第3話 緑の魔法使い


 階段を抜けて、廊下を抜けて、裏口を出て、メイドに見つからないようにして、井戸のある裏庭へ辿り着く。


(……なに?)


 あたしは裏庭に視線をやる。井戸があって、一本の巨大な木があって、草があって、花が風に吹かれて揺れている。変わったところは特にない。


「……」


 あたしは一歩前へ出た。なにか落ちた痕跡。


「……あった」


 呆気なく見つけた。草の中から足が出ている。

 銀色のパンプスを揺らして、なんとか草の中から起き上がろうとしているが、それが難しいようだ。悶えるように唸っている。


「うーーん!」


 あたしはきょとんと、固まる。


(生きてる?)


 三階から落ちたのに。


「ちくしょおおおお!」


 草から出られない影が暴れ回る。


「ここはどこだー!! この野郎! ボクを謀ったな!!」


 草の中にいる影が暴れる。


「ボクの杖は、誰にも渡さんぞー!!」


(……杖?)


「ふん! ふぬ! ぬぬぬぬ……!」


 影が唸る。


「ふーーーー、んぬ!!!」


 ぽん! と草の中からなにかが勢いよく飛び出てきた。あたしは丸くした目でそれを追う。影は高らかに空に向かって、くるんと回って、くるんくるんと回って、あたしの目の前に着地した。


 その正体は、大きなとんがり帽子をかぶった、メニーと同い年くらいの少女だった。大きめのマントを翻して、ふーっと息を吐き、帽子のつばをくい、と持ち上げ、顔を上げる。

 緑のガラス玉のような瞳。緑のふわふわの髪の毛。なんだろう。顔は違うのに、メニーに似ている。似ているというか、メニーを思い出す雰囲気がある。緑の瞳が動く。


(あ)


 ばちりと、目が合う。


 ――しかし、少女は気にせず、あたしの周りをきょろりと見て、誇らしげに笑ってみせる。


「ふふん! どうなることかと思ったが、なんとか切り抜けられたようだな」


 ぽんぽんと、服とマントの土を叩き払う。


「今宵は、幸い魔力も満ち溢れている。こうして不幸に見舞われたが、さすがボク! 不備はない!」

「……魔力? 何それ」

「この溢れてくる魔力! ああ、やっぱりお月さまがよく見える日は体調がすこぶるいいね。ボクは低気圧に弱いんだ。特に熱帯低気圧なんて最悪さ。体調が悪くなるなんてどころじゃない。心が憂鬱になってしまうんだよ。気分が落ち込むとなにが起きると思う?」

「……」

「そうさ! 恥ずかしい過去を思い出すんだ! あの時のボクはこんなことをしでかしてしまったなって思い出すのさ! 思い出す時って、大抵低気圧で自分の体調がよくない時なんだよ。ボクだって出来ることなら、どんな時もどんな時もボクがボクらしくあるために好きなものは好きと言える気持ちを抱きしめていたいよ。でも低気圧があるから無理なんだ。低気圧が全部悪いんだ。ああ、わかる人いないかなあ。この切ない気持ち」


 少女が屋敷を見上げる。


「メニーならわかってくれるんだろうな」

「ん?」


 あたしは眉をひそめた。


「あんた、メニーと知り合いなの?」

「なに言ってるの。ボクは彼女の親友さ!」


 そう言ってもう一度あたしを見る。そして、一瞬ぴたりと固まる。


「うん?」


 目を見開く。固まる。あたしは少女を見つづける。


「……いやいや」


 少女が笑った。


「いやいやいや! はっはっはっ! これはびっくりした! テリーに声をかけられたと思った。まさかまさか。はっはっはっ! 全くなんておかしいんだろう。テリーがボクの声を聞けるはずないじゃないか。テリーなんかに。あっはっはっはっ!」

「……なんで、あたしの名前知ってるの?」

「そりゃあ知ってるさ。テリーと言えば、メニーの美しさに嫉妬して、こてんぱんに虐めてくれた悪女姉君の一人……」


 はっと、少女があたしを見る。呆然と、あたしも少女を見つめる。

 ははっと少女が笑い、青ざめていく。呆然と、あたしの血の気が下がった。

 少女が冷や汗をかく。あたしが冷や汗がわく。


 せーの。


「「ぎゃああああああ!!」」


 二人して悲鳴をあげて慌てふためいて逃げ出した。あたしは腰を抜かす。少女は木に隠れる。あたしが木に向かって、ぶるぶると震える指を突き差す。少女が木から顔を覗かせる。同時に叫ぶ。


「なんでそのこと知ってるの!?」

「なんでボクが見えてるの!?」


 なんてこと! このガキ、知ってるんだわ。あたしたちがメニーになにをしてきたか!


(あたしは過去の時間に戻ってきたんじゃないの!?)


 あたし、こんなガキ知らない。見たこともない。でも、こいつは確かに言った。あたしを、メニーの綺麗な心に嫉妬して、彼女を虐めた悪女姉君の一人だと。


(……こうなったら……)


 あたしは転がっていた大きな石を、両手で掴む。


(証拠を隠滅するしかない)


「ななななななななんでかな? ははっ! なんでかなー? あれれー? おかしいなー? ボクは、あれー? 魔法……あれー?」


 はあはあぜえぜえと、へたりこんで鼻息を荒くした少女が大きな水晶玉を懐から取り出し、それを覗き込む。それをじっと眺め、しばらくして、水晶玉を力強く掴んだまま、叫んだ。


「わからーーーん!」


 水晶玉を地面に叩き落とす。少女がはっとして、目玉を飛び出す。


「あーーー!! 僕の水晶玉がぁーーー!!」


 慌てて拾う。


「ひびが入ってるーーー!」


 顔を上げる。


「君のせいだーーー!!」


 あたしはすでに少女の目の前に立っている。


「うん?」


 少女がきょとんとする。あたしは石を高く持ち上げている。


「お?」


 あたしは少女に向かって、石を持った両腕を振り下ろした。


「ちょっと!」


 少女の声と同時に、あたしは目を見開く。


(いっ!?)


 石を持った両手が少女の前で止まる。そこからぴくりとも動かなくなる。


(動かない!)


 力を入れても無駄。


(なにこれ! 動かない!)


「……ちょっとー?」


 緑の少女が立ち上がった。


「このボクに、なにをしようとしてるのかな?」


 とん、と胸を押される。


「あ」


 あたしが後ろに転ぶ。


「ぎゃっ!」


 石が手から離れる。


「ひっ!」


 あたしはしりもちをついたまま少女から後ずさった。


「この」


 石を追いかける。石がころころと転がって離れていく。


(うっ)


 緑の少女の足元で止まった。それを、あたしが両手で持ってた石を、その少女は片手でひょいと持ち上げて、ため息をついた。


「こんなの当たったら、痛いじゃないか」


 少女が石を簡単に投げる。投げられた石が地面にぶつかる。……地面がへこんだ。


「ひっ!」


 あたしは後ずさる。


「ば、ばけもの……!」

「失礼な!」


 少女が仁王立ちであたしを睨む。


「偉大なる魔法使いに、なんて無礼なんだ」


 少女が腕を組む。


「全く、この世界でも君は変わらないね」


 緑の瞳があたしを見下ろす。


「都合の悪いことは隠そうとする。実に陰湿だ」

「なによ……」


 あたしは後ずさる。


「お前、なんなのよ!」

「ああ、君は初めてだもんね」


 少女が鼻で笑う。


「では、改めてご挨拶を」


 少女が帽子を脱ぐ。


「初めまして。陰湿で傲慢で冷血で冷酷な最低なレディ。テリー・ベックス」


 少女がお辞儀をした。


「ボクはドロシー。魔法使いさ」


 帽子を再びかぶる。


「さあ、君はどんなご挨拶をしてくれるのかな?」


 ドロシーと名乗った少女が、いやらしい笑みを浮かべた。


「ちゃんと貴族らしく、礼儀正しい挨拶をしてくれるんだろ?」


 あたしは黙ってドロシーを睨みつける。


「してくれるんだろ?」


 あたしは黙りつづける。ドロシーが懐から星のついた棒を取り出した。


(ん?)


「それ」


 棒を振る。その瞬間、あたしの体が立ち上がった。


(ひえっ!?)


 勝手にお辞儀をする。


(ひっ!?)


「ほら!」


 あたしより身長の低いドロシーが、あたしを見下ろす。


「ご挨拶!」

「……っ!」


 頭を下げたまま、ドロシーを睨む。ドロシーはあたしを睨む。


「礼儀正しく、はっきりと、その名を言え!」


 ちゃんとボクに伝わるようにね!


「さあ! 君の名前は!?」

「……」


 あたしは歯をくいしばり、ドロシーを睨み、口を動かす。


「……テリー・ベックスと申します。緑のレディ……」

「よろしい」


 直後、あたしの体が自由になる。


(ひゃっ!)


 地面に体がくずれる。顎がぶつかる。


「いった!」


 顎を押さえると、ドロシーが呆れたようにあたしを見下ろす。


「石でボクを殴ろうとした罰さ。反省するんだね」

「このっ!」


 立ち上がり、ドロシーの顔を叩こうと腕を振り上げると、ドロシーが呆れ顔。


「ああ、つくづく呆れるよ」


 棒を振る。途端にあたしの足が踊り出す。


「ひいっ!」


 勝手に踊り出す。


「やめ! 足が!」


 勝手に動き出す。


「やめなさい! やめろ! あたしの足に何をしたのよ!」

「これで懲りた?」

「いい加減にしなさい! あたしを誰だと思ってるの!?」

「ええ? 君は誰だい?」

「あたしはベックス家の次女、テリー・ベックスさまよ! この無礼者! 早くあたしの足を元に戻しなさい!」

「ああ、全く」


 ドロシーが再び棒を振った。


(え)


 ふわりと、あたしの体が宙へ浮かぶ。


(え!?)


 顔を青ざめる。


「ぎゃあああああ!!!」


 悲鳴をあげる。


「誰か! 誰か来て!!」


 空中でばたばたと暴れる。


「誰か!」

「無駄だよ」


 ドロシーが微笑む。


「君の声は遮断させてもらっている」


 ドロシーがどこから出したのか、箒を手に掴み、それに座った。箒が空を飛ぶ。


(ひい……!)


 あたしは真っ青になって縮こまる。


「ば、ばけもの……!」

「魔法使いだって言ってるだろ」


 ドロシーがあたしの目の前にやってくる。ふわふわと、二人で宙に浮かぶ。


「これでようやく落ち着いて話ができる」


 ドロシーが足を組み、肘を膝に置いて、手に顎を乗せて、あたしに微笑む。


「やあ、テリー。初めての空中はどんな気分だい?」

「……あんた、本当に魔法使いなの……?」

「そうだよ」

「魔法使いなんて、言い伝えじゃないの……? 全滅したんじゃないの……?」

「言い伝えねえ? 残念でした」


 ドロシーがにやりとする。


「御覧の通り、ボクは本物の魔法使い」


 あたしの顔を覗き込む。


「ねえ、ボクも訊きたいんだ。君、ボクが見えるの?」

「……ええ。はっきりと」

「それはおかしい」


 普通は見えないはずなのに。


「一体、なにが起きてるんだろう」


 ボクはメニーの様子を見に来ただけなのに。


「なんで君は大嫌いなメニーと仲良くお茶会をしていたんだい?」

「大嫌い?」


 あたしはにっこりと素敵な笑顔を浮かべる。


「なに言ってるの? 魔法使いさま。メニーはあたしの可愛い妹よ」

「可愛い妹?」


 ドロシーが鼻で笑う。


「散々こき使ったくせに、今さらなに言ってるの」

「嫌だわ。こき使ったのはママとアメリよ」


 あたしはにこにこ微笑む。


「あのね、ママと姉さんのアメリが、メニーを虐めだしたのよ」


 あたしは悪くないの。


「ママと姉さんが全部悪いの」


 そうよ。


「あたしは止めようとしたんだけど」


 でも逆らえなくて。


「あたしも被害者なの」


 ママとアメリが怖かったの。


「あたし、なにも悪くないの。あたしじゃないの。ママと姉さんが悪いのよ。だってあたし、メニーに優しくしてたもん。ね、魔法使いさま。あたし悪くないでしょう?」

「優しくしてた?」

「そう」

「へえ?」

「そうなの」

「そーなんだー」

「そーなのー」

「はっはっはっはっ」

「おっほっほっほっ」


 二人で仲良く笑う。


「君」


 ドロシーがにこりと微笑む。


「笑顔でよくもそんな嘘をつけるね」


 ドロシーが低い声を出し、指をぱちんと鳴らした。


(え)


 あたしの体が勢いのまま地面に落ちていく。


「いやあああああああ!!!」


 あたしは悲鳴をあげる。地面の寸前でぴたりと止まる。


「っ」

「君さあ、痛い目に遭ったんだろ? そろそろ反省したら?」


 ドロシーが眉を吊り上げて、あたしを見下ろす。


「なんでもかんでも人のせい。ああ、いつになっても醜い女だ」


 ふわふわと、あたしの体が再び宙に上がっていく。ドロシーの目の前に戻った。


「ママとお姉ちゃんのせいにするのかい?」


 ドロシーがあたしを見る。


「君はなにもしてないのかい?」


 ドロシーがあたしに微笑む。


「違うよね?」


 ドロシーは知っている。


「憂さ晴らしにメニーを階段から突き落としたのは誰だっけ?」

「アメリ」

「憂さ晴らしにメニーに物を投げつけたのは誰だっけ?」

「ママ」

「憂さ晴らしにメニーに悪戯の罪をなすりつけたのは誰だっけ?」

「アメリ」

「憂さ晴らしにメニーの仕事を邪魔したのは誰だっけ?」

「ママ」

「ふざけるな」


 ドロシーがあたしを睨む。


「全部君じゃないか」


 メニーに悪戯を繰り返す。メニーの反応を見れば、心がすっきりする。


「覚えがあるだろ」


 メニーに悪戯をする。このスリル。それが面白くて。


「君だって加担していた」


 メニーで遊ぶ。メニーの髪の毛を引っ張り、服を引っ張る。ドレスを破く。メニーが悲しんだ。あたしは笑った。くすくすと、純粋に笑った。


「だから死刑になったんじゃないか」


 あたしは黙る。

 黙って、ドロシーを見る。

 ドロシーがあたしを見つめる。

 あたしの口角が下がった。


「……なによ」


 素顔が出る。


「あいつが悪いんじゃない」


 あいつが美しいから悪いのよ。


「大人しく灰に包まれて、表に出なければいいのに」


 あいつが悪いんじゃない。


「君、このままメニーをどうするつもりだい?」


 あたしはくすっと笑う。


「貴族令嬢として大切に育てあげる。あたしの妹として可愛がって、親切なお姉さまとしてあいつの側にいつづける」

「それで?」

「死刑になる未来を回避する」


 あたしはドロシーを睨んだ。


「覚えてるのはあんただけじゃないのよ。魔法使い」


 あたしは思い出したのよ。


「死刑になる未来を」


 あたしはギロチン刑にされる。


「その通り。君は罪を犯し牢獄に入れられ、死刑となる未来が待っている」


 ドロシーの箒があたしの周りを回りだす。


「……君が思い出すなんて」


 いいだろう。


「なにが起きたか、説明しよう」


 ドロシーが手を叩く。


「まず、迫害を受けて魔法使いは全滅したという言い伝えがあるね? あれはそう伝わってるだけで、生き残った魔法使いもいる。ボクもその一人。そして、メニーの親友である」


 にこりと、ドロシーが微笑んだ。


「彼女とボクが出会ったのは舞踏会の日さ。覚えているかい? 王子さまと踊っていたメニー。ボクが世界一美しいドレスになるよう魔法で装飾してあげた。あの子は無事に王子さまと知り合うことができ、結婚できた。プリンセスとなった」

「……そう。あれはお前の仕業だったのね……」


 鋭くドロシーを睨む。


(どうやって参加したのかと思っていたけど、そうか。あの夜、この魔法使いによってメニーは舞踏会に来れたのね……)


 長年の謎が解けた。


(くそ……! 元凶はこいつか!)


 思い出すだけでもはらわたが煮えくり返りそう。舌打ちすると、ドロシーがつづける。


「そう。ボクがやったんだ。メニーはやっと幸せを手に入れた。でも、ふふっ。面白いくらいそこからは分かれたよね。メニーが幸せになっていく一方で、君たちは不幸のどん底に落とされた」


 そして、捕まった。


「裁判で、君たちの罪が公になった」


 牢屋に入れられる。工場で働くようになる。ママが死ぬ。アメリが死ぬ。


「罪人テリー・ベックスの死刑の日」


 君が死ぬ直前のことさ。


「とある人物に頼まれて、禁忌魔法を使ったんだ。それはもう大規模な魔法でね、生き残りの魔法使いも集めてやった魔法だ」


 とてつもない魔法だ。


「宇宙を一巡させる」

「……?」

「わからない? 宇宙が一巡するとどうなる?」


 あたしは首を傾げる。ドロシーが話をつづける。


「つまり、世界を元に戻したってわけさ。いいかい? 宇宙の歴史を一巡すれば、また世界の時間は元の時間に繰り返される。ここは夢じゃない。宇宙は一巡した。まあ、ボクらが覚えてる範囲での第二回目の世界ってとこかな?」

「二回……め?」

「おかげで魔法使いが迫害された歴史は繰り返されたけど、生き残りは以前よりはるかに多い。ボクを含め、一部の魔法使いたちが覚えていたからね」


 ただ、


「覚えているのは、魔法を発動したボクらだけのはずなんだ。だから、おかしいんだよ」


 じっとしながらなにか考えているように、あっちを見たり、こっちを見たり、あたしを見たり、ドロシーの目玉が動く。


「君の場合、本当に死ぬ直前で、生きていて、死んでいて、その狭間にいたから、唯一君だけが記憶を残したまま、この世界に来てしまったのかもしれない。そして思い出してしまった。……そう考えないと理屈が通らない」

「……その説明も、いまいちわからないけど……」

「とにかく、君が記憶を思い出せたのは、魔法を発動するタイミングが悪かった、いや、よかったのかな? 記憶が頭の片隅に残ってて、それで思い出せたんだから」


 ドロシーが屋敷を見上げる。


「この時期だろ? メニーの環境が大変なことになるの」


 見に来たんだ。


「虐められてる親友が困ってたら助けてあげようと思ってね」


 でも、


「それが貴族のお嬢さまになっていて、仲良く君とお茶会」


 ふう、とドロシーが息を吐く。


「反省してない君と、お茶会」


 ドロシーがあたしの顔を覗き込む。


「ねえ、どうする気? またメニーで憂さ晴らしするの?」

「……しない」

「自分が死なないために、良いお姉さんになる?」

「そうよ」


 あたしはね、


「あいつなんて大嫌いよ」


 どんなにこてんぱんにやられたって、悪いなんて思わない。


「あいつが全部悪いのよ」


 あたしのせいじゃないわ。


「メニーなんて嫌い」


 大嫌い。


「でも君は死にたくないから、メニーに良い顔をする」

「そうよ」

「ふむふむ」


 ドロシーが頷く。


「このままじゃ、君が同じ道に辿る未来が見えてくるよ」

「同じ道なんて、行かないわ!」

「どうかな? ボクには、はっきり見えるけど」

「……罪なら、もう償ったわ」

「ん?」

「だって、工場であたしは酷く虐められた。メニーにしてきた以上によ。迫害よ。あんなの、酷い迫害だったわ。ママは死んで、アメリが死んだ。メニーにしてきた報いなら、とうに受けた」


 ドロシー。


「あたしだって幸せになれるわ」


 そうでしょう?


「あたしにだって、幸せになる権利があるわ!」


 メニーは嫌いだけど、


「良い顔をしてたら死刑にならない。死刑にならないならいいわ。いくらだって良い顔してやるわよ」

「もうメニーを虐めない自信はある?」

「もう虐めないわよ。……子どもじゃあるまいし……」

「いつまでも?」

「いつまでも」

「イライラしたら、八つ当たりするだろ?」

「しないわよ!」

「ほら、怒鳴った」


 ドロシーがあたしから視線を外す。


「信用できないよ。そんな奴の言葉」


 ドロシーが空を見上げる。


「そうだな」


 ドロシーがあたしを見た。


「一つ、提案をさせてもらおう。テリー・ベックス」


 ドロシーが星のついた杖を振る。


「今までのことは当然の報いだ。君に対する罰。そして、これからこそが、罪償いの時間ということではないかね?」

「……なんですって?」

「君は罪を償うために走ることになる」


 決められた未来に逆らい、死刑を回避するためには、


「君が、君の罪を滅ぼさなければいけない。その活動を行ってもらおう」


 命名、その名も、


「罪滅ぼし活動!」

「……なに、そのダサい名前」

「ダサいとか言うな!」


 このボクがつけてあげたんだぞ!


「魔法使いやぞ!?」


 我、魔法使いやぞ!?


「馬鹿にしたら、痛い目に遭わせてやるぞ! こるぁ!!」

「もう遭ってる」


 ふわふわ宙に浮いて、身動きが取れない。


「わかった。つまり、未来を変えるために、あたしが働いて罪を償えってことね?」

「そういうこと!」

「なにをすればいいの?」

「そうだな。じゃあ、こうしよう」


 ドロシーがウインクした。


「メニーを可愛がって。心から愛を抱いて接するんだ」

「可愛がってるじゃない」


 あたしはにこりと微笑む。


「ちゃんと愛してあげてるわ」

「嘘くさい笑顔」


 ドロシーがため息を吐いた。あたしは口角を下げる。


「あんな奴を愛せって言うの? 拷問だわ」

「君の好きなネズミを可愛がると思えばいいさ。好きだろ? ネズミ」


 あたしは黙ってドロシーを睨む。


「……なんで知ってるのよ」

「好きだろ?」

「……工場の中で、まともな生き物がネズミしかいなかっただけよ」

「好きだろ?」

「うるさいわね! おかげでネズミは大好きよ!! あのキュートな尻尾と前歯に愛が止まらないわよ!」

「そうやって愛をメニーにもぶつけるのさ。愛すれば愛するほど愛が大きくなり、君自身も愛に溢れる。そうして人が愛を呼び、君が愛すれば愛するほど君も愛される。愛が満ちればみんなが幸せになれる。憎しみの裏返しは愛さ。君は、愛の形を間違えて捉えてしまっているだけなんだよ。だから愛の裏返った未来にしか行かないのさ」

「ちょっと、ネズミとメニーを一緒にしないでくれる? メニーはあたしを死刑にしたけど、ネズミたちは最後の晩まであたしと一緒にいてくれて、話を聞いてくれたのよ。あたしの恩人なのよ!」


 あ、違うわね。恩人じゃなくて、


「恩ネズミなのよ!」

「文句ばかり」

「当然よ!」

「そんなに死にたい?」


 その一言で、あたしは黙った。


「だって、そうだろう? ボクは君のために提案してあげてるんじゃないか」


 それを嫌だと、こうだとかああだとか文句と言い訳を並べてべらべらべらべら。


「ああ、全く。呆れかえるね。本当に死刑への未来を回避する気あるの?」


 いいかい? テリー。


「君は愛が足りない。愛が欠けている。君が生き残るために、メニーを愛するんだ。メニーだけじゃない。メイドも、執事も、アメリも、君の意地悪な母親も、全部、全部を愛するんだ。愛すれば君は救われる。愛さなければ、君はまた憎しみの種に水を差し、死刑という運命から逃れることはできない」


 あたしが口を挟む前に、ドロシーが続ける。


「メニーを心から愛さなければ、いつ、君の怒りと憎しみが爆発して、再びそれらをメニーにぶつけるかわからない。君だってずっと苦しいままだ。怒りと憎しみと恨みに支配されたまま、君は生きていたいのかい? それが君の幸福かい?」


 あたしはドロシーを睨む。唇を噛みながらひたすら睨む。なにも言えない。


「テリー」


 ドロシーは、あたしをあやすように、優しい音色で話し出す。


「ボクは、決して君が憎いわけじゃない。できれば、みんな、助けてあげたいんだ。これもなにかの縁。君に助言をあげよう。だけど、それだけだ。ボクに出来るのは助言だけ。あとは君次第だ。メニーを愛さなければ最後。君は死刑になる」


 ゆっくりと、あたしの口が開く。


「……死刑にならないために、あのメニーを愛せと言うの……?」

「他に方法があるならいくらでも聞こうじゃないか。でも、君は罪を償わなくちゃいけない身でありながら、死刑を回避しようとしている。さあ、どうだい? なにか良い方法があるのかい? ほら、ボクに提案してみなよ」


 なにも答えられない。ドロシーを睨むことしか出来ない。


「どうだい?」


 あたしは黙る。目を逸らす。ドロシーが笑う。


「はい。ボクの勝ち」


 そして、また星のついた杖をくるんと振った。


「さあ、テリー。そうと決まれば、今から君の罪滅ぼし活動はスタートだ。いいかい。まず最初のミッションは、愛するんだ。ひたすら愛するんだ。メニーを愛おしい妹と思い込むんだ。思い込みはすごいんだぞ。嘘を本物にする。偽りの愛が本物の愛に変わる。だんだん愛が本物になったら、次のミッションに行こうじゃないか。でもその途中でなにか困ったことがあったら、またここにおいで。相談くらいはのってあげるから」

「……」

「嫌そうな顔しない!」


 ぱんぱん! とドロシーが手を鳴らす。


「いいかい! 君の最終目的は、『メニーを愛する』!」

「……」

「復唱!」


 ぱんぱん! とドロシーが手を鳴らす。あたしはうんざりと声を出す。


「……メニーを愛する……」

「復唱!」


 ぱんぱん! とドロシーが手を鳴らす。


「愛し、愛する! さすれば君は救われる!」

「……なにそれ」

「復唱!」


 あたしはため息まじりに復唱する。


「……愛し、愛する。さすれば君は救われる……」

「極悪令嬢の言葉、確かに!」


 ドロシーが微笑んだ。


「さ、テリー。そうと決まれば、部屋に戻ってメニーを寝床に戻してあげて。ボクはその間に、この割れた水晶玉をどうにかするよ」


 あたしの体がゆっくりと地面に下りていく。足が地面に着く。見上げると、ドロシーは箒に乗ったまま、水晶玉を見つめていた。


「ああ、どうしよう……。怒られる……」

「……」

「どうしよう……! 割れてる……! どうしよう……!」


 ドロシーはもうあたしを見ない。ひたすら水晶玉を見て、傷を見て、どうしようと喚くだけ。あたしは溜まった息を吐き、裏庭から出ていった。


(罪滅ぼし活動?)


 あたしは歩く。


(メニーを愛する?)


 あたしは歩く。


(あのメニーを愛するですって?)


 あたしは笑う。


(そんなこと出来たらこんなに苦労してない)


 あたしは歩く。


(くそ)


 あたしは歩く。


(くそ)


 あたしは歩く。


(くそ!!)


 あたしはドアを開けた。


(くそっ!!!!!!)



 ――メニーが眠っていた。



 テーブルに突っ伏し、すやすやと安らかな顔で眠って、あたしを待っていた。


「……」


 あたしは部屋に入る。メニーの肩を叩く。


「メニー」

「ん……」


 メニーがぼんやりと起きる。目をこすり、頭を起こした。


「お姉さま……?」

「今夜はここにいなさい」


 あたしは優しく微笑む。


「一緒に寝ましょうよ」

「……ん……」

「ほら、ベッドへ」

「……ん……」


 メニーがうとうとしながら歩き出す。とてとてと可愛らしく歩き、あたしのベッドに向かう。横になる。枕に頭を乗せて、深呼吸する。


「ん……」


 あたしはシーツをメニーにかぶせた。


「……」


 メニーがそのまま、また夢の中へ旅立つ。


「……」


 あたしは息を吐いた。


「はあ……」


 頭を掻く。


「最低」


 メニーにあたしのベッドを使わせるなんて。


「なんてこと」


 あたしは顔を押さえた。


「こいつを愛せっていうの?」


 メニーは安らかに眠っている。


「無理よ……」


 あたしは呟く。


「無理……」


 あたしは心から呟く。


「こいつを愛するなんて、できっこないわ……」


 どうしよう。


「でも、死刑になりたくない……」


 どうしよう。


「……あー……」


 あたしは、深い、それは深い深い、ため息をついた。


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