第2話

 「聞いた?呉葉」

「ええ、お母さん」

「さすがに、私の息子ね」

「ええ、なんたって私の弟ですもの。きっとそう言ってくれると信じていたわ」

とうとつに明るい笑顔をかわして盛りあがりはじめた女性陣に、僕は当惑していった。

「あ、あのさ、お母さんも、お姉ちゃんも・・・。そりゃあ、なにかできるといいとは言ったけど、実際問題僕はなにもできないわけで・・・」

言いかけた僕に、母さんは微笑んだ。

「そんなことないわ。あなたがその気になれば、私たちを救うことができるのよ」

「そうよ。あなたしかできないことがあるの」

お姉ちゃんもにこにこして続いて、僕は内心首をかしげた。僕しかできないこと。どう考えたって、いたってふつうの高校一年生にそんなものがあるはずもないのだった。

「たとえば?新聞配りとか?牛乳配達とか?・・・うん、僕、やるよ」

いうと、母さんは涙ぐまんばかりに感動した。

「殊勝ねえ。いい子に育ったもんだわ。―聞いた、呉葉?」

「ええ。マクドナルドでいいのに今どき牛乳配達とか言いだすあたりが・・・けなげだわ」

なんだかバカにされているような気もしたけれど、とりあえずは姉さんも嬉しそうにはしていたので、まあ僕は納得することにした。

「う、うん。じゃあさっそく応募に・・・」

「ちがうのよ。そんなことより、もっとすごいことがあなたにはできるの」

「そうよ。しかも柚季にその気があるなら、もっとずっと気楽にできることよ。やるわね?」

何のことやらまったく分からなかったけれど、このシチュエーションで答えがひとつしかないのも事実だった。僕は、うなずいていった。

「もちろん。なんでもやるよ」

母さんと姉さんは、目を見交わしてうなずきあった。

「よかった。さすがは、柚季だわ。これで、救われたわね」

「あたらしいチャレンジね。―ようし、燃えてきたわっ」

「あ、あのさ。それで結局、なにをすればいいの?」

話の方向性がまったくみえずに、僕はとまどって聞いた。母さんは、軽々といってのけた。

「ん?ああ、結婚」

「もうちょっと正確にいえば、婚約ね。まだ若いから」

(・・・・・・ん?)

結婚。婚約。この重たいことばが、これほどの軽いノリで放たれたことが有史以来あっただろうか。僕は混乱した頭のなかで、なんどもなんどもそのことばを追いまわした。結婚。婚約。結婚。婚約・・・。どうかんがえても、それがあの「結婚」であり「婚約」でしかないことを確認して、はじめて僕は声をあげた。

「えっ・・・えええ!?」

「原宿の有名なセレクトショップのオーナーさんが、前からウチの技術を買ってくれていてね。提携したがってたんだけど、ウチはあのブランドの独占契約だったでしょう」

「買いつけてくるだけじゃなくて、じぶんの店だけのオリジナル製品を出したいんだって。そこで、ウチにものづくりを依頼したがってたわけよ。わかってる人はわかってるわよねえ、ウチほど手を抜かないで作るところなんてないんだから。・・・ふん、私たちとの契約を解除するなんていい度胸してるじゃない。目にもの見せてやるわ」

「ま、待って、待って」

また燃えはじめたふたりの女性をまえに、僕はあわてて聞いた。

「ぜんぜんわからないよ。それがどうして、僕の結婚にむすびつくのさ。まったく関係ないじゃないかっ」

「大ありよ。そのオーナーさんは、家族しか信じられないっていう考えの人で、そういう意味でもウチがよかったらしいのね。ほら、ウチは家族みんなでやってるし、向こうのセレクトショップも一家でやってるのよ」

「イタリアとかではよく家族みんなで仕事とかって多いわよね。影響でも受けてるのかしら。―それでね、提携するなら家族になろうってことなのよ。それが条件なの。向こうにもアンタとおなじくらいの娘がいるからねえ」

「あれ、ひとつ歳上じゃなかった?」

「あ、そうだっけ?」

「『あ、そうだっけ?』じゃないよっ」

事態を理解しはじめると、急速にこみあげてきた怒りに、僕はおもわず我を忘れて叫んだ。

「なにを言ってるのさっ。この時代におたがいに知りもしない人と・・・。しかも向こうが僕を好きになるとは限らないじゃないかっ」

「ああ、それなら心配ご無用。むこうのお母さんはアンタのこと知ってるのよ。一目見て、すっかり気に入っちゃったみたいよ。あんなかわいい息子さんがほしいって。―まあ、私の血をひいた息子だもん。そりゃそうよね、色白だし、肌もきめ細かくてキレイだし」

「そうよそうよ。このお姉ちゃんの弟なんだから。自信もっていいわよ、アンタ美少年よ」

うそぶくふたりの女性は、息子として、あるいは弟として認めたくないけれどたしかにまあ美人で、でもその得意そうな顔がいまほど憎たらしいこともなかった。

「―いまはそんなこと、どうだっていいんだよっ。当人同士の問題じゃないか。そもそも、人の気もちも聞かないでひどいじゃないか。じぶんの息子を売る気?」

やっと僕の怒りが伝わったらしく、ふたりの女性からようやく笑顔が消えたけれど、こんどはなんだかじっとりした表情になった。

「―聞いた?呉葉」

「ええ。まさかこの子、家族を見捨てる気かしら」

「『じぶんの息子を売る気?』だって。橋田壽賀子ドラマの見すぎじゃないかしら。イヤな時代ねえ、まさかわが息子に裏切られるとはおもわなかったわあ」

「何のためにいままで苦労して育ててきたのかしらねえ」

(ど・・・どっちが橋田壽賀子ドラマの見すぎなんだよっ)

愁嘆場を演じはじめたふたりの女性を前に僕は怒りでかたまっていたけれど、ふしぎなもので、

「さっき『なんでもやるよ』っていったのは口だけだったのかしらねえ・・・」

「じぶんはなんの犠牲も払わなくていいと思ってるのよ。見損なったわねえ・・・」

なんていつまでもやられると、だんだん自分がわるいような気にもなってくるのだ。それに、たしかに今が一家失業の危機であることは、恐ろしいことにまごうかたなき事実だった。そして、その時代錯誤の縁談ぶくみの提携話が、我が家の救いの綱であることも・・・。

「あ、あのさ」

「あーあ。みじめねえ、育て方をまちがえたのかしら」

「情けないわねえ。涙も出やしないわ、これが可愛がってきた実の弟なのかしら」

しつこく嘆きあっているふたりに、僕はまた声をかけた。

「あのさ。それなら、とりあえず会ってみるよ、その娘さんに」

その一言で、案のじょう、女性たちは豹変した。

「聞いた?呉葉」

「ええ。やっぱりねえ、柚季はそんな冷たい男の子じゃないわよ」

「そうよね。分かってたわ、母さんは。柚季が本気であんな情けないことを言ってるんじゃないって」

「―でもさ。僕はともかく、向こうが僕を気に入らなかったら、おしまいだからね」

釘をさしたけれど、もはやふたりとも聞いてはいなかった。

「大丈夫よ、あなたみたいなかわいい男の子が、断られるわけないじゃないの」

「ねえ、もしかしたら、私たちがデザインして、私たちでつくるなんて・・・夢みたいなこともできるかもしれないわねっ。ああ、あたらしいチャレンジだわ」

僕は内心でため息をついた。それは、この若さで許嫁ができるかもしれない、ということだけではなかった。僕にだって、恋人はいないけれど、好きな人ぐらいいる。

(倉橋瑞希・・・)

心のなかでその人の名を呼びながら、僕は天をあおいだ。でも、要は提携ができればいいわけで、そのあと僕がその知らない娘さんとどうなるかは、僕ら次第であるはずだ。そのかんがえだけが、最後の救いだった。目のまえではしゃいでいる母と姉をよそに、僕の心はものすごくものすごく重苦しかった。

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