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印刷所は想像以上の忙しさだった。本社と呼んでいる出版社の営業が優秀だからだろう。この場合、仕事ができるという意味ではなく、余計な仕事を取ってくるという意味だ。もっとも、会社が存続しているのは、営業とこの現場のおかげだと言ってもいい。
業務の不満としては、一番コミュニケーションを取るのが、元々いた部署だということだった。自分の後任になった人物は仕事が遅い。メールでしかやり取りはないが、バッファが足りないことが分かる。こちらから確認をすると、あいまいな返事でワンクッション置かれてしまう。正直にやっていないと言ってもらった方が、こちらの仕事が早く終わるくらいだった。ここにいるべきではないという苛立ちは、日に日に大きくなっている。
ふと横を向くと、実里の隣の席に同じフロアの鹿野がいた。
「先輩、昼飯行きましょ?」
「ごめん。本社に確認していた件、昼に連絡来るみたいだから出られない」
「えー。仕方ないですね。分かりました。明日は昼まで仕事しないでくださいよ」
「ごめんね」
「あ、何か買ってきます?」
「いや。うーん、じゃあこれで自分の分も買っていいよ」
「やったあ。じゃあ、コンビニ行ってきますね。サンドイッチで良いですか?」
実里は首だけで合図を送り、仕事を再開した。付箋がたまっていたので、片づける。彼女は少し図々しい面もあるが、概ね善人で、ぎすぎすした人間関係を望まない実里には好感が持てた。
周囲には板金、クリーニングの工場が立ち並ぶ。本社は、同じビルの他社の女性ともご飯に行くような環境だったため、配属当初は非常に男臭い環境に戸惑った。もっとも、この印刷所はパートの女性がほとんどで、フロアの人数は少ないため、こちらの環境については、次第に気にならなくなった。唯一の年下である彼女は、昨年、高卒で入った事務員で、いつも自分を昼食に誘う。きっと、二十六歳であっても、ほぼ同い年というくらいに職場の年齢層が高いからだろう。懐かれている。それは不思議と悪い気持ちにならなかった。
結局、本社からの連絡は午後に来た。
実里が深いため息とともに、残業の算段をつけている脇で鹿野はアイスを食べていた。
「なんで、ハーゲンダッツなのよ」
「いいじゃないですか。昼飯代ケチってアイスに使っているから、一緒ですよ」
「人の金だからって…。君、いい気になるなよ」
「すみませんね。一口いいですよ?」
鹿野はおどけて笑った。
実里もつられて笑ってしまう。仕事には正直うんざりしているが、職場での人間関係は気を遣わなくて良い。作業員が足りない時には、印刷作業を手伝う。単純な助け合いだ。自分の仕事に影響はない。身体を動かす作業は、気が紛れた。
週末はあの寺に行こうと思った。
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