第11話 女の子の日(1)


「ぎゃぁあああああああああああああああ!!!!!!!」


 トイレで、血だらけの便器を見て、血に染まったパンツを見て、メニーが胃の中に入ってその中でぐるぐる回って遊んでいるんじゃないかと思うほどのお腹の痛みに、悲鳴をあげた。通りすがりのメイドがトイレの扉を全力で叩く。


「テリーお嬢様!?」

「サ、サリア! サリアを呼んで!!」

「へ? サリアですか?」

「早くーーーーーー!!!」

「か、かしこまりましたぁ!!」


 あたしの必死の叫びに、ぎょっとしたメイドが急いでサリアを連れてきた。サリアが扉をノックする。


「テリーお嬢様、サリアです」

「サリア、下着…。薬…。早く。早くして…」

「……中に入れていただけますか?」


 痛むお腹を押さえながら静かにドアを開けると、サリアがトイレにかすかに残った匂いと、座り込んでお腹の痛みで震えるあたしを見て、にこりと笑った。


「テリー、そんなところに座っては、ドレスに皺が出来ますよ」

「いいわよ…。どうせ今日は一日ネグリジェ生活よ…」

「ふふっ。今のご自身の状況をご存知ですか?」

「…そんなことより、薬…、鎮痛剤を、早く…。うう…。…あたしは、ベックス家で一番重い人間なのよ…」

「テリーは賢いのですね。そうです。これは月経。子供を出産できるようになる女の通過儀礼です」

「知ってる。知ってるから…早く、薬…」

「クロシェ先生は貴女にたくさんの知識を教えているようですね。素晴らしい先生で良かったですね」


 ぐぎぎ…と、充血した目でサリアを見上げる。


「サリア…あまり虐めないで…」

「虐めてませんよ。何が起きてるか状況を説明しているだけです。それはそうと、薬を飲むにも胃に何か入れないといけません。お昼はまだでしたよね。スープか何か、ドリーに作らせましょう。さあ、お部屋に戻りましょうか。テリー。おんぶをしますので、背中へ」


 サリアの背中で運ばれ、部屋で下着を取り替え、ナプキンをつけて、ネグリジェに着替え、汚れた下着をサリアに渡して、ベッドで横になる。ぐったりと脱力する。

 すぐにスープが運ばれてきたけれど、飲む気にもなれない。でも薬は必要だ。

 一度目の世界でも、あたしの生理は重かった。もうとにかく重かった。しんどくて仕方なかった。


(とうとう来やがったわね…! くそ! こんな時に…!)


 震える手でスープを無理やり喉に流し込みながら、看病をしてくれるサリアに嘆く。


「ああ、駄目。死んじゃう。あたし、死んじゃう」

「これくらいで死にません」

「お腹が張り裂けそう。ぐるぐるしてるの。ああ、くらくらしてきた。世界が回ってる。貧血だわ。あたし、死んじゃう」

「薬を飲んで安静にしていれば、治まります」

「治まらなかったら? ああ、ほら、聞いた? ぐるるって唸ったわ。あたしのお腹の中で子宮内膜がぺりぺり剥がれてるわ。あー! もう駄目! あたし、死んじゃう!!」

「はいはい」


 サリアがあたしに薬と水を渡した。


「ほら、飲んでください。テリー」

「……ん」


 薬を見て、あたしはまたベッドに倒れる。


「玉の薬だわ! もうやだ! あたし、粉じゃないと飲めないのに! あー! もう終わりだわ! あたし、死んじゃう!!」

「飲む時に上を向いて飲んでください。そうしたら簡単に飲み込めますよ」

「…………」


 大人しく言われた通りに薬を飲み込む。


(他のメイドなら細かく切ってくれるのに。サリアのケチ)


 スープの皿もサリアに返して、あたしはベッドに潜った。


(あ、そうだ)


「サリア」


 あたしを見下ろすサリアに、お願いする。


「赤いご飯、やめるようドリーに言っておいて。アメリの時はお祝いとか言って赤い料理が並んでて、アメリは嬉しそうだったけど、あたしは嫌なの」


 恥ずかしいじゃない。そんなことされたら。

 言うと、サリアがこくりと頷いた。


「かしこまりました。先ほどドリーが今日はトマトを用意しなければ、と意気込んでおりましたから、この後すぐに伝えておきます」

「お願い。あたしはお腹が治るまで寝るわ」

「はい。おやすみなさい。テリー」


 サリアがベッドから離れていく。あたしも目を瞑る。

 こういう時は、寝るのが一番だ。

 ああ、でも、お腹が痛くて眠れない。

 ああ、痛い。本当に痛い。


 サリアがカーテンをして、照明を落として、部屋を暗くする。薄暗くなる。


 でも、痛い。

 ああ、お腹が痛い。ぐるぐるする。めまいがする。

 ベッドで横になっているはずなのに、めまいがする。

 血が抜けていく感覚。生理の赤いのは血じゃないとどこかで聞いた事があるけれど、あれは間違いなく血だ。血に決まっている。だって赤くて、体内から出てくるんだもの。あれは血だ。血じゃないって言った奴誰よ。絶対男よ。男だから分からないのよ。この痛み。この怠さ。この吸血されていく感じ。


(ああ、痛い)


 血が抜けていく。あたしの中から血が出て行く。ああ、痛い。ぐるぐるする。お腹痛い。お腹痛い。お腹痛い。きつきつ。ぐるぐる。きゅうきゅう。メニーが子宮の中で泳いている。ふざけやがって。メニーめ。よくもあたしの子宮の中で泳ぎやがって。


 メニーがあたしの子宮の膜を剥がしてるのよ。お姉ちゃんは結婚しないし子供産まないからいいよねって言って、中で剥がしてるんだわ。


 ああ! 痛い! 本当に痛い!!


 あたしはシーツを握りしめる。痛いなんて叫べない。叫べないくらい痛い。堪えることしか出来ない。


「サリア、痛い…」

「どんどん薬が効いてきますから、今は寝てください」

「痛くて眠れない…」

「大丈夫。すぐに効いてきます」


 嘘だ。だって、すごく痛いもの。痛い、痛い、痛い。


(痛い)


 薬が、効かない。

 シーツは暖かいのに、とても寒い。寂しい。

 痛い。孤独を感じる。

 寂しい。布団を握りしめる。


(痛い)


 痛い。寒い。痛い。ママ。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。サリアの嘘つき。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。薬が効かない。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。寂しい。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。孤独だ。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。いたい――――――――。


 いた、い――――――。


 ――――。





 ――。




















「テリー、ばあばは?」


 掠れた声が若々しく弾んだ。


「ばあば」

「ばー」

「ばあば」

「ばーば」

「そうそう!」


 ばあばが、嬉しそうに微笑む。


「テリー、ほら、呼んでみて」

「ばーば」

「うふふ! そうよぉ。私は、ばあば」


 ばあばが、あたしの頭を撫でた。あたしはくすくす笑う。ばあばもにこりと笑った。


「んんー! 可愛いわね。テリー。ご機嫌なの?」

「ばーば」

「うふふふ! そうよ。私はばあば」


 優しくて大きな手が、あたしの頭を撫で回す。


「貴女は?」

「ばーば」

「違う違う。貴女は、テリーよ」

「たりー」

「て、りー」

「たりー」

「ふふふっ! テリー」

「たりー」

「ふふふ! まあ、可愛いから良しとしましょう!」


 優しい手があたしを抱きしめる。


「あー、可愛い。テリー。ねえ、テリー、知ってる? テリーってね、素敵なお花の名前なのよ」

「はぶっ」

「こらこら。ばあばの指なんて美味しくないでしょ」


 あたしは咥えた指を離す。ばあばは笑う。


「テリー。ほら、見てごらん。サリアの横にある花。あれがテリーの花なのよ」

「たりー」

「そうよ。テリーよ。テリーの花。神話に出てくるお花なのよ。パパもママも大好きな花なの」


 ばあばがそっと、瞼を閉じた。


「テリーの花言葉も、また素敵なのよ」


 あたしの頭を撫でる。


「テリーの花言葉はね」















「ばあば……」


 呟いたと同時に、目が覚めた。視界がぼやけている。


(あれ? ばあばは?)


 あたしはぼんやりとした記憶を頼りにばあばを探す。しかし、記憶はすぐに思い出す。あたしは生理でぶっ倒れた貴族のお嬢様。


(……ああ、だる)


 体に一気に気怠さが戻ってくる。

 そして、自分が夢を見ていたことに気づいた。


『ばあば』の夢を。


「……あー……」


 体のだるさから声を漏れる。声を出したら少し緩和されるような気がして。でも、余計にだるくなるだけだ。


(もうひと眠りしよう)

(眠ろう)

(寝れば、いい夢が見られる)

(現実を見なくて済む)

(あたしがあたしでないあたしになれる)

(夢に、すがりたい)

(だるい)










 あたしはベッドに眠る。メニーがあたしの傍にやってきた。


「あれ、お姉ちゃん、いつもより耳が大きくない?」

「それは、あんたの声をよく聞くためよ」

「あれ、お姉ちゃん、いつもより、目が大きくない?」

「それは、あんたの姿をよく見るためよ」

「あれ、お姉ちゃん、いつもより、口が大きくない?」

「それは」


 あたしは口を大きく開けた。


「お前を食べるためよ!!」


 あたしはごくりとメニーを飲み込んだ。


「ああ、美味しかった」


 これでメニーとはさよならよ。もう二度と、メニーを見なくていいんだわ。


(さて、昼寝の続きをしようかしら)


 ぐるる。


「うっ」


 あたしはお腹を押さえる。


「痛い」

「お姉ちゃん」


 お腹の中から、メニーが壁を叩く。


「痛い、やめて」

「テリー」


 お腹の中から、メニーが壁を叩く。


「テリー」

「痛い、やめて、メニー」

「テリー」

「あ、痛い、駄目、痛い」

「テリー」

「ごめんなさい、痛い、許して、痛い、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」

「駄目。許さない」


 あたしのお腹がめりめりと、膨らんでいく。


「殺してやる」


 あたしのお腹が膨らむ。風船のように膨らんで、膨らんで、膨らんで膨らんで膨らんで膨らんで膨らんで、あたしは悲鳴をあげる。


 悲鳴をあげると、ぱちんとお腹が弾けた。


「ぎゃっ」


 情けなく叫ぶと、裂けたお腹の中から、血だらけのメニーが、赤色を纏って、ぬるりと出てきた。


「おはよう。テリー」


 赤色のメニーが、にこりと笑った。













 目をこじ開けて、無理矢理体を飛び起こした。


「っ!!!」


 シーツを握りしめて、肩で呼吸する。


(夢)


 今のは夢。


(夢…)


 へなへなと、体から力が抜ける。再びベッドに戻る。


(だるい…)


 どうして二度寝した時って、とんでもない悪夢を見るのかしら。


(ああ、嫌だ、嫌だ。あたしのお腹からメニーが出てくる夢なんて)


 お腹を優しく撫でる。


(………しばらく寝たくない)


 だるい体を起こす。枕を背もたれにして、肺に溜まった息を吐き出す。


(ああ、だるい。くらくらする。でももう寝たくない)

(怖い夢なんか、忘れてしまいたい)


 ぼうっと、顔が俯く。

 ぼうっと、意識を集中させる。

 ぼうっと、ぼんやりする。

 ぼうっと、思い出してくる。



「ばあば」

「んー? なぁに? テリー」



「…………ばあば」


 答える人はいない。


(ばあば)


 けれど、ばあばの笑顔を思い出す。断片的な部分しか思い出さないけど、それでも、あのしわしわのくちゃくちゃな手で、優しく頭を撫でてくれていた事を思い出す。


(そうだ。なんか、あの時期って忙しかったのよね)


 パパもママもバタバタしてて、アメリは人形ごっこに夢中。あたしが入るとアメリが怒ってくるから、あたしはばあばの元へ行くしかなかった。


「ばあば」

「テリー! なんて言葉を使ってるの!」


 ママが怒るから、その呼び方は二人きりの時だけ。


「おばあさま」

「テリー、アーメンガードは、今、お部屋にいるみたいよ」

「ばあば!」


 あたしはばあばの手を引っ張るのだ。


「ばあば、しゃしん、みたい!」

「はいはい」


 ばあばの膝の上で、アルバムを眺める。


「ばあば、これ、てりー」

「そうね。これはテリーよ」

「あたし、ちょう、かわいい!」

「そうね。可愛いわね。うっとりしちゃうわ」

「こればあば!」

「そうね。これはばあば」

「これは、しらないおねーちゃま!」

「そうね。これはサリア」

「ぱぱ!」

「そうね。これはダレン。貴女のパパよ」

「ぱーぱ!」

「ふふっ。そうよ。パパと愉快な二人組。全く、お仕事中に楽しそうだこと」

「これはまま!」

「そうよ。アーメンガード。貴女のママよ」

「まま、わかい!」

「ママもテリーと同じくらいの時があったのよ。テリーはママ似ね。猫目のところとか」

「あめり!」

「赤ちゃんのアメリアヌよ」

「あめり、あそんでくれないの」

「あら、そうなの。じゃあ、また今度、ばあばと、アメリアヌと、三人で遊びましょうか」

「うん!」

「ほら、テリー。ふふっ。このテリー、いい笑顔よ」

「ほんとうだ! あたし、ちょうかわいい!」








(お腹、痛い)



 お腹に、もやもやしたものが残っている。

 ひたすらもやもやしている。胸焼けしたように、むかむかもやもやする。


(あー、だるい)


 どうして女特有なんだろう。どうして男はそれを身に着けていないのだろう。

 生理がこないなんて、幸せ者ども。あたしは女がいいけど、流石に今だけ男になりたい。


 だるい。体がだるい。

 意識がぼんやりする。



 ……。




(…アルバム、見たい)



 あたしは自然と、暖かいベッドから抜け出していた。






(*'ω'*)






 お婆様の部屋に行き、本棚からアルバムを取り出して、地面に座って、アルバムを開く。


 若かりしママの姿。パパの姿。アメリの赤ちゃんの姿。お婆様が笑っている。四人での写真。アメリがぐずってる。

 このアルバムには、途中で赤ちゃんが増える。赤ちゃんの写真の下には、テリー、と書かれている。


(……あたし)


 そっと、指の腹で写真をなぞってみる。


(あたしが生まれた)


 目を瞑り、ずっと眠っているように、ママの体にすがりついている。

 アメリは、パパに抱っこされている。


 アメリの写真、家族の写真。あたしの写真。家族の写真。笑う家族。アメリとあたしの写真。楽しそうな家族。愉快そうな家族。


(これだけ見てたら、素敵な家族ね)


 けれど、ベックス家に幸せは続かない。


 パパとママが離婚して、家族はバラバラになって、ママはもっと厳しくなって、笑うことが少なくなって、アメリは我儘になって、あたしも我儘に育って、ママが再婚して、メニーがやってきた。


 この世界では、家族はまた一つに戻りつつある。メニーを含めての四人家族。


(これが、あたしが求めていた家族か?)


 あたしはアルバムを見下ろす。


(家族って、傍にいて、安心するものじゃないの?)

(家族って、笑顔で幸せに包まれてるものじゃないの?)


 今の家族はどうだ?

 幸せか?

 笑顔で溢れているか?

 この写真と同じように、皆、笑えているか?


(あたしは笑えてる?)


 少なくとも、一度目の世界よりはマシなんでしょうね。


 だって、あの世界では、あたしの家族は、何か変だった。




 何かが、変だった。






 ―――その時、きらりと光る何かを見つけた。




「……………ん?」



 南京錠だ。わずかに入った光に反射して、光ったようだ。


 あたしは棚の奥を覗いてみる。すると、奥底に南京錠で閉じられた小さなアルバムが、ぽつんと置かれていた。


(こんなアルバムあったっけ?)


 他のアルバムの本と比べて、大きさも太さも小さくて細いアルバム。あたしは腕を伸ばしてみる。


(埃は被ってない)


 手に取って、まじまじと見てみる。南京錠がアルバムを封印している。


(どこかに鍵があるのね)


 あたしはアルバムの周りを探してみるが、鍵はない。


(…どうしてこんなに頑丈にしまってるわけ?)


 気になるじゃない。

 知らないの? 子供って、気になるって思ったら、探し出すのよ。


(机かしら)


 あたしはアルバムを地面に置き、立ち上がる。お婆様の使っていたであろう机に触れる。引き出しを引っ張ってみる。中には、お婆様の日記が一冊だけ入っている。


(…誰も触ってないみたい)


 あたしはそっと触れてみる。開けてみる。震えた文字が書かれている。



 皆、愛してるわ。私は、幸せです。



(ばあば、流行り病だったわね。急に熱が出て寝込んだと思ったら、一週間後に亡くなってしまったのよ)

(…それまで、元気だったのに)


 人間って、脆い。


 あたしは日記を閉じて、引き出しを元に戻す。

 二段目を引っ張ってみる。ない。

 三段目を引っ張ってみる。ない。


(うーん…)


 お婆様のクローゼットを開けてみる。何も入ってない。

 お婆様のタンスを開けてみる。何も入ってない。


(………無いわね)


 ソファーの隙間を探してみる。椅子の隙間を探してみる。

 しかし、鍵が置かれてそうなところはない。


(お掃除した際に、誰か捨てちゃったのかしら)


 あたしはもう一度アルバムの前に戻ってくる。


(開けられないの?)


 ぐーーーーっと引っ張ってみる。びくともしない。


(ん?)


 しかし、アルバムの後ろに書かれていた何かに気付いた。


(文字?)


 あたしは薄く書かれた文字を、じっと、目を凝らして見つめてみた。










 忘れておくれ。テリーの花よ。











「…テリーの花?」


 テリーの花。

 この国によく咲く花の名前。この世界を救ったとされる女神アメリアヌが植えた花だという神話は、もう何度も聞いたことがある。


(忘れておくれ。テリーの花よ?)


 何のこと?

 このアルバムは、何なのだろう。


(あたし、これ見たことないかも)


 奥底にしまわれていた謎のアルバム。


(ああ、こういうの駄目。気になる)


 あたしはアルバムをまじまじと見る。


(ヒントは?)


 忘れておくれ。テリーの花よ。


(南京錠に花の模様が刻まれてる)

(………アルバムの鍵か)


 ちらっと、あたしは振り向く。お婆様の部屋に、花の入った花瓶が置かれている。


(花瓶…)


 あ。


 あたしは、リーゼとメニーのやり取りを思い出す。



――リーゼ、何やってるの?

――鍵を失くしてしまった時に困らないよう、予備を入れたんです。花瓶は便利なのですよ。こうやって入れておけば誰にも気付かれません。案山子が守ってくれてますから。メニーお嬢様も何かの鍵を見つけたい時、花瓶を探して見てくださいな。意外と予備が入っているものですよ。





 南京錠には、花の模様が刻まれてる。


(……………)


「まあ、でも、物は試しよね」


 あたしは立ち上がり、花瓶に手を伸ばす。持ち上げてみる。何も無い。


「でしょうね」


 花瓶の中を見る。花が入ってる。


「…………」


 鍵を探す時は、花瓶を探す。


(いやいや、あるわけない)


 あたしは鍵付きのアルバムをしまい、クローゼットの扉を閉める。


(あるわけ無い。まあ、分かってはいるんだけど…)


 振り向く。


「ちょっと、探してみるだけよ」


 言い聞かせるように呟き、あたしはお婆様の部屋から出て行った。


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