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「先輩、コーヒーに砂糖入れます?ていうか、サンドイッチ食べますか?」

「ううん。まだいらない」

「今日の夜って、精進料理ですよね?覚悟します」

「覚悟するようなものじゃないよ」

「なんか普通に山なんですね。もっと、心霊現象みたいなのが起きそうな怖いところだと思ってました。ドライブって感じで気持ち良いです」


 鹿野は外の景色を見ながら、コンビニのカフェオレを飲んでいる。顔は以前より晴れやかだったが、まだ失恋の痛手が垣間見えた。傍目にはただ具合が悪いようにしか見えないだろう。


 隣に、誰かを乗せて走るのは初めてだった。鹿野に一度連れて行ってほしいと迫られ、二人の休みが合う週に、一泊二日で修行体験をすることになった。寺には、婦人会の面々が集っていて、実里は簡単な挨拶をした。鹿野は小声で、常連じゃないですか、と言った。


 基本的な作務になると、鹿野は話しかけてこなかった。黙々とこなし、座禅の時間が来た。婦人会の面々は、近所の噂や不健康自慢をしていた。

実里は席を外し、トイレに行った。


 手を洗っていると、後から入ってきた女性が話しかけてきた。先日も声をかけてきた初老の婦人だ。


「あなた、本当に好きなのね」

「ええ、嫌なことを忘れられるっていうか」

「私はあんまり。得意じゃない。これ、内緒ね。婦人会のお付き合いで来てるの。もともと、よその集落から嫁いできた身だから仲良くならないと」

「大事なことですもんね」

「ええ、なんでこんなことが大事になっちゃったのかしら。ねえ、お姉さん。ここで修行したからって、仏様なんかにはなれないわよ」

「え?いや、仏になりたいわけではないんですけどね…」

「私、姑にいやがらせされてきたけれど、謝ることも許されないのよ?関係ないのよね。私がどう思ったかなんて。そういう怒りみたいなものが座禅中、ずっとよ。私が悪いんだけどね。ふふふ。あなた、結婚は?いえ、おせっかいではなくてね」

「まだです」

「そう。じゃあ、お仕事、嫌なことあるの?」

「仕事の悩みは些細なものなんです」


 婦人は、少しだけ頷いて出ていった。会釈だったのか、自分の中での整理ができたのか分からない。会話の途中でいなくなる人は、身の回りにもたくさんいるが、単純に「つまらない」と言い出せないだけなのだろう。


 実里は、そういう相手の機微が読み取れずに、よく相手にそうさせてしまう。その度に申し訳ないと思うけれど、自分の方から話題を切ると、なぜだか不機嫌なように捉えられてしまうことが多く、いまだに解決策が見つからない。実里も後を追って本堂に向かう。頭をよぎるのは許せない人間ばかりだった。


安田が入ってくると、黄色い歓声が飛んだ。


先日と同じように挨拶と軽い講話をして、終了となった。婦人会の面々は、帰って行った。初老の婦人は、バスの中から手を振っていた。その様子を見て、なぜか心が苦しくなった。やっぱり自然に話ができたのは将平だけだったからかもしれない。


 その後、黙々と、午後の作務をしていると、安田と酒井が来て、終了を告げた。日は沈んでいなかったが、時刻は夕食時だった。


 精進料理はとても上品な味だった。きっと、絶えずくる修行体験者のニーズが生きているのだろう。すべて、安田と典座と呼ばれる役職の僧侶がつくっているらしい。夕飯が終わると、緊張が解けた様子の鹿野も住職と世間話をしていた。


 午前四時から作務があるということで、自由行動になった。男女別の部屋だったが、女性部屋は鹿野と二人だった。


「あの、私、来てよかったです」

「そう?鹿野は飽きちゃうかもって心配していたけど」

「全然ですよ。座禅は中学の時以来でしたけど、良かった。精進料理もめっちゃおいしくてビビりました。正直、期待してなかったから」

「そうね。私も最初は半信半疑みたいな気持ちだった。あの漬物でお椀を綺麗にするのは、慣れないんだよなあ」

「まあ、ルールですからねえ。あの、話全然違うんですけど、先輩、あの副住職狙ってないんですか?」

「え?安田さん?」

「いや、別に大したことじゃないんですけど、あの副住職は先輩の顔見てるとき、目がいやらしいですもん」

「あんまりそんなこと言わないでよ。いやらしいって、失礼じゃない」

「うわ、先輩、眼中になしですか。むごいなぁ。絶対、あの人、先輩に気がありますって」

「そうやって、すぐに恋愛に結び付ける…。鹿野がいきなさい」

「お寺の女房は面倒くさそうだなあ。まあ、子供育てるならいい相手かもしれないけど」

「お互い、思ってもいないことは口にしないことだね」

「そうですね」


 二人で一緒に風呂に入った。一般家庭にあるものが一回り大きくなったような浴場だった。シャワーが二つある。女性が優先だったため、ゆっくりできなかったが、風呂から出るとそれなりに気分が良かった。二人並んでドライヤーを使っていると、就学旅行の夜のように、陽気な気分になった。


「若いって財産だなあ。というか、鹿野っていいな」

「先輩、オヤジくさいですよ」

「いや、身体の話じゃないよ。なんていうか」

「身体の話もでしょ?なによ、先輩の方が胸が大きいからって馬鹿にして。私の方が需要あります!」鹿野は、ふざけた口調で言った。


「なんていうか。若さは自信だよねって話。この前の適齢期の話をすれば、私なんかクリスマス過ぎのケーキですよ、どうせ。なんか、鹿野の可愛さって、前世で徳を積んだ分の初回特典。生まれながらの初回限定生産!って感じだよね」

「言ってる意味が何にも分からないんですけど。スルーしないでくださいよ。何がいいんですか。もう、知らない」

 鹿野がむくれている様子はとても可愛らしかった。

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