18


 紅葉の季節も終わり、山道は枯葉だらけだ。

アクセルを踏む足先が冷たくなって、エアコンを入れた。躊躇なく、外気を取り込む。


 小さい頃は、喘息持ちだった。両親は、転勤の度に郊外へ家を探した。その厚かましさが子供ながらに嫌いだった。今になって思えば、自分が両親を煩わせているという後ろめたさがあったのだと思う。 


 中学生時代の初恋は、転校でダメになった。両親を恨んで、それでも、その秘密を守りたくて、無言の抵抗をしていた。喘息の発作で死んでしまっても彼と離れたくなかった。


 次の転校先でひどいいじめを受けてから、必死に自分を押し殺すことを覚えた。学校側もぎりぎりのSOSを出していたようで、両親は察して、すぐに隣の学区へ転校した。振り返っても、あの時期が一番大人だった。新しい環境に早く順応しようと、必死に優しいふりをした。


 高校生になって、母が具合を悪くし、父が会社を辞め、持っていた社労士の資格で開業した。もう引っ越さなくていい。それだけのことで、人生が変わったような気がした。これからは、大切なものを、自分ではどうしようもない力で諦めさせられることはない。その安堵感を、今でもときどき思い出す。


 安田に求めていた安堵感の正体が分かった。どうしようもない大きな力を味方につけたような気がしていたのだ。これからの人生を乗りこなしていくことができる予感というべきなのかもしれない。


 駐車場から降りた時、違和感を感じた。

 門をくぐり、全景を眺めて気づく。裏手の庭にあったはずの大きな木が無くなっていた。


「気になるかい?」後ろから声が聞こえてきた。振り返ると、斎藤が立っていた。

「あ、はい。どうしたんでしょう?」

「住職が倒れたんで、檀家の方で、寄付してた庭の手入れどうするかって話になって、まずは朽ちてきて危なかった木を除いてしまったんだ」

「大丈夫なんですか?」

「たぶんねぇ。俺もその話をしに来たんだが、どうも典座さんでは話にならない」


 それだけ言うと、本堂の中へ入って行った。

 実里が予約をしたときには、住職はなんともなかった。大橋が本堂から出てきた。実里を見つけて、驚いた表情になる。


「あの?」

「今、二人は病院にいっております。最近はめっきり、修行僧がおりませんでしてね。大変なんですよ。私は、出身こそこちらですが、ずっと山梨だったので」

「大橋さんはいかれないのですか?」

「留守番ですよ。どうも話が長くなっていけないですねえ。ええとね、病院なら降りて行った先の市民病院ですよ。私が残って、こちらのことをします。今日はやりますが、体験は、しばらくおやすみですね。すみませんね」

「いえ、あの、今日は私だけですよね?」

「えっと、ちょっと待ってくださいね」

「いえ、良いんです。大変でしょう?また、住職が元気になったら伺います」


 実里は大橋にそれだけを伝えると、駐車場に向かった。発車しようとした時、斎藤が駆け寄ってきた。実里は、車を止め、ウィンドウを開けた。後ろから紙袋を持った大橋が小走りで寄ってきた。


「申し訳ない。これから行くのでしょう?それでは、着替えを届けていただけませんか?駅前の病院ですよ」息を切らした大橋は、努めてジェントルな口調で言った。

苦笑しながら受け取り、車を出した。


 ばれていたようだ。行って何かが変わる訳ではない。それでも今は、行くことに意味があるように思えた。

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