第3話
授業中、僕は上の空ですごした。昨日の母さんの電話が思いだされた。
「ええ、あのブランドとはもう契約は解消させていただこうかと思ってますの。そちら様との提携のほうが魅力的ですものねえ、何でしたっけ、ギュウ・・・ギュウ・・・となるなかれ・・・。オホホホそうそう『鶏頭となるも牛後となるなかれ』!いえいえまさか、お宅様が鶏だなんて。りっぱな牛頭ですわ。そうですねえ、そちらは・・・まあ、いつでもよろしいのじゃございません?おなじ学校のようですし。じつはどこかで会っていた、みたいな。そっちのほうが『君の名は』みたいで、ウフフフ」
僕はため息をついた。なにが『契約は解消させていただこうかと思ってますの』だ、なにが『君の名は』だっ。そもそも、『りっぱな牛頭ですわ』って何だ・・・。電話の様子からして、どうやらどちらの家も僕ら許嫁同士が会うのを遅らせたいのがミエミエだった。ようするに、まずは提携関係をしっかりと確立して、僕らがぎゃあぎゃあ言うのを後回しにしたいらしい。とりあえず僕にわかったのは、僕らがおなじ学校にかよっていて、向こうが一個上であることだけだった。名前を聞いても、笑ってはぐらかされた。僕らの学校は一学年十クラス以上あるのだから、お互いに顔見知りの可能性はかぎりなく低かった。
(それにしても、おなじ学校っていうのもすごいけど・・・んっ!?)
僕ははっと息をのみこんだ。ガタッと椅子の音がたってしまって、先生がおどろいてこちらを見た。
「どうしました、高梨・・・んー・・・高梨さん?」
みんなが笑ってどよめいた。
「またハズレー、高梨『クン』ですよ、先生」
先生は苦笑した。古文のこのオバサン先生は、どうしたって僕の性別が覚えられないらしいのだ。
「失礼しました。お顔だちがかわいらしいものだから。―どうしました、高梨君?」
「いえ。すいません、何でもないんです」
あやまると、くすくす笑ってふりむく中に倉橋瑞希の顔もあって、僕をせつなくさせる。とりあえずまた授業がはじまって落ちついてから、僕はまたさっきの思いつきにもどった。
(まさか、あのときお母さんたちがこの高校にさせたのは・・・ほんとうは、制服じゃなくて・・・)
もともと、これが理由だったんじゃなかろうか・・・?しかし、どうだろう。正直、あの人たちなら制服理由でというのも十分ありえる。しばらく悩んでから、僕は、今さらそんなことを言ってもしょうがないという、当然の結論に落ちついた。それよりも問題は、僕の気もちだった。
(どうやら僕も、この先延ばしを内心でありがたがっているらしい。会うの・・・怖いものな・・・)
男性は結婚を恐れるなんてのは、小説やネット情報なんかで読んだことはあった。それとはちょっとちがう形だけれど、まさか高校一年生にしてその気もちの一端を体感することになるなんて・・・。僕は窓の外をみた。秋の空は、よく晴れていた。僕は、その日何度目になるかわからないため息をついた。
その日の最後は、担任の山本夕紀先生の英語の授業だった。しかし、授業の終りがけに先生はこちらを向いていった。
「そうだ、高梨君、あとで職員室に来てくれる?」
「あ、はい・・・」
返事しながらも、僕は内心ちょっととまどっていた。とくに悪いことはしていないはずだったけれど、先生の様子がやや緊張した感じだったからだ。どちらにしても、僕には行くしか選択肢はなかった。
そして放課後英語科の職員室にいくと、山本先生がややぎこちなく微笑んでまわりを見まわしながら、
「ああ高梨君・・・。ちょっと、廊下のほうがよさそうね」
といったので、僕はますます何ごとかと緊張した。先生は職員室を出てそのまま廊下をまっすぐ行って、突き当たりの人気のない階段のあたりまで来ると、くるりとふりむいた。それから、
「ごめんね高梨君・・・。こんなところに呼びだして」
などと美少女ゲームみたいなことを言いだしたので、僕はなんだなんだとドキドキしはじめた。だから先生が、
「ねえ・・・。そのカーディガン、どうやって手に入れたの?」
と聞いてきたときは一気に拍子抜けして、
「はい?」
とおもわずぽかんと口を開けてしまった。
「そのカーディガン・・・。ユニセックスで、ネットだけで五十着限定で販売してたやつでしょう。私も欲しかったんだけど、あっというまに売り切れちゃって」
「ああ、そういうことですか・・・」
「うん。学生呼びだしておいて、こんなこと職員室で聞けないからさあ」
僕は、あらためて山本先生を見なおした。歳は二十代後半から三十代前半といったところだろう。眼鏡をかけて先生なのでコンサバではあるけれど、たしかに服装には気を遣っている感じの、かわいらしい先生だった。
「んー、じつはちょっとここのブランドにつながりがありまして。偶然、うまく手に入ったんです」
家がそこのブランドの工場をやっていることは伏せておきたかった。しかも、つい昨日にそことのつながりは切れたばかりなのだ。おかげで今日の朝この服を着ていこうとしたときは、
「もうそんな服、着るんじゃない」
と母さんににらまれて大変だった。お気に入りのカーディガンだったので、着がえていたら遅刻するからということを口実に、逃げるように出てきたけれど。
「えーっ、そうなんだあ。いいなあ、いいなあ・・・」
ほんとうに女子高生のようになっている山本先生に、僕は笑っていった。
「先生、ところでサイズはおいくつなんですか?」
「エッチ」
「―だれがエッチですか」
「えへへ、冗談よ」
先生は笑ってから、こたえた。
「そのブランドのユニセックスなら・・・Sサイズだったかなあ」
「ああ、それならちょうどいいです。家に新品で使ってないのが、一着ありますよ。お持ちしましょうか?」
言うと、
「ええーっ、ほんとう!?」
先生の目が一瞬歓喜に燃えて、でも、
「あ、でも、やっぱりまずいよね。学生から、そんな・・・」
とおずおず迷いはじめた。
「大丈夫ですよ、先生。だれにも言いませんから。問題になんか、ならないですよ」
「う、うん。でもさあ・・・。ところでどうして使ってないわけ?っていうか、どうしてあんなレアな服を二着も持ってるの?」
「―まあ、知り合いがいたんです。お姉ちゃんも買ったんですが、彼女の場合XSだったらしくて・・・ちょっと大きかったみたいですね。母が着るには、デザインが若すぎますし」
「そ、そうお?うーん、でもなあ・・・」
あきらかに欲しいのだけれど、なにか職業倫理のようなものと闘っているらしい先生を、僕はどうにか納得させた。そして、ほんとうはかなり安く手に入れたのだけれど、ぜったいに定価をだすと先生がいいはるので、まあそれはそうかと折り合った。
「ねえ、でもこれだけじゃ先生の気がすまないなあ。なにか、させてよ」
「いいんですよ先生、お金も出していただくんですし」
「そんなの当たり前のことじゃない。なにか、頼みごととかない?」
「大丈夫ですったら」
「そうだ、こうしよう!倉橋瑞希ちゃんとの恋を、先生がとりもってあげる。どう?」
もしそのときジュースでも口に含んでいたら、僕はまちがいなく漫画みたいに噴きだしていただろう。
「な・・・何ですって!?」
「恥ずかしがらなくっていいのよ。そういう時期だもの」
「な、なんで、なんで・・・」
「知ってるのかって?歳上のお姉さんの勘をなめるんじゃないわよ。とくに高梨君みたいなシャイな男の子の気もちなんて、女には一目瞭然・・・」
うう、と恥ずかしさに頭をかかえる僕に、先生はいった。
「かわいいわねえ、高梨君って。ねえ、ところで言っておくけど、脈アリよ?」
「えっ?」
「倉橋瑞希ちゃんも・・・高梨君のこと、憎からず思ってるとおもうわ。もっともあちらは女だから、高梨君ほどわかりやすくないけど」
「ほ・・・ほんとうですか!?」
「ええ。私は、そうおもうわね。まあそういうことで、お姉さんに任せておきなさい。倉橋瑞希ちゃんと仲よくなれるような、チャンスをつくってあげる」
ぐっと親指を立ててみせる山本先生に、僕はとにかく僕の気もちがばれないようにお願いしますねと何度も念をおした。そして廊下を戻っていきながら、
「倉橋瑞希ちゃんも・・・高梨君のこと、憎からず思ってるとおもうわ」
という先生のことばを、なんどもなんども頭のなかでくりかえした。いつのまにか、口もとがゆるんでいた。しかし・・・今のじぶんには許嫁がいるという、信じられないほどに時代錯誤の事実がおもいだされると、心がずっしりと重たくなった。砂袋でもつめたように。
(どうして・・・どうして、せっかくいい感じに風が吹きはじめたときに・・・)
僕は、唇をかんだ。倉橋瑞希さんと仲よくなったところで仕方がないのかもしれない、という寂しいかんがえが頭をよぎった。でも、もちろん、仲よくなってみたかった。
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