第14話 10月9日(1)
じりりりりりりと、持ってきた目覚まし時計が鳴った。
(……朝か)
手で目覚まし時計を探して、手に触れて、位置を把握して、目覚まし時計を止める。
(ああ、眠い)
時計を顔の前まで持ってきて覗けば、時計の針は8時。もう少し眠っていたいけど、ベッドから抜けて立ち上がる。
(仕事してくるか……。……だる……)
ぐううっと伸びをしながらクローゼットを開けて、キッドのお下がりのシャツを着て、スノウ様に買っていただいたパンツを穿いて、靴下、スリッパを履いて、髪の毛を二つのおさげにして、小指に指輪をはめて、ジャケットとリュックを持ち、
(ん……)
ミックスマックスのストラップが揺れていて、顔を歪める。
(げっ! ……切るの忘れてた……)
ハサミはどこだ。
(……朝から面倒くさい……。帰ってきてからでいいや……)
ストラップを無視して部屋から出る。下を覗き込めば、リビングでじいじがバスケットに詰め込まれたリンゴの皮を剥いていた。
「おはよう。じいじ」
声をかければ、じいじがあたしを見上げ、しわしわの顔を緩ませた。
「おはよう。ニコラや」
「キッドは?」
「深夜に帰ってくると聞いていたが、結局、城で寝たらしい」
「……ふふっ。今日はいい朝ね」
にやりとして階段を下りる。ソファーに荷物を置いて、そのまま洗面所に行く。顔を洗い、棚に置いてあるタオルで顔を拭いた。
(よし、朝から運がいい。キッドがいないだけで平和で安全で晴れやかな気分。ああ、愉快愉快。おほほほほ)
タオルを元の場所に戻してリビングに戻ると、テーブルにジャガイモとリンゴのサラダとコンソメスープが用意されていて、あたしは椅子に座る。
じいじがあたしの傍にコップを置き、牛乳を注いだ。
「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」
握った手を離し、サラダをぱくりと食べれば、リンゴの風味がする潰したジャガイモのサラダに頬が緩んだ。
(……
じいじがあたしの正面の椅子に座って、またリンゴの皮を剥いていく。バスケットの中にはまだリンゴが沢山残っている。
「朝から仕事? じいじ」
「リンゴを煮ろうと思ってのう」
「それ美味しい?」
「美味いよ。出来たら食事に出そう」
あたしは暖炉の傍にある自分の靴をちらっと見た。
「靴、乾いたかしら」
「乾いていたよ。さっき確認した」
「そう。良かった」
「雨も止んどったよ。今日は青空じゃ」
「良い天気でよかった。お店は混みそうだけど」
「良いことじゃないか」
じいじがふっと笑う。朝食を食べながらあたしはじいじに訊く。
「……キッド、今夜は帰ってくる?」
「会いたくなったかい?」
「まさか」
「多分、仕事がひと段落してからじゃのう。書類がなかなか通らんようでな」
「書類に通るも通らないもあるの?」
「内容を整理する者や、把握する者がおっての。……何故だろうな?」
じいじが不思議そうに首を傾げる。
「なかったことにされるらしい」
「……なかったこと?」
「うむ。状況はよく分からんが、出した書類内容を確認したのに、次の日には誰かがその内容を忘れているとか」
「……皆、疲れてるのよ。ほら、キッドが急に帰ってきたもんだから。きっと城中大混乱で、急な仕事が回ってきて、忙しくて、誰の書類かどの書類か分からないんだわ」
ジェフみたいに、横にばさーーーっとやりたくなったりするのよ。
「この際、10月はお城も商店街も皆、休みに休んで、ハロウィン祭を一ヶ月開催しちゃえばいいのよ。それでリフレッシュして、11月から働けばいいわ」
「ほう。それは良い提案じゃ」
「昨日だって隣の店でハロウィン祭の準備をしてたのよ。雨降ってたから飾りつけは出来なかったけど、準備だけは進んだわ」
「ハロウィン祭の商店街は盛り上がりそうじゃのう」
「ああ、そうそう」
奥さんがぼそっと言っていたことを思い出す。
「出店をするんですって。商店街の通りの店は皆やるらしいわ。店ごとにテントを並べて、ずらーっとやるんだって。働く人もお給料が倍」
「楽しそうだな」
「どうかしらね。人ごみでレジが回らないかも。心配事だらけだわ」
はあ、とため息。
「出店では皆がレジしないといけないみたいだから、今のうちに訓練だと思ってやっておきましょうって、昨日帰る前にちらっと言われた……」
「ほう。どうだい? だいぶ慣れたか?」
「ちらほら入ってはいるけど、まだそんなにスムーズに出来ない」
「そうかい」
「今日はレジかも。そんな気がする」
牛乳を飲み干して、
「ご馳走様」
立ち上がり、皿をまとめて洗い場まで持っていく。そして洗面所に行って、いつも通り歯を磨く。うがいをして、歯を綺麗にして、前髪を弄って、よし、あたし今日も美しいと思って頷く。そのまま洗面所から出て時計を確認すれば、出るにはちょっと早い時間。
(でも余裕はあった方がいいわ。貴族はね、いつだって余裕なの)
「行ってきます」
「うぬ。馬車に気を付けてのう」
ジャケットを着て、リュックを背負って、扉を開けて外に出た。空は青空が広がっている。
(本当だ。晴れてる。昨日はあんなに雨が降ってたのに)
傘は必要ないようだ。
(あ、そうだ)
リュックのポケットからGPSと呼ばれた機械を取り出す。
(キッド曰く、音楽が聴けるんだっけ?)
無理矢理持たされたその機械からイヤホンと呼ばれる装置を装着して、耳に当てる。
歩きながらぽちぽちボタンを押すと、音楽が流れた。
(わっ)
本当に流れた。
「何これ……」
じいっと、見つめる。
「変な機械……」
そう呟いて、音楽を聴きながらゆっくり歩いて広場に向かう。足を動かして、一本道を進み、建物が見えてきて、入って、建物を進み、人が歩いていて、道を進み、人とすれ違い、広場に入って、噴水前に行く。街から見える時計台の時計は、9時27分。
(あー。楽しかった。これ、すごいわね……)
もう少しでリトルルビィが来るだろう。音楽を止めて、イヤホンを耳から抜く。
(でも周りの音が聞こえないし危ないわ。部屋の中だけにしよう)
ぽちぽちボタンを押して操作していると、機械から間抜けな音が鳴る。画面には新着メッセージが来ましたと表示された。
「ん?」
キッドからだ。
ぽちっとボタンを押すと、メッセージが表示される。
『テリー、おはよう。昨日は帰れなくてごめんね。俺も帰りたかったんだけど仕事が長引いて帰れなかったんだ。寂しい思いをしてないといいんだけど。昨日のおやすみメッセージも無視しただろ? 怒ってるの? 拗ねてるお前も可愛い。可愛いけど、その可愛いお前に会いたいから、ちゃんと帰れるように仕事終わらせてくるからね。お前も社会貢献頑張ってね。今日も愛してるよ』
ぞわっ。これが一通目。二通目を開く。
『ねえ、どう? 色々触ってみた? すごい機械だろ。あはは。じゃあね。せいぜいお前なりに良い社会貢献をするんだよ』
(うるせえ!!)
むかつく文章に目が鋭くなる。
(チッ!!)
素早く指でボタンを触った。
『くたばれ』
送信。
「ふう」
いい汗かいたわ。
(ふーん。これで向こうにメッセージが送られるのね)
ぴろりんと音が鳴る。
「ん?」
またキッドから来た。ぽちっと押せば、メッセージが表示された。
『お前、朝からくたばれって言われて気持ちいい人間がいると思ってるの? 帰ったら覚えてろよ』
(はん! 帰れるもんなら帰ってきなさいよ! どうせ仕事で忙しいんでしょ! ばーーーか! ざまあみろ! ざまあみろ! キッドのばーーーか!! そこでずっと仕事の虫になってろ!! ばーーーか!! いい気味だわ! おーーほっほっほっほっほっ!)
ぐひひひひと笑いながら機械を眺めていると、走ってくる足音が聞こえた。
(ん)
「ニコラー!」
振り向けば、リトルルビィが笑顔であたしに走ってきていた。
「あ」
あたしの手にある機械を見て立ち止まる。あたしはパンツのポケットに入れ、リトルルビィに顔を向ける。
「おはよう」
「ニコラ、それ貸して」
リトルルビィがポケットに指を差した。あたしはポケットからもう一度機械を取り出す。
「ん、これ?」
「うん!」
「どうぞ」
「ありがとう!」
リトルルビィに渡すと、リトルルビィがぽちぽちとボタンを弄り、すぐにあたしに返した。
「はい」
「何したの?」
「私の機械の番号も登録したの。これで私の居場所も分かるよ」
「え?」
地図の画面を表示させれば、項目が一つ増えている。ルビィと書かれた項目を操作して動かすと、黒丸が近くに現れた。
「それが私ね」
ふふっと頬を緩ませ、嬉しそうにリトルルビィがあたしの機械を見つめた。
「ニコラも渡されたのね」
「ええ。さっきまで音楽聴いてた」
「私も音楽入ってるの! えへへ!」
「……でも、これ居場所知られるんでしょ……」
「呼び出しされたら超便利!」
リトルルビィが自分の機械を取り出し、あたしに見せた。
「見て! 写真貼ったの!」
機械の裏に、ハートの形に切られたあたしの写真が貼られていた。
「はあ。可愛い」
なでなで。
「はあ。可愛い……。ちゅ」
リトルルビィがあたしの写真にキスをしたのを見て、手を差し出す。
「リトルルビィ、それ貸して」
「はい!」
機械を受け取ったあたしは即座に写真をびりっ、と剥がした。
「あーーーーーーー!!!」
あたしは写真をビリビリに破いた。
「あーーーーーーー!!!」
ゴミ箱に捨てる。
「あーーーーーーー!!!」
リトルルビィが膝から崩れた。
「わ、私の……テリーの写真が……」
「ニコラ」
「ニコラの写真が……」
「恥ずかしいでしょ。人の写真を貼らないの」
「ニコラの写真が……」
「行くわよ。遅刻する」
「ニコラの写真が……」
「よっこいしょ」
「ニ、ニコラの……写真が……」
白くなったリトルルビィを抱っこしてそのまま歩きだす。背中を撫でる。
「ニコラ……ニコラの写真……」
あたしの肩に手を回す。ぎゅっとされる。
「でも実物の方が素敵!」
子供は立ち直りが早い。そうやって成長していくのよ。
「あんたも渡されてたのね」
「うん! キッドがいつでも位置が把握できるようにって!」
「わざわざ探しに行かなくてもいいものね」
「それに、文章でのやり取りも出来るでしょう?」
リトルルビィがぽちぽちと弄る。すると、ぴろりんと、あたしの機械から音が鳴った。
「ん」
ルビィからメッセージと画面に表示されている。ぽち、とボタンを押すと、文章が映った。
『テリー、おはよう。今日もおさげ可愛い。大好き!!!!!』
「びっくりまーく、つけすぎじゃない?」
「文字で気持ちを伝えるって大変なのよ。テリー」
「戻ってる。ニコラ」
「ありゃま」
「おっはよーーーー!!」
横からアリスが突進してきた。
「うっ!」
「ひゃっ!」
「あら、リトルルビィ、今日は抱っこ・デーなのね! 私も抱っこしてあげるわ!」
アリスがリトルルビィを抱っこした。
「高いたかーい!」
「きゃー!」
リトルルビィが笑い、アリスが笑った。リトルルビィを抱えたまま、あたしに顔を向ける。
「おはよう! ニコラ!」
「今日も元気ね。アリス」
「ふふっ! アリスちゃんはご機嫌急上昇中なのだ!」
「何かあったの?」
リトルルビィに訊かれて、アリスの頬が赤く染まる。
「ふっふっふっふっ……」
胸元のリボンを見せる。
「どう? このリボン」
「ん」
「新しいリボン?」
「その通りよ! リトルルビィ! これは新しいリボンよ!」
「アリスはリボンが新しくなっただけでテンションが上がるの?」
「えへへへへぇ!」
アリスがでれんとにやけた。リトルルビィが瞬きをして、あたしもきょとんとした。アリスが抱っこしたリトルルビィと踊りだすように足を動かす。
「この幸せはー! アリスちゃんだけのものなのだー!」
「わわわっ! あははは!」
(……平民って大変ね。リボンが新しくなっただけでこんなに喜ぶなんて)
あたしはアリスを哀れな目で見つめる。
(いいわ。あたし、屋敷に戻ったらアリスに沢山リボンをあげよう。使ってないやつ山ほどあるから)
そんなにリボンに飢えているなんて。
(可哀想に……)
「うふふふぅ! 可愛いリボーン!」
アリスが幸せそうに、踊るように歩く。リトルルビィが笑いながらアリスにしがみつく。あたしは黙ってアリスの幸せそうな背中を見つめる。
羨ましいと思って、見つめる。
今日も一日が始まる。
(*'ω'*)
10時30分。ドリーム・キャンディ。店内。
予想通り、今日は朝からレジだった。アリスに横についてもらって、レジ業務を行っている最中、あたしは突然下半身に違和感を感じた。
(……ん?)
何か変だと思った瞬間、どろりとしたものが下着に付着した感覚が脳に伝わる。
「っ!」
びくっと体が跳ねる。
(こ、このドロッとした感じは……!!)
「ん?」
アリスが固まったあたしを見る。
「ニコラ、どうしたの?」
「……ちょっと……あの……お手洗い……」
「うん。行ってらっしゃい」
アリスがひらひらと手を振る。あたしはこくりと頷き、立ち上がり、店の裏にあるトイレにすぐさま駆け込んだ。下着を脱いで見下ろせば、付着した赤い光景に肩が揺れた。
(うっ! やっぱり!!)
生理。
(ナプキン……!)
最悪。下着汚れた。
(……まあ、下着は沢山あるし……)
最悪。このかぼちゃパンツ履きやすくて地味に好きだったのに。
(あーあ)
最悪。毎月恒例の生理が始まるなんて。
(あたしが紳士だったら、このまま何も気兼ねなく過ごせるのに……)
(……よし、もっと汚れないうちにナプキンを……)
うなだれながらトイレから出て、荷物置き場の部屋に行き、自分のリュックのチャックを開ける。そして――気づいた。
(はっ! しまった!!)
ナプキンが入ったポーチ、昨日の夜、机に置いてそのままだわ。
(ぎゃあああああああああ!! 最悪だああああああああ!!)
ナプキンが無いとぼたぼた漏れてくる! 下着が汚れる! これ以上に汚れる!! このスカートみたいなパンツにも染み込む。無理無理無理無理無理無理!!
(ふざけんな昨日のあたし! よくも忘れやがったな!)
(今までなら忘れてもサリアや他のメイドがいるから何とかなった。工場でだって看守に言えばすぐに用意してもらえた)
(……畜生……。このあたしが、こんな目に合うなんて……)
(ナプキンって薬屋に行けばあるんだっけ?)
(……)
ちらっと、思い浮かべる。
(アリス……持ってないかしら……)
誰にも生理だと気づかれないように背筋をすっと伸ばして歩き、毅然とした顔で売り場に戻り、カウンターに行くと、座って雑誌を読んでるアリスが毅然とするあたしを見る。
「ニコラ、お帰り!」
「……アリス」
「ん?」
きょとんと瞬きするアリスに近づく。そして、耳元でひそりと訊いてみた。
「……『アレ』持ってない……?」
蚊の鳴くような声で言えば、
「あ」
アリスが目を見開いて、頷き、声をひそめる。
「ここにいて」
アリスが丁寧に雑誌を置き、立ち上がり、速やかにカウンターから出て、五秒もしないうちに戻ってくる。手には時計を持った兎のデザインのポーチ。
「パス!」
投げ渡されて受け取る。ポーチを開けて中を見ると、ナプキンが数枚詰められていた。あたしの目が自然と見開かれる。
(ナプキン!)
顔を上げて、目を輝かせてアリスを見つめた。
「アリス、恩に着るわ!」
「何言ってるの! 困った時はお互い様!」
アリスがぐっと親指を立てた。
「さあ、早く行きなさい! ここは任せて! レジという名のフィールドは私が守るから! 私が倒れないうちに! さあ、早く!」
「アリス…! 分かった……! ここは任せたわ!」
「行って!」
「ありがとう!」
アリスを残して再び速やかにトイレに駆け込む。汚れた下着を少しペーパーで拭ってから、ナプキンを装着する。
(……おりものが多いからそんな気はしてたのよね……)
最近下着に染みついていた汚れを思い出して、うなだれる。
(……ついてないな……?)
パンツに血が付着してないか一度確認して、頷く。
(……汚れは大丈夫そう。……畜生。最悪…)
ため息を出しながらパンツを穿いて、手をしっかり洗い、トイレから出る。レジカウンターに戻り、そわそわしながらカウンターを守ってるアリスにポーチを返した。
「アリス。本当に助かったわ。ありがとう」
「ふふっ! そいつは良かった」
アリスが受け取り、隣に戻ってきたあたしの背中を撫でる。
「お腹大丈夫? 薬屋で買った鎮痛剤ならあるけど」
「……貰っていい? あたし、すぐ痛くなるの」
「うん! いいよ! はい!」
アリスが青い薬をあたしに渡した。
「あ」
アリスが青い薬を取り、白い薬をあたしに渡した。
「間違えた。こっち」
「ありがとう。今飲んできてもいい?」
「うん。行ってらっしゃい」
あたしは再び店の奥に引っ込んでいく。厨房の中に入り、窯で焼かれるクッキーを眺める社長の横にある水道から水を貰い、薬を飲みこんだ。
「ふう」
息を吐くと、横から手が差し出された。クッキーを持っている。隣を見ると、社長が焼きたてのクッキーをあたしに差し出していた。
「……」
あたしは受け取って、かぷりと噛んだ。もぐもぐする。
「……」
頷く。
「美味しいです」
「だろ」
社長が頷き、再び窯の中を覗き込む。あたしは厨房から出て行き、カウンターに戻る。アリスがあたしに顔を向けた。
「お帰り」
「戻ったわ」
アリスの横に座る。まだ客はレジには来ていないようだった。
「ニコラ、この時期なの?」
「ん。10日の前か、過ぎるくらいに来るのよ。……油断して、ポーチを家に置いてきちゃった」
「あるある。この時期は特に油断しちゃうのよね。季節の分かれ目だし。ぼうっとしちゃって。ニコラの場合は、仕事も始めて一気に環境が変わったでしょう? うっかりしても仕方ないわよ。……下着汚れなかった?」
「ちょっと汚れたけど、少しだけだから」
「なら大丈夫。洗えば落ちるわ」
「……落ちるの?」
「うん。綺麗さっぱり落ちるわよ。生理用の洗剤使えばね」
「そんなの売ってるの?」
「下着買うより全然お手軽価格よ。帰りにユラさんのとこ覗いてみれば?」
「ユラって、祭の準備の時に喋った人?」
「そうそう。日用品売ってるお店の店員さんなのよ」
「良い情報を聞いた。ありがとう。覗いてみる」
客が来た。
「イラッシャイマセ。コチラ、200ワドルデス」
商品を紙袋に入れる。客がお金を出す。
「1000ワドルオ預カリシマス」
レバーを回して、お金の入った引き出しが出て、レシートが出てくる。
「800ワドルノオ返シデス」
商品を渡して、ぺこりと頭を下げる。
「アリガトウゴザイマス」
客が店から出ていく。アリスとの会話の続きが始まる。
「ニコラ、薬は家にあるの?」
「ええ。専用のがある」
「ああ、専用ね。私も同じ。今は市販のやつしか持ってないけど。ニコラも重いんだ」
「相当ね」
「私もそうだったんだけど、14歳って微妙なお年頃じゃない? 胸がもやもやして、周りに反抗したくもないのに勝手にイライラして勝手に口答えしちゃう時期で、そんな時に女の子は皆、生理になるわけでしょ? もう最悪しか出てこなくない?」
「そうなの。最悪しか出てこないの」
あたしは重く重く頷いた。
「イライラしたくないのに周りがイライラさせてるのよ……。あたしは思春期特有のもやもやとイライラを精いっぱい抑えてるのよ。我慢してるのよ。なのに周りはわかってくれない……」
「そうそう。なんでイライラしてるの? って一言がイラッと来るのよ」
「そうそう! イラッとくるのよ!」
「変に気を使われるのもイラッと来るのよ」
「放っておいてって思うのよ!」
「でも状況にもよるわよね。なんでそこで放置するのって時ない?」
「あるあるあるある!」
「同じ女ならこういう話出来るんだけどさあ。ほら、果物屋さんのベッキーちゃん。あの子の家、男兄弟なんだって。お母さんはいるんだけど、共働きだから、主に家にいるのは男兄弟とベッキーちゃんで、一人で生理前にくるイライラを抑えるのが、とにかく大変だって言ってた。兄弟に相談もしにくいって」
「でも、アリス、姉妹だって生理前とかに喧嘩になるわよ」
「生理前はやばいわよね」
「やばい」
「生理前は一番イライラする時期だもんね」
「胸の中が気持ち悪いのよ」
「生理になったらだいぶ治まってくるんだけど、あの、出たら出たで、……あそこが痛くなるでしょ?」
「あの痛みなんて言ったらいいのかしら……」
「あのっ、こう、……ぐううううんって感じ!」
「そう。ぐうううんって感じ。ひりひりじゃないのよ」
「ずきずきって感じでもないしね」
「ずきずきするのはお腹よ」
「もうね、もうね! ニコラ、分かる? 痛いのよ!」
「気が付けば無くなってるあの痛み、何なのかしらね」
客が来た。
「イラッシャイマセ。コチラ、100ワドルデス」
商品を紙袋に入れる。客がお金を出す。
「100ワドル頂戴シマス」
レバーを回して、お金の入った棚が出て、レシートが出てくる。
「レシートデス」
「いらない」
イラッとして、我慢して、レシートを捨てる。商品を渡してぺこりと頭を下げる。
「アリガトウゴザイマス」
客が店から出ていく。アリスとの会話の続きが始まる。
「レシートいらないって言う奴、くたばればいいわ」
「イラッとするわよねえ……」
「特に生理中は……」
「イラッとするわよねえ……」
「なんで紳士には出ないのかしら」
「ニコラ、それはレディ全員が思ってる共通の意見よ」
「この苦しみを男女共通にしてしまえばいいのよ。世界の重力がいつもの倍になるあの感じ。体が重たくて仕方ない。動きたくなくなるのよ」
「でも働いてるマダムはすごいわよね……」
「八百屋の娘さんをこの間見かけたわ。お客さんに、生理なのよ。もう嫌ね、って言いながら、すごく機敏に動いてた」
「モニカさん?」
「ああ、その人」
「あの人すごいわよねぇ……。いっつも元気はつらつで。私、生理になったらあんな風に出来ない。ずっとぼうっとしちゃう」
「一日中眠いのよ……」
「血がどばどば出てるんだから頭の回転遅くなってもしょうがないじゃない。一週間常に注射で血を抜かれてるのと一緒。なのに学校でも先生が怒ってくるのよ。ふぬけてるって」
「むかつくわね」
「むかつくのよ」
「アリスも重いんだっけ?」
「私も相当。お医者さんから薬貰っても効かない時があるんだから。お腹痛すぎてトイレで気絶してた時もある」
「まじ?」
「まじ」
アリスと顔を見合わせて、一緒にため息を出した。
「どうして、あんなに体だるくなるのかしらね……。私なんて、働いてその後学校も行ってるから、家に帰るまで戦場で戦ってる気分よ……」
「とくに二日目」
「そう。二日目、三日目はもう、大戦争。一日中目眩してるし、お腹は痛い。胸はもやもやして、量も多い。ふざけ倒してる」
「レディだけに生理休暇を求めるわ。あたしは明日から休むわよ。アリス」
「サボりか? ニコラ、サボりか?」
「冗談よ」
肩をすくめさせれば、アリスがふふっと笑って、口角を下げて、ため息をついた。
「私、薬が無くなるたびに病院に行くの嫌なのよね」
「病院?」
「ニコラ行かないの? 産婦人科」
屋敷にお医者様がいるから、病院には行ったことがない。
(……なんて言い訳しよう)
「……その……親戚がお医者様で、その関係で家で見てもらえるのよ」
「えー、何それ。いいなあ」
アリスが羨ましそうな声をあげた。
「産婦人科、行くの嫌なのよ。変な人に声かけられるから」
「ん? 声をかけられるの?」
アリスが頷く。
「生理痛を治める薬が、……あの、……私が使ってるやつね、妊娠予防の薬でもあるの」
言いづらそうに、言葉を絞り出す。
「だから産婦人科なんだけど、産婦人科の前で待ってるとね、たまに言われるのよ」
子供が出来ちゃったのかい? 若いのに大変だねぇ。
「……にやにやしたおじさんにね、言われるの」
それだけじゃない。
「そんな薬貰うなんて下品な子ねって、陰でおばさんに言われたこともあるし……」
違う人にも似たようなこと言われた。
「病院で言われるのよ?」
なんでそんなこと言うわけ?
なんでそんなこと言われないといけないわけ?
「好きで生理になってるわけじゃないのに」
学校で、これは赤ちゃんを生むために大切なことって聞いたのに。
「なんで痛い思いまでして、そんなこと言われなくちゃいけないんだろ……」
アリスがため息をついた。
「その人達の言動と生理のだるさで、その日一日は憂鬱よ。薬代も高いし、もう病院なんて行きたくない」
それに、
「私、『他の薬』も飲んでるから、本当は生理如きで薬なんて飲みたくないのよ。あーあ、やだやだ! 薬尽くし! もう本当にやだ!」
「アリス、病気なの?」
訊けば、アリスが首を振る。
「ニコラ、この健康な体が病気に見える?」
「でも、薬飲んでるんでしょ?」
「安心して。病気ではないから」
病気じゃない。
「病気じゃないから、私こんなに健康なの」
でもね、
「毎日、その薬飲まないといけないの」
病気じゃないけど。
「似てるもの」
アリスが微笑む。
「まいっちゃうわよね。女って大変」
アリスがさりげなく話題を変えた。これ以上は踏み込んでくるなと言うように、話題を変えた。
(……病気じゃないけど、似てるもの? ……何それ?)
とてもそんな風には見えないけど。
(ま、あたしには関係ないか)
また客を待ちながら、アリスと会話を続ける。
「思春期特有の時期の生理って辛いわよね。ニコラ、愚痴りたくなったらいつでも言って。相槌なら打ってあげる」
「そうね。その時はお願い」
「大丈夫。もやもやしてるのは今だけよ。経験したからわかるけど、一年経つだけでだいぶ落ち着いてくるから。……まあ、人によって変わってくるけど、でも、私も去年よりはだいぶマシになったのよ? 去年のもやもやは酷かったんだから! でも見て! この輝く私を! アリスちゃん、今日も絶好調よ!」
「……このもやもや取れるかしら?」
(あたしは年がら年中もやもやしてるのよ。全部メニーのせいだわ)
「イライラして仕方ないの」
「そういう時期なのよ。仕方ない仕方ない」
これは受け入れるしかない。女として生まれた定めだ。
「何かあったら愚痴を言い合いましょう? 気持ちなんて分かる人にしか分からないのよ? ニコラと私は一つ違いだし、女の子同士だし、ニコラの愚痴ならいつだって聞いてあげるわ。その代わり私の愚痴も聞いてくれる?」
「別に、愚痴くらいなら黙って聞くわ」
それよりも、
「アリス、薬を貰う病院を変えたら? 嫌な人達が集まる病院なんか、行く必要ないわよ」
「……病院ね。どこがいいかしら。知らない病院って入りにくいのよね」
「住所どこ?」
「西区域の……」
場所を聞いて、考えてみる。
「……」
にこりと笑顔を浮かべる。
「アリス、ボランティア活動をしている人が院長の総合病院があるはずよ。知らない? あの、木で覆われてる……」
「ああ、あそこね。駄目よ。あそこの病院高いじゃない」
「院長がママの知り合いなの。紹介状をあげるわ。そしたら安くしてくれるから」
「え、本当?」
「ええ。頼んでみる」
「やった。ありがとう。助かるわ。薬がもう少しで切れそうだったから」
「早めに伝えておくわ」
「ありがとう。そうしてくれると本当に嬉しい」
アリスが胸を撫でおろした。
「私もね、最近胸がもやもやしてきて、お腹ももちょもちょしだして、とても気持ち悪いの。だから、……多分近いんでしょうね」
アリスがうなだれる。
「最近アレにもなってるの。あの、プラスに考えればいいのに、マイナス思考になってくる、不安でしょうがなくなる、生理前特有のやつ」
「気分が下がるやつね。あれすごくやだ」
「毎回毎月女だけに起きるんだから、本当に嫌になる」
あーあ。
「なんで女だけなのかしらね? 不機嫌になりたくないのにイライラしちゃうわよ。こんなんじゃ」
アリスがうんざりげにため息をついた。
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