21
排気ガスの匂いが、現実を思い出させる。これまで、彼とはあの寺でしか会っていなかった。だから、特別に感じていただけなのかもしれない。歩いた。とにかく、一人になりたかった。将平の時とは違うと直感的に分かった。どう違うか考えていた。
自分を呼ぶ声が聞こえた。安田が走って追いかけてきた。無視をして立体駐車場の階段を上がった。ついてくる靴音が響く。車の前で振り向いて見せる。
「なんでしょう」
「あの、言い過ぎました」
それ以上、安田は何も言わない。
我慢する。言わなければならないことは分かっている。
「大丈夫です。安田さんのお気持ちはよくわかりました」
分かって、その気持ちを知って、決めたんだ。ビル風が吹き抜ける。伸びた髪を払って、顔をあげた。
「甘えないでください。あなただって、自分を罰することでしか反省ができないだけじゃないですか。私よりずっと独善です。感傷に浸って、修行を言い訳にしてそうやってそこで立ち止まってればいいんです。あなたから教わることなんてありません。救いも悟りもいりません」
「答えが見つかったようですね」
「そうやってかっこつけていれば傷つかないですからね」
「…すみません」
安田の悲しそうな顔を見て、自分で言いだした癖にと思う。自分で終わらせようとした癖に、悲しい顔をするところが、将平に似ている。
「私の悩みも、あなたの悩みも、言葉にしたら、小さいんでしょ?」
「そうですね。そうでした」安田は穏やかな表情を浮かべた。
「その顔はずるいですよ」
「ずるいといわれましても」安田は困った顔になった。
「そんな普通の顔もできるんじゃないですか…もっと、普通に自分らしく生きましょうよ」実里はふざけた口調で言った。
安田はさらに困った顔をしている。
「からかってすみません。じゃあ、握手しましょう。これで手打ちです」
安田は首を傾げながらも、手を差し出してくる。実里はその手を握りしめ、見つめる。心は痛いが、笑いがこみ上げる。きっと、これが自然な形だとお互い分かっているからだ。やっぱり違う、これは恋愛とかそういうのでは、やはりないと確信した。
長方形に切り取られた駐車場から見える空は水彩色の紫だった。夕日はもう沈んでしまって、夜が近づいている。世間話をしながら、彼を乗せて寺に戻った。大橋は笑顔で迎えてくれた。ドアを開けて振り向いた安田に声をかけた。
「お元気で。酒井さんに会いにまた行きます」
「ええ、ぜひ。喜びます」
「本当にありがとうございました。安田さん。私、ちゃんと現世に執着して生きていくことにしたんです。そうすれば、生まれ変わりがあるでしょ?そして、もう一度生まれ変わったら、今度こそ一緒になりたい人がいるので」実里は精一杯の強がりを言った。
「私は、もう一度生まれ変わっても、彼女と一緒になります」
僧侶として、どうかなんてそんなことはもう関係がないだろう。本心から出た言葉なのだということは、ちゃんと知っている。彼が彼女を失ったことにしっかりと向き合っていることが改めて分かった。
私も失ったことにしっかりと向き合ってみなければいけないのだ。
きっとそれが彼に出会った意味なのだと実里は思った。
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