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 翌日の午後、アパートへ帰った。里奈は休みを使ってそのまま旅行に行くということだった。道中に将平からメールの返信があった。当たり障りのない内容だったが、それでもすぐに、返信をした。


 その後は、メールが来るたびに気になって確認したが、彼からのメールはなかった。気落ちしながら、アパートの階段を上ると、玄関の前に、人影があった。脇には買い物カゴのようなものが置いてあった。


「先輩!どこに行ってたんですか!」


 鹿野は走って向かってくる。目が腫れ、髪はしっとりと濡れていた。


「びっくりした。心臓止まるかと思った。え、ああ、ごめん。結婚式だけど」

「誰のですか」

「大学の先輩」

「もう、なんで言ってくれないんですか。私、昨日の夜から待ってたんですよ」

「あの、私、約束してたっけ?ていうか連絡した?」

「そんなわけないじゃないですか。自分のスケジュールも管理してないんですか。連絡は…充電切れて、できなかったんですぅ。ここまで来るのにマップ使いすぎたのが敗因です」

「ねえ、もしかして酔ってる?」

「先に頂いてました。あのね、先輩?どうして私が家を知ってるのかってことを先に聞かないといけないんですよ。こういう場合。さあ、入れてください。まさか、男がいるなんてことないでしょうね。チャイム散々鳴らしたのに出ない男なんてろくなもんじゃないですからね。許しませんよ」


 鹿野の目の前には、酎ハイのロング缶が二本転がっていた。


 部屋に入るなり鹿野は眠ってしまった。よほど疲れていたのだろう。予備のタオルケットをかけ、溜まっていた家事をこなした。鹿野は一切起きる気配がなかった。

洗濯機を回し、衣替えのタイミングで整理した冬服とドレスをクリーニングに出しに行った。


 すぐに帰る気になれず、誰かまともな人間とのコミュニケーションを求めて、国道沿いのスターバックスで休憩した。人口規模と出店数が比例するという話を聞いたことがある。こちらに来ても、生活圏には不便ない数あったが、全体では圧倒的に少ない。


 電話が鳴った。鹿野からだ。トイレの方へ向かいながら、電話を取った。


「もしもし、どこにいるんですか?めっちゃ、焦りましたよ。ここどこだって感じで」

「鹿野がすぐに寝ちゃったからでしょ。感謝してよ」

「すみません。でも、酷くないですか?他人の部屋に置き去りって。先輩の部屋だってわかるもの置いといてくださいよ。手がかり得るのに、かわいいチェスト開けちゃいましたよ」

「え?なんでそんな勝手なことするの。私のこと待ってたんでしょ?私の家にいるのは当然でしょ!馬鹿じゃないの!」

「すみません。出来心で。あの、許してくれますよね?」

「許さん。…ねえ、何か見た?」

「へへ、見ちゃいました。フォトスタンド。誰ですかこの人?先輩の彼氏?」

「何でもいいでしょ。なんなの!」

「ていうか、今、どこいるんですか。」

「今?クリーニングに行ってきた帰りだけど?」

「長くないですか?いつも言ってるじゃないですか。買い物の時、目当てのものを見つけたら買って、さっさと帰んないとダメなんだって」

「うん。それはそうなんだけどさ。ちょっと、酔っ払いに酔ってるって感じでさ」

「何、訳分かんないこと言ってるんですか。早く帰ってきてくださいよ。私、今、料理してるんです」

「ちょっと!もう…、あの…。何にもなかったでしょ…?」


 後ろに女性が並んでいたので、頭を下げて譲り、仕方がないので小声で電話をしながら車に向かった。


「卵とニンジン、タマネギ。あとは冷凍食品くらいっす。質素なオムライスになりそうっす」鹿野はおどけて言う。その声から、少し気を遣っているのが分かる。

「あ、そう。何でもいいよ。この週末、ちょっと贅沢してたから、それくらい倹約メニューだと社会復帰も早そうだ」

「なんか酒買ってきてください。私、一昨日、誕生日来て合法的に飲めるようになったんです」

「おめでとう。違法で飲んでたな?まあ、いいや。じゃあ、帰るけど危ないことしないでね」留守番をしている子供の安否を確認するように実里は言った。


 失恋したての彼女はきっと辛いんだと当たり前のことを思った。当たり前が一番つらい。

 玄関を開けると、バターの良い匂いがした。


「おかえりなさい。先輩。何、買ってきたんですか?」

「ワインだよ。明日から仕事だから、軽めにしよう」

「ええー。まあ、仕方ないですよね。あの、勝手に料理してすみません」

 彼女は小さく頭を下げると、また料理に戻った。

 実里はため息をつきながら買い物袋の中身を冷蔵庫にしまった。


 本当は、鹿野がかわいくて仕方がない。彼女には、自分に対して、媚びている様子が微塵もないからだ。きっと、相談できる人間が自分だけということは絶対にない。だからこそ断れない。鹿野にものを頼まれる人間はみんな気持ちよく引き受けているのだろうと思う。


「いいよ、ありがとう。ここんとこ、自動で料理が出てきて楽ちんだな」

 

 テーブルには、千切りにしたキャベツとニンジンが入ったボウルが乗っている。切り方にムラがあるのは、愛嬌だろう。

 家事ができないイメージを持たれるのが癪だったため、オムライスと格闘している鹿野の横で、冷蔵庫にある調味料を使ったドレッシングを作った。


「なんだ。先輩、自炊できるんですね。苦手なんだと思ってました」

「鹿野、君は失礼な奴だな。一人暮らしだと、冷蔵庫にストックしておくのリスク高いかと思って、様子見てたんだよ。でも、杞憂だったな。誰からも誘われないから、いつも食材不足なんだ」

「私は誘いましたよ?」

「そうだった。そうだった」


 足の低いテーブルに二人で向かい合って座った。将平以外とこうしてご飯を食べるのは初めてだった。


「おいしい。鹿野、実家なのにすごいね。これ、パスタソース合わせたの?」

「そうです。ありあわせの料理だから。不本意ですが、既製品に頼りました。トマトソースなかったら、チャーハンしか作れませんでしたよ」

「ごめん。でもね、まさか、他人が家で料理し始めるとは思わないし」

「腹いせですよ。私を待たせた。ちなみに、風呂も使いました」

「それはいいよ。一晩大変だったでしょ」

「シャワーの水圧弱くないですか?」

「それ、唯一不満なところなのよねえ」

「このドレッシング、どうやって作るんですか?」

「酢とレモン汁と胡椒。あ、そうそう」


 実里は立ち上がり、玄関に置きっぱなしにしていたプレゼントを取りに行く。

「お誕生日のお祝い」

 そう言って、タンブラーの入っている袋を差し出した。

「うわ、かわいい。先輩、どうしたんですか。こんなの趣味じゃないでしょ?」

「鹿野が使うんだから、私の趣味なんてどうでもいいじゃん。これからの季節は保冷もできた方がいいかと思って」

「ありがとうごさいます!もう、先輩大好き!」

 鹿野は満面の笑みで抱き着いてきた。これくらい素直に喜んでくれると、プレゼントのし甲斐があると実里は感心しながら思った。

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