8話 アクシデント(尿意)

 自宅でカメラの設定をしている間、彼は私の予想の通り神代さんとコンビニへ入り公共料金を支払っていた。そして彼女の虚言を全て受け流しながら森林公園へと向かった。

 一方、私は設定を終えた機材を手に直ぐに家を出た。私が葵さんの住むアパートの前に到着したと同時に彼等も公園に着いたようだ。


《そこのベンチに座るか》


 この様に先程からさり気なく自分の居場所を私に伝えてくれている。彼の稼いでくれている時間を無駄にする訳にはいかない。

 神山ゆかりがここへまた現れないとも限らない。十分に周囲を警戒しつつ、集合ポストへ行き彼の部屋番号のポストの鍵をほんの少し左に捻り4へダイヤルを合わせると本当に開いた。

 そこにあった鍵を取り出し、彼の部屋へと向かう。部屋の前に立ち、即座に持ってきておいた黒い雨合羽を頭まで被りマスクをしてから鍵を開けて室内に進入した。

 これは万一録画されていた時の為の保険。誰が進入したのかこれで神代さんは分からない。念の為、靴も父の革靴を履いてきた。


《神代って犬飼ってたよな。写真見せてくれよ》

《……勿論いいよ》


 葵さん、ナイスアシスト。

 直ぐに部屋のブレーカーを落とした。

 先ずは監視カメラの排除をする。部屋の全体を見たいと考えた場合、仕掛けたであろう場所は直ぐに絞り込める。

 鍵を閉め、上を向くとドアの上のスペースの角に黒い物体が張り付いていた。

 安易すぎる。こんな場所に仕掛けるなんて素人のする事。しかもこれはオンタイムで見られるタイプではない録画タイプ。回収しないと見る事の出来ないもの。

 緩すぎですよ、神代由衣夏さん。

 即座に全てのカメラを回収し、計五つのカメラを念の為その場で破壊した。ユニットバスに仕掛けていたのには流石の私も引いてしまった。

 そしてブレーカーを上げ、電力を復旧させた。そして持ってきたスペクトラムアナライザを起動し、盗聴器を見つけ出し即座に外した。仕掛けられていたのは二つだけだった。恐らくカメラに予算を取られた結果だろう。

 この間、十五分。


《……繭墨くん、喉乾かない? 私買ってくるよ》

《お姫様に買い出しなんてさせられない。一緒に行こう》

 葵さん、神代さんを一人にさせない様にしている。凄すぎる。


 それを聴きながら雨合羽を脱ぎ、マスクを外しこっそりとカーテンを開けて外を覗いた。

 神代由衣夏の侵入経路はベランダから。それを私はカメラで見て知っていた。

 ここは三階。女子が壁面を登ってきたとは考えにくい。

 となれば横から入ったと考えるのが妥当。右の部屋か、左の部屋かは分からない。確認したいけれど、誰が見ているか分からない以上カーテンを半開にする事もベランダに出る事も危険過ぎる。


 ここは一つ葵さんに頼む事にしよう。

 スマホを取り出し、彼に電話を掛けた。

《何だろ、フリーダイヤルからだ》

 イヤホンから彼の声が聞こえてきた。機転の効き方が本当に異常。

『もしもし、何か御用ですか?』

 彼の第一声はそれだった。

「取り込み中、申し訳ありません。神山ゆかりの居場所を聞き出して頂けませんか?」

『え、そうなんですか?分かりました』

 それだけで通話は終了した。


《……誰から?》

《宅配便が留守の間に来たらしい。ちょっとドライバーさんに電話してみる》


 見事な嘘で神代さんを騙し、葵さんが神山ゆかりに電話をしている間、時間短縮の為に破壊された私のカメラと盗聴器の仕掛け直しを始めた。


《今どの辺りに?》


 他人に対しても知り合いに対しても違和感のない見事な言葉のチョイス。本当に何者なんだ彼は。

《はい、了解》

 そう言って通話を終了した葵さん。折り返しの電話が出来ないこの状況、どうやって対処するんだろう。


《荷物は営業所に取りに行く事にした》

《……ごめんね、わたしと出掛けちゃったせいで》

《別にいいよ。それよりあの赤い飲み物、僕の家の近所では無いやつだ》

《……どれ?》

《アレ。えーと何だっけ、そうだドクターペッパー。確か商店街の薬局にはあったな》


 葵さん、最高。私にコールバックする事なく居場所を伝えてくれるなんて本当に最高。愛してます。

 彼の言葉を要約すればこうだろう。


『神山ゆかりは商店街の薬局に居る』。


 即座に作業を中断し、カテーンを少しだけ開け、屈んだままベランダへ出た。

 左を見ると、ベランダ同士を仕切る薄い壁が一度切断され、塞がれた形跡を発見出来た。これで神代さんは左の部屋からの侵入したのだと断定出来た。

 直ぐにベランダから部屋へ戻り扉を閉めカーテンを元通りに直した。

 そして玄関へ移動し、廊下へ出た。左の部屋303号室の前に立ち、インターホンを押した。

 恐らく中にいるのは神代由衣夏の協力者。

 しかし何度インターホンを鳴らしても誰も出てこなかった。

 不在、か。それとも居留守を使われているだけなのか。深追いは禁物。これが誰なのかは後からいくらでも調べられる。

 直ぐに葵さんの部屋に戻り作業を再開した。

 この調子だと一時間は掛かりそう。カメラや盗聴器は外すのは簡単だけれど、取り付けるのにはそれなりに時間を要してしまう。

 けれどここまでは想定内。というか上手くいきすぎていて怖いくらい。


 神代由衣夏は葵さんが足止め中。

 木村優子は帰宅。

 神山ゆかりはここから距離のある商店街。


 葵さんが神代さんとの会話の最中、何かボソボソと呟いた。イヤホンを耳に押し当て、聞き耳を立てる。

 それは小さな様で大きなアクシデントだった。


《……トイレ》


《……繭墨くんどうしたの?》

《いや別に。それより早く飲み物を買おう》

《……トイレ行きたいの?》

《トイレ? 何だそれは。聞いた事もない単語だな。人物写真の事か?》

 葵さん! それはポート「レイト」です! との私のツッコミは彼には届かない。

《……王子様だってトイレ位行くよ。わたしのために我慢してくれてたんだね。ごめんね……行ってきて》

《分かった五秒で戻る》


 そんなに限界だったのですか。

 先程私の前で一リットルペット一気飲みしてましたもんね。こんな所で綻びが生まれるとは誰が予想しただろうか、いやしていない(反語)。


《華先輩悪い。神代を一人にしてしまった。対処をしてくれ》


 直ぐに念の為ベッドの下に潜り込みはしたけれど、盗聴器もカメラも破壊済み。こちらに危機はない。問題は葵さんの方。

 彼がトイレに入る、というのでイヤホンを外し、三十秒ほど待って再びイヤホンを付けた。


《今走って戻ってる。神代はスマホを弄ってない。飲み物を二つ持って立ってる。彼女が差し出した方ではない方を選ぶ》


 飲み物に何かを盛られている事を前提に考えているなんて、貴方はどんな人生を送ってきたのですか。

 という突っ込みが出来ないのがもどかしい。


《悪い、待たせた》

《……全然いいよ。はい、ドクペ飲みたかったんだよね》

《僕飲めないんだ。結構癖あるしな》


 葵さんドクペ凄い好きですよね。ドクペは美味しいけどその嘘は不味いです。

《……そうだっけ。まだまだ繭墨くんの事知れてないなぁ。じゃあこっちの野菜ジュースでいい?》


 あっさり引いた……? 葵さん、やはり何か盛られている事は考え過ぎだったのではないでしょうか。

《やっぱりドク──》



《……飲めないんだよね? ドクペ》



《やられた》

 私にだけ聞こえる様呟いた彼の声は、絶望を孕んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る