第13話 10月8日(6)


 16時50分。西区域公園。ガゼボ。



「……来ると思っていたよ」


 レオがくすっと笑った。


「君は僕に言わなきゃいけないことがある。そうだろ? 妹よ」


 レオがテーブルに優しくストラップを置いた。糞ダサい何も可愛くもセンスもないそのキャラクターストラップ。


「さあ、言うがいい」


 このストラップに頭を下げるんだ。


「湖の真ん中奥深くの底に投げてしまってごめんなさい!! はい!! 復唱!!」

「あたしが貰ったのよ。このストラップを投げようが捨てようがあたしの勝手でしょ」

「よく見ろ! ニコラ! これは! 限定品で! 数が限られてるの! いつでも手に入るわけじゃ! ないの!!」

「知らないわよ。そんなの」


 言い切ると、レオがテーブルに突っ伏して、めそめそ泣き出した。


「畜生……! ぐすん! 大切な妹だから……! ぐすん! 僕はあげたのに……! ぐすん! これあげたのに!! ぐすん!」

「そんなダサいのいらない。あんたがつけてれば?」

「そう言わないで。ほら」


 ひょいとリュックが奪われる。


「あっ、ちょっと!」


 ちょちょいのちょいと、レオが紐を結んだ。


「はい」


 リュックを返される。


「……何したのよ?」


 リュックを見下ろせば、


「はっ!!」


 リュックの横のポケットに、糞ダサいミックスマックスのストラップが笑顔を浮かべてぶら下がっていた。


「あーーーー! あたしの美しいリュックがとんでもなく糞ダサいリュックに!!」


 紐を解こうと指でつまむが、


「ぐっ……! 固い!」

「はっはっはっはっ! どうだ! 見ているとどんどん愛しくなってくるだろ! これがミックスマックスの魅力さ!」

「……てめえ……よくもやってくれたわね……!」


 向かいに座るリオンをぎろりと睨みつける。


「恥ずかしくてこのリュックもう使えないじゃない! どうしてくれるのよ!」

「何を言うか! ニコラ! 最先端のブランドをつけているそのリュックは何よりも輝いている! 今はダサいと嘆いていても、いずれ分かるさ! そして、君は僕に泣きながらこう言うんだ! レオお兄ちゃん! あの時はあたしのリュックにこの限定ストラップをつけてくれて、ありがとう! ってね!」

「言うか! 誰が言うか!」


(くそ! くそくそくそぉ……!)


 固く結ばれた紐はハサミで切らないと解ける気がしない。


(帰ったら切ってやる! 速攻で切ってやる!)


「さてと、待ち合わせたのはいいが、この雨だ」


 大量の雨は今も降り続いている。


「街を歩くにしても、足が濡れてしまうな」

「今日はもう解散しない? あたし、今すごく家に帰りたいの」


(このストラップの紐を切りたくて仕方ないのよ!)


 いじいじとストラップの紐を一生懸命弄っていると、湖の方から声が聞こえた。


「ん?」


 レオが怪訝そうな顔で振り向く。あたしも湖の方を見る。


「あれ? 何やってるんだ?」


 リトルルビィよりも幼い子供達が数人、湖の前で騒いでいる。


「ニコラ、ちょっとここにいて」

「ん」


 頷いて待機。レオが傘を差して湖の前に走っていく。


「こら。君達、危ないよ。何やってるんだ?」

「助けて!!」


 子供達が一斉にレオに振り向いた。


「マイクが戻れなくなったんだ!」


 レオがはっとして湖を見た。あたしもガゼボから遠くを見た。雨で増えた湖の中心で、子供が必死に手をばたつかせていた。


「あ」

「っ」


 レオが口を開く前に、傘を投げ、ブレザーとベストを脱ぎ捨て、靴と靴下を脱ぎ捨て、湖に飛び込んだ。


「あ、ちょっ!」


 あたしは手を伸ばすが、何も出来ない。子供達は泣きそうな顔で泳いでいくレオを見つめる。


(誰かいないの?)


 辺りを見渡すが、雨に濡れた黒馬に乗った男も、銀髪の兵士もいない。


(……役立たずめ)


 レオが湖の中心に辿り着いた。波が大きく揺れる。レオが子供に手を伸ばした。


「さあ! 大丈夫! 僕に掴まって!」

「っ」

「大丈夫! さあ、もう大丈夫だ!」


 子供がレオに抱えられる。


「そのまま離すんじゃないぞ!」


 波が揺れる。雨が振る。レオが華麗に泳いでいく。子供達が信じて見つめる。波が揺れる。レオが子供をしっかり抱えて岸にたどり着いた。子供を先に陸へ押し戻す。


「マイク!」

「わああ!」

「良かったー!」


 子供達がマイクに傘を差し、上着をマイクに着せた。マイクは体を震わせている。顔も青い。


「よいしょ」


 レオが陸に上がり、すぐに指を咥えて音を鳴らした。すると、道の向こうから馬の足音。


「リオンさばあああああああああああああああ!!!」


 濡れたグレタが黒馬を走らせる。びしょ濡れの子供達を見て、はっとする。


「こ、これはいけない! 一体何があったのですか!」

「こっちが聞きたいよ。なんで湖にいたんだ。危ないだろ」


 レオが子供達に言うと、子供達が泣きながら説明を始める。


「あの、……競争してて……」

「競争? この雨の中?」

「マイク、虫が嫌いで……」

「それで、あの……」

「こいつ、マイクを弱虫だって言って」

「それで……」

「でも、マイクが言ったんだ。今日なら絶対泳げるって!」

「でも、こんなことになったじゃないか……」

「お前らだって止めなかったくせに!」

「結構だ」


 言い争う子供達にレオがストップをかけた。


「全員悪い。止めなかった方も、競争に乗った君も、提案したマイクも」


 座り込むマイクと目線を合わせるため、レオがしゃがんだ。


「いいかい。マイク。もう二度とやるんじゃないぞ。次はないからな」


 レオがマイクの頭を撫でた。


「強者ってのは常に余裕を持つ奴を言うんだぞ。いいか。虫が嫌いで何だ? 言わせたい奴には言わせておけばいいんだ。そんなことよりも、君の好きなものはなんだ?」

「……」


 マイクが深呼吸して答えた。


「……サッカー」

「そうか。サッカーが好きか。じゃあサッカーで勝負するんだな。もう湖で競争なんてするんじゃないぞ。いいな?」


 マイクが頷くと、馬車が近づいてきた。グレタが黒馬から下りて、子供達に寄り添う。


「さあ、良い子の子供達よ! あの馬車に乗るんだ! 病院に行くぞ!!」

「げっ。病院?」

「俺、注射嫌いなのに……」

「マイクに弱虫って言った天罰さ」

「グレーテル、あとは任せるからな」


 グレタが頷き、マイクを先に馬車に乗せ、どんどん子供達を入れていく。御者が馬を走らせ、後ろにグレタがついていき、一緒に馬を走らせていく。馬車と黒馬を見送り、ようやくレオが投げたものを拾い始めた。濡れたまま傘を差してガゼボに戻ってくる。


「はっくしゅん!」


 くしゃみをして、体を震わせた。


「あああ……死ぬかと思った……」


 ふらふらとレオがベンチに倒れこむ。


「寒い……。酷く凍える……」

「あんたも馬車で帰れば良かったのに」

「お兄ちゃんは……妹を……置いて行ったりはしない……」

「あの子達何してたの?」

「……ああ」


 レオが鼻をすすって起き上がる。濡れたものたちを椅子の背もたれにかけ、ベストを掴む。


「弱虫だって言われてムキになった子が、競争して戻れなくなったんだって」


 レオがベストをぎゅっと捻れば、水がたくさん落ちてきた。


「まあ、気持ちは分かるよ。僕も同じようなことがあったから」


 水溜まりが出来る。


「昔、キッドと勝負をしたんだ。夜中に一人ずつ森に入って、一本道を進んで、先に森から出れた方の勝ち」

「……くだらない」

「くだらないだと? 僕にとっては真剣な勝負だった」


 これに勝てば、少しはキッドを見返せると思った。


「でも、そうはならなかった」


 結局、勝ったのはキッド。


「僕は暗い森の木がおばけに見えて、動けなくなってしまったんだ。あまりにも遅いと心配したじいやが、……あの、そういう、面倒を見てくれてた人がいて、その人が助けに来てくれたんだ」


(……じいじがリオンを助けに言ったのね)


「泣きべそかいて森から抜け出すと、キッドは僕を抱きしめて言った」


 ――もう、心配したんだぞ。だからやめようって言ったのに。さあ、もう帰ろう。リオン。お前は本当に手のかかる可愛い弟だな。





「そんなこと、思ってないくせに」






 レオが忌々しげに呟いた。


「……ニコラ、キッド殿下は誰にでも笑顔を向けると思うだろ? 優しいと思うだろ?」


 レオが湖を睨んだ。


「あの人、大の弟嫌いだよ」

「……キッド殿下が?」

「ああ」


 レオが湖を見つめる。


「嫌われてる」


 雨が降る。


「多分、一番嫌われてる」


 リオンは分かっている。


「……どうしてかな。物心ついた時からそうなんだけど」


 リオンが瞼を閉じた。


「僕が剣を欲しいと思えば兄さんが手に入れて、兄さんが人脈を欲しいと思えば僕が手に入れて、お互いの欲しいものと手に入れるものは、まるで正反対」

「いらないのに手に入れて」

「それを上手く使えない」

「兄さんは上手く使う」

「でも、僕は使えない」

「だから抵抗してみせる。兄さんの真似をして」

「そのせいだろうな」

「僕がしつこく兄さんの真似をするから、うんざりしてるんだろうさ」

「でもさ、そうしないといけないんだ」

「だって、兄さんは優秀だから」

「僕は何も出来ないから」

「遠すぎる」

「天才過ぎる」

「無理」

「……ついていけない」


 レオが瞼を上げる。キッドと同じ青い目が、雨の降る湖を見つめる。濡れた髪の毛から雫が落ちて、レオの肌を伝っていく。全身シャワーを浴びたようにびしょ濡れ。

 あたしはリュックの中から取り出して、差し出す。


「ついていけなくて当然よ」


 レオがあたしに顔を向けた。


「キッド殿下の分身でもないのに、同じことが出来るとでも?」


 今朝、奥さんから借りてそのまま返すのを忘れていたタオルをレオに差し出す。レオがタオルを差し出すあたしを見て、きょとんと瞬きした。


「……これ、あたしが使ったやつだけど、使う?」

「……妹の使ったものなら、お兄ちゃんは気にしないよ」


 タオルを受け取って、顔を拭い、頭を拭う。あたしはそれを眺める。


「レオ、一つ良いこと教えてあげる。あんたが苦しんでいるのは無駄な劣等感があるからよ。自分には無理だって思って、プライドを捨てて、諦めたら楽になるわ」

「そういうわけにはいかないよ。さっき、僕の活躍見た? すごかっただろ。子供達のヒーローだ。キッドよりもずっとね」

「……顔青いわよ。今日はもう解散した方がいいわ」

「そうだな。解散だ。僕も濡れてしまったし。体が震えて仕方ない。風邪をひいたら、明日ここに来られない。今日は帰ろう」

「明日も今日みたいなことやるの?」

「今日みたいなことがあればね」

「部下達にも手伝ってもらって?」

「そうだよ。僕一人ではどうにもならない」

「あたし必要ある?」

「何言ってるの。必要だよ」


 レオが微笑んだ。


「君がいないと、タオルも貰えなかった」


 レオがタオルを畳んだ。


「これ、洗濯して返すよ」

「駄目。今返して。それ借り物なのよ」

「うん? そうなの?」

「ええ。だから家で洗濯して返さないと」

「そう。そういうことなら分かった。返すよ」


 レオがタオルをあたしに返す。少し湿っている。リュックの中に詰めると、レオが濡れた靴を履いて立ち上がった。


「解散だ。ニコラ、送るよ」

「いらない」

「……送るよ。傘差してるんだから、顔なんて誰も見ないさ」

「あんたと歩きたくない」


 ずばっと言うと、レオが白目を剥いて胸を押さえた。


「へ、平気さ……。強者は常に余裕を持っているんだ……。……胸なんて痛くないよ…」

「さようなら」


 リュックを持って立ち上がると、レオがガボゼの出入口を塞いだ。じっと、レオを睨む。


「……邪魔」

「ニコラ」


 レオが人差し指を立てた。


「一つ、忘れてる」

「ん?」

「今日僕と会ってから」


 一度もお兄ちゃんって、呼んでないじゃないか!


「レオって、呼んだわ」

「お兄ちゃん! レオお兄ちゃんって呼ばれてない!」

「……」


 あたしはため息を吐いて、ぎろっとレオを睨んだ。


「レオオニイチャン、ソコドキナサイ。クタバレクタバレ」

「はい、よくできま……」


 ん?


「くたばれ?」

「さようなら」


 傘を差してガゼボから出る。後ろからレオが濡れた荷物を持って追いかけてきた。


「ねえ、今くたばれって言った?」

「はあ。お腹すいた」

「ニコラ、お兄ちゃんにくたばれって言ったの? ねえ、今くたばれって言ったよな?」

「今晩の夕飯何かしら」

「ニコラ? ニコラってば。ねえ、ニコラ、ねえ! 汚い言葉はよくないんだぞ! ねえ! 無視しないで! 無視やめて! ねえ! ニコラ!!」


 あたしとレオが歩く中、公園には人通りがなく、雨は大量に降り続いていた。



(*'ω'*)



 18時。



 リビングに入ると、ソファーでくつろいでいたじいじが、びしょ濡れのあたしを見て、にんまりと口角を上げた。


「これは、また、派手に濡らしてきたのう」

「……ごめんなさい。じいじ」

「靴を脱いで。先にお風呂に入りなさい」

「はい」


 暖炉の前に靴を置いて、裸足で二階の部屋に行き、荷物を置いて着替えを持ってくる。部屋から出て、廊下を歩いて、階段を下りて、脱衣室に入る。


 扉を閉めて、雨で濡れた服を脱ぐ。


「ああ、やっと脱げた」


 朝から濡れていた靴下からやっと解放された。


(今日は足を念入りに洗わないと。泥と雨水でぼろぼろだわ)


 浴室でシャワーを浴びる。温かいお湯にほうっと息が漏れる。


(シャワー最高。工場でもシャワーだけは最高だったわ。ゆっくりお風呂に入れるって幸せ)


 スポンジで体を洗って、くまなく丁寧に洗って、シャワーで泡を落として、綺麗になった体で湯船に入る。


「よいしょ」


 お湯が温かい。


「ふう」


 肩まで浸かって、再び息が漏れる。


(疲れた……)


 ぼうっと、お湯に体を預ける。


(なんだか今日一日、妙にひやっとすることが多かった気がする)


 朝はあのとんちんかんな双子に絡まれて、

 図書館ではソフィアに絡まれて、

 昼はメニーに構って、

 夕方は泣きわめくリトルルビィに構って、

 レオが湖に飛び込んで、


「あ」


 声をあげて、はあ、と息を吐いた。


「……アリーチェのこと言うの忘れてた……」


 残り20日。


「約三週間後」


 惨劇が起きる。


(……でも、一つ収穫があった)


 泣いて助けを求める子供達を見て、迷うことなく湖に飛び込んだレオの姿は、


(間違いなくリオン様だった)


 あたしが好きになったリオン様だった。


(もう好きじゃないリオン様)

(胸もときめかない)

(ときめかせたところで)


 彼が選ぶのはメニーだけ。


「だる」


 呟く。


「何がお兄ちゃんよ」


 呟く。


「何が妹よ」


 呟く。


「てめえもキッドと同じよ」


 だるい。


「人を利用しやがって」


 あたしが利用してやる。


「何としてでも、あたしの未来のために、手柄を取るのよ」


 にやりと笑う。


「頼りにしてるわよ。レオお兄ちゃん」


 憎しみをこめて、忌々しく、ここにはいないその名前を呼んで、あたしは湯船から出た。






( ˘ω˘ )







 ジャック ジャック 切り裂きジャック


「嘘つき」


 ジャック ジャック 切り裂きジャック


「泳げるって言ったくせに」


 切り裂きジャックを知ってるかい?


「ジャックの嘘つき!」


 ジャックはお菓子がだぁいすき!


「ちょ、ちょっと、何するんだよ!」


 ハロウィンの夜に現れる。


「ひっ!」


 ジャックは恐怖がだぁいすき!


「わああああああああああ!!」


 子供に悪夢を植え付ける!


「わああああ! わっ! わあああああああ!!」


 回避は出来るよ! よく聞いて。


「ぎゃっ!」


 ジャックを探せ。見つけ出せ。


「えっ!?」


 ジャックは皆にこう言うよ。


「ひぎゃっ!」


 お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!


「あっ、やめて!」


 ジャックは皆にこう言うよ。


「トリック・オア・トリート!」

「あ……」

「オ菓子クレナキャ悪戯スルゾ!」

「あ、ま、待って」


 ごそごそ。


「お、お菓子……」

「サア、チョウダイ!」

「あれ、なんで無いの? 僕、ちゃんと入れたのに」

「無イノ?」

「あるよ。あるけど……」


 ごそごそ。


「あるよ。だって、寝る前にポケットに……」

「ケケッ」


 皆でジャックを怖がろう。


「えっ」


 お菓子があれば、助かるよ。


「えっ」


 皆でジャックを怖がろう。


「へっ……」


 お菓子が無ければ、死ぬだけさ。


「ええっ……」


 ジャック ジャック 切り裂きジャック


「あっ、やめて……」


 切り裂きジャックを知ってるかい?


「やめて!」


 ジャック ジャック 切り裂きジャック


「やあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」




 切リ裂キジャックヲ知ッテルカイ――?



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