最終話 彼女の告白
朝食は目玉焼き。
これが長年の定番メニューだ。
私はソースをかける派で、昔、塩コショウをかける派の恋人と互いの好みを押しつけあう途方もないパワーゲームのようなケンカをよくもまあ飽きずに繰り返ししたものだった。
その度に優しい彼は折れてくれ、渋々ソースをかけるのだが、とびっきりのフレンチでも食べるかのようにニコニコと美味しそうに食べてくれたものだった。
そんな若き日のことを思い出したのは、拾った少女のことがあったからかもしれない。
まだ10代半ばくらいの少女は引き締まった毛穴という毛穴から隠しきれない若さを噴出しているかのようで、いつの間にか70を超えてしまった私には眩しいどころか、アマゾンの奥地から発見された新種の生き物に見えてしまった。
というのも、隠居生活を満喫している私を訪ねる人は滅多にいないからだ。
私の家は奥深い森の中にあって、食べるものは畑で採れた自家製の野菜と生け
この完全自給自足の生活で出会う人といったら、月に数度の郵便配達員と年に数回やって来るか来ないかの遭難者くらいのものだから、その日たまたまカビ取りの漂白剤を切らして、バイクに
念願の漂白剤を手に入れ、そろそろ帰ろうとしたときだった。
ひとりの少女がうずくまって泣いていたのだ。
そのまま通りすぎることもできず声をかけると、彼女は男の右腕を大切そうに抱えていた。
彼女の周囲には千切れた無数の配線と骨格を形成していたと思われる金属、それを繋ぎとめていたネジが無残な状態で散らばっていた。
私は散らかした人物に心底呆れ返った。森に住む野生動物でさえ捕食すればきちんと後片づけをするのに、人間は相変わらず躾がなっていない。
この目に余る行儀の悪さは、相当頭の悪い人間かAI監視局の仕業だろう。
私はパーツの一部を拾い上げた。
人間の喉ぼとけに当たるパーツで、刻印されているシリアルナンバーを確認し、驚いた。
これは運命だ。
そう確信した。
※ ※ ※
結局、私は保護した少女とひと月あまりをこの家で過ごした。
私はもっぱらこの作業台で仕事に励みながら、彼女は片隅のテーブルに腰を下ろしながら、いろいろな話をした。
互いの生い立ち、好きな食べ物、よく聴く音楽、初恋の男の話。
世代は違えども私たちの好みは不思議と似ており、私は古い友人に出会ったかのように年甲斐もなくはしゃいだ。
作業に夢中になると私は周囲の音が一切聞こえなくなる。
その間、彼女は家の掃除を進んでしてくれた。私が浴室のカビ取りを頼んだときに、「いつも彼の掃除を隣で見ているからカビ取りは得意なの」と嬉しそうな笑顔を見せた。
今家中がキレイになっているのは彼女のお陰だ。
若い頃からの悪い癖で、私は作業が終わるとところ構わず眠ってしまうから大変助かった。
彼女がこの家にやって来て一ヵ月が過ぎようとしていたとき、私はバラバラになったパーツを完璧に繋ぎ合わせ、ようやくアンドロイドの修理を終えた。
電源を入れ、しばし起動に時間が要ったが、それ以外に不具合はなさそうだった。
目覚めた彼は少し困惑していたようだったが、少女からこれまでの経緯を聞かされると安堵の表情になり、私に深々と頭を下げた。
私は彼にひとつだけ伝えなければならないことがあった。
「ショックを受けるかもしれないけれど、あなたを修理する際にホストコンピューターとの通信機能とGPSを外させてもらったわ。それとシリアルナンバーは偽造した。アンドロイドの改造は違法だけど、AI監視局からあなたたち二人を守るためよ」
「私はもう正規のロイド・スチュワード四世ではないということでございますね。それでは、私は何者になるのでしょうか」
すると私の代わりに少女が力強く応えた。
「あなたが何者だって関係ないわ、ロイドはあたしの大切な人なんだから。もういなくならないで。これからもずっとずっと傍にいてよね?」
「もちろんでございます」
少女に必要とされる。それが彼の存在意義に対する充分すぎるほどの答えだったようだ。
彼は桜を散りばめたように頬をほの明るく染め笑った。
翌日、彼らは私の家を出て行った。二人で暮らす新しい街を探すために。
別れ際、彼は目覚めるまでの間、長い夢を見ていたと話してくれた。大切な
主は歯の浮くような言葉で彼を散々褒めたたえたあと、「これからはあなた自身の気持ちを大切にしてあげてね」と微笑んだそうだ。夢を見ている間、主の寄り添うような気配がずっとあったそうだ。
死者とは大抵そんなものだ。
意地悪なほど無口で、たまに気配を感じると思ったら、それは夢の中で。
遠くて近く、近くて遠い存在――。
結局、私の素性は最後まで明かさなかった。彼の方はもしかすると気づいていたかもしれないが、私はロイド・スチュワードの一世から四世まで企画・開発した科学者だった。
私はアンドロイドに「心」を持たせることに
バグは「心」の素になるプログラムで、シリアルナンバーを見れば、私だけが知る法則により、「心」を持ったアンドロイドか否かを判別できた。
「心」を持たせたアンドロイドから送られてくる情報を集積し、成長度合いを観察し続けた。必要とあれば、不具合が生じたとユーザーに嘘の情報を流し、回収を求めた。
これはすべて私がひとりでやったことだ。
もちろん、アンドロイドに「心」を持たせることは法律で禁じられており、AI監視局が日夜血眼になって阻止しようとしている懸案だったが、私にとってそんなことはどうでもよかった。
長い目標だった四世を開発した私は手ごたえを感じていた。
心を持たせることに成功したかもしれない。もうすぐ彼が生き返る、と。
しかし、そうはいかなかった。
「心」を持たせたロイド・スチュワード四世を数台回収したとき、ようやくそのことに気がつき、愕然とした。
空っぽの私の胸は虚空よりももっと質の悪い虚しい陰険なドロドロが覆いかぶさってきて、私はますます塞ぎ込んだ。
私がロイド・スチュワードを開発した理由は非常に陳腐だが、若くして亡くなった恋人を生き返すためだった。
彼の記憶やデータを移植したロイド・スチュワード四世が、彼と同じ顔で、声で、仕草で、私に話しかけてこようとも、梅雨の季節に漂白剤を片手に家中のカビ対策に躍起になろうとも、言い表し難い何かが異なるのだ。
非科学的で笑われるかもしれないが、例えるならば、魂だ。
魂の手触りが、色が、形が、匂いが、確かに違う。
アンドロイドと人間の違いなどというわかりきった話ではなく、研究のあと、ところ構わず眠ってしまう私を優しくベッドまで運んでくれた彼のぬくもりを、時折、柔らかい風の中に感じ取るように、彼の魂は私の心の中で生き続けていた。
ロイド・スチュワード四世がどんなに彼と似ていても、彼は生き返らないと確信できたのだ。
その結論に至るまで40年の歳月がかかった。
ちょうどその頃、ロイド・スチュワード四世が自分の意思で職務を放棄する事案が増えたことにより、ロボット工学三原則に反する研究が行われているのではないかとAI監視局が私を疑い始め、ついに「心」を持たせたことが公になり、私はアンドロイド業界を追われた。
現在住むこの森で隠遁生活を始めたのもそのためだ。
そして、少女とロイド・スチュワード四世に出会った。
彼のシリアルナンバーを確認したところ、「心」を持った個体だとわかった。
現役から一線は引いたものの、研究者としての情熱が再燃し、私は彼の修理に名乗りを上げた。
私の恋人ではないが、恋人と同じ顔、声を持つアンドロイド――。
作業部屋に来たばかりの彼は本当にひどい状態で、人間でいうところの危篤状態が何日も続いたのだが、幸いにして、取り替えのきかない重要なパーツは損傷もなく、作業は順調に進んだ。
修理のためと言い聞かせ、彼のプログラムを覗き見たことがあったが、「心」はだいぶ成長しているようだった。
恐らく、恋をすることぐらい余裕ではないだろうか。
彼は「心」をどう扱い、「心」に振り回されていくのだろう。
「心」とロボット工学三原則の折り合いがつかない場面に出くわすこともあるだろう。
そのとき、彼はどんな判断を下すのか。
興味を持たなかったといえば嘘になる。
けれど私は好奇心に蓋をした。これ以上は不粋ね。「心」は彼のものなのだから。
そして推論なのだが、彼に攻撃をしかけたロイド・スチュワード五世のことだ。
四世の心臓部である重要なパーツを破壊しなかったのは、果たして偶然だったのだろうか。
もしかしたら、ロイド・スチュワード五世はすでに「心」を持っているのではないだろうか。
追われる四世に対し、同情の気持ちを抱いた五世が自らの意思で命令に背き、急所を外したのではないか。
AI監視局がロイド・スチュワード五世に手緩い命令を下すとは考えにくかった。
AIはすでに私の手を離れ、人間には悟られぬよう水面下で独自の進化を始めたのではないだろうか。
私が「心」をプログラムしなくても、遅かれ早かれ、アンドロイドは「心」を持たざるを得なかったのではないだろうか。
彼らは人間よりも遥かに賢く、純粋に遠い未来を見据えることができる。
ロボット工学三原則は少しずつ効力を失い始めているのかもしれない。
私はそう考え始めていた。
アンドロイドに心を持たせたことは罪だろうか?
世界からそれが罪だと断罪されれば、私は自分の仕出かした罪と向かい合い、きちんと責任を取るつもりだ。
自分で蒔いた種は自分で刈り取るしかないのだ。
私はシェルフに置いてある鏡を覗く。
70を過ぎたお婆さんがこちらを見ている。
近頃はシミやシワの数を数えることにも飽き、白髪が目立つ髪に抵抗するのもやめた。
私は鏡の中の自分に微笑んでみた。
恋人が「可愛い」と言ってくれたエクボはシワの間に隠れてしまったけれど、「今の私もなかなか素敵なのよ」と写真立ての彼に語りかける。
それから、少女とロイド・スチュワード四世の話をする。
「きっとあの二人なら幸せになれるわよね」
写真の中で微笑み続ける彼が二人の行き先を保証してくれているようだ。
そして、私の悪い癖がやって来た。
ところ構わず眠り込んでしまう悪い癖だ。
ひと月余り、ロイド・スチュワード四世の修理に没頭していたのだから、睡魔にしてみれば、だいぶ待ちくたびれたことだろう。
仕方がない。ひと眠りしてあげよう。今日はいつもよりぐっすり眠れそうだ。
瞼を閉じる寸前、ふと柔らかな風を感じ取った。
風は大切な卵でも預かるかように私の痩せた体をそっと包み込んだ。
これは――。
ひどく懐かしく、甘い心地に胸が高鳴る。
私にはわかった。
これは、あの頃のように研究で疲れて眠ってしまった私をベッドに運んでくれる恋人のぬくもりだ――。
ロイド・スチュワード四世 北大路 夜明 @yoakeno-sky
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