1話 葵日記
高校二年になってから二ヶ月経った六月一日。
それはなんて事のない放課後の談笑から始まった。
「葵ってさー、彼女とか作らないのー?」
目を細め、薄ら笑いを浮かべる少女。
彼女は僕の一年の時からのクラスメイト、木村優子。ブラウンの髪をポニーテールに結んでいる背の高い美人な女子だ。性格は明るく気さく。外見と相成って周囲からは『姉御』と親しまれている。クラスの中心にいて、スクールカーストでは常に上位に立てる様な一種のカリスマを持っている。
「優子先輩!葵先輩に彼女なんて出来る訳ないじゃないッスかー!」
僕を小馬鹿にして跳ねている少女。
彼女は神山ゆかり。
黒髪をツーサイドアップにしているあざと可愛い僕の後輩だ。高校生には思えない程に小柄で一見して小学生に見えてしまう。噂ではファンクラブ何かもあるらしい。
僕に対しては気さくだが、その人達の前ではお淑やかに猫被ってると聞いた事がある。
「それもそうか。葵って何かヤバい雰囲気出てるし」
「そッスよー!見てくれは悪くないんスけどねー。いかんせんその髪が」
「これは地毛だ。放っておけ」
僕の髪は真っ白だ。遺伝子異常という訳ではない。ただ単に幼少期のストレスが原因だと思っている。気にした事は無いが非常に悪目立ちする。
「染めないんスか?」
「どうせ直ぐに卵の殻みたいになる。それに面倒だ」
「出たよ!葵の面倒臭がり屋!」
「そんなに何スか?」
「去年、あたし達が一年の時にさー、葵って先輩に虐められてたの。何せこの外見と言動じゃん?」
外見は兎も角、言動は普通だろ。
「そうなんスか?でも今は違いますよね?」
「そう、そこ!その虐めってのが陰湿でさー、上履きに画鋲入れられたり教科書破られたりは序の口。机もベランダからダイブする有様」
あれは面倒だったな。鴉の死骸を鞄に突っ込まれたり下駄箱に不幸の手紙を入れられたり制服燃やされたり、リンチされたり。
良くも色々考えるもんだと感心した。
「うへーそれは酷いッス」
身を震わせるゆかり。
「その全部を黙殺したのよ、そこの葵は。画鋲が入ってる上履きをそのまま履いて破れた教科書で授業受けてた訳!制服も何か焦げてて鞄には何かグロいの入ってて。時々何か全身濡れてたり鼻血出てたり。それでもずっと毎日無表情で登校してくんの」
「……まさかそこまでぶっ壊れてたなんて、正直葵先輩舐めてました」
「ヤバいでしょ。あたしは葵のフォローしようと思って毎日話しかけてたの。で、何で抵抗しないの?って聞いたら『面倒だから』って、バッサリ!」
優子が素振りする様に両手を振り下ろした。いう事もやる事も一々オーバーなんだよ。そんなに大した事じゃないだろ。
「それで面倒臭がりッスか。そんで虐めは終わって今に至るって感じッスかね?」
「いや、本当にヤバいのはここから」
「もう良いだろ」
僕は話を折ろうと会話に参入した。
面白い話じゃない。僕の話だけなら兎も角、他人の話が入るとなれば話は別だ。
「……あの、私は大丈夫だよ。繭墨くん」
僕の右に座っていた彼女が初めて言葉を発した。
彼女は神代由衣夏。
長い黒髪が印象的な少女だ。前髪だけは一直線に切り揃えているのだが、それが目の下まで降りて来ている為に表情を窺い知る事は出来ない。
クラスに一人は必ずいる様な内気な女の子だ。
僕達四人は、図書委員会での会議を切っ掛けに意気投合し、時々こうして放課後の教室で談笑を楽しんでいる関係だ。
「神代が良いなら別にいいけど」と、僕は優子に話の続きを促した。
「あ、ごめん。ちょっと調子乗っちゃってたね、あたし」
そう言って僕と神代に頭を下げる優子。
こういう所があるから憎めない。自分が悪いと思ったら、直ぐに謝る。それが出来る人間は結構少ない。尊敬に値する。
「……もうあれから一年経つし大丈夫」
神代の視線を追い掛けて教室の窓の外を見てみると大雨が降っていた。
梅雨の時期なのだから仕方ないのだが、こうも毎日降られてはさすがの僕も愉快には思えない。嫌な雨だった。
「何があったんスか?」
身を乗り出して好奇心を露わにするゆかり。
「んー、二人が良いって言うのならいいか。その虐めをしてた連中が葵に飽きて……というか恐れ慄いて、他のターゲットを虐め始めたの。そしたら葵、それまでずっと何も仕返ししなかったのに、そいつらをボッコボコ」
そう言いながらまたオーバーリアクションで両手を振るう優子。
虐めのターゲットは神代だったという点はボカしたか。優子、やっぱり気遣い出来る優しい子だなー。
「うへぇ……」
「葵、三年生の教室に一人で乗り込んだんだよ。そんで殴り合い。教室は無茶苦茶。聞いた話だけど、あれは喧嘩じゃなくて殺し合いだったって話。ウチの学校じゃ超有名」
殺し合いなんてしてない。僕があいつらを一方的に殺そうとしただけだ。
「……それでどうなったんスか?」
「虐めしてた三年生全員は入院。葵は軽症というとんでもない事が起きた」
殺すつもりで乗り込んだ僕と、道楽であんな事してた奴等に覚悟の違いがあるんだからそりゃ同然だ。
「葵先輩、そんな女の子みたいな外見なのに強いんスね……」と、目を丸くして僕を見るゆかり。
「別に普通だ。それに軽症じゃない。両手と鼻の骨が折れた」
「虐められてたって事もあって葵は停学で済んで今に至る。って感じ。葵がこの学校にいる限り虐めは起きないんじゃないかなってのが通説」
そんな通説あんのかよ。僕は別に正義の味方でもないんでもないぞ。神代が泣いているのを見たから、代わりに僕が勝手に復讐を請け負っただけだ。
「それだけ聞いてると葵先輩、本当にヤバい人ッスね……今も何考えるのか分からないッスし」
「……繭墨くんは優しいよ」
「神代、フォローありがとう。でも僕は優しくないよ」
優しい人間は他人を殴ったりしない。自分の中に抱え込んで、悪いのは自分だと言い聞かせる君の様な人を指して使う言葉だ。
「んーでも確かに葵って未だに訳わかんないとこあるかも。こうやって何の因果かみんなで放課後集まって雑談する様になってもう一ヶ月でしょ? でも人柄とか行動原理とか謎」
「謎めいてますね」
「……確かに。私、知りたいかも」
三人の視線が僕に集まった。
「行動原理なんて無い。壊れてる物に法則性を見出そうって考えが既に間違ってる」
「でも生活のパターンとかには法則性はあるでしょ?それを調べるっての面白そうじゃない?」
そりゃ生きてれば飯を食って登校して帰って寝るくらいの法則性は生まれるけど、そこから行動原理を割り出すのは無理があると思う。
それに何も面白くないと思う。
「……やって、みる?」
「面白そうッスね」
「どうせならゲームにしようよ! 葵日記をつけるってのはどう? そんで最期にみんなの前でプレゼンして、一番詳しく調べられた人が優勝! っていうのどう?良くない?」
「僕は夏休みの自由研究素材かよ」
そんなに謎めいてないからガッカリするぞ。
猟奇殺人犯だってフタを開けてみればあるのは狂気だけで、常人には理解が及ばないただの人間失格だった。なんて事が多々だ。普通の人間から見てみれば行動原理なんてあってない様なものだ。
それに僕にあるのは怠惰だけだ。
他には何もない。情熱も愛情も悪意も善意も持ってない。守りたいものも大切なものも譲れないものも夢も理想もない。
ただのガラクタだ。無価値なガラクタに行動原理なんて存在しない。
「いいッスね!やりましょうよ!」
「……楽しそう」
僕の目の前でプライバシー破り宣言が堂々展開されていく。それはどうにも収まる気配がない。
まあ、いいか。どうせお遊びだし。
と、話していると教室のドアが開き黒髪の美人が入って来た。
「御白い話をしてますね。私も混ぜて頂けませんか?」
現れたのは僕たちの先輩。図書委員長である御白井華だった。
長く艶のある黒髪が、身体の動きに伴って微かに揺れた。それだけで他人を魅了する、魔性を持った人間だ。
真っ白な肌とパッチリとした猫の様な吊り目。背が高くスタイルも良い。成績は常にトップクラス。故にこの学校ではとてつもない人気を誇っている。
人気投票を学校内で行うとすれば間違いなく一位に選ばれるのは彼女だろう。
「華先輩も葵に興味あるんですか?」
優子が話しかけた。
「まあ、ええ」
と短く華先輩は返答した。
さして興味もなさそうだった。
委員会で顔を合わせた事はあるが第一、僕はこの人と会話をした事がない。お互い噂で知っていただけの関係だろう。彼女のそれは好評で、僕のそれは悪評だろうが。
「じゃ!そんな訳で葵日記大会!始め!プレゼンは夏休みの直前の日って事で!」
そんな風な適当な始まりだった。僕は勿論、彼女たちも遊びのつもりだった。暇をこじらせた高校生が退屈を紛らわす為に始めたゲーム。
こうして僕は四人の女子に日記を付けられ、毎日追い回される日々が始まったのだった。
始めは皆、記者の様にノリノリで手帳なんかを持って僕に聞き込みにきたりもした。だが僕が持っている僕の情報なんて底が知れている。
身長、体重、血液型、生年月日、星座。好きな食べ物、嫌いな食べ物。好きな動物、嫌いな動物。そんな程度だ。
僕には何もない。故に記者ごっこは直ぐに終わったのだった。そこまでは良かった。
──それからは、良くなかった。
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