第13話 唯一の救世主(1)
目を覚ますと、サリアの微笑む顔が視界に入った。
「ご気分はどうですか?」
「………」
あたしは目をこする。
「眠い…」
「でしたら、引き続きお眠りください」
サリアがあたしのベッドを整える。
「昨晩、二階で倒れられてたそうですよ。どこに行こうとしてたんですか?」
「…うー…」
「お腹は痛くありませんか?」
「…うー…」
眠くて、言葉が出ない。
「んー…」
「…おやすみなさい、テリー」
サリアの声が遠くなっていく。
「良い夢を」
サリアの手があたしの頭を撫でる。
(サリア)
あたしはサリアの手を握る。サリアの指が、ぴくりと反応する。
「……テリー?」
「サリア」
あたしは呟く。
「いかないで」
サリアが黙る。しばらく、黙る。しばらく沈黙が訪れる。あたしの睡魔がそろそろ寝てくれと囁く。あたしは夢と現実の間を彷徨う。サリアがにこりと微笑んで、あたしの手を握り返した。
「テリーが眠るまで、ここにいますよ」
サリアがあたしの手を握る。
「お腹は、まだ痛いですか?」
「うー…」
あたしは唸る。睡魔が寝ろと命令してくる。
「んー…」
「テリー、大丈夫。寝てください」
サリアがあたしに近づいた。
「まだ行きませんから」
サリアがあたしの手を握る。
「ここにいますよ」
――ちゅ。
サリアの唇が、あたしの額に優しく当たった。
「大丈夫。眠って」
「…………」
「そう。眠って。大丈夫」
サリアが微笑む。
「大丈夫。ちゃんといますよ」
サリアが微笑み続ける。
あたしは眠っていく。
(眠い)
深呼吸すれば、心地好い夢の中。
(寒い)
体が震える。
(サリア、寒い)
あたしは眉をひそめる。
(……さむっ)
「……っくしょん、ちくしょう」
くしゃみをする。
(あれ…?)
瞼を上げる。
(サリア?)
サリアがいない。さっきまで居たのに。
(…いや、さっきじゃない)
時計を見ると、もう12時になっている。
(お昼ご飯の時間まで寝てたわけ…? 嫌だわ。貴族令嬢として、だらしない)
あたしは上半身を起こす。
(寒い…)
暖炉が目立つ。なんだか、空気が冷たい。
「……」
―――まさか。
あたしははっとして、ベッドから抜ける。カーテンを開く。窓を開ける。
雪が大量に降っていた。
「…………」
雪が積もっていた。
(今日)
あたしは後ずさる。
(今日だ)
振り向く。時計をもう一度確認する。
(12時)
あたしはクローゼットを開ける。ドレスに着替える。ブーツを履く。コートを着る。
(先生)
あたしは部屋から飛び出す。階段を二人のメイドが掃除していた。二人があたしに気づき、顔を向ける。
「あら、テリーお嬢様。ごきげんよう」
「あら、テリーお嬢様、お出かけですか?」
「でも、テリーお嬢様、昨晩のことルミエールから聞きましたよ。大丈夫なんですか?」
「ああ、テリーお嬢様、そうでしたわ! 無理はいけませんわ!」
「ねえ、クロシェ先生は?」
訊くと、二人が顔を見合わせ、またあたしを見た。
「クロシェ先生はお出かけになりました」
「いつ?」
訊くと、二人が再び顔を見合わせ、眉をひそめた?
「え…。いつ頃だったかしら?」
「ああ…、覚えてませんねえ…」
「でも、メニーお嬢様を連れて行かれました」
「はい、メニーお嬢様も絵本が欲しいって言われまして」
「テリーお嬢様にも、元気が出るように何か買ってくると言ってました」
「あ、なんで言うのよ! ばか!」
「あ、いっけない!」
「テリーお嬢様、聞かなかったことにしてください」
「そうです。メニーお嬢様は、別に、サプライズなんて考えてません」
「そうです。クロシェ先生も、別に、サプライズなんて考えてません」
「……クロシェ先生は、何を買いに行くって言ってた?」
メイドの二人が声を揃えた。
「「教材を買いに行くと言ってました」」
「ありがとう」
あたしは階段を駆け下りる。
「あ、お嬢様ー!」
「階段を走ったら、危ないですよー!」
二人のメイドの声を聞きながら、あたしはエントランスホールに走る。
(まだ間に合う)
あたしは走る。
(まだ間に合う)
死なせない。
(クロシェ先生だけは、死なせない)
あたしは屋敷から飛び出した。
(馬車)
あたしは走る。馬小屋に走った。
「デヴィッド、あれ? ねえ、ロイ、デヴィッドはいない?」
「おお、これはテリーお嬢様、デヴィッドなら出かけましたよ」
「え?」
「クロシェ先生とメニーお嬢様が馬車で出かけられたものでして」
「わかった、ありがとう」
走るしかない。
あたしは馬小屋から離れ、ブーツを動かす。
(間に合え)
あたしは走る。
(間に合って)
あたしは屋敷の門を抜けた。
(クロシェ先生)
空は、薄暗い雲で覆われていた。
(*'ω'*)
馬車が無いなら、どこかで馬車を捕まえて、乗せてもらうんだった。
積もった雪道を走ったが、だいぶ時間がかかってしまった。街に着いても、雪は降り続く。道はどこも積もっている。
(どこにいるの)
あたしはクロシェ先生を探す。
(そうだ。教材なら、本屋にいるかも)
あたしは雪道を走る。馬車が詰まっている。道が混雑している。
(渋滞なんてやめて! あたしは急いでるのよ!)
いない。どこにもいない。
(こっちの本屋は?)
あたしは探す。いない。
(あっちの本屋も行ったことがあるわ)
あたしは探す。いない。
(いない、どこにもいない)
でも、いるはずだ。
(教材を買いに行くなら、本屋なのよ)
でも、いない。
(あたしの行動は不正解? 正解? 合ってる? 間違ってる?)
クロシェ先生なら、どうやって答えを教えてくれるだろう?
(いない。どこにもいない)
この曇り空の中で、何が正しいのか間違いなのかわからない。
(先生がいない)
(メニーがいない)
(デヴィッドがいない)
あたしは探す。
(いない。いない。どこにもいない)
先生はまだ生きている。きっと生きている。今なら守れる。先生を、あたし達に人生の学びを教えてくれる人を、今なら間に合う。
(でもいない。どこにもいない)
どこにもいない、どこにもいない。わからない。探し回っているのに、いない。あたしが走る中、子供がパン屋で働く。看板を持った大人が店から出てくる。あたしが走る中、城下町の人々は今日も元気に働く。
あたしは肩をぶつけた。
「ごめんなさい!」
「転ぶよ。気を付けて!」
笑顔で女性があたしに言う。それでもあたしは走る。
(いない)
どこにもいない。
(先生)
先生の姿はない。
(メニー)
メニーと同じくらいの背丈の女の子はたくさんいる。
(どこにいるの…)
(どこにもいない…)
こうしている間にも時間は進んでいる。
タイムリミットがわからない以上、いつ先生が死んでもおかしくない。
今日であることは確信している。
今日で先生が死ぬ。
あたしは分かっている。
あたししかいない。
先生を守れるのは、あたししかいない。
(早く先生を見つけないと)
でも、いない。どこにもいない。
「……いない……」
これが震える。
「どうしよう…」
目が熱くなってくる。
「…いない…」
あたしのブーツが濡れていく。
「クロシェ先生…」
いない。
「ドロシー、どうしよう…」
ドロシーはいない。
「ああ、どうしよう…」
誰もいない。
いや、
一人だけ、いる。
「………」
いるのだ。一人だけ。
クロシェ先生を見つけられる人物が。
「…………っ」
足が、自然とその方向に動いた。止まることなく、足が商店街の反対方向に向かっていく。あたしはひたすら走る。がむしゃらに走る。
「あ」
べちゃりと、滑って転んだ。
(…痛い)
でも、怯んでる場合ではない。
(痛がることは、後でいくらでも出来る)
あたしは走る。どんどん人気がなくなっていく。
あたしは走る。どんどん木が多くなっていく。
あたしは走る。小さな小屋が見えてくる。
(いいわ)
(今なら何でも許すわ)
(都合がいいと笑ってもいいし)
(小馬鹿にしてもいいし)
(からかってもいいし)
(何してもいい)
(だから)
(どうか)
どうかお願いだから、そこにいて。
「キッド!!」
叫んで、扉を叩く。拳を握って、これでもかと叩く。
「キッド!! キッド!!!」
あたしは乱暴に扉を叩く。
(お願いお願いお願いお願い!!)
(これを逃したら、先生は二度と帰ってこない!!)
(また消えてしまう!)
(希望が、消えてしまう!)
(これを失ったらおしまいなのよ!)
(お願い、お願いだから、お願い!)
(キッドじゃなくてもいい)
(ドロシーじゃなくてもいい)
(誰でもいいから)
(誰でもいいから!)
―――誰か、あたしを助けて!!
ドアを叩こうと、握った拳を振り下ろせば、その扉が開かれ、あたしの顔に直撃する。
「うご!」
ごつんとぶつかる。
(あたしの美しい顔が!)
顔を押さえて一歩下がれば、冷えた地面にずるりと、足が滑った。
「ぎゃっ!!」
後ろに倒れた背中が地面に直撃する前に、あたしの腕が強い手に掴まれ、引っ張られる。その拍子に後ろに倒れていたはずの体が前に倒れ、それを長袖の腕が受け止めた。
受け止められた。
温かい腕が、あたしを抱き止めた。
あたしの呼吸が、止まった。
「テリー?」
かけられる低い声を見上げれば、目の前に、暖かそうなセーターを着たキッドがいて、不思議な顔であたしを見下ろしていた。
――――――――あ。
「…………キッド」
「うん」
キッドが頷く。
「どうしたの?」
キッドが微笑む。
その笑顔が、なぜか、とても輝いて見えた。
その見つめてくる目が、その間抜けな表情が、その存在が、あたしの希望に見えて、あたしの胸が、じんと熱くなっていく。
なぜか、心から安堵した。
キッドなら大丈夫だと思えた。
頼ってもいい。
この人なら頼ってもいい。
あたしのボディーガード。
頼れる。
頼っていい。
助けてくれる。
あたしを助けてくれる。
(………)
急に、声と言葉が、出なくなった。
「テリー、髪の毛ぼさぼさだぞ」
キッドがおどけた声であたしの頭を撫でた。
「あんな風にドアを叩いたら壊れるだろ。なんだ? 俺を驚かせようって魂胆か? 何の嫌がらせ?」
キッドが袖をあたしにこすりつけた。あたしの汗が拭われる。
「それか、なんだ? 突然、なぜだかどうしてか、すごく俺の事が恋しくなって会いたくなっちゃった?」
ふざけて、ぱちんとウインクするキッドの姿に、言葉が、うまく出ない。
「あの………」
声を出さないと伝わらない。
「…あの………」
でも、声が出ない。
「………………」
言葉が、出ない。
「………………………」
キッドの腕を握りしめる。あたしの手が震えている。キッドがあたしの頭を撫でる。
「……ねえ、テリー」
キッドが訊いてきた。
「なんで泣いてるの?」
え?
からかってきたキッドの声色が変わり、指が、優しくあたしの目尻をなぞった。
瞼を下ろすと、確かに水滴が、頬を伝った。
伝う水滴を、キッドの指が拾う。
(あ)
どんどん視界が揺れていく。
(あ…)
止まらなくなる。
(っ………)
俯くあたしを見て、キッドの目が徐々に鋭くなっていく。
「…お前を泣かした奴は誰だ?」
うまく呼吸が出来なくなる。
「何があった? 何か見たのか? 何か怖い目にあったのか?」
呼吸が苦しくなる。
「テリー、どうした?」
声が、あたしを責め立てる。
責め立てる?
違う。キッドは訊いてるだけだ。
あたしも助けてと言えばいい。
でも、声が出ないのだ。
言葉を吐き出せないのだ。
こんなに、助けてと叫びたいのに。
どうして、なんで、言葉が出ない。
呼吸が苦しい。
助けて。
そう言いたいのに、
「テリー」
呼吸が、苦しくなるだけ。
(言いたいのに)
(どうしたって言われて)
(答えられない)
(なんで)
(助けて)
(助けて)
―――言葉が出ない…!
「テリー」
「…っ……」
「テリーってば」
「……………」
キッドが怒鳴った。
「テリー!」
「……っ…」
―――怖い!!!!
キッドの手が強まった。あたしは瞼を閉じて、ぎゅっと体を強張らせる。
その瞬間、すぱーん!! と良い音が、上から響いた。
「ばかたれ!!」
キッドの頭が叩かれた。
「いって!」
キッドが頭を押さえて見上げる。見上げた先に、キッドの付き人のビリーがキッドを睨んでいた。キッドがあたしを抱き締めながら、自分の頭を撫でた。
「何するんだよ、じいや!」
「お前が何しとる! パニックになってる少女に向かって、あれこれ質問して虐めるのではないわ!!」
「……………」
キッドがむすっとして黙り、あたしの背中を優しく撫で、あたしを優しく抱きしめた。
「よしよし、テリー。大丈夫だよ。もう大丈夫。何も怖くないよ」
あたしの溢れ出す涙がキッドのセーターに吸収されていく。
「うん。大丈夫。いくらでも泣いて。大丈夫。よしよし。大丈夫だよ」
ビリーが扉を閉めた。冷たい冬風が無くなる。あたしはぐすんと鼻をすする。情けなくて、顔を隠す。体が震える。震えが止まらない。キッドの手があたしの背中を撫で続ける。
「よしよし。ああ、そうだ。一旦座ろうか。俺の膝の上においで」
あたしは離れない。情けない顔を見られるわけにはいかないと、キッドの胸に隠れる。
「あはは。困ったな」
嬉しそうな声が聞こえて、また手が優しくなる。
「大丈夫だよ。テリー。でも、ここは寒いから、ね、暖炉の傍においで。もう大丈夫だから」
あたしは離れない。ひたすらキッドのセーターが濡れていく。
「お前、意外と小さいんだね。もっと大きい気がしてたけど、うん。小さいや」
キッドがあたしの背中を撫でる。
「よしよし。よーしよし」
キッドがあたしをぎゅうっと抱きしめた。
「もう大丈夫だよ」
あたしの体から、震えが止まった。
(……ちょっと、落ち着いてきた)
ぐすりと鼻水をすする。キッドの手があたしの背中を撫で続ける。
「よしよし。テリー、大丈夫だよ。俺が傍に居るからね」
「テリー殿」
ビリーがあたしの手を握り、優しい声で話しかけてきた。
「一度体を暖めた方がいい。さあ、こちらへおいで。キッドや、お前は一回テリー殿から離れなさい」
「いやあ、それがさ、じいや」
キッドがにっこりと笑った。
「テリーが俺から離れてくれないんだ! いやあ、まいったなぁ! こんなに愛されてるなんて! 仕方ないから、俺が連れて行くよ。さ、テリー、行こうか」
「ココアを淹れている。さ、椅子に座って」
(あ、飲みたい)
あたしはキッドから離れる。ビリーの手を握り返した。
「牛乳入れてください」
「ああ。沢山入れてあげよう。座れるかい?」
「はい」
あたしは椅子に座る。ビリーがあたしにハンカチを差し出した。
「さあ、涙をお拭き」
「…ありがとうございます」
ビリーからのハンカチを受け取って、涙と鼻水を拭く。
(ああ、暖炉暖かい…)
体がぽかぽかしてくる。
ビリーがすぐにマグカップにココアを入れて持ってきた。
「さあ、お飲み」
「…ありがとうございます」
ココアを飲む。
(ああ、甘くて美味しい…)
「美味しいかい?」
「…はい」
「そうかい。それは良かった」
ビリーが微笑む。その優しい笑顔に、心から安堵する。
(…ああ、なんか、落ち着いた…)
またゆっくりとココアを飲む。ビリーの目が扉の前に移った。
「…キッドや、お前はいつまでそうしてるつもりじゃ」
「……………」
「ココアのおかわりは?」
「……いる」
「座りなさい」
「……………………」
キッドが黙ったままあたしの横の椅子に座った。そして、またにっこりと笑い出し、あたしの肩を抱いた。
「テリー、落ち着くまで俺の胸を貸してあげるよ。ほら、おいで」
「もういらない」
あたしはキッドの手を剥がした。
「触らないで」
あたしはココアを飲む。キッドがにっこりと笑った。あたしの頭に手を置いて、ぐちゃぐちゃと掻き回し始める。それはそれは実に乱暴な手つきに、あたしは目を見開いて、悲鳴をあげた。
「ぎゃああああああああああ!!!」
「あー、かわいくなーい。なあに? 俺が心配してあげたら何様なわけ?」
「うえええええええええええええええん!!」
あたしはビリーに泣きついた。
「あのお兄ちゃんが髪の毛ぐちゃぐちゃしてくるーーー!!」
「キッドや!!」
「何だ何だ、二人してさ。俺は婚約者の身を心配した馬鹿野郎ってわけかい? まあ、でも悪い気分じゃないな。大切な人を想ってこそ良心的な人間味が増すってもんだ。いいか。俺は善人だ。そいつよりも完全なる善人だ。人の善意を受け取らないから、髪の毛だってぐちゃぐちゃになるんだよ」
「お前は聞き分けの悪い子供か!」
「子供だよ! 俺はまだまだ聞き分けの悪い子供さ! ふん!」
ビリーがあたしの髪の毛を撫で、ぐちゃぐちゃになったところを整えていく。
キッドがむっすりと頬を膨らませてあたしを睨む。
「で? どうしたの? 乱暴に扉を叩くほど慌ててたんだろ。パニックにもなってた。教えて。何があったの?」
「そうよ」
あたしははっとする。もう声は出る。言葉は出る。
「キッド、あの…!」
クロシェ先生を見つけて。あたしに正解と不正解を教えてくれるあの人を、今なら助けられるの。だから、助けてあげて!
待って。
――――どうやって説明したらいいんだ?
言葉が再び、詰まってしまった。
「………」
「……テリー?」
キッドが首を傾げて、目を見開いたまま固まるあたしを見る。
本当は世界は一周していて、その一周する前の出来事をあたしが覚えていて、将来のあたしを救えるかもしれない家庭教師の先生が今日本日お亡くなりになるので見つけ次第ここへ保護して安全を確認して今日という日に先生を守りぬいて運命を変えてほしいとでも言えばいいの?
馬鹿じゃない? そんなこと誰が信じるっていうの? 気が狂ったと思われて終わりじゃない。
(どう説明したらいい…)
時計を見る。だいぶ時間が進んでいる。
(まずい)
時間がない。
どうしたらいい?
馬鹿な話をして信じる可能性のある言い方を、馬鹿なあたしはどうやって喋ったらいい?
(どうしよう)
何も思い浮かばない。
「テリー、言ってみて」
キッドが微笑む。
「お前の言葉なら、何でも信じてあげる」
「…あの」
「うん」
キッドが受け入れる内容を。
「どうしたの? テリー」
「あたし……」
ねえ、テリー?
「ばあばはね、実は、神様の声が聞けるのよ」
「えー!? かみさまのこえが、きこえるのー!?」
「そうよお」
ばあばがあたしに指を差した。
「テリー、今日、ばあばのプディングを食べてしまったのは、貴女ね?」
「え!? ち、ちがうもん!」
「本当に? じゃあ、神様に聞いてみましょうか」
ばあばが瞼を閉じた。あたしはひやひやした。ばあばがうんと頷いた。
「やっぱり、貴女だっておっしゃってるわよ」
「ごめんなさい!」
あたしは正直に謝った。
「ゆるしてください!」
「しょうがないわね。ママには黙っててあげるわ」
ばあばがあたしの頭を撫でた。
「もうやっちゃ駄目よ」
「はぁーい」
「サリア」
「はい」
「情報提供ありがとう」
「何のことだか、わかりません」
一瞬、幼いころの記憶が蘇る。
(そうだわ)
ばあばがよくやってた。
(そうだわ)
もう、これしかない。
「あたし…!」
あたしは、顔を上げた。
「あたし、ある日を境に、死んだお婆様から助言を聞くようになったの!!」
―――――――。
冷たい風が流れた気がした。
「じょ、げん」
キッドが、珍しく、言葉を詰まらせて、復唱した。
「そうなの。助言を聞くの」
「…へえ。助言ね」
「そう。助言」
「そうか。助言」
…………。
あたしの胸の中で、叫んだ。
(そんなもの誰が聞くかーーーーーーーーーーー!!!!!)
しかし、言ってしまったものは修正が利かない。
(えぇーい! こうなったらヤケクソじゃーーー!!)
「そうなの! 助言を聞くの! 半年前のことだって、あたしのお婆様の助言があってこその作戦だったんだから!」
「ん、うん!」
キッドがこくりと頷く。
キッドの顔があからさまに引き攣っている。
キッドが動揺している。
キッドが混乱している。
でもね、キッド、あたしが言いたいのは、そこじゃないのよ。
「昔から、あの、昔からそういうことがよくあって! あの! だから! 今回も、その、お言葉が、下りてきて! あの!」
あたしはキッドに説明する。
「…あたしの家庭教師の先生が、…今日、『変死体』で見つかるって…」
「…『変死体』?」
その言葉に、キッドの目の色が変わった。じっと、視線をあたしに定める。何か感じてくれたのだろうか。だったら、と、あたしは頷いた。
「ええ、体内から血は抜かれて、傷があるといえば首に二つの小さな穴の傷だけ。手掛かりはそれだけ」
「その先生はどこにいるの?」
「教材を買いに行ったみたいなの。手あたり次第探した。でも」
「見つからない」
「…そうよ。見つからない」
「その家庭教師の先生は女性?」
「女性」
「なるほど。…それは信じるしかなさそうだ」
キッドが口元を押さえ、頷く。
「変死体の話がなかったら、正直、テリーがおかしくなったのかと思った。安心した。お前は正常だ」
「何よ。…嘘は言ってないわよ」
(ばあばのこと以外は)
「本当だもん」
「ねえ、テリー。最近、この街で起きている通り魔のことを知ってる?」
「通り魔?」
ああ、そういえば、そんなこと昨日聞いたかも。小さな女の子が言ってたのを思い出す。
「ええ。そんな話もどこかで聞いたかも」
「その通り魔ね、それなんだよ」
「何が?」
「変死体」
あたしは眉をひそめた。同時にキッドは口角を上げる。
「すごいね。お前。当てはまっててびっくりしたよ。標的は、全員女性。絶対に体内の血が抜かれてて、体の傷は首に二つの小さな穴の傷。まるで小さな歯にでも噛まれたような痕だ」
「なんであんたがそんなこと知ってるの?」
「なんでだと思う? 答えは簡単だ」
キッドは笑みを浮かべる。
「俺は正義の味方だからさ」
「…前の、あの変な注射器と、何か関係してるわけ?」
「ああ…、これはこれは…」
キッドがあたしの頭を撫でた。
「ご名答。さすが名探偵」
「この間ので終わったんじゃないの?」
「残念ながら、終わってないんだ。今回の通り魔も同じような気配がする。だからお前の勘は当たってるよ。お前の家庭教師の先生は、今、すごく危険な立場ってわけだ」
「…触らないで」
頭を触ってくるキッドの手を解くと、キッドが笑った。
「手厳しいな」
手を下ろし、キッドが話を続ける。
「で、お前の話が本当であるなら、今日、お前の家庭教師の先生は通り魔の手によって死んでしまうわけだ」
ああ、なんてことだ。
「そうなると、俺の愛しいテリーがまた可哀想な顔で泣いてしまう。それは婚約者として、どうにかしないといけないな」
「…そうよ。あたし泣いちゃうわよ」
キッドをじっと見つめる。
「婚約者なら、愛しのハニーを助けてくれるわよね?」
「さあて?」
途端に、キッドが薄く、口角を上げた。
「それはどうかなあー?」
「…あ?」
「うん?」
あたしとビリーが、思わずキッドに聞き返す。
キッドは、相変わらずのいやらしい笑みを浮かべて、あたしを横目で眺めた。
「さっき、慰めてあげた俺を、お前は拒んだからなあ」
「…………」
「もういらない」
「…………」
「触らないで」
「…………」
「あーあ」
キッドが瞼を閉じて、掌に顎を乗せる。
「俺、傷ついちゃった」
キッドが瞼を上げて、じっとあたしを見つめる。
「なー?」
あたしは片目がぴくりと引き攣った。キッドはにやにや笑っている。ビリーが呆れたようにため息を出した。
「キッドや、お前は何を言っているんじゃ」
「いやいや、じいや、何を言ってるも何も、わかるだろお? 俺はすごーくすごーく傷ついたんだよ」
「…さっき、良心的な人間味が増していい、って言ってたじゃない」
「いやいや、テリー、俺はガラスハートの持ち主なんだよ。いくら口で平気と呟いたところで、過去の傷はなかなか癒えないのさ」
「はあ?」
「ったく…」
あたしとビリーが呆れた目でキッドを見る。
「どこがガラスハートよ」
「全く呆れるのう。お前は」
「ガラスはガラスでも、あんたのは超強力防犯ガラスを百重に重ねたやつでしょ」
「あまり人を困らせるものではないぞ」
「年下相手に大人げない」
「年下の女の子には優しくしなさいと言ってるだろう」
「最低」
「もっと紳士になりなさい」
「そうよ。もっと優しくしてよ」
「テリー殿、ココアのおかわりはどうかな?」
「…飲む」
「牛乳は入れるかい?」
「…はい」
「待ってなさい」
「…はい」
「はい。どうぞ」
「…ありがとうございます」
「キッドや、お前はもう少しテリー殿に優しくしなさい。婚約者なのだから」
「そうよ。あたし、乱暴な人は嫌い」
「そうだ。レディには優しくしないといけないとあれほど…」
キッドがぴくりとして、イライラして、かちんとして、形の良い口を大きく開けて、叫んだ。
「あーーーーーーーーーーー!!!!! うるさい! うるさい! うるさーーーーい!! そうやって二人で俺のこと馬鹿にして! 俺は傷ついたんだよ! 心というものにヒビが割れたのを実感したね!」
「大人げないわよ」
「結構!」
「テリー殿、ふーふーして飲みなさい。熱いからの」
「…はい」
ふーふーして冷ましてから、ココアをゆっくりと飲む。ふう、と息を吐くと、キッドの腕が肩に乗ってきた。
「つまりさ、わかってる? 俺はこのままお前の暴言と悪い態度に拗ねて、お前を無視することも出来るわけだ」
「…………」
「そんな目で見ても駄目だよ。俺は怒ってるんだ」
ただ、
「そうだな。婚約者であるお前から、何か愛のあるご褒美をくれたら、俺は機嫌が治って、お前に協力してあげるかもしれないね」
キッドがにこりと笑う。その笑みを見て、あたしの背中がぞくりとした。
「っ」
あたしはココアを手に持ち、少し尻の位置をずらした。
「何よ?」
「ふふ。何を怖がってるの?」
「別に、怖がってないけど」
キッドがにこにこして椅子の位置をずらした。あたしに近づく。あたしはココアをテーブルに置いて、椅子の位置をずらした。キッドから遠ざかる。
「テリー、俺、ご褒美が欲しいな。報酬っていうのかな?」
「お金なら、今日持ってきてないわよ」
キッドが椅子をずらす。あたしは椅子をずらす。
「お金なんていらないよ。ああ、そういえば、俺達、まだキスをしてないね。お前のために会社を作ったご褒美のキスは、唇じゃなくてほっぺただったことだし」
「あたしまだ11歳なのよ。唇にキスをするなんて、破廉恥な真似しないわ」
キッドが椅子をずらす。あたしは唇を押さえて椅子をずらす。
「何を勘違いしてるの? 俺はテリーを大切にしたいんだ。テリーは俺の希望だから。もちろん無理強いはしない。でもさ、時にはお前に愛されてるっていうのを感じたいんだ」
「…おえ」
「なんか吐いた?」
「何も吐いてないけど」
キッドが椅子をずらす。あたしは椅子をずらす。ビリーに椅子が並ぶ。
「あー、そうだ。思いついた」
キッドが椅子をずらしてから、笑顔で提案する。
「愛してるって百回言ってよ。そしたらお前の家庭教師の先生、探してあげる」
「何よ、そのふざけた提案」
「ふざけた提案? なんで? 愛してる相手になら、喜んで言えるだろ?」
あたしは立ち上がる。ビリーの背中に隠れる。
キッドが立ち上がる。あたしににこにこ笑う。
「ほら、テリー、愛しの俺に向かって全力愛してるを100回だよ」
あたしはビリーの背中に隠れて、顔を青ざめる。
(こ、こいつ、目が笑ってない…!)
冷や汗が噴き出る。キッドが笑う。
「言えるだろ?」
キッドが二歩近づいた。あたしの呼吸が止まった。
―――や、殺られる!!
あたしは酸素を思い切り吸い込み、全力で叫んだ。
「愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる!!」
息継ぎ。
「愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる!! げほげほっ!!」
計99言。
キッドが口角を下げた。
「一言足りないなあ」
「……アイシテル……」
「あっはっはっはっは! 結構!!」
キッドが満足そうに笑った。
「しょーがないなー。全く、テリーってば、俺のことが大好きなんだから。そんなお前に頼られたら、俺も断れないよ。仕方ない。協力してあげよう」
そして、ぶふっと吹き出した。
「…必死になるテリーって、この上なく面白いよね…。ぶくくくく…!」
(くっそぉ…!)
肩で呼吸をするあたしを見て笑うキッドを睨みつけていると、ビリーが口につけていたマグカップをテーブルに置いた。
「キッドや、あまり女の子を虐めるものでない」
「いいんだよ。皆に優しいこの俺が虐めるのは、テリーただ一人。この子だけは特別なのさ。喜んでね。テリー」
「……椅子の足に足の小指ぶつけてしまえ」
「なんかすげー呪いの言葉が聞こえた気がするよ。あっはっはっは!」
靴の先を床にこすりつけて、キッドが歩き出す。一歩二歩三歩。
「ほら、こっちおいで」
ビリーの背中に隠れるあたしの手を握り、引いて、あたしの胸の中に押し付ける。腕が巻かれて、キッドの温かな胸の中に、閉じ込められる。
そして、声色を変えて、優しくあたしの耳元で囁いた。
「大丈夫。お前が見つけられなくて泣くくらい、その先生は大切な人なんだろ?」
「………」
「ちゃんと俺が見つけてあげるよ」
キッドがあたしの頭を撫でた。
「もう、大丈夫だよ」
(あ)
キッドの手が優しく置かれる。
(あ)
もう大丈夫。
(もう大丈夫)
クロシェ先生は助かる。
キッドが助け出す。
キッドは、必ず助けてくれる。
もう大丈夫。
「……………………」
キッドの胸に顔を押し付ける。
急に目頭が熱くなる。
急に体が震えてくる。
キッドの手があたしの背中と頭を撫でる。
「一人で怖かったね。テリー。よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」
繰り返す。
「もう、大丈夫」
あたしの頭を撫でながら、キッドがビリーに顔を向ける。
「じいや」
「手配済みじゃ」
ビリーが手と同じ大きさの機械をテーブルに置いた。
「テリー殿、クロシェ・ローズ・リヴェ殿は、東区域広場で買い物をしておるようです。生きてますよ。危険である気配もない」
「事が起きてからでは手遅れだ。人をかき集めろ」
「それと、彼女の傍に、メニー・ベックス殿もいるだとか」
「メニー・ベックス?」
キッドがきょとんとする。あたしは鼻をすすりながら、ビリーに振り向く。
「…それ、妹です…」
あたしの、
「血の繋がってない、…末っ子の、妹です」
「ああ、本の子か」
キッドがあたしを優しく抱きしめた。
「なるほど、テリーと俺が会うきっかけを与えてくれた妹さんか」
………。
「どれくらい可愛いの?」
「最低」
足を踏むと、いてっ、とキッドが眉をひそめた。
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