第8話 カーニバル終了、四日目(2)


 黙って椅子に座る。向かい正面には黙ってベッドに座り、瞼を下ろしたキッドがいる。

 ビリーがキッドを見て、あたしを見て、頷いた。


「ごゆっくり」


 ビリーが部屋の扉を閉めた。部屋にあたしとキッドが残される。

 部屋に沈黙が訪れる。あたしの口は開かない。先にキッドが瞼を上げた。その黒に近い青い目が、あたしを見つめる。


「よく来たね。テリー」


 いやらしく微笑み、自分の顎を手に置き、座るあたしをにやにやと眺める。


「話がしたい」


 あたしはキッドを見つめる。


「どこから話そうか」


 そうだな。


「順番に話していこう」


 パストリル。


「心配ない。一命を取り戻した。間に合ったよ」


 キッドが微笑む。


「ニクスの父親の二の舞にならずに済んだ」


 お前も彼女に薬を打とうとしたらしいな。


「何とかなったよ。まあ、まだ油断は出来ないけど。それと、盗まれたものの数だとか賠償金だとか裁判だとか、残りはこっちで何とかするよ」


 ああ、仕事が多いな。


「次」


 リトルルビィ。


「あの子は本当にお前が大好きらしい。俺の言いつけを破って夜中に飛び出して、お前の血を飲みに出かけるほど」


 剣に血を塗るのも協力してくれた。お前が助けたあの子はとても良い子だよ。


「俺の正体も、黙っていてくれた」


 さて、


「本題だ」


 あたしは黙り続ける。


「改めて、自己紹介をしよう。テリー」


 キッドが胸を押さえ、一礼する。


「私は、キッド・ロバーツ・イル・ジ・オースティン・サミュエル・クレア・ウィリアム」


 キッドが頭を上げる。


「この国の第一王子です」


 キッドが微笑む。


「私は18歳になるまで、正体を隠すつもりでした。王子だと知れたら、城下では暮らせません」


 あたしを見つめる。


「私がなぜこんなことをしたと思いますか?」


 キッドが指を立てる。


「私の目的は一つだけ」

「町のヒーローになること」

「町の人気者になること」


 全てを含めた職業。


「国の王になること」


 テリー、俺はね、


「王様になりたいんだよ」


 窓で、小鳥が歌った。


「俺の最大に欲しいもの。それは王としての地位」


 皆が崇める国王。


「毎日歓声が欲しい」

「毎日人気者でいたい」

「毎日感動されたい」


 そのためには


「困ってる民を助け」

「助けを求める民を助け」

「問題を解決すれば、皆が喜ぶ」


 皆が俺を好きになる。


「好きになったら、何が与えられると思う?」


 愛だ。


「国の全員が、俺を愛してくれる」

「その愛が欲しい」

「その愛が堪らなく欲しい」

「金よりも」

「身分よりも」

「我慢できないほど、堪えられないほど、唯一無二の、誰も与えられたことのない、そのとてつもなく、巨大な、壮大な、支えきれないほどの、大きな愛が欲しい」


 その愛を手に入れるには、王になるしかない。


「そうすれば、国の皆の人気者に、…英雄になれる」


 キッドが、面白そうに、くつくつと笑う。


「言っただろ。俺、街の人気者になりたいんだって」


 覚えてる。


「だがしかし、そう簡単にいかないのが現実です。レディもご存じの通り、幸せはそう簡単には舞い込んできません」


 キッドの目が鋭くなる。


「私には『欠陥』がございます」


 さあ、どこでしょう?


「見つけられないだろ? 俺は完璧だから」


(どこがよ)


「しかし残念なことに、私は王に向いていない『欠陥』が、たった一つ、あるんです」


 その一つのために、王になれないと言われてきました。


「私は手柄が必要だと考えました。手柄を立てれば実績になる。誰よりも手柄を立てれば、それが国を守るための手柄なら、例えどんな小さな手柄でも、大きな手柄でも、皆から好かれていれば、私だけが好かれていれば、どんな状況だろうが、王になるのは私しかいなくなる」


 なぜなら、


「民が求めるのは全員一致で俺だから」


 そうなったら話は違う。そのためには、小さなことからコツコツと。


「何でもやりました。改築したり、橋を作ったり、お年寄りを助けたり、泥棒を捕まえたり」


 ああ、そういえば、覚えてますか?


「そこで出会いましたね」


 手柄が欲しくて歩いていたら、少女の叫び声が聞こえて、大喜びで捕まえた先で。


「まさに運命の出会いだった」


 どの口が言うか。


「そして、レディが一番気になっているのでは?」


 中毒者。


「世の中には誰にも解決出来ない謎の事件が存在します。この事件は、何を隠そう。昔から続いている呪いのような事件です」


 人が姿形を変え、毒に侵され、暴走し、死んでいく。


「ずっと原因が分からなかった。だけど不思議なことに、この事件を追えば、なんということでしょう。国が平和になっていったのです」


 これはしめしめ。


「誰も解決出来なかった事件を解決して、報告すれば、最初は馬鹿にしていた皆の目が、どんどん変わっていきました」


 犯罪者が減った。犯罪件数が減った。また増えた。中毒者だ。片付ける。犯罪が減った。なんと不思議だろう。こんなのまぐれだ。じゃあ放っておこうか。なんてことだ。また犯罪件数が増えてきた。国民からはクレームだ。よし、ここは私が人肌脱ぎましょう。


「さあ」


 どう思う?


「リオンとキッドは、どっちが王に向いてると思う?」


 ただ淡々と笑顔を振りまくリオンと、国を守るキッド。


「このまま中毒者に関する研究だけでどうにかなると思っていた矢先、突然、14歳の誕生日に言われました」


 王になりたいなら、婚約者を見つけろ。


「私が国の少女達と戯れていたのが気に食わなかったのか、それとも諦めさせたかったのか、父が私にそのように言ってみせました」


 それくらいの行動力を見せたら、王位継承権を与えよう。


「だから、必要でした」

「人の詮索をせず」

「私に興味を持たず」

「黙って」

「婚約者として」

「恋愛ごっこをしてくれる少女が」


 何よりも肩書きが大事だった。


「婚約者がいる。その前提での王子だ」


 そしてようやく王位継承権を与えられる。


「私は躍起になりました」

「何としてでも手に入れようと探し回りました」

「けれど、ああ、罪深い。これほど私の容姿を憎んだことはありません。私は誰よりも美しい。私に惚れない理想の少女など、いなかったのです」

「私は諦めて、手柄でカバーしようと考えました」

「この命をどうにかしてでも、カバーできるほどの手柄がほしいと思っていた、そんな時です」



 見つけた。



「理想の相手を」


 ブランド店の前にいた。美しい宝石を見ているように見えた。ただ、目は宝石を見てるいるわけではなく、――何かを探してた。


 怯えた顔をしているくせに、目的のためなら何でもするという目をしていた。

 つまり、私と同じ目をしていたのです。


 私は、まるで魔法に誘われるように彼女に近づきました。驚くことに、それは無意識でした。


 気がついた時には、彼女に助けを求めるように、


 ――彼女の肩を掴んでいた。


「テリー」


 キッドと目が合う。


「お前のお陰で、俺は王位継承権を与えられたわけだ」


 権力を与えられた。


「だからお前を助けることが出来た」


 これからもそうだ。


「そういうわけだから」


 お前はいくらでも俺に頼るといい。


「ただし、婚約者として」


 離さない。


「友達なんてありえない。お前しかいないんだから」


 結婚なんて、王になるための通過儀礼だ。


「恋がしたいなら、いくらだってすればいい。誰にキスしたって浮気したって、俺は怒らない」


 ただし、


「俺の傍で」

「俺の隣で」

「婚約者として」

「やがて妻として」

「ずっと傍にいるんだ」


 解消、しようとも思ってたんだけど。


「思った以上にテリーを気にいったんだ」


 キッドがにこりと笑う。


「ね。いいだろ? 不自由はさせない。欲しいものだってあげる。いくら我儘言っても怒らない」


 幸せだろ?


「こんないい話無い」


 ね?


「こういう話がしたかったのに、お前が逃げるから」


 ああ、安心して。


「俺が王にならないことは絶対にない。だから、お前は王妃」


 プリンセスになりたかったんだろ?


「願いも叶えてあげよう」


 どんなものからだって守ってみせよう


「どう? テリー」


 それでも、


「婚約は破棄したい?」

「ええ」


 あたしは頷く。


「ぜひ破棄させていただきたく存じます」


 キッドがにこりと笑った。


「へえ。そう」


 キッドがあたしを見つめる。


「そういうこと言う」


 腹部を押さえた。


「あー。痛い」


 キッドが唸った。


「俺を刺したのは誰だったかな」


 キッドが窓を見た。


「天使のように美しい少女だったな」


 キッドがあたしを見た。


「ベックス家の末娘が、王子に刃を向けた」


 いやいや、これは、大きな問題だな。


「どうしたことか」


 どうやって解決しようかな。


「俺、許せないかもな」


 あーあ。痛いなー。


「一生傷が残ったらどうしようかなー」


 キッドがにやりと笑った。


「まー。婚約者の妹であるなら、仕方ないと目を瞑ることも出来るけど」


 あたしを見つめる。


「ただの生意気なレディの妹、というのであれば話は別だ」


 俺は大事な王子様。


「俺の命令一つで、ベックス家の貴族という権利を奪うことも出来る。そうなったら、困るのは誰だろうなあ?」


 貴族として誇りを持っているのは誰だろうな?


「テリー、もう一度訊くよ」


 キッドが微笑む。


「俺と婚約破棄したい?」

「ええ」


 頷く。


「ぜひ破棄させていただきたく存じます」

「はあ」


 キッドが息を吐いた。


「物分かりが悪いのは良くないな。テリー嬢」

「妹の行動は、全て怪盗による催眠です。彼女に罪はありません」


 よって、


「あたくしにも、何も罪はございません。その件について、殿下に申し上げることは何もございません」

「分からないかな。俺を刺したことに問題があるんだよ」


 キッドが腹部を撫でた。


「あー。痛いなー。これは、後遺症が残ったらどうしようかなー。誰の責任だろうなー」


 キッドがあたしを見る。


「妹のしたことは、上が責任を取るべきだ。というわけで、この件について、もう少し分かりやすく言えば、そうだな。長女のアメリアヌは許してやろう。妹のメニーも若さの過ちで許そう。二番目のお前が責任を持て」


 俺の傍にいろ。


「一生の時間をかけて償え」

「お断りします」


 キッドが顔をしかめた。


「今なら許そう」

「結構です」


 キッドが片目を引きつらせた。


「三秒だ」

「どうぞ」


 キッドが剣を手に持った。


「首を斬るぞ」

「乱暴な人の傍に寄りたくありません」


 キッドが銃を持った。


「撃つぞ」

「乱暴な人は嫌いです」


 そっぽを向く。


「余計、嫌いになりました」

「本当に撃つぞ」

「あたくしめを殺したら、婚約者はいなくなりますね」


 そうなったら王位継承権は剥奪される。


「それでいいならどうぞ」

「テリー」

「さあ、どうぞ」

「テリー、いい加減にしろ」

「殿下のお好きにどうぞ」

「その言い方やめろ」

「なら黙りましょうか。二度と貴方とは口を利きません」

「テリー」

「………」

「テリー」


 キッドが強く声を出す。


「撃つぞ!」

「どうぞ」


 貴方は王になるのでしたっけ?


「なら、命令されたら文句は言えません。どうぞ」

「テリー、やめろ」

「あたくしはただの貴族ですから」

「テリー」

「どうぞ。殿下。キッド殿下の思うがままに」

「テリー」

「あたくしはキッド殿下に従いますので」

「テリー」

「キッド殿下のために命を」

「やめろ」

「キッド殿下」


 ブチッ。


「殿下って言うなあああああああああああああああ!!!」


 部屋中に、キッドの怒鳴り声が響き渡る。窓ガラスが揺れ、小鳥達がびくりとこっちを見た。キッドがあたしを睨んだ。あたしはただキッドを見つめるだけ。


「キッド殿下、お気を確かに」


 感情のない声で言えば、キッドが首を振る。


「もういい! 虚言は結構だ!! お前は殿下と呼ぶな!!」

「キッド殿下、そろそろお時間です。あたくし、今日は城下町に帰らないといけません」

「敬語を使うな!」


 キッドが腹部を押さえた。


「あー。痛い痛いいたーい。怒鳴ったから傷口が開いたぞ。 あーあ! 俺、死んじゃうかもなー? お前のせいで死んじゃうかもなー? どうやって責任取ってもらおうかなあ? なー? テリー?」

「そうやって責任を押し付けないでいただけますか? キッド殿下。迷惑です」

「テリー、本当にやめろ」

「何をやめたらよろしいですか? キッド殿下」

「お前さ、わざとやってるだろ」

「何のことでしょうか。マナーとして、国の王子様に敬語を使わない人がどこにいるでしょうか。キッド殿下」

「いいってば。その喋り方。やめろって言ってるだろ」

「とんでもございません。キッド殿下。人間として、敬語はマナーです」

「やめろ!」

「お断りします。キッド殿下」

「テリー!!」

「マナーとして」

「お前は俺のものだ!! 二年前から! お前を! 婚約者として! 迎えた!! 有難いことなんだぞ! 名誉あることだ! それでも婚約を破棄したいか!?」

「ええ」


 頷く。


「破棄します」

「……分かった」


 キッドが頷いた。


「なら命じよう」


 キッドが冷ややかにあたしを見た。


「今からお前は奴隷だ」


 テリーの身分は俺が買うことにした。


「乱暴されても何をされても、文句は言えない。俺がお前の主だ」


 キッドが無表情のあたしを睨む。


「くくっ」


 笑い出す。


「お前が悪いんだぞ。婚約者を続けていれば、こんなことにはならなかったのに」

「もう家には帰れないぞ」

「今日からお前は俺の家で、俺の部屋で暮らすことになる」

「俺以外とは口を利くな」

「俺がいいよって言うまで、俺としか関わるな」

「くくっ」

「安心しろ。お前の家族には何もしないさ」

「お前だけだ」

「テリーだけ」

「テリーだけは許さない」

「ずっと苦しめてやる」

「ずっと俺の元から離れられなくしてやる」


 どんなに拒んだって、


「キッド殿下の命令は、絶対だ!!」


 俺は王子様。


「これでお前は、俺のものだ!!!!!!」


 その悪の笑顔に、その支配欲が満たされた叫びに、その狂喜に、――扉が勢いよく開いた。


「いい加減にしろ!!!!!」


 突然の怒鳴り声に驚いて、キッドがぎょっと目を見開いて、あたしがきょとんと瞬きし、一緒に振り向くと、扉を閉めたはずのビリーが扉を開けて仁王立ちしていた。

 いつもおだやかなその瞳を、見たことがないほど鋭くなり、真っ直ぐキッドを睨んでいた。


「じ、じいや…!?」


 キッドが素っ頓狂な声を漏らすと、ビリーが口を大きく開いた。


「キッド! お前! いくつになったんだ!!」


 びくっ。


「じゅ、16才だけど…」

「16歳の王子が13歳の令嬢を困らせるのか!! 王子と名乗ればあえて距離を置こうとする者達も存在することを分かった上で、自ら王子だと名乗ったのはお前だろう!!」


 キッドが顔をしかめた。


「テリー殿はマナーを守ってお前と接している! 礼儀正しい令嬢殿ではないか!! それを、なんだ! お前は! 年下の女の子を虐めると! あれほど言っているだろう!! 馬鹿者め! 王子だと名乗るなら、礼儀をわきまえろ!! このクソガキ!!」


(ビリーさん!?)


「それに聞こえたぞ! 傷口が開いただと!? 傷も内臓も何もなかったように無傷だったのだろう!? どんなマジックを使ったのか知らないがな、何もなくて良かったと話したばかりだろう! ぬけぬけと嘘をついて! だから嘘つきと言われるんだぞ!!」

「さ、刺されたのは本当だろ! 俺、本当に刺されただろ! でも何も残ってなかったの! 死にかけたのだって、本当だよ! 俺だってなんで傷口が消えたのか知らないよ! 刺されたのは俺なんだから!」

「ならば誰も悪くないじゃないか!!」

「悪いのはテリーだ! 責任を取るべきはこのガキだ! 奴隷だ! 奴隷! 俺の奴隷で許してやるって言ってるんだ!」

「愚か者!」


 キッドがあたしに指を差すのを見て、ビリーが怒鳴る。


「お前の我儘が国民の人権にまで及ぶのであれば、王位継承権は剥奪だからな!!」

「へっ!?」


 キッドが間抜けな声を出した。余計にビリーが怒鳴る。


「当たり前じゃ!! 一人の令嬢を困らせるお前に、国民を支える権利など与えてたまるか!!」

「だ、だって…」

「口答えするな!! キッド!!!!!」


 ああ、わかった。なんでビリーがキッドの付き人なのか、よく理解出来た。


 ――――あの人昔は激おこぷんぷん怒りん坊って名称がついてたくらい怒ってたのよ!

 ――――あれはもうね、最高に面白いのよ。何やっても怒るんだもの!


 キッドの母親が言ってた。


 ――――トイレに行ったら怒るし、料理したら怒るし、寝たら怒るし、起きたら怒るし、いっつもぷんぷんしてるの!


(この人がキッドを叱れる大人だからだ)


 ビリーがキッドの前までずかずか歩いていく。


「奴隷だと!? お前にどの権利があってそんなことを言う資格がある!? ええ!?」

「だ、だって…」

「お前は王か!? 現在の身分は、王なのか!?」

「……違うけど」

「何でもかんでもリオンに任せて遊び歩いていたのはお前だろう! 自分の立場を上げるようなことばかり言いおって!!」

「だって本当にそうじゃん…」

「責任を人に押し付けてばかり自分は悪くないのか!? おい! もう一度私に言ってみろ! テリー殿が逃げたのは、テリー殿が悪いのか!? お前のしたことは何も悪くないのか!?」

「……俺悪くないもん……」

「この」


 ビリーが拳を握った。


「たわけが!!!!!!!!!」


 キッドの頭にげんこつを食らわせた。


「っ」


 キッドが目を見開き、あたしは口を押さえた。


「っ」


 キッドが硬直した。


「………」


 キッドの体が震え始めた。


「……………」


 キッドの目が潤んできた。


「ましてや、婚約者と決めた少女を困らせるなんて」


 ビリーがキッドにトドメを刺した。


「この恥さらし!!!」

「だって!!!」


 キッドが震える声で叫んだ。


「だって、テリーが!!!」


(あーあ…)


 キッドの目が、うるりと光った。


「テリーが悪いんだ!!」


 キッドの目から、涙がこぼれ出た。


「テリーが悪いんだーーーーーー!!!」


 息を吸った。


「うわあああぁあああぁああ!!!!!!」


 キッドが赤ん坊のように泣き叫び、顔を腕で隠した。


「ぴぎゃあああああああああああああ!!!」

「すまんのう。テリー殿」


 ビリーが穏やかな目であたしに振り向いた。


「キッドが迷惑をおかけした」

「いや、あの…。それはもう慣れたんですけど…」


 指を差す。


「あれは大丈夫ですか?」

「いつものことじゃ。放ってくだされ」

「ぷぎゃああああああああああああああああああ!!!!!」


 キッドが泣きわめく姿にビリーがため息をついた。


「お前が悪いんだろうが」

「殴ったーーーーーーー!!!!!」

「お前はテリー殿を撃とうとしただろ」

「殴ったーーーーーーー!!!!!」

「お前よりはマシじゃ」

「ばかーーーーーーーー!!!!!」


 キッドがシーツに潜った。


「うわああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

「はあ」


 ビリーがあたしの背中を撫でた。


「テリー殿、悪いが、ちょっと慰めてやってくれるかい?」

「はい」


 あたしは立ち上がり、ベッドに近づいた。


「キッド」


 ベッドに潜って泣きわめくキッドを叩く。


「どこ叩かれたの?」

「…………」


 キッドが鼻をすすり、またむくりと起き上がり、あたしを抱きしめた。あたしの手を掴み、頭に乗せる。


「……ここ」

「ここね」


 優しく撫でる。


「あんたが悪いのよ」

「…………」

「婚約解消してよ」


 キッドが黙ってあたしを抱きしめる。あたしは溜まった息を吐き、ビリーに顔を上げた。


「……ミスター・ビリー」

「ん?」

「ごめんなさい」


 キッドの頭を撫でながら告白する。


「あたし、婚約者じゃないのよ」

「ああ」

「ふりをしてただけなの」

「…そうかい」

「だから、あたしが慰めても、キッドには効果が無いと思うの」


 だって、


「お互い、好きな相手じゃないもの」


 キッドが腕の力を強める。あたしのドレスが濡れていく。


「だから、解消というより、元の形に戻るだけ」


 この話を、無かったことにするだけ。


「王位継承権に影響する?」

「当時ならしたでしょう」


 でも、今はもう、


「王子と公言してしまいましたので、それはもう無い」

「だって」


 キッドを見下ろす。


「あたしがいなくてもいいって」

「………」

「良かったじゃない」


 キッドの頭を撫でる。


「結婚は通過儀礼なんでしょう? その必要ないって」


 良かったわね。


「余計なことしなくて良くなったのよ」


 あたしは口角を上げる。


「これでお互い自由ね」


 今までありがとう。


「ま、悪くないひと時だったわ。一夜の思い出には十分」


 キッドの熱くなった頬に手を添える。




「さようなら。王子様」




 額に、一つのキスを贈る。




「お別れよ」




 キッドが目を見開いた。





「じゃあね」




 お別れの挨拶をして、一歩下がる。



 キッドの腕が離れない。


「………」


 あたしはビリーを見る。


「あの」

「キッドや」


 キッドがあたしを抱きしめ続ける。


「キッド」


 キッドがあたしの手を掴んだ。


「ん?」


 口元に運んだ。


「え?」


 ―――――――がぶりと噛みつき、あたしの指の皮膚が切れる。血が滲み出た。


「いだっ!」

「キッド!」


 キッドがあたしの手を引っ張った。


「ひゃい!」

「おまっ」


 キッドがシーツの中から紙を取り出し、あたしの指を押し付けた。


「キッドや!」


 ビリーが慌ててあたしとキッドを引き剥がす。距離を置くと、キッドが涙を拭いて、いつもの涼しい顔に戻っていた。


「よいしょ」


 棚に紙を置いて、ペンで文字を書く。


「完了」


 キッドが婚約届を見せた。


「はい。婚約者」

「っ」


 あたしは息を呑む。書類に、いつの間にかあたしのサインがあり、キッドの名前があり、あたしのサインの場所にあたしの血で滲んだ拇印が押されていた。


「は…?」


 愕然とすると、ビリーがキッドを睨んだ。


「キッドや。偽造行為は犯罪だぞ」

「本物の書類だよ」


 キッドがひらひらと見せる。


「もしもの時のために、テリーにサインしてもらってた」


 紹介所に必要なサインだって言って。


「結構前に」

「………」

「テリーってそういう知識が無いから簡単だったよ」


 あたしは、会社の知識を植え付けておくんだったと、今初めて後悔した。


「はい。これで婚約成立」


 この紙を役所に出してしまったら、お前とは完全に婚約者になってしまう。


「避けたいだろ?」


 ビリーが呆れた顔でキッドを見た。


「避けたいなら」


 キッドがすーっと息を吸い、――――唄った。



 毒を食べたプリンセス

 眠ってしまったプリンセス

 悲しみ暮れたプリンセス

 眠ったままのプリンセス

 迎えを待ったプリンセス

 夢が消えたプリンセス

 魂消えいくプリンセス

 しかし目覚めたプリンセス

 赤き糸の導きで

 現われ出でた王子様

 目覚めてしまったプリンセス

 気づいてしまったプリンセス

 恋の花が咲き乱れ

 愛に目覚めたその魂

 相手は誰だ

 王子じゃない

 相手は誰だ

 その名を求める

 相手は誰だ



「次会う時までに、目覚めたプリンセスの運命の相手を見つけてきてよ」

「キッド」


 あたしは拳を握った。


「あんた、いい加減に…」

「その時に決めようよ。婚約のこと。解消するか、しないか」


 キッドがにやける。


「それまで、この書類は保留ってことで」


 でも、テリーが来なかったら、


「俺は迷うことなく、これを役所に出して、公の場で発表するからな」


 テリー・ベックスと婚約しました。彼女は俺と結婚する相手です。


「そうなりたい?」

「……………」

「嫌なら会いにおいで」


 めそめそ泣いてたのが嘘のように、にやにやと笑い出す。


「また手紙を送るよ。帰る頃には新しい住所になってるけど、それも手紙に書くから」


 古い家にはもう帰れない。王子が住んでいるとばれてしまった。


「いいか? 来なかったら、正式に婚約だぞ」


 黙って睨むと、キッドは涼しく微笑む。ビリーがため息をついた。


「テリー殿、キッドにはきつく言っておこう…」

「じゃあね。テリー。今日はここまで」


 キッドが頭を撫でる。


「ああ、痛い…」


 手を上げる。


「またね」


 いつもの涼しい笑顔で、ひらひらとあたしに手を振る。じっとその姿を睨み、呟く。


「くたばれ」

「くくっ」


 キッドが笑った。


「いつものお前だ」


 嬉しそうに微笑む。


「結構」


 あたしはむすっと頬を膨らませて、部屋から出て行った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る