第12話 さらばユーリク2

 クラーケンは、地上からもうどれくらいの高さか分からないほどの、樹木の太い枝にひっかっかっていた。こういう言い方になるのは、見えるものがあまりに大きいため、遠近感が狂ってしまっているからだ。

 世界樹とクラーケンの大きさの対比を強いて上手く言おうとすれば、クリスマスツリーからぶら下げられた小さな飾りの一つといったところだ。おまけにクラーケンはあの極太の蔓でかんじがらめに結わえられており、触手をうねらせる他はまったく身動きが出来ない。

「あのままにしておけば干物になるのう」

 デボワが目を細めて言った。海に静けさが戻る。海面は凪ぎ、さっきまでの狂騒が嘘のようだ。

「さて、ラクーン号の面々を助けんとな。浜に打ち上げられとるはずじゃ」

 俺たちは島の小さな砂浜に足を運んだ。

「急造の島だが、ちょっと凝っておるぞ」

 デボワが砂を手ですくい、サラサラと風に飛ばした。俺もそれに倣おうと砂を手に取ると、

「星の砂だ!」

 砂の一つ一つが星の形をしている。

「ほっほっほ、この島はサンゴに持ち上げさせたんじゃ」

 浜の浅瀬にはあの長大な海草がプカプカと漂っている。そして溺れた人たちの体を、波に任せて砂浜に打ち上げていた。

「誰一人溺れさせてはおらんが、マホクや触手にやられたもの、マストに押しつぶされたものは救えんかった」

 デボワは悲しそうな顔をした。

 ルヴィ様、クアリス、ダリア、サイファ、みな気を失い砂浜に体を横たえている。俺は一人一人を、波に濡れないように草地の方に引きずっていった。ビトー、ストランディルを始めとする男ども、兵隊や船員はなにしろ人数が多い。甲冑をつけているヤツもいるし、重いからそのままにしておこう。  

(良かった……、本当に良かった)

 見知った顔が誰もいない異世界。次々と出会いがあり、仲間が増えてきた。彼らは大切な仲間であり、居場所であり、そして今や俺の全てだ。そういう実感がひしひしと胸の奥から湧き出でてくる。何の力もない俺だけど、命を懸けて彼らを守りたい。 俺は意識を失っている女魔導士たちを優しい目で見下ろした。そして思った。

(誰から人口呼吸しようか)

 「よっこらしょ」

 デボワが、青草に腰を下ろした。

「ゲンゴ、話がある。こっちゃ来い」

 以前のユーリクならば、「うるせえジジイ、今、取込み中だ!」ですむのだが、今や相手は七賢者である大魔導師、緑常のデボワ様である。素直に従うしかない。

 仕方なく俺はデボワの横に並んで腰を下ろした。しかし、これからどうするんだろう? まさかこの無人島で助けを待つというわけでもあるまい。

「しばらく待たねばならんからのう。暇つぶしにまた少し、この世の理(ことわり)を話してやろうかいの」

「待つ? 何を待つんです?」

「魔王グランザップじゃ。見てみい」

 デボワは、世界樹に向けて杖を指した。そこにはもがき続ける憐れなクラーケンの姿があった。

「あれはグランザップにとっては大切なペットじゃからのう。おっつけ姿を現すじゃろううて」

「魔王グランザップ……!」

「うむ、北溟、つまり北の海の恐怖と言われる深海に棲まう魔王じゃ」

 なんということだ。俺自身はまだスライム、マホクという雑魚キャラとしか戦っていない。それなのにもう魔王と遭遇するとは。しかしこっちには最終兵器、七賢者の緑常のデボワ様がいる。矢でも鉄砲でも持っていこいってんだ。

「ところでゲンゴ、その丁寧な言葉使いを止めい、やりにくくてしょうがないわ」

「い、いや、失礼があってはいけないかと思いまして」

「わしは変わらずお前さんの友達、ユーリクじゃよ」

「じゃあ、聞くけどなジジイ」

「戻りが早いのう」 

 ユーリクは口をへの字に曲げだ。俺の変わり身の早さに面食らったらしい。だが俺にはどうしても聞いておきたいことがあった。

「黄昏の森の巨大なスライム、あれをやったのはユーリクだろ?」

「気づいておったのか」

「自慢じゃないけど俺は馬鹿だからな。とんだ計算違いをしてたんだ。直径10メートルのスライムは半径5メートル、槍が4メートルだから、俺の体が1メートルばかりスライムにめり込めば、鎗が届くと思ってたんだ」

 自分で話してて情けなくなる。俺は本当に数学が出来ない。

「ところが俺はスライムの高さを忘れてた。スライムの高さは5メートルくらいで、その心臓は中心くらいにあるから、心臓の位置は地上2.5メートルほどだ。だとすると、スライムの端から心臓までの最短距離は高さ2・5メートル、底辺5メートルの直角三角形の斜辺になる。つまりピタゴラスの定理から求めなければならないんだ」

「ほう、いちおう高等教育は受けておるんじゃな。それで長さはどうなる?」

「分からん! ピタゴラスの定理の計算方法なんか覚えてない」

「アホじゃのう」

 「うるせえ、ジジイ。とにかく5メートルじゃ届かないんだよ。それにもう一つ、俺はミスを犯した」

「この上、なんじゃ?」

「俺はスライムに突進して、その勢いのまま、まっすぐに槍を繰り出しちまったんだ。しまった、心臓は上の方だと気づいて、すぐに槍を持ち上げたんだけど、ドロドロの体の中で、槍を上に向けるのは難しかったんだ。もう、俺は届け届けと祈るしかなかった。そしてそのまま意識を失ったんだ。どう考えても俺の槍がスライムの心臓に届くはずがなかった。だとしたらあの場でスライムを倒したのはあんたしかいない!」

「ほっほっほ。よくぞ気づいたの。だから言いたじゃろ、安全は請け負うてやると」

「あのときから少しおかしいと思ってたんだけど、まさかジジイが七賢者とはな。人が悪いよ」

「まあ許せ。いろいろと事情があるのじゃ」

「だけどユーリク、強力な魔物が湧くには魔素の濃度がなんとか言ってたのに、本当に魔王なんかが出現するのか?」

「ふむ、説明してやろうかの」

 もうユーリクは意地悪しないで俺の質問に答えてくれるらしい。

「魔素が濃くなくとも、魔物がいる地域があるんじゃ」

「じゃあ、黄昏の森を消滅させても仕方ないじゃないか」

「よう聞け。例えば極北の雪火山や、氷に閉ざされた氷河、赤道直下のジャングルや、人が立ち入ることも出来ない大山脈。こいうところには常時、強力な魔物がいるんじゃが、どれもこれも人間の生活圏からは隔絶した場所じゃ」

「えっと、つまり自然の残る場所ってことか?」

「そうじゃ。人の手が入っておらんところじゃ。人類の法や秩序の遠く及ばぬ原初の混沌、弱肉強食の掟が支配する場所にこそ、魔物は存在するのじゃ」

「なるほど……、深海なんか人間は行けないものなあ。そこに魔物がいるのか」

「そう、地上の魔物はそうやって人と住みわけがなされておる。あやつらは魔物といえども、まだ森羅万象の理の中におる。話をすることが出来るし、ときには人類と不可侵条約を結ぶことさえあったんじゃ」

「地上の魔物? それ以外にも魔物がいるっていうのか?」

「むしろ、厄介なのはそっちじゃ。魔界と言われる次元の異なる世界、そこに棲まうものどもには話なぞ通じん。何故なら、この世界全てを支配することこそ唯一の野望じゃからの」

「魔素が無ければ存在できないってのは、そいつらのことか!」

「そうじゃ。魔界を支配する魔王どもは次元魔王とも呼ばれておっての、地上の魔王とはまた一線を画す存在じゃ。それに今だその全容は知られておらん。ことによってはわしの力を遥かに凌駕するものもいるかも知れん。一つ確かなことは次元の裏側から、この世界を虎視眈々と狙っておるということじゃ。こやつらが地上の魔王と手を組み、ときには敵対し、はるかな昔から人類との三つ巴の争いを繰り広げてきた。それがこの世界の歴史じゃ」

「ふ、複雑すぎる……!」

「お前さんの頭じゃすぐに理解するのは無理かのう」

 大きなお世話だ! 今、思い出したがユーリクは不穏なことを言っていたな。

「そ、そうだ、ユーリク。今日、死ななきゃならないって言ってたけど、あれはどういう意味……」

「待て」

 俺の話を遮ったユーリクの目が険しくなった。

「来おったぞ」


 ザザザーッ


 俺たちの眼前に浮上してきたもの。それは意外にも、黄色の甲板だった。

「せ、潜水艦! そんなものがこの世界にあるのか?」

「あるぞ、あるぞ、様々な文物が。一方で文明の格差は激しいがな。ダゾンは未だに、弓や投石機で戦こうておるが、ボルゴダは大砲はおろか、蒸気機関の軍艦まで持っておる。魔道とはすなわち科学じゃからの。ダゾンが魔道から疎いのも仕方ない」

「そしてグランザップは潜水艦まで持っているのか……」

 甲板上の丸いハッチが開き、ゆっくりと一人の男が姿を現した。

 一見して角や尻尾など無く人間と見間違えそうだが、全身の肌は沈み込んだような青さである。切れ長の瞳にすっと通った鼻筋、薄い唇、控えめにいってもかなり端正な顔立ちだ。黒い髪を額の中央で分けているが、随分な長髪で足元まで垂れている。気品のある服を長いマントで包み、どこかの国の公爵のようないでたちである。人間でいえば、年齢は20代後半に見えるが、相手は魔王だ。見た目通りではないのだろう。とにかく肌の色を覗けば落ち着きのある青年に見える。

 深海だというからもっとこう、アンコウやらカニやらのぐちゃっとした海産物系の化け物だと思っていたのに、これは意外だった。

 グランザップの薄い唇が動いた。

「七賢者のうちの一人、緑常のデボワとお見受けするが、如何?」

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