第10話 仕事案内紹介所(3)




 ドリルを開いて、問題を解いていく。問題には必ず答えがある。計算式を組み立てていけば必ず答えがある。


 ただ、解けない問題もある。いくら計算式を組み立てても、どこで間違っているのか、答えに辿り着けない。


 ――お前だって好きな人いないんだろ?

 ――この関係を利用して、俺を好きになっちゃえば?


 あいつは何を考えている。


 ――ふりだけなんて楽しくない。

 ――どうせやるなら楽しくないと。


 あたしは鉛筆を置いた。ぐっと伸びをする。


(ああ、わかんない)


 この問題、難しいわね。

 そう思いながら、数字を眺める。


(あたし、算数苦手なのよね)


 ――愛してるよ。テリー。だぁいすき。


(婚約者ね)


 あたしはとんでもない奴と、関わってしまったのかもしれない。


(疑似恋愛でもしろっての?)


 どうせやるなら楽しくないと。


(確かにそうかも。これはお遊びなんだから)


 本当に結婚しなくていいと言っていた。これは期間が決められたお遊びなのだ。


(だったらいいじゃない)

(キッドと恋愛ごっこしたっていいじゃない)

(案外、楽しいかもしれないわよ)


 あんなイケメンが彼氏なんて、最高じゃない。


(なのに)


 あたしの心が言っているのだ。

 あたしの脳が言っているのだ。


 こいつは止めておけと、あたしに呼びかけるのだ。


(違和感を感じる)


 あいつには何か違和感がある。


(気味が悪い)


 ただ、一つだけこの問題には、三角マークの答えがある。


 キッドは、敵ではない。

 キッドは、あたしの味方である。

 キッドは、あたしが婚約者である限り、敵になる事はない。


(傍にいて害はない)


 今はまだ、この問題は考えないでおくべきだ。今のあたしでは、レベルが高すぎるのだ。


(11歳の女の子が、大学で出てくる問題を解けると思う? あたし、天才じゃないの。無理よ)


 確かにキッドは、本当に、これ以上ないほど美しい少年だと思う。もしも彼が貴族であれば、レディ達は黙っていない。舞踏会では人気者だろう。

 もちろん、城下町内だってそうだ。レディ達はこぞってキッドの虜だ。


 あの艶のある瞳に見つめられたら、たとえ14歳相手でも、少なからず誰でもときめくだろう。

 じっと見つめられ、愛しているよなんて囁かれたら、女の子が嬉しくなってしまうというのも、冷静になって考えたら、とてもよくわかる。


 だからとても不思議なのだ。あたしだって、不思議に思うのだ。


 キッドは顔だけ見れば超好みのはずなのに、どうして、あたしはこんなにも、彼を拒絶してしまうのだろう。


 キッドに口説かれたら、虫唾が走ってくる。

 そんなこと思ってもいないくせに、この嘘つきめ。と思う。

 どんどんキッドが憎くなっていく。


(キッドは味方よ)

(ただ、からかうのが好きなだけ)


 いいじゃない。多少からかわれても。キッドはあたしを気に入ってるみたいだし、あたしもそれに乗っかればいいわ。手を繋いで、一緒に歩いて、デートに出かければいい。レディが思い浮かべる理想を彼はわかってるみたいだし、ロマンチックなファースト・キスも、彼に譲ってしまえばいい。他の人よりも、きっといい思い出になるわ。


 それに、あんなイケメンの婚約者なんて名乗ったら、皆羨ましがる。理想が詰まった最高の恋人だ。


(なのに)


 なぜだろう。


(ほら、虫唾が走る)


 ひたすらに、不快感でいっぱいになる。


 あたしの心が完全に冷え切っているのだろうか?

 あたしがひねくれているせいだろうか?


 キッドは悪い人ではない。あたしのために、あんな会社も建ててくれた。感謝するべきだ。


 でも、どうして、なんで、なぜ、違和感を、感じる?


(やっぱり今の関係を続けるべきだ)

(深くもなく、浅くもなく)

(何を言われても)


 最終的におじゃんになる契約だ。泳がしておく。これが一番の答えだろう。

 彼は、あたしの契約相手だ。

 形上の婚約者だ。


(お互いに、本気で好きな人が出来たら)


 彼に言って、別の形でボディガードをしてもらえばいい。あたしも婚約を解消しても、恩がある限り、彼に協力する。


 だけど、人を利用して利用されて利用しようとして利用されているあたしが、



 こんなあたしが、将来、心から好きになれる人なんて、現れるのだろうか。



(…いるとしたら、一人だけ)

(昔、はるか昔)

(あたしがずっと憧れていた人)

(遠くから見る事しか出来なかった人)

(でも、もう関係ない)


 それは、もう昔の話だ。


(だって)

(彼は)

(あたしじゃなくて)


 メニーを選んだ。


「…………」


 暖炉の火がぱちりと跳ねる。


(トイレ…)


 あたしは立ち上がり、ドリルを放置して、部屋から出た。



(*'ω'*)



 廊下を歩いていると、偶然クロシェ先生と鉢合わせた。


「あ」

「あら、テリー!」


 マグカップを持ったクロシェ先生がにこりと微笑んだ。


「こんばんは」

「こんばんは」

「最近、夜が寒くなってきたわね」


 ストールを上に羽織る先生が肩を小さくした。


「どう? 宿題で分からないところはない?」

「今のところ、大丈夫です」

「良かった」


 クロシェ先生が追加で訊く。


「本の感想文、今度課題で出そうと思うのだけど、どう? 部屋でも少し読んでみた?」


 何週間か前に先生に渡された本。あたしはにこりと笑って頷いた。


「はい! とても素敵なお話で、とても楽しいです!」


(あの反吐が出そうな物語は途中で読むのをやめたのよ。感想文か。くそ、面倒くさいわね…)


「なんだか読みたくなってきちゃった! あたし、部屋に戻って、また読んできます!」

「ふふっ。いい事だわ」


 クスクス笑うクロシェ先生に、あたしが追加で訊く。


「そうだ。クロシェ先生、近いうちに、どこかに出かける予定はありますか?」

「うーん」


 クロシェ先生が首を振った。


「特にないかしら。前に三人で出かけた時に、必要なものは買えたから」

「何かあったら、また呼んでください。あたし、お出かけするのが好きなの」

「あら、そう。じゃあ、その時はお願いしようかしら」


 クロシェ先生が優しく頷く。生きてるクロシェ先生が目の前にいる。あたしはクロシェ先生に微笑む。


「お屋敷での生活、だいぶ慣れてきましたか?」

「まあ、最初の頃よりはね。でも、まだ迷子になりそうで。ふふっ。入ったことのない部屋ばかりだし、まるでお城みたい」

「お城はもっと広いです」

「テリーは行ったことあるの?」

「はい。何度か、パーティーで」

「へえ。いいわね。憧れてたわ。舞踏会。私は田舎にいたから、お城とは無縁の生活だったの」


 だけど、


「それが不幸と思ったことはなかったな」


 クロシェ先生が脳裏で、記憶を思い出す。


「私がいた町には、書店は一つしかなかったの。特別本を読む人は少なかったから、そのお店だけで皆充分だった。それで、ふふっ。私はね、本を読むのがとにかく好きだったの」


 クロシェ先生が楽しそうに微笑む。


「父の影響かしら。私の父は発明家なの。色んなことを研究して、発明して、それを発表する人。だから、昔から本を読むお父さんを見てて、私も本を読み漁ったの」


 テリー、私は町の人たちに、なんて呼ばれてたと思う?


「町一番の変わり者」

「ああ」


 あたしは頷いた。


「わかります」

「ちょっと? 私は変わり者じゃないわよ。本が好きなだけの、ただのお姉さん」


 クロシェ先生がくすりと笑う。


「将来は、学校の先生になりたいの。教壇で、テリーやメニーのような子供達に、勉強を教えるのよ」

「それが、クロシェ先生の夢ですか?」

「ええ。実現させようと、躍起になってる夢よ。でもね、その前に家庭教師で経験を積んでおこうと思ってたら、偶然、紹介の紹介で、ここにたどり着いたってわけ。雇ってくれた奥様には感謝しないと」


 クロシェ先生があたしを見る。


「テリーは、何か夢がある?」

「あたしは…」


 夢。


(もしも死刑が回避される未来が待っているのであれば)


 あたしは、



 ―――王子様。



「………………」


 脳裏に浮かんだ夢は、一瞬で黒く塗り潰された。


(叶わない夢を、思い出してしまった)


 あたしはにこりと口角を上げる。


「特にありません。このまま、お金持ちのお嬢様のまま、楽しく過ごせれば、それで」

「テリー、夢を持つと楽しいわよ。小さなことでいいの。結婚したいとか、素敵な恋人がほしいだとか、自分だけの王子様に会いたいとか」

「王子様はいません」


 クロシェ先生がきょとんとした。あたしは笑い続ける。


「王子様じゃなくて、あたしは全然大丈夫です。あたしのことをずっと愛してくれて、ずっと大切にしてくれる人なら」


 そんな人が、もしも、現れるなら、


「自分が幸せだと思えるなら、夢なんて、何だっていいです」


 それ以上は望まない。

 望んだら、全部崩れてしまう。

 あたしはそれを、よく知っている。

 昔からそうだ。そうだった。


 あたしの願いは、どこにも届かない。


(そういえば、昔からそうだった)


 あれが欲しいと思えば、失くす。

 あれを望めば、手に入らない。


(そういえば、願って叶えられたのって、初めてかも)


 キッドがあたしの願いを聞いて、会社を作った。


(それくらいかな)


 あたしの人生、どれだけ運が悪いのかしら。


(ああ、幸せになりたい)


「なら、テリーに課題を出しましょうか」


 クロシェ先生が呟いた。あたしはぽかんとして、瞬きして、クロシェ先生を見上げる。クロシェ先生は、女神のように微笑んでいる。


「簡単な課題よ。期限は、テリーがその課題を終えた時に、聞かせてもらいましょうか」

「どんな課題ですか?」

「将来の夢を、考えてください」


 あたしはぱちぱちと、瞬きをする。


「思いついたら、聞かせてちょうだい」


 クロシェ先生は微笑み、あたしの頭に手を置いた。


「テリー、大丈夫よ」


 クロシェ先生の手が、優しくあたしの頭を撫でた。


「テリー達を幸せにするために、私はここへ呼ばれたの。たくさん色んなことを教えてあげる。世界は広いのよ。幸せになるための知恵だとか、知識だとか、私の知ってること、全部教えてあげるわ。宿題もたくさん出して、貴女達の頭に叩き込みます。それでも、分からないことがあったら、遠慮せず訊いてちょうだいな」



 ――勉強をすれば、貴女の役に立つわ。

 ――貴方を守ってくれるの。

 ――自分の身に備われば、幸せになれるための役に立つかもね。



 変わらない。

 やっぱりこの人はクロシェ先生だ。


 あたし達の、たった一人の先生だ。


「ありがとうございます」


 素直に言葉を言えないあたしは、顔をうつむかせて、目を泳がす。


「何かあったら、必ず訊きます」

「ええ。でないと、私も仕事が出来ないもの。遠慮しないでね」


 クスクス笑う先生の声が心地好い。

 あたしの頭を撫でる優しい手。

 顔も、声も、魂も、心も、やっぱり、全部好き。クロシェ先生が大好き。


 死なせたくない。


 雪の積もった日に、先生は変死体で見つかった。


(何としてでも、阻止するわ)


 死なせるわけにはいかない。

 この人がいれば、あたし達は世の渡り方を学ぶことが出来る。


(死なせて、なるものか)


「テリー、今日はもう遅いから、寝なさい」

「はい」

「部屋まで送るわ」

「大丈夫です。一人で戻れます」


 あたしは先生から離れる。


「おやすみなさい」

「おやすみなさい。テリー」


 クロシェ先生が手を振った。


「良い夢を」


 あたしはにこりと笑い、先生に背を向ける。そのまま歩き出す。部屋へ向かって、足を動かす。


(クロシェ先生は出かける予定はないって言ってた。でも、彼女は必ずどこかで出かける。そして殺される。変死体で見つかる)


 雪が降りそうな寒さだ。


(いつ降ってもおかしくない)


 クロシェ先生は、必ず出かける。


(様子を見ておこう)


 あたしは足を動かす。スリッパの音が廊下を響く。ぺたぺたと、動く音が響く。風の音が響く。窓が揺れる。カタンカタンと揺れる。カタンカタンと揺れて、こんこんと、音が響いた。



 声が、聞こえた。



「中に入ってもいいですか?」


 あたしの目が動いた。


「中に入ってもいいですか?」


 あたしの足が止まった。窓から声が聞こえる。


「中に入ってもいいですか?」


 誰かの声が聞こえる。


「中に入ってもいいですか?」


 無邪気な声。


「中に入ってもいいですか?」


 あたしの体が動いた。


「中に入ってもいいですか?」


 あたしは手を伸ばした。


「中に入ってもいいですか?」


 赤い声が響く。あたしの脳裏に響く。


「中に入ってもいいですか?」

「誰?」


 壁に手を置いた。


「誰?」

「中に入ってもいいですか?」


 あたしは窓に近づく。


「ドロシー?」

「中に入ってもいいですか?」


 窓が近づく。


「誰なの?」


 あたしの足が近づく。


「中に入ってもいいですか?」




「お姉ちゃん?」



 はっとして、振り向く。枕を抱えたメニーが、あたしを見つめていた。


「どうかしたの?」

「今、声が」

「声?」


 メニーが眉をひそめた。


「鳥じゃなくて?」

「鳥…」


 あたしは手を伸ばした。窓に触れる。開けずに、窓から外を覗き込んだ。


 とても静かな夜の景色。鳥はいない。


 あたしはじっと、外を眺めた。


「……気のせいかしら」

「風かも。ほら、風の音って、時々人の声に似てるから」

「あー」


 なるほどね。


「納得した」


 あたしは窓から離れた。メニーに振り向く。


「で、あんたは枕抱えて何やってるの?」

「テリーお姉ちゃん」


 メニーがにこりと笑う。


「やっちゃった」

「………」

「読んでた本の中に、小話で、その、ホラーが」

「……………」

「あの、吸血鬼の、怖い話が」

「……………………」

「トイレ、一人で、行けなくなっちゃって…」


 メニーが顔を青ざめて、震え出す。


「も、漏れちゃう…!」

「お馬鹿!」


 メニーの腕を引っ張り、トイレに連れて行く。メニーがあたしに枕を渡し、中に入る。あたしは扉の前で待つ。


「お姉ちゃん、いるー?」

「いるいる」

「お姉ちゃん、本当にいるー?」

「いるってば」

「お姉ちゃん、何か喋って?」


 あーーーー!! めんどくせーー!!


 あたしは息を吸い込んで、話し出す。


 昔々あるところに三姉妹がおりました。長女次女は普通の娘。末娘の三女は、それはそれは美しいレディでした。しかし、彼女は本ばかり読んでいたため町のみんなからも姉たちからも変わり者の美人と言われておりました。そんなある日、父親が帰ってきません。心配になったレディは父が行ったはずの森へと向かいました。すると森の中にある廃墟と化したお城の牢屋の中に、閉じ込められていたのです。おー! 三女の娘よー! 逃げるんだー! お前のために薔薇を持って帰ろうとしたら、ここに入れられてしまったんだー! 早く逃げろー! ここには、恐ろしい野獣がいるんだー! レディが気がつく頃には遅く、背後には、それはそれは、醜い野獣が立っていたのです。


 メニーが扉を開けた。目を輝かせてあたしの顔を見る。


「…それから、三女のレディはどうなったの?」


 あたしと手を繋いで、廊下を歩き出す。


 レディは父を開放する代わりに野獣に捕まってしまいました。レディと野獣の生活が始まります。お城には野獣だけでなく、呪いで食器や時計、蝋燭となった使用人達がいたのです。皆、レディを客人として歓迎しました。


「呪い? そのお城には、呪いがかけられてるの?」

「あたし、まだ最後まで読んでないからわからないけど、多分、そうなんじゃない?」


 野獣とレディは一緒に過ごすうちに、どんどん恋心が芽生えてくるのです。レディは美しい女性。そんな人に恋をしていいのか、野獣は葛藤しますが、レディも野獣も、お互いを好きになるばかり。恋心が募るばかり。二人は、恋に落ちてしまったのです。


「わぁ、それ、何の本?」

「クロシェ先生から借りた本よ。ほら、課題で読んでって言われたやつ」

「ね、それ読み終わったら貸して。読みたい」

「分かった」


 メニーの部屋の前に着く。メニーが枕を抱いた。


「お姉ちゃん」

「おやすみ」

「待って」


 行こうとすると、袖を掴まれる。


(このパターンは、もうわかってるのよ…!)


 あたしはメニーに振り向く。メニーがあたしを見つめる。


「………一緒に寝て?」


(だと思った!!!!)


 あたしはにこりと笑顔になる。


「メニー、あんた、二月で9歳になるのよ。少しは大人にならないと、ドロシーに笑われちゃうわよ」

「笑われてもいいもん」


 メニーが枕をぎゅっと握る。


「…一人、怖いんだもん」


 メニーが目をそらした。


「吸血鬼のね、本当に、短いお話なんだけど、すごく怖かったの」


 お姉ちゃん、吸血鬼って、他人の家に入れないんだって。


「許可がいるんだって。この家に、入っていいよって言われないと、入れないの。でもね、本の中では、入れちゃうの。そしたら、吸血鬼が、その人を」


 メニーが喋るのをやめた。枕を抱きしめる。


「……お願い、お姉ちゃん。一緒に寝て…」


(なんで寝る前に怖い話なんか見るのよ。馬鹿なの?)


「しょーがないわねー」


(くそ)


 あたしは扉を開けて、メニーを部屋の中に入れる。


「今晩だけよ。メニー」

「…うん」


 部屋のソファーにドロシーが丸くなっていた。あたしが入ってきたのを見て、息を吐いた。


 ―――やっぱりね。君が来ると思ってたよ。


 そんな目をして、欠伸をした。


(あんたも大切な友達なら、慰めてやりなさいよ)


 メニーがベッドに行くのを見て、部屋の電気を消す。ベッド付近にあるランプが光る。その光を頼りに、あたしもメニーの隣に横になる。


(ママとアメリがいなくなってから、こいつと寝る日が増えた気がする…)


 嫌なのよね。朝とかに、こいつに寝顔を見られるの。見る分には別にいいのだけど、隙のあるところを見られたくないっていうのは、人間みんなそうでしょ?


「お休みなさい。お姉ちゃん」

「おやすみ」


 メニーがランプを消した。部屋が暗くなる。

 メニーがあたしに身を寄せた。あたしよ肩にメニーの頭がくっつく。メニーが体を震わせる。


「お姉ちゃん、手握って…」

「はいはい」


 手を握る。


(あたしはお前の母親か。いい加減にしろ)


 そんなことを言うわけにもいかず、メニーに体を寄せて、腕を伸ばし、メニーの背中を優しくなでた。


「よしよし、大丈夫よ。メニー。あたしがついてるわ」

「ん…」


 メニーがあたしに身を寄せる。あたしは微笑んで、優しく、手を握って、背中を撫でるだけ。


「吸血鬼って、朝は出歩けないんでしょ? じゃあ、早く寝なさい。起きたら朝になってるから」


 あたしはメニーを撫でる。


「大丈夫。夜はあたしがついてるから」


 あたしはメニーを慈しむ。


「さ、もう寝て。大丈夫よ。あたしがいるから、安心して寝て」


 メニーがあたしの胸に顔を寄せる。手をぎゅっと握る。メニーの息が、あたしの肌に伝わる。



 き も ち わ る い 。



(憎い)

(ああ、憎い)


 憎い憎い憎い。憎い。憎さが、憎悪が、恨みが、溢れてくる。


(堪えないと)


 いい姉を演じきるのよ。少なくとも、こいつが寝るまでは。


(メニー)


 暗闇の中、メニーを睨みつける。


(あたしはお前の世話係か?)

(あたしはお前のママか?)


 ああ、もううんざりよ。こいつの顔を見るのは、もううんざりよ。


「お姉ちゃん」

「ん?」

「ありがとう」


 メニーが微笑んだ。


「落ち着く」


 あたしに顔をすり寄せる。メニーが微笑む。手を握る。そのまま瞳を閉じる。


 あたしはそれに、冷たい視線を送る。


 胸では、メニーの呼吸を感じる。

 胸では、メニーのぬくもりを感じる。


 ああ。


 ああ、やっぱり、



 だ  い  き  ら  い  だ  。



「おやすみ。メニー、いい夢を」

「うん。お姉ちゃんも」


 あたしは、いいお姉ちゃんになってあげる。お前の都合のいいお姉ちゃんになってあげるわ。

 だからあたしを殺すな。

 だからあたしを見せ物にするな。

 だからあたしの好きな人を奪うな。

 だからあたしを不幸にするな。

 お前なんて、大嫌いだ。

 あたしを不幸に陥れるだけの存在のお前なんか、


 一生、好きになるものか。


 だけど、それでも、その胸の言葉を隠して、愛想を振りまいて、良い姉を演じきって死刑にならないなら、不幸にならないのなら、大嫌いなメニーを抱きしめることなど、痛くもかゆくもない。

 ただ、非常に異常に以上に無情に不快なだけだ。

 非常に異常に以上に無情に、歯がゆいだけだ。


(くたばれ)

(お前なんか、くたばってしまえ)


 あたしとメニーが、くっついて、眠りについた。






 風の音が鳴る。

 カタカタ窓が揺れる。

 影がゆらりと動く。

 ぺたりと、手の平が窓に張り付いて、剥がれて、


 消えた。










(*'ω'*)











 やあ。ごきげんよう。

 気分はどうだい?


 腕がうずいているんじゃないかい?


 うずいているのなら、我慢する必要なんてない。


 さあ! 行こう! 自由の世界へ!


 君は自由だ!


 困ったことがあっても大丈夫! 君には赤がついているんだからね!


「ちょっと、邪魔なんだけど」


 わお! さっそく青の登場だ!

 青を赤にしないと!

 君の役目だよ!

 青を赤にするんだ!


 そうすれば、君は幸せになれるんだから!


「ちょ、ちょっと、何よ。あんた」


 大丈夫! 君には、


 赤が


 ついてるよ!!!



「きゃあああああああああああああ!!!!!」



 あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!!!!!!

 自由って、なんて、


 素晴らしいんだろう!!!!!!!!!



 君もそう思うだろ?


 美しい赤に成り代わった、マドモワゼル。





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