第13話 さらばユーリク3(第一部 完)
グランザップの言葉遣いは意外にも丁重だった。
「だとしたらなんじゃ」
「御身がご乗船と知っていたならば、むやみに船を襲うこともなかった。失礼をした」
「そりゃ、返り討ちにされるからじゃろう?」
ユーリクはせせら笑った。せっかく魔王が体裁を整えているのに、さすがユーリク、皮肉で返す。しかしグランザップの表情には何の変化も認められない。
「無理を承知で頼みがあるのだが、聞いてもらえるだろうか?」
「ふん、あのイカだかタコだかの化け物を返せと言うんじゃろう?」
「……その通りだ」
「やなこった。あやつはわしらの船を襲ったんじゃぞ?」
「そこをなんとか曲げて、頼みたいのだが」
「絶対に、い・や・じゃ!」
ユーリクは舌を突き出した。紳士的な魔王の態度に比べ、なんて品のないジジイなんだ。
「なんならわしと正面切ってやりおうて奪い返して見せるか、グランザップよ?」
わずかにグランザップの眉がピクッと動いた。
「やめておこう。私の力はあなたには遠く及ばないだろう」
なんと! 魔王グランザップはユーリクには全然、敵わないと言ってるぞ! そうと分かれば俺だって言わせてもらうぞ。
「やいやいやい、グランザップ!」
「……なんだね、少年よ?」
グランザップは小さく困惑の表情を浮かべた。「このガキは誰だろう?」とでも思っているのだろう。
「あの化け物を返せだあ? ふざけんなあっ! あいつのおかげで、俺は大切な仲間を失うところだったんだぞ! どの口が言ってるんだ、どの口が! ああ っ?」
「許せ……と、謝ることは出来ない。それが我が往く道なれば。しかしそれなりの贖(あがな)いはしよう」
「どうします、ユーリク、ヤツァ、あんなこと言ってますぜ?」
虎の威を借ると口ぶりまで雑魚キャラに成り下がるのだろうか。
「そこよ。お主、贖いをすると言ったな? その言葉、よもや嘘ではあるまいな?」
「我は嘘はつかない」
「よろしい。条件次第ではあの化け物を返してやらんこともない」
(ええ? 返すんかーいっ!)
あんな化け物を野放したら、この先どんなことが起こるかわかったもんじゃないぞ。いったい何を条件とするつもりなんだ?
「シャルロッティは我の唯一の家族にして、大切な友なのだ。我に出来ることであればなんでもしよう」
しゃ、しゃるろってぃ?
あのタコだかイカだかの化け物がシャルロッティ? こいつ、どんなネーミングセンスしてやがるんだ。それともこの異世界では”あり”なことなのか。
だがこのときの俺は、後にこのシャルロッティを駆って世界を駆け巡ることになろうとは想像だにしなかった。
グランザップが示す友情に、世界樹にはりつけにされているシャルロッティは、一つ目ながら、つぶらな瞳で「くぅ~ん」と犬のような鳴き声を上げた。
「よろしい。では条件を言うぞ。遅かれ早かれ始まる人類と魔王たちの最終戦争(ハルマゲドン)から、お主は降りろ」
「そ、それは……!」
初めてグランザップの端正な顔が大きく歪んだ。
「なんじゃ、出来んのか?」
「分かっておられるか、緑常のデボワよ。我は魔王ぞ?」
「先刻承知じゃ。知れたことを言うでない」
「そ、それだけは……、魔王としての沽券にかかわる」
「沽券とな? お主にすでに沽券などないのではないか?」
「どういうことだ?」
グランザップは怪訝な顔をした。
「お主、騙されはおらぬか?」
「なんだと? デボワ、あなたは我を愚弄してはいまいか?」
その声の調子から、グランザップの怒りを感じる。
「待て待て、話を聞け。お主はまだその座に就いて百数十年、魔王としては新参。功を焦るのは分かる。他の魔王どもに先んじて、魔道リーヴァを持つ魔導士、ルヴィの命を絶ち、存在感を示そうとした、そうじゃな?」
「……ありていに言えば、そうかも知れぬ」
「じゃがお主はどうやって魔道リーヴァのことや、魔導士ルヴィのことを知った?」
「何が言いたいのだ?」
「深海に棲むが故、世の趨勢に疎いお主に、その情報を吹き込んだのは誰じゃと聞いておる」
「……それは言えぬ」
「けっこう。大方、他の魔王からじゃろうが……」
ユーリクは白い髭を撫でた。
「じゃが、肝心なことまでは教えてもらえんかったらしいの。魔導士ルヴィには七賢者であるこのわしが付き従っておるという事実をな」
「どういうことだ?」
「おう、これはグランザップよ、魔王とは名ばかりか? このような簡単な謎かけも分らんのか?」
「あやつがわざと我にあなたを襲わせたというのか?」
「そうじゃ。お主が返り討ちになるのを期待してのことじゃろう」
グランザップが「あやつ」という言葉を口にした。やはりグランザップに吹き込んだものがいるのだ。ユーリクはまるでグランザップに誘導尋問を仕掛けているみたいだ。
「証拠があるのだろうな?」
「証拠? さあてそんなものありゃせんのう」
「我を弄るか? 緑常のデボワよ!」
グランザップの体の周りが青く滲むように光り出し、海面がチャプチャプと微震し始めた。かなり怒っているのだろうが、構わずユーリクは言葉を続ける。
「お主の言う『あやつ』とは、どうせ他の魔王じゃろうが、お主、舐められているのじゃ」
「我が舐められている?」
「お主自身がそう感じているからこそ、功を焦るのじゃろう?」
「……」
「そしてお主そのような若さは、年寄りどもにとってはさぞ疎ましいじゃろうの」
「ううむ」
こういうのを老獪というのだろう。ユーリクの言葉にグランザップはうなる他ない。
「それにじゃ、お主は海を支配する魔王じゃぞ。それが陸(おか)の戦いに手を出してどうする? お主の眷属、海の者たちが陸を支配? やめておけ、やめておけ、干からびるだけじゃぞ。他の魔王たちは、お主がどのように活躍しようとも、取り分として陸を分け与えるつもりはないわい。ひっひっひ」
これではどちらが悪役か分からない。年若い魔王―実際どれだけ年を経ているか分からないが―は、狡猾なジジイに手玉に取られている。
「おいユーリク、今言ったこと本当なのか?」
俺は小声で尋ねた。
「い~や、全部出まかせじゃ。他の魔王どもも、わしがルヴィと行動を共にしてることは知らんはずじゃ」
「あきれたジジイだな。よくもまあそれだけの嘘をペラペラと話せるもんだ」
「じゃが見ろ。これでグランザップの猜疑心はぬぐえんようになったわい」
そのとき、俺たちの目の前に金属の球体がプカリと浮かび上がった。
(あれはっ!)
そう、オリハルコンの塊である。俺の部屋では何かと物騒だから、ルヴィ様の部屋に備え付けてあった金庫に厳重に保管していたはずだ。
「なんと、水に浮く金属とは……! これはオリハルコンか?」
グランザップが驚きの声を上げる。
「さよう、そしてそれはこの少年の持ち物じゃ」
グランザップはその驚きの目を俺に向けた。
「そうじゃ、この少年こそあのショウヘイの生まれ変わり、新たな勇者、ゲンゴじゃ!」
おいおい、オリハルコンが浮かび上がってきたのは偶然じゃないのか? それなのにこのクソジジイ、また出まかせを!
「おやおや可哀そうに。その分じゃ勇者ゲンゴの存在さえ知らされてはおらんかったのか?」
ユーリクが大げさに驚いてみせた。しかしこの出まかせがトドメの一撃となった。
「おのれ、ガンドラダめ! 我をたばかったか!」
それでグランザップに吹き込んだ魔王の名が知れた。重要な情報のような気がするが、ユーリクはぴくっと口元を動かしたに過ぎない。
「分かった。その条件を飲もう」
グランザップは押し殺した声で承諾の意を告げた。
「よい分別じゃ。じゃがあの化け物を返す前にやらねばならんことがあるのう」
「……術理公約か」
「そうじゃ」
ユーリクの杖から小さな術理紋章が生じた。黒に赤が滴るような不気味な色彩を放っている。それがスーッとグランザップの胸元まで移動する。
「委細承知なら、受け入れよ、グランザップ」
少しの逡巡が見られたが、グランザップは両手を広げ胸元を開いた。紋様は彼の体に吸い込まれていく。
「うぐっ」
グランザップは小さく呻きながら、胸元を掻きむしった。開(はだ)けたその胸には先ほどの紋様が刻まれている!
「よろしい。もしお主が約束を違えたそのときには……!」
「言われなくとも分かっている。さあ、シャルロッティを返してもらおうか」
頷いたユーリクが杖を振ると、世界樹から吊り下げられていたクラーケンの太い蔓の戒めが解かれた。その巨体が海に落下するとすさまじい水柱と波が起こった。その波は伝播し、俺たちの島にも少々荒い波が押し寄せた。
「シャ、シャルロッティー!」
グランザップが駆け出した。
「おお!」
さすが海の魔王、海面を大地を蹴るようにして駆けていく。同時にクラーケンもグランザップに向かって移動を開始した。
「ハハハ、シャルロッティ!」
「バフッ! バフッ!」
クラーケンは無事主人のもとに帰ることが出来るのがよほど嬉しいのか、無数の触手を犬の尻尾のように振り回している。やがて一本の太い触手が持ち上がり、グランザップを絡めとると、空中高く巻き上げた。
「ハハハ! シャルロッティ、よせ!」
「バフッ! バフッ!」
何本もの触手が海面から生え、触手の草原を造り出した。その上にグランザップが立ち上がり、髪をなびかせた。
「おおおっ!」
あのシーンだ! ソノモノアオキコロモヲマトイテムニャムニャのシーンだ!
「よしよし、シャルロッティ、このまま帰ろうな」
グランザップはその深沈としたイメージを台無しにして帰っていく。一人と一匹は仲睦まじそうに海中に消えていった。それを追うように黄色い潜水艦もゆっくりと潜航し、やがて波間に姿を消した。
「やれやれ、引きこもりの根暗な青年はチョロイのう」
「そんなこと言うたんなや!」
あのボッチ臭、不器用な真面目さ、グランザップはどこか親近感を覚える魔王であった。
「あの分では、人類の側に引き込むことも出来るやも知れんの」
ユーリクはニヤリと笑った。そしておもむろに俺を振り返ると、
「さて、そろそろわしは死なねばならんわい」
「いや待てジジイ、生きてるじゃん。てっきり相打ちを覚悟しての言葉かと思ったら、余裕じゃん、楽勝じゃん、生きてるじゃん! 死ぬ必要ないだろ?」
俺は必死に食い下がった。ユーリクが死ぬなんて俺には耐えられない。どうやら俺はこの意地悪なジジイが大好きなようだ。
「なんと鈍い奴じゃ! 以前、七賢者のことを話してやったろう?」
「え?」
「これだけの魔道を使ったんじゃ。評議会の面々、つまり七賢者のことだが、あやつらにはとっくににバレておる。すぐに会議が収集されるじゃろう」
「ああ、あった、あった評議会ね、評議会」
「お前さん、本当に覚えておるのか?」
ユーリクはアホを見る目を俺に向けた。
「あやつらもショウヘイの一件以来、久方ぶりに顔を合わすことになるじゃろうが、その席でわしに厳罰が下るのは避けられん。ただでさえ特定の国に介入しすぎていたしの」
「……ボルゴダか」
「そうじゃ。人類が魔王どもと戦えるだけの準備をするのに、中心となるのはボルゴダ以外ありゃせん。まあそれはいい。わしに厳罰が下ったとして、実行できるのはやはり七賢者しかおらん。いずれわしを血眼(ちまなこ)になって探すじゃろう」
「七賢者って、やっぱりユーリクと同じくらいの魔道を使えるのか?」
「相性もあるから一概には言えんが、まあそうじゃ。さすがのわしも他の6人を相手にするのはちと骨が折れる」
「そりゃ、やばいなあ」
こんな奇跡のような力を持つ魔導師がまだ後6人もいるとは驚きだ。そのうちの一人だって相手にしたくない。
「それに―、」
ユーリクは、浜に横たわっている人々を見回した。
「こやつらにわしの正体を知られる分けにはいかん」
「なんでだ? 七賢者のユーリク様が味方につけば、みんな大喜びだぜ」
「その依存心こそが問題なんじゃが」
ギクッ! まあ俺もユーリクの力を前にして速攻で虎の威を借る狐になってしまったわけだが。
「ということで、わしは死んだことにしておいてくれ」
「な、なんだ、そういうことか」
俺はようやくホッとすることが出来た。
「気を抜くのはまだ早い。話の続きがあるぞ。今回の始末は、お前さんが全部やったと言うんじゃ」
「はあ?」
「分らんのか。お前さんがクラーケンをやっつけたと言っておけ」
「いやいやいや、無理でしょ? そんなのどうやって説明すればいいんだ?」
「お前さんが考えろ。とにかく七賢者の一人が介入したということは他の人間に知られてはならん」
えらいことを背負わされてしまった。俺がクラーケンにタイマンで勝ったなど、どういう風に言えば人々は納得するのだろうか。
「ゲンゴ、後は任せたぞ」
しょうがない。やるしかないようだ。
「出来ればショウヘイがかつてやったように評議会の頭の固いヤツらの目を覚まさせてくれたらのう」
ユーリクは目を細めて俺を眺めたが、これはさすがに高望みだ。
「無理! それに賢者にはめったなことでは会えないんだろう?」
「お前さんは、もう一人会うたじゃろ?」
ユーリクはウィンクしてみせた。
「今から、みなを乗せるための船を作ってやる。なあに、潮の流れはボルゴダに向こうておる。港にはつかずとも、国のどこかには辿り着くじゃろう」
ユーリクの魔道で出来上がった船はかなり立派なものだった。浜で寝そべっている100人近くを乗せるのには十分な大きさだ。
「しかしよく目覚めないなぁ」
「わしのことを知られないように、ゆっくり眠ってもらっておるんじゃ。まあ、もうすぐ目を覚ますじゃろう」
やがて出発準備が整った。海に浮かんだ瓦礫から食料や水を運び込んだが、どう見ても足りない。しかし二日とかからずボルゴダに着くらしいから、我慢するしかないだろう。
「じゃあ行くよ、ユーリク」
俺はユーリクに握手を求めた。
「ほっほっほ。まあ肩の力を抜いていけ。魔物との全面対決までは、あと少し時間があるじゃろう」
俺たちはお互いの右手を力強く握りしめた。船が砂浜を離れた。島に残ったユーリクが手を振っている。俺も思いっきり手を振り返した。
「ユーリークッ! 今までありがとうな! 俺、頑張るよーっ」
「ゲンゴ、また会う日までさらばじゃ!」
ユーリクの姿が徐々に遠くなっていく。船は海流に乗り、一路、ボルゴダ帝国を目指し海の上を滑っていく。
第一部 完
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