第7話 ファースト・キス


 ふわり、と風が吹いた。かすかな風。

 あたしの髪と、キッドの髪が、少しだけ、ふわふわと揺れた。


 その風が吹き止むと、

 キッドの右手があたしの左手を握った。キッドの小指の指輪と、あたしの小指の指輪がちかりと光った。キッドの体温が戻っていく。キッドの肌色が戻ってくる。


「………ん?」


 兵士が声をあげた。


「血が止まった?」


 キッドの血が止まった。

 キッドの鼻から呼吸が漏れた。

 口で呼吸が出来ないことから、キッドの眉間に皺が寄った。

 キッドがパッと目を開けた。

 あたしがパッと目を開けた。

 目が合った。

 キッドの目が瞬きする。

 あたしの目が瞬きをした。

 お互いに動きが止まる。

 キッドが鼻呼吸を止めた。

 キッドが目を見開いた。

 その目があたしをひたすら見つめる。

 お互いに、呼吸が苦しくなった。

 苦しくなったら、離れるといい。

 あたしが体を起こした。

 唇が離れた。

 ぷはっ、とお互いに色気のない声が出た。


 兵士たちが呆然と見ていた。

 リトルルビィが呆然と見ていた。

 メニーが呆然と見ていた。

 キッドが呆然とあたしを見た。


「………え?」


 キッドの間抜けな声に、

 その声に、

 兵士達の目から、涙が吹き出した。


「キッド様あああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」


 リトルルビィの目から、涙がぶわっと吹き出した。


「ぴぎゃあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」


 リトルルビィがポケットからハンカチを取り出した。


「いやああああああああああああああああああ!!!!」


 あたしの口を全力で拭った。


「うええええええええええん!!」

「ああ! 神よ!!」


 リトルルビィが号泣する中、お互いを抱き締め合い、顔に手を当て、兵士達が大喜びに喜び、歓声を上げた。


「キッド様!!」

「キッド様が目覚めたぞ!!!」

「神様!!」

「なんてことだ! 血も止まった!」

「キッド様の意識が戻られた!!!」

「テリー様!! やりました!! キッド様が助かりましたよ!!」

「テリー様!! お喜びを!!」

「テリー! お口拭いてぇええ!! びゃああああああ!!」

「奇跡だ!」

「やっぱり!キッド様は神に選ばれし未来の我らの王だ!!」

「キッド殿下万歳!!」

「キッド殿下万歳!!」

「キッド殿下万歳!!」

「キッド殿下万歳!!」

「キッド殿下万歳!!」

「キッド殿下万歳!!」


 キッドはぽかんとしている。なんて間抜けな面だろう。今まで見たどの面よりも、情けない顔。

 あたしの肩を掴んで兵士が大喜びする。

 あたしの体が揺られて揺れる。

 リトルルビィが泣きながらあたしの口を拭う。

 キッドの力が抜けた手からするりと手を引っ込めて、ぽんと叩く。

 泣きわめくリトルルビィの肩をぽんと叩いて、立ち上がる。

 キッドの視線を感じる。

 リトルルビィが泣きわめく。

 あたしは無視する。

 メニーに振り向く。

 兵士達が喜びに騒ぐ。

 メニーが待っている。

 あたしはメニーの前に行く。



 立ち止まる。




「お待たせ」



 だいぶ時間がかかったけど、ようやく、合流できた。


「迎えに来たわ」


 メニーと向かい合って、


「行きましょう」


 メニーの血が付いた手を取った。


「帰るわよ」


 引っ張ると、メニーがあたしを見た。


「お姉ちゃん」


 あたしは歩き続ける。


「あんたに罪は無いわ」


 呪いが暴走したのは誰のせいでもない。


「魔法使いが悪いのよ」


 あたしは息を吐いた。


「ああ、疲れた」


 帰りたい。


「…私も帰りたい」


 メニーの声に頷く。


「帰りましょう。だけど、一晩は泊まりよ。ここは城下じゃないから」

「城下町じゃないの?」

「あんた、本当に何も覚えてないのね」


 ほらね? メニー。あたしの言った通りでしょ。


「舞踏会なんて、ろくなことがない」

「本当だね。お姉ちゃん」

「分かったら、あんたも髪を切る覚悟をしておきなさい」

「それは考えておくよ」


 メニーが黙る。


「………」


 後ろに振り向こうとするのを、止める。


「振り向かないの」


 メニーが振り向くのを止めた。


「でも」

「リトルルビィなら心配ないわ。皆いるから」

「でも」

「キッドなら心配ないわ。付き人もいるみたいだから」

「でも」

「メニー」


 手を握り締める。


「今は休む」

「………」

「サリアがいるわ。一緒に大きな宿に泊まってるの。素敵な三人部屋」

「………お姉ちゃん」

「ん?」

「今夜、一緒に寝てもいい?」

「……………」


 息を吐く。


「今夜だけよ」

「うん」


 メニーが頷く。


「ありがとう」


 メニーを連れて行く。


「お姉ちゃん」


 メニーの声が震える。


「……ありがとう」


 その声は鼻声だ。


「帰りましょう」


 真っ直ぐ歩く。


「こんなじめじめした所、一秒だっていたくないわ」


 こんなじめじめした所で、あたしのファースト・キスがなくなってしまった。

 せっかく初めてのキスだったのに。人生で、初めてのキスだったのに。ちゃんと初めてのキスのシチュエーションだって、考えていたのに。


(最悪)


 ため息を吐く。


(最悪)


 左手を見る。


(最悪)


 あたしはため息をもう一度吐いた。




 罪滅ぼし活動ミッション、誘拐されたメニーを、あたしが助ける。




(……ミッションはクリアね)


 代償が大きかった。


「…お姉ちゃん」


 ちらっと後ろに振り向くと、メニーが微笑んでいた。


「迎えに来てくれてありがとう」


 代償が大きかった分、得られたものも大きい。


「お姉ちゃんで良かった」


 メニーが嬉しそうに笑う。


「安心した」

「心配したのよ」


 にこりと微笑む。


「メニーのために、ドレスも用意してるの。可愛いから明日着てみなさい」

「うん」

「ネグリジェも心配しないで。ちゃんと用意してるから」

「うん」

「いいわ。今夜くらい一緒に寝ても、アメリアヌ様は許してくださるわ」

「ドロシーは?」

「アメリが面倒見てる」

「……ちょっと心配」

「ええ。ドロシーも同じ顔してた」


 足並みを揃える。


「もう勝手に催眠にかかったら駄目よ」

「好きでかかったわけじゃ…」

「また頭突きを食らわすわよ」

「お姉ちゃん、宿に行ったら手当てしようね。そのおでこ」

「そうね。傷が残ったら大変だわ」


 あーーーーーー。後ろからちくちく痛い視線を感じるわね。あたしは青い瞳を無視して歩き続ける。


「明日、お土産を買いに行きましょう」

「うん」

「ここはタナトスっていう所でね」

「聞いたことある。言うことを聞かないペンギンショーがあるとか」

「ああ、見た」

「えー。いいな。お姉ちゃんずるい。私も見たい」

「また今度ね」


 カーニバルは終わりだ。


「今夜は疲れたわ」


 踊り疲れた。


「ダンスも、しばらくこりごり」


 あたしは唇を隠す。


「恋もこりごり」

「え?」


 メニーが反応した。


「恋って?」

「メニー、お姉ちゃんは疲れたの。お黙り」

「恋って何? お姉ちゃん」

「もういい。大丈夫。間に合ってるから」

「お姉ちゃん」



 あたしの初めてのキスの相手は、キッド。



 ―――――お前の全て、俺が奪ってあげるよ。



 宣言された通り、キッドはあたしの唇を奪っていきやがった。


(誰のせい?)


 あたしの恨みの矛先が変わる。


(………あいつのせいだ)


 拳を握り、緑の魔法使いを思い出して、あたしは歯ぎしりを立てる。


(あんな魔法、あたしにかけなければ…)


 あたしと唇を合わせたキッド。あたしが人生で二人目に恋をした人。でも、もう二度とキッドに恋なんてしない。


(婚約なんて、こっちから自然消滅してやる)

(ざまあみろ!)


 もう二度と会うもんか。


(大嫌いよ。お前なんて)





 あたしの左手に浮かんでいたハートのほくろの痕は、既に消えていた。


















( ˘ω˘ )

















「初めてのキスは、どんなキスがいい?」

「考えたことない」

「あたしは考えてるわ」


 リオン様が白馬に乗って迎えに来るの。


「結婚式で、初めてキスをするのよ」


 リオン様とお揃いの指輪をつけるの。


「デートはどこに行くんだろう」

「どんな結婚式になるんだろう」

「リオン様」

「リオン様」

「はあ、リオン様」


 あたしはうっとりする。


「お慕いしてます。リオン様」


 青い瞳があたしの唇を見つめる。


「あんたも年頃になれば分かるわ」


 あたしは顔を向ける。


「素敵な妄想も出来ないなんて、哀れね」


 使用人姿のメニーが肩をすくめて笑った。














「テリー」










(*'ω'*)








 はっと目を覚ます。目の前には、サリアがいる。


「テリー」


 あたしの手を握るサリアがいる。


「おはようございます」


 サリアが馬車に乗り込んだ。あたしの隣で眠るメニーを起こす。


「メニーお嬢様」


 メニーがぼんやりと瞼を上げた。


「お帰りなさいませ」

「……サリア」

「お二人とも、ご無事で何よりです」


 サリアがあたしとメニーを抱きしめた。


「本当に良かった」


 暖かなサリアの腕のぬくもりに、あたしも、メニーも、安堵の息を吐いて、サリアに甘えて抱き着いた。


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