」

「ええ、分かった」

「ニコラ」


 アリスが笑顔であたしに振り向いた。


「11月になっても会えるわよね?」


 あたしは少し黙って、微笑んで、頷いた。


「会えるわよ」

「そうよね。同じ町に住んでるんだし」

「お菓子も買いに行くわ」

「ニコラが来たら私がレジを打ってあげる。少しサービスもしてあげる!」

「サービス?」

「アリスちゃんの0ワドルスマイル!」

「いらない」

「酷い!!」


 アリスがげらげら笑う。秋の風がアリスの長い髪の毛を揺らす。アリスの大人っぽいピナフォアドレスが揺れる。また、ちらりとあたしに振り向く。


「そうだ。ニコラ、お誕生日いつ? 事前にカレンダーに書いておいて、準備しておくわ」

「残念ね。もう終わった」

「いつ?」

「二ヶ月前」

「あら」


 アリスが声をあげる。


「リオン様と同じ月なのね! 八月だ!」

「……そうよ」


 レンガの道を歩く。


「日付は?」

「同じ日」

「え?」

「リオン様が生まれた日と、同じ日」

「あら、すごい。偶然!」


 アリスが興奮したように声を出す。


「覚えやすくていいわね!」

「……そうかしら」

「いいじゃない!」


 アリスの手は温かい。


「なるほど、終わっちゃってるかぁ。じゃあ、明日はその分のプレゼントをあげるわ!」

「プレゼント?」

「そう。ニコラに」

「あたし、なんかアリスから貰ってばかりね」

「いいのよ! 私があげたいの!」


 アリスの足が跳ねるように動く。


「見返りなんて求めてないから、貰ってくれる?」

「……ええ。喜んで貰うわ」

「ふふっ! 素直になるニコラは可愛いわね!」

「何言ってるの。あたし、ずっと素直な子よ」

「どの口が言うか。こいつめ」


 ひゅううと、風が吹く。


「ああ、寒い寒い。これから冬になるんだもんね。ああ、嫌だなあ。寒い寒い」


 アリスが呟き、足が止まる。前から馬車が渡ってきて、通り過ぎるのを二人で待つ。ここからは中央区域に入る。あたしはアリスから手を離した。


「アリス、ここまででいいわ」

「え? いいの?」

「ええ。帰れる」

「そう」


 アリスが一歩下がった。


「ニコラ。今日はありがとう」

「こちらこそ」

「変な話ばかりしてごめんね。気にしないでね」

「あたしこそ、変なこと訊いて悪かったわ」

「いいのよ。だって、ニコラ、そのお陰で、今日が良い日だったことは間違いないのよ」


 アリスは微笑んで、あたしを見つめる。


「今日を経て、私達は、友達から親友になったんだから!」


 にっ、と笑ったアリスがあたしに手を振る。


「じゃあね、ニコラ。また明日」

「10時ね」

「ええ!」

「分かった。……気を付けて帰って」

「ニコラもね!」


 あたしも一歩前に踏み込んで、アリスに手を振り、前を向いて、歩き出す。帰り道に向かって、歩いて、足を動かして、あたしは、その言葉を反芻させる。


(親友)


 アリスがそう言ってくれた。


(親友)


 同世代の友達で、


(親友)


 胸が温かくなる。親友なんて、一度目の世界では存在しなかった。


(だって、ニクスは死んでいたから)


 でもこの世界では、ニクスがいて、アリスがいて、二人とも、あたしを親友と呼んでくれた。


(ただ)

(……ただ、一つだけ、違和感)


 ――アリスのあの目が忘れられない。


(笑ってなかった)


 笑っていたけど、


(笑ってなかった)


 アリスが睨んだ気がした、あの目。


(何か言っているようだった)

(あたしに)

(例えば)

(それ以上踏み込むようなら)

(それ以上詮索するようなら)



 お 前 を 殺 す 。



(……馬鹿なことを、考えてしまったわ)


 人を疑う癖がついてるんだわ。


(アリスがそんなことを思うわけないじゃない)


 詮索されたくないことは誰にだってある。踏み込んでほしくない領域は誰にでもある。あたしにだってあるわ。アリスの踏み込んでほしくない話をしてしまったのかもしれない。


(子供を産みたくなるから、好きな人を作ってはいけない)


 アリスに話してはいけない話題。


(……子宮に、異常があるわけでもないのに?)


 なんで、そんなこと言うのかしら。


(……いいわ。これから仲良くなって、ゆっくり打ち解けていけば、いずれ話してもらえるかも)


 あたしはアリスを待つわ。親友だもの。ぐーーっと伸びをする。


(ああ、じいじのご飯、何かしら)


(アリーチェのことはレオに任せてあるし。今日は大人しく帰ろう)


 帰り道に足を進ませると、噴水通りの道の隅で、歩行者の邪魔にならないように固まって集まっている団体を見つけた。


(ん?)


 楽器で音楽を奏で、踊っている。


 はー! どっせい! そーらそーら! よっこいしょー!


(ああ、ソーラダンスか)


 狩り作業唄と呼ばれている民謡。狩りの作業段階を唄っている歌だったか、それを奏でてダンスでその様子を表現するのだ。

 褌と呼ばれる下着を穿いて、筋肉質の紳士達がおめでたい祭や、行事などで踊り、その場をまるで宴会会場のように盛り上げてしまう不思議な歌とダンス。


 その練習が、道の隅で行われていた。横目でちらっとだけ見る。


(ハロウィン祭でも踊るのね。ま、盛り上がるにはいいかも。せいぜい頑張りなさい。紳士諸君)


 さ、あたしは帰ろう。とことこその横を通り過ぎる。


 どっせい! どっせい!


 ダンスを練習する人達が道に広がっていく。


「ん?」


 どっせい! よっこらしょー!


(なんか囲まれてる気が……)


 どっせい! どっせい! どっせい! どっせい!


「……はっ!!!」


 あーれ! そーら! そーら!


「こ、こいつら! ソーラダンスの練習と見せかけて! あたしをどこかに誘導してやがる!!」


 そーら! そーら! あーれ! そーら!


「あ! しかも! なんか見たことある顔まで!!」


 そーら! あら! そーらよっと! どっこいしょー!


「ちょっと! あんた達! 紹介所サボって何やってるのよ!」


 にこっ! やべっ! そーら! そーら!! そらそらそーら!


「こら! やめろ! どこに連れていく気よ!? お退き! クソ! こら! てめぇら!!!」


 そーら! あらよ! そーらどうした!


「あ! キッドが死にそうになってた時に、傍でめそめそ泣いてた兵士!」


 それは言わない約束そーらよっとよっこいしょー! はいはい!


「否定しやがった! 絶対そうだ! 絶対そうだわ! ねえ! 何なの!? どういうつもり!? 意味が分からないんだけど!」


 ええええいやあああああ! よっこいしょー!


「ちょっと! わっ! やめてよ! えっち! あたしは帰るのよ! 退け! かえっ! ひゃっ!!」


 どんどんどんどんどんどん!


「こらあああああ! あたしの背中を押すなんて! なんて無礼な!! そこの二人! 社長としてあとでジェフにチクるからね!!」


 やめてくださーさーさーそれそれよっこいしょー!


「ちょっ……! この!」


 一歩踏み込むと、ようやく団体から外に抜けた、と思えば、目の前には狭い路地裏。


(えっ)


 笑顔の団体に突き飛ばされる。


 どっせーーーい!


「ぎゃあああああああ!!」


 足が一歩二歩三歩四歩五歩、ふらふらと踊るように、リズミカルに、とたたん、たん、と、地面を踏み込む。


(いいいい! 転ぶーーー!!)


 体が地面に倒れる。


「んっ……!!」


 痛みを覚悟してぎゅっと目を閉じると、――ふわりと抱き止められる。


「……あ?」

「くくっ」


 眉をひそめると、あたしを抱き止めた人物が笑った。そして、ぐいと、腕を引っ張られる。


「ぬわっ!」


 狭い路地裏の奥に走り、あたしは引きずられるように引っ張られ、二人で物陰に隠れて、くすくすとそいつが笑う。笑って、笑い出して、


「あははは!」


 あたしをぎゅううっと、強く抱きしめる。


「覚えてるか? テリー。ここで追いかけっこしたね。ニクスから離れろって忠告した俺から、お前が逃げたんだ。あの時はびっくりしたよ。してやられたと思った」

「お前、あの時どうやって逃げたの? 一瞬お前が俺の視界から消えて」

「そこから、もういなくなった」

「逃げることに関しては、お前は一流だよ。感動するくらいね」

「今度、大会でも開こうよ。逃げる選手権。どうだ? 面白そうだろ」


「……つまんなそう」


 呆れて、うんざりして、顔を俯かせたまま、あたしを抱きしめるキッドに言う。すると、おどけたキッドの声が耳元で聞こえた。


「そうかな? 国が盛り上がると思うよ。そうだ。カメラを用意してもらって、テレビでやろう。皆テレビにくぎ付けになるぞ」

「はいはい」


 キッドの背中をぽんぽんと叩く。


「放して。あたしは帰る」

「もうちょっとだけ」


 キッドが慈しむように、あたしを抱きしめる。あたしは俯いたまま、キッドの背中を、もう一度叩く。


「苦しい。放して」

「駄目」

「放して」

「お前さ、昨日あれだけ忠告したのに、よくもまた避けてくれたな? そんなに俺を煽って楽しい?」

「何が?」

「昼間」


(……ああ)


 にこりと笑顔を向ける。


「最高のパレードでしたわ。キッド殿下。ソフィアの演奏は素晴らしくて、リトルルビィはとても可愛かった。写真に撮りたかったわ。ねえ、リトルルビィ、本当に可愛いのよ。あの子、昨日パレードのこと言わなかったんだけど、遠回しに西区域においでってあたしを促してたの。あんたなんかよりも数倍可愛い。あのきらきらしたおめめも可愛いわ。舞も最高だった。あとでちゃんと褒めてあげて。ああ、それとソフィアは……」

「やめろ」


 キッドが不機嫌な声を出した。


「お前、婚約者の前でよくそんなこと言えるな」

「……なんで不機嫌になってるのよ」

「不機嫌になんか、なってないよ?」

「なってるじゃない」

「だとしたら、お前のせいだ」

「なんで?」

「俺のキスを避けたから」

「公共の場で不謹慎」

「挨拶だ」

「最低」

「婚約者のくせに」

「……よく言うわよ」


 あたしの目が据わっていく。


「所詮名前だけでしょ」

「正式な婚約者だ」

「正式な婚約者の前であんなことするわけ? 最低」

「……」


 キッドが眉をひそめた。


「なんでお前が怒ってるの?」

「怒ってないけど」

「怒ってるだろ」

「怒ってるのはそっちでしょ」

「明らかに不機嫌」

「それはそっちでしょ」

「すっげー怒ってる」

「怒ってない」

「なあに? 俺がお友達をメロメロにさせちゃったからかな?」


 楽しそうなキッドの声に、あたしの目が見開かれる。


(何、その言い方)


 また眉をひそめる。


(やっぱり、最低)


「……大変だったのよ。あの後」

「へえ?」

「知り合いに、喫茶店まで運んでもらったんだから」

「そう。それは良かった」

「ええ。運が良かったわ」

「だから怒ってるの?」

「怒ってないって言ってるでしょ!」


 キッドが息を吐いた。


「……怒ってるじゃん」

「怒ってない」


 むかむかする。いらいらする。喋れば喋るほど腹が立つ。

 頭の中で、胸の中で、もやもやがうずまく。

 あの時のアリスの顔を、あの時のキッドの顔を、あの時の出来事を思い出せば、なぜか、どうしてか、自分でも制御できないくらい、胸がざわついた。


「……あんた、女の子を恋愛対象として見てないなんて、嘘でしょ」

「何、突然」

「嘘つき」

「嘘じゃない。あのさ、何回も言ってるけど、俺、どうしても女の子は好きになれないって……」

「嘘つき」

「嘘じゃないってば」

「女好き」

「本当」

「女たらし」

「違うってば」

「違うのに、キスするわけ?」


 ……キッドがきょとんとした。何よ。その顔。あたしはキッドを睨む。


「昨日はあたしで、今日はアリス?」


 昨日、散々キスしてきたくせに。


「……誰とでもするのね」


 キッドが黙った。


「この、女たらし」


 あたしの声が強くなる。


「最低」


 キッドが黙る。


「汚らわしい」


 キッドが黙る。


「下品な奴」


 キッドが黙る。


「その手であたしに触らないで」


 俯いた。


「大嫌い」


 手に力が入る。


「お前なんか、口も利きたくない……!」


 次の瞬間、キッドの腕の力が強くなった。締めつけられる。


「痛い!! 離して!!」

「ごめん」


 キッドがあたしを腕に閉じ込める。そして、優しく、細い指で頭を撫でてきて、あたしのうなじに触れる。


「……ん……」


 ぴくりと体を揺らすと、キッドが唾を飲む音が聞こえた。


「ねえ、テリー」


 キッドの声が、どこか緊張したように固くなっている。


「こっち、見て」

「……なんで」


 あたしは俯き続ける。


「見たくない」

「見て」

「やだ」

「テリー、見て」

「嫌よ」


 あたしは俯く。


「絶対見ない」

「テリー」


 キッドが体を離そうとする。あたしは反抗して、キッドの体を抱きしめる。


「見たくない。やめて」

「……テリー……」


 キッドの手があたしの顎に触れる。


「やめて」

「ねえ、こっち見て」

「やだ」

「その顔、見せて」

「いや」

「テリー」

「やだ。やめて」

「ね、テリー……」

「んっ……」

「ねえ、こっち見て」


 顎を掴む手が上に上げようとしてくる。それに反抗して、横を向いて、キッドに顔を見せない。なぜか、どこか、もどかしそうに、キッドがあたしを呼ぶ。


「テリーってば、ねえ……」

「やだ」

「ねえ、顔が見たいから……」

「やだ」

「お願い。テリー」

「やだ」


 ぷいっと、そっぽを向く。


「嫌がることするなんて、最低」

「うん。ごめんね。でも、余裕ない」


 キッドがあたしの耳に囁く。


「顔見せて、テリー。ね、お願い……」

「……そうやって甘えた声出せば、誰でも言うこと聞くと思ってるんでしょう」


 むかつく。


「知らない。あんたなんて嫌いよ」


 ぷいっと、キッドから顔を背ける。


「……っ」


 キッドがぎゅううううっと、あたしを抱きしめる。


「っ!」


 胸を押す。


「離してって言ってるでしょ! 大嫌い!」

「……駄目……。……無理……」


 その声は何かを堪えるように震えている。あたしはキッドの胸を押す。


「もう嫌よ! 本当に離れて! お前なんか嫌い! 消えて!」

「……お前……、それ……。……。……もう……っとに、……かわいい……」


 キッドがあたしの頭に顔を沈ませる。ちゅ、とキスをされる。


「ん!」


 胸を叩く。手を掴まれる。


「嫌!」


 暴れる。抱きしめられる。


「っ」


 動けなくなる。


「……っ」


 大人しく、キッドの胸に顔を押し付ける。


「……大嫌い」

「……」

「嫌い。嫌い」

「……」

「嫌い。馬鹿。阿保。女たらし」

「……」


 キッドがあたしの頭を撫でた。


「……ごめんね」

「……」

「ごめんね。テリー」


 ちゅ、とキスをされる。


「んっ……やだ……」


 ちゅ、とキスをされる。


「んんっ……」


 ――ちゅ。


「……クソ王子……」

「……」


 キッドがあたしの頭を撫でる。あたしは黙る。時々、キッドを叩く。


「……」


 耳元で、キッドが優しい声で囁いてきた。


「テリー、……この後デートしよう。久しぶりに」

「……あたし、帰る」

「……行こう?」

「……行かない」

「寄り道」

「……しない」

「大丈夫。誰にも見られない所に行こう?」

「……もう帰る」

「俺も今日、あの家に帰るんだ。その前に、さ」

「あたし、……もう帰る」

「俺も帰るよ。その前の寄り道しよう」

「しないってば」

「行こうよ。テリー」

「うるさい。しつこい人って大嫌い」

「テリー」

「嫌い!」

「……美味しいパン買ってあげるから」

「いらない。じいじのご飯の方が美味しいわ」

「甘いプティング買ってあげるから」

「行かない」

「沢山お菓子買ってあげるから」

「行かない!」

「問題集、ちょっとだけならやってあげるから」

「……」

「一ページ」

「……」

「三ページ」

「……」

「一冊」

「……本当?」


 ちらっと、キッドを見上げる。


(……)


 キッドの顔を見て、もう一度睨む。


「……何、にやにやしてるのよ。気持ち悪い」

「……んー?」


 頬を緩ませたキッドがあたしの頭を撫でた。


「別に、にやにやなんてしてないよ」

「してるじゃない」

「してるつもりはないんだけどな」


 キッドがにやける。


「テリーを見てたら、にやけちゃうのかも」

「……気持ち悪い」

「うん。気持ち悪いね」


 ちゅ。あたしの額にキスをしてくる。


「んっ」

「テリー」


 囁いてくる。


「俺が好きなのは、お前だけだよ」


 あたしはキッドの腹を叩いた。キッドが笑う。


「くくっ」

「……どっか行くんでしょ。早くして」

「うん。行こう」


 キッドがあたしの左手を掴んだ。


「ちゅ」


 指輪のはめてる小指にキスをする。あたしは睨み続ける。


「……汚い。あんたの唾がついたじゃない」

「はいはい」


 キッドがそのまま手を繋ぎ、歩き出した。


「ね、俺、お前みたいに汚い字は真似出来ないけど、問題集やっちゃっていいの?」

「お黙り」

「くひひひっ」


 あたしの腕とキッドの腕が揺れる。


「あたし、門限あるんだけど」

「大丈夫。それまでには帰れるようにするから」


 キッドが微笑む。


「だから、行こう」


 キッドの頬が赤い。


「沢山構ってあげる」


 キッドの耳が赤い。


「二人だけの時間を過ごそう」


 路地裏の出口に向かって、二人で歩く。



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