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 隣県での生活が始まって、二か月が経った。実里は旅行の後から、座禅が組める寺をネットで探したが見つからず、大学の友人であった里奈に連絡をした。彼女は社員旅行で行ったことがある寺を紹介してくれた。七月の中旬の日曜日、彼女を連れて、出かけた。彼女への言い訳は、「母親が来た時に案内したい」というものだった。


 山道を車で進み、途中で大きなダムの上を抜けると朽ちた門が見えた。石畳は黒く濡れて、苔がみっしりと生えていた。近くに滝があるせいか、空気は湿っている。友人が薦める寺社がここまで本格的であることに驚いた。


「なんかすごい由緒ありそう。あれ、綺麗な庭だね。枯山水だっけ?」

「そうだね。私、大学出てすぐこっちだから、ドライブがてら同僚と回ったんだよね」

「なんか、渋い同僚たちだね」

「私の職場、町工場みたいなものだから、家具屋さんなんだけどさ。同僚っていっても若くても一回り上なんだよね」

「よく、新卒で入れたね?」

「まあ、コネかな。鈴木先生のお知り合いのところだったの」


 鈴木先生は里奈の担当教員であり、民族学が専門だった。将平も鈴木ゼミだった。ゼミが違うが、サークルの縁でよく遊んだ。


「意外な人脈だねえ。ちょっと迷わなかった?」

「悩んだけど、就活で失敗していたから、なびいちゃった。でも、良い職場だよ。皆、親切だし。バリバリ働き、きっちり休むって感じ」

「へえ、良さそうだな。私は、少し左遷ってところがあって」

「嘘、なんで?もう、早く彼と結婚していたら良かったのに」

「まあ、それはそうなんだけどねえ」

「なんかあった?」

「うーんとね、別れた」

「え、あんなに仲良かったのになんで?」

「まあ、思うところがあったみたいよ」


 里奈は何か思うところがあるように、考え込んだ。


「そちらを見るなら、本堂へお入りいただいた方がよく見えますよ」


 修行と節制を連想させる言葉とは無縁そうな恰幅のよい僧侶が後ろに立っていた。本堂に通され、お茶を出された。実里は、あまり長居するのは危険なように思えた。


「住職の吉田と申します。座禅体験でしたね。いつでも、歓迎です。ただ、あまりあなた方くらいのお申し込みを頂かないので、どうでしょう。少し、お話しませんか。マーケティングというやつです」


 ニコニコとするのが癖のようだ。胡散臭いなというのが正直な感想だった。


「私の友達が失恋してしまって」

「ちょっと」

「では、恋愛成就か何かですか」

「そんなところです。ね、実里?」

「いやいや。なんか、私、仏像とかこういう寺社仏閣を見ているのが、癒されるんじゃないかと思っていて」

「そう言っていただけると嬉しいです。作務さむの甲斐があります」

「作務ですか?」

「我々は、日々の行い全てが修行です」

「修行して、悟るんですか?」

「興味がおありですか?」

「少しは。その、修行の体験もできるのですか?」

「できますが、今は社員研修の時期でしてね」

「研修?」

「いや、うちは県内の企業さんが新入社員への研修としてご利用になる企業さんが多いのですよ」

「そうなんですか」

「お時間を取らせてしまいました。どうぞ」


 一通りの説明を受け、一時間程度座禅を組んだ。途中で、社員研修の一行が作務を行っているのが分かった。見よう見まねで形はできた。考え事が多く、以前よりも集中できなかった。


 きっと、心持ちの問題なのだろう。一度でも不信感を持ってしまうと、うまくはいかない。そうやって人や環境のせいにしているうちはまだまだなのかもしれない。


「なんだか、楽になった気がします」少し逡巡したが、実里はそういうことにした。

「そうですか。集中しておられましたね。結跏趺坐けっかふざで」


 結跏趺坐は、両足が太ももの上に乗った胡坐のような体制だ。座禅体験の前に調べてきたのだった。


「正直、いろいろ考えたいことも多くて、集中はできなかったんですけどね」

「私も。私、今年から第二新卒の研修係になって、ストレスがたまっていたし」里奈は言った。その瞳には憤りを感じる。

「だって、マナーくらい教わっているでしょう?そこから説明しなければいけないなんて変だもん」

「まあ、私達もゆとりだし…。そこまで変わらないよねえ」

「関係ないよ。全員、ここにぶち込んだ方がいいわ」

「はは。お待ちしていますよ」

「ああ、すみません」そこまで言って、里奈は恥ずかしそうに下を向いた。罰が当たると思っているようなしおらしさだった。


 座禅が終わった後は、お茶を飲んで庭園を見て回った。盆地ならではの湿度を含んだ風だったが、木陰は涼しく、なんとなく癒された気分になることができた。

「なんだか、最初は胡散臭いような気もしたけれど、良いところだね」

「まあ、寺社仏閣だって経営の時代なのよ。研修なんて、良い商売なんじゃないの?」


 修行が研修に役立つ理屈は分からない。それでも、効果はあるだろうと思った。日差しにほんのりと青みがかかり、雲行きが怪しくなった。夕立が来そうだ。帰り際に住職に呼び止められた。


「修行の体験というのなら、よい場所があります。他宗派ですがね」住職は穏やかな顔に少し俗っぽい笑みを加えた。


「違いが分かりませんが、違うところに行っても良いのでしょうか?何ができますか?」

「ええ。良いのです。日帰りの他に、一泊二日の修行体験ができます。あそこから紹介されてこちらへいらっしゃる方々もたくさんおります。ギブアンドテイクというやつです」


 吉田住職は柔和な笑顔を崩さず、「それに」と加えた。


「お見受けするところでは、あなたはなにやら救いのようなものを求めてらっしゃるようですからね」


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