第13話 10月8日(3)

 11時20分。中央図書館。



「やっぱり、この時間帯は人がいないわね」


 アリスががらんとした図書館を見回す。


「私ね、いつも図書館に入るたびに思うの。あのシャンデリア素敵」


 天井にぶら下がるシャンデリアを通り過ぎ、アリスと受付カウンターに向かう。担当はソフィアではない。


(よし、今日は良い日だわ)


 ぐっと拳を握ると、アリスが司書の男性に声をかけた。


「こんにちは! ドリーム・キャンディです!」

「ああ、伺ってますよ。雨の中ありがとう。大変だっただろ」

「とんでもないです!」


 男性司書が微笑み、カウンターの端に指を差す。


「そっちに置いてくれるかい?」

「はい!」


 アリスが元気に返事をして、飴玉が入ったバスケットをカウンターの端に置く。あたしも置いた。


「ふう。重かった」


 アリスが息を吐いた。


「飴玉って一粒だと軽いくせに、大量にあると重いわよね」

「アリス、疲れてるの?」

「だって思ったよりも重かったんだもん。びっくりしちゃった」


 唇を尖らせたアリスを見て、男性司書が笑った。


「ははは。お疲れ様。ドリーム・キャンディの奥さんに連絡しておくよ。お代はこれね」

「ありがとうございます」


 アリスが封筒を受けとる。


「領収書もこの中に入ってるから、よろしくね」

「かしこまりました! ニコラ、戻ろう」

「ん」

「サイモンさん」


 困った顔をした司書が受付カウンターに歩いて来た。


「とりあえず、向こうに本置いておきました」

「ああ、ありがとう」

「でも、どうします? 人手が足りなくて……」

「あ」


 アリスがサイモンと呼ばれた男性司書に振り向いた。


「あの、実は奥さんから、どこもかしこも人手足りてないだろうから、何かあれば一時間くらいやってこいって、言われてるんです。私達で良かったら何かお手伝いしますか?」

「本当に?」


 サイモンが頬を緩ませた。


「助かるよ。ぜひ頼みたい」


 サイモンが指を差した。振り向くと、大きな箱が大量に近くのテーブルに置かれていた。


「あの箱の中に本が入っているんだ。順番のシールが貼ってあるはずだから、その順番に並べて置いてくれないか?」

「テーブルに並べればいいだけですか?」

「うん。頼める?」

「それなら出来そう。ニコラ、やるわよ」


(……面倒くさい)


 そう思うが、黙って頷き、笑顔のアリスとテーブルに歩いていく。二人で向かい合って箱を開けると、一つの箱に何十冊も本が入っていた。本の側面にシールが貼ってあり、字が書かれている。


「なるほど、これを並べるのね」


 A-1、A-2、A-3。


「これはなかなか単純作業。ニコラ、手分けしてやりましょう」

「あたし、Bから始める」

「なら、私はAからやるわ」


 作業を始める。あたしはBから本を並べていく。


(目がしんどくなりそう……。……うえっ。埃だらけ。……手が痒くなってきた……)


「……お菓子屋なのに、図書館の仕事まで手伝うのね」

「今、お祭の準備で皆忙しいから、助け合わないと。ちょっと前にもあったのよ。レストランの店員が、食べに行った居酒屋のお皿洗いをしてたり」

「そんなに人手がないなら雇えばいいのに」

「ふふっ。雇っても手が足りないのが現実よ。でも、そのお陰で、多くの国民の貧困は免れてるみたい。犯罪とかも例年より少なくなったって新聞に書いてあったわ。紹介所の力もあるんだろうけど、すごいわよねえ。あんな会社誰が思いついたんだろ。ね、ニコラもそう思うでしょ?」


 二人で本を並べていく。


「ああ、手がむずむずする」

「分かる」

「お金持ちは今頃リッチな生活してるんでしょうね。下働きの私達のことなんか知らないって顔で、エステでも行って楽しんでるに違いないわ」

「皆働けばいいのよ」


(メニーも、アメリも)


「働いたら、あたし達の苦労も分かるわ」

「そうよね。大変よね」

「アリス、Aが紛れてたわ」

「ありがとう。それ探してたの」


 本を並べていく。


「姉さんが羨ましいわ。きっと今頃帽子を触ってるのよ」

「アリスのお姉さんも実家で働いてるの?」

「そうよ」

「仲良いの?」

「いいけど」


 アリスが言った。


「嫌い」

「ん?」

「でも好き」


 アリスが本を並べていく。


「ニコラ、私のこと嫌いにならないでね」


 本が積まれていく。


「私ってね、劣等感の塊なの。どうしてだと思う? それはね、完璧な姉さんがいるからよ」


 アリスが目を細めた。


「すごいのよ。あの人。人から愛される天才なの。姉さんが笑えば、皆が笑顔になる。姉さんが喋れば、皆が笑う。姉さん本当にすごいの」


 アリスが表情を曇らせた。


「私が欲しいもの、全部、簡単に持っていく」


 本が高く積まれていく。


「……不器用な私とは、大違い」


 アリスが手を動かした。


「昔から、姉さんはちょっと頑張れば結果を出せるの。私が一ヶ月頑張ってようやく出来ることが、姉さんはほんの五分で出来ちゃうの」


 だから皆、姉さんを選ぶ。


「私はおまけ」


 アリスが本を積んだ


「出来の悪い妹で、誰にも相手にされない」

「そんなことないわ」


 あたしは否定する。


「アリスは皆に好かれてるじゃない」

「好かれてないわよ」

「アリスが笑うと、皆が笑うわ」

「馬鹿にしてるだけ。私、不器用で阿保でしょう? 手元がおぼついて、失敗ばかり。またあんたはって奥さんは笑うけど、他の皆はどう思ってるか分からない」

「本気でそう思ってるの?」

「うん」


 アリスが頷いた。


「認められたことなんてないもん。比べられて、怒られてばっかり」


 アリスが顔をしかめた。


「何が違うのかしらねー? 同じ血なのに」


 アリスがふくれっ面で手を動かす。あたしはそんなアリスを見る。


「私ね、優先順位がつけられないのよ。何をしていいか分からなくなって、結局後回しになって、最後に泣きを見ることになるの。バイト中もそうよ。忙しいとすぐにパニックになっちゃうの」


 アリスが笑う。


「困ったちゃんよね。うふふっ!」

「……でも、頼りになるわ」

「リトルルビィの方が頼りになるわ。あの子まだ12歳なのに、すっごく大人びてて!」

「あたしはアリスが好きよ」


 ――アリスの手が止まった。きょとんとあたしを見る。


「あたしは、……友達だって言ってくれて、すごく嬉しかったもの」


 あたしは手を動かす。


「初日だって、丁寧に仕事教えてくれたじゃない」


 傍にいてくれて、どれだけ心強かったか。


「……言いたい奴には言わせればいいわ」


 誰も知らないなら、あたしだけが知っていればいい。


「アリスは頼りになるし、出来も悪くない。不器用だって自覚があるから誰よりも積極的に頑張ってるじゃない」


 アリスを見る。


「アリスが頑張ってる姿ってかっこいいわ。羨ましいし、憧れる」


 アリスがきょとんとしている。あたしは視線を逸らす。


「……それだけ」

「……」


 アリスが笑った。


「……そんなに褒められたことないから、びっくりしちゃった」

「……」

「ニコラ」


 アリスがあたしの顔を覗き込んだ。


「ありがとう」


 向日葵が咲く。


「とっても嬉しい」

「……手動かして」

「うん!」


 アリスがにこにこと手を動かした。


「ニコラから有難いお言葉をちょうだいしたから、私、なんだかやれそうな気がしてきたわ!」

「アリス、そこの順番ずれてる」

「うわ! 嫌だわ! ありがとう! ニコラ! あっぶね!」


 アリスが順番を整えた。


「はあ。図書館のお仕事って楽なものかと思ってたけど、意外と難しそうね」

「細かくて面倒くさいわ」

「正直順番なんてどうでも良くない? お目当ての本が見つかれば文句ないわ」

「分かる」

「まさか、本の順番如きで文句を言う理不尽な人いないでしょうね……」

「……いるから今こうして並べてるんじゃない?」

「……だとしたら、どれだけ常識無いのよ……。ニコラ、私達は絶対に良い子ちゃんでいましょうね?」

「あたし達良い子ちゃんよ。こうやって仕事を手伝ってるんだから。十分社会貢献してるわ。ご褒美があってもいいくらいよ」




「ご褒美が欲しいの? 何がいい?」




 くすす。





「っ」


 耳元で聞こえた笑い声に一瞬でぞっとして振り向くと、ソフィアがあたしのすぐ傍でにこにこしていた。アリスがソフィアの美しさに見惚れてぴたっと固まる。そんなアリスにソフィアが微笑む。


「こんにちは。お手伝いしてくれてるんだって?」

「こっ!! ここ! こんにちはぁ!!」


 アリスの緊張して漏れた大きな声が、図書館中に響き渡った。


「くすす。元気のある子だこと」

「へ、へへっ!」


 色気のあるソフィアの視線にアリスの顔が赤らみ、頭を掻く。あたしはじっとソフィアを睨む。


(……何の用よ)


 ソフィアがチラッとあたしを見た。黄金の瞳と目が合う。


(あたし達作業中なの。見て分かるでしょ。消えろ。どっか行け。しっ、しっ)


 目で訴えると、ソフィアがにこりと微笑んだ。


(ん?)


 あたしの手を握り、アリスに見せるようにあたしの手を上げた。


(あ?)


「ねえ、良かったらこの子借りてもいい? ちょっとこっちを手伝ってもらいたくて」

「は?」


 眉間に皺を寄せた。


「司書さん、あたし行きませんよ。今、この子と作業中なんです」

「駄目?」


 ソフィアがあたしじゃなくてアリスに訊くと、アリスが顔を真っ赤にさせて、ぺこぺこしながら手であたしを差した。


「どうぞどうぞ! ニコラで良かったら、こき使ってやってください!」

「えっ」

「くすす。ありがとう。助かるよ」


 ソフィアがあたしの手を引っ張る。


「ちょ」


 あたしはアリスに手を伸ばした。


「アリス!」

「頑張ってね! ニコラ! ちゃんと良い子ちゃんでお仕事するのよ!」


 ソフィアに心を奪われたアリスが、元気にあたしに手を振る。


(なんてこと! アリス! 目を覚まして! こいつ、とんでもなく嫌な奴なのよ! 助けてアリス!! アリス! SOS!)


 あたしが失望の目でアリスに助けを求めていると、ソフィアが呟いた。


「ニコラ、ね……?」


 ソフィアがくすす、と笑って呟いた。


「なあに? それ? 君、ニコラって呼ばれてるの?」

「……うるさい。よくも友達との会話を邪魔してくれたわね。せっかく仲良く作業してたのに」

「ドリーム・キャンディの従業員なんだ?」

「悪い?」

「ねえ、お嬢様、そろそろ教えてくれない? 君の身に何があったか。結局可愛いミニマムルビィも教えてくれなかったし」

「……笑うでしょ」

「話次第かな」

「……メニーのせいよ」

「ん?」


 ――かくかくしかじか。


「あーあ」


 ソフィアがくすっと笑った。


「またやらかしたね」

「だってあいつが悪いのよ」

「くすす」

「ねえ、くだらないと思う?」

「くだらないの価値は人によって違うから」

「……あたし悪くないのに」

「なるほど。それでその服か」

「キッドのお下がりなんて汚せるからよ」

「メニーとは仲直りした?」

「した」

「そう、それは良かった」

「くそ、メニーの奴め。味のないシチュー関連でこんなことになるなんて……」

「メニーも成長したね」

「そもそもあんたのせいよ。あんたがメニーに催眠なんてかけるから……」

「私、何も悪くないと思うんだけど」


 事情を説明しながらメニーとソフィアを責め、ソフィアは首を傾げる。ソフィアと手を繋いで二人で進む。関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉を開けて、あたしを中に入れた。ようやく手が離れる。狭い倉庫。本棚がずらっと並んでいる。


「で、結局なんて呼んだらいいの? ニコラ? テリー?」


 ソフィアが扉を閉めて振り向く。あたしはむすっとして、腕を組んだ。


「ニコラ」

「ニコラね」


 くすすっと笑って、


「さすがビリー様。良い名前」


 ソフィアが柔らかく微笑んだ。


「感想を聞きたい。どう? 身分を隠して働いてみて」

「楽しいと思う? 接客業なんて二度とやるもんか」

「ふふ」

「あんた、余計なことしないでよ?」

「余計なことって?」

「……店に来たら殴るから」

「おや、どうして私の計画が分かったの? 君は私の心が読めるの? もしくは探偵業でも目指し始めた?」

「やめろ! 絶対やめろ! 絶対来るな!」

「それは振り? 来てねっていう君からのラブレターとして捉えていいのかな?」

「あたしはね、無事に平和に安全に、この一ヶ月を終わらせたいだけなのよ! 汗水流して働いてるところなんて見せたくないのよ! お前とキッドには特にね!」

「私が働く姿は見に来るくせに」

「本を借りたいのよ! 仕方ないでしょう!」

「じゃあ私も行っていいはずだ」

「嫌だっつってんのが聞こえなかった!? 来るなっつってんでしょう!」

「私もお菓子が欲しいんだよ。テリー」

「絶対嘘だ」

「さあ、どうかな」

「何が目的よ」

「君の働く姿が見たい」

「嫌だっつってんだろ!!」

「くすすすすす!!」


(くそう……! 楽しそうに笑いやがって……!)


 ぎっ、とソフィアを一回睨んでから、すぐに視線を逸らす。切り替えなければ。


「からかいは結構。仕事があるんでしょ」

「ああ、そうそう」


 ソフィアが扉から離れた。あたしは本棚を眺める。


「とっとと終わらせるわよ。何したらいいの? 本の整理?」

「ねえ、ニコラちゃん。何でもしてくれる?」

「テリーと違ってニコラちゃんはとっても良い子なのよ。言われたことは全力で真面目に取り組むの」

「それじゃあ、全力でしてもらおうかな」


 ソフィアが口角を上げた。


「私の恋の相手を」


 ……。


「……は?」


 あたしは振り向いた。



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