第9話 希望、失望、絶望
「真っすぐ走り続けろ」
ストランディルは、肩車していたサイファを下ろした。そのまま彼女に総舵輪を任せ、海面の様子を伺う。海面は静まり返っているが、このまま済むはずはない。
「来るぞ……!」
ストランディルが呟くと同時に、
ガクンッ
加速とは逆の力がラクーン号に働き、衝撃が俺たちを襲った。快速で飛ばしていたラクーン等は突然の停止を強いられ、船員、兵士たちが甲板に投げだされた。
「船が触手にからめとられたんじゃ!」
ユーリクの指摘以外に、原因は考えられない。舟艇のスクリューに巻き付いたのか、船体をつかまれたのか、いずれにせよ船は触手の虜になっているのだろう。
「あっ!」
という間だった。サイファが触手に巻き取られ、遥か頭上に持ち上げられた。
「ちくしょう! サイファの存在に気づきやがった。船の足を奪いにきやがったか!」
見上げたストランディルが歯ぎしりをする。しかし、ポカンと口を開いた。
「あいつ、馬鹿か……!」
なんとサイファは胴を触手に巻かれたまま、俺たちに敬礼しているではないか。
「違う、別れの挨拶じゃろう」
「サイファ―ッ!」
俺たちの叫びも虚しく触手はサイファを絡めとったまま、静かに海中に姿を消した。入れ替わりに、数十本の触手が船体の間近に出現した。
その触手たちの動きから、海中にいる魔物の本体、タコだかイカだか分からないが、そいつがダリアの攻撃によって激怒しているのがわかる。触手たちはぶるんと身を震わせると、一斉にラクーン号を攻撃し始めた。これまでにない猛攻である。
「こうなりゃ、やけだ! 左舷、右舷、全砲門開け! なんでもいい、どこでもいい、砲身が焼けきれるまで撃って、撃って撃ちまくれ!」
ストランディルが伝声管に向かって怒鳴った。
「ヤツに大砲は効かないぞ」
俺が言うと、ストランディルは一口ワインを煽って、
「やれることは、やっとかなきゃな。少なくとも精神的には楽になる」
直後、轟音がなりひびき、やたらめったらの砲撃が始まった。しかし予想通り触手にはたいして効果もなく、さらにこの狂騒を演出するだけだった。
「おわっ!」
ストランディルのすぐ背後の甲板を触手が激しく打った。船体がきしみ、大きく揺れる。触手たちは荒れ狂っていた。兵士をからめとっては放り投げ、激しく船体を打ち据える。
「こりゃ、やばいかもしれんな」
ユーリクがあごひげを撫でた。
「いまさら、何を言ってるんだジジイッ!」
希望、失望、また希望、その直後の絶望。何度も繰り返される感情の起伏。人生とはまさにこんなものかも知れない。それでも倒れないで歩き続けるものがいるとするなら、
(そんなヤツはみんな勇者だ!)
クアリスを失い、ダリアは生死不明、サイファまで海中に持っていかれ、それでもまだ戦わなければならないというのか。そして今まさに、一本の触手が俺めがけて伸びてきた。その速さ、その角度、その大きさ、これは避けようがない。
「ゲンゴッ!」
ルヴィ様の声がした。巨大な火球が生じ、辺りの空気が焦げる匂い。火傷を負った触手がすごすごと引き帰していく。
「大丈夫か、ゲンゴ!」
ルヴィ様が魔道で危機一髪、俺を救ってくれたのだ。しかし今度は彼女の頭上めがけて触手が躍った。
「ルヴィ様っ!」
これも直撃コースだ。しかし俺には叫ぶほか何もできない。激しく揺れる甲板のせいで駆け寄ることも出来ない。
ズパッ!
触手はルヴィ様を押しつぶす前に、両断された。
「ビトー!」
あいつが例の必殺技でルヴィ様を救ったのだ。そのビトーに休む間を与えず何本もの触手が襲い掛かった。
「むんっ! 絶対斬陣-っ!」
ビトーはそのことごくとくを切断した。さすがボルゴダ帝国の最強剣士、揺れる甲板をものともせず、跳躍しては切り、切っては跳躍を繰り返す。足腰が鍛えられているのだろう。しかし、もうその息が荒くなっている。彼の必殺技は体力を激しく消耗するのだ。
「もういい、ビトー、下がれ」
ルヴィ様がビトーを気遣い、叫んだ。
「俺の戦場はここだ!」
ビトーが叫び返す。
「何を言っている?」
「俺はお前を守るために戦う。俺の剣はお前に捧げているんだ!」
「ビトー……」
「お前と俺では身分が違いすぎる。だからずっと言いそびれていた。俺が剣士の道を志したのは、ボルゴダ最強の剣士になるためでもない、焔獅子騎士団の団長になるためでもない。お前の騎士になるためだ。お前が好きだ、ルヴィ!」
おのれ、ビトー! お前もか? お前もなのか? なんだって死を前にして、みんなルヴィ様に告白するんだ? いい加減にしろっ!
だけど、頑張れ、ビトーッ!
更に殺到する触手を二、三本叩き切ると、ビトーはがっくりと片膝をついた。
「もういい、そこをどけ、ビトーッ!」
ルヴィ様が叫んだとき、ビトーの前にひと際大きな触手が屹立した。もう動けないビトーを上から叩き潰そうというのだろう。
「おっと、お前だけにいい格好させるわけにはいかねえなあ」
ストランディルが、ビトーをかばうようにその前に立った。
「せっかく俺様に惚れかけたルヴィの気持ちをぐらぐらさせるなよ、色男!」
そう言ったストランディルの顔には不敵な笑顔が張り付いている。左手に筒状の物体を二、三本、握りしめていた。
「ダイナマイトだ!」
ストランディルは、マッチを取り出し、
「散々、水を被ったからシケッってなきゃいいけどな」
シュッと踵でこすると、マッチは無事発火した。ストランディルはその火をダイナマイトの導火線に移し替えた。シューッと音をして導火線が燃え始める。
「し、死ぬ気か、ストランディル?」
ビトーが尋ねると、
「またな」
ストランディルは床屋にでも行くような気軽さで言い残し、全速力で駆け出した。途中、甲板に突き刺さっていた剣を引き抜くと素晴らしい跳躍を見せた。甲板から触手に向かってストランディルの体は飛翔し、見事に触手に届いた。
「あら?」
しかし、彼の手はヌルヌルした触手の表面をつかみきれず、そのまま荒れ狂う海中に落下していった。
「あ、あいつは何がしたかったんだ?」
みなが呆然としていると、
「見ろ、ゲンゴ!」
ユーリクが触手を指した。触手には剣が刺さっており、そこにダイナマイトが引っかかっている。導火線の火が筒の部分に飲み込まれた刹那、
カッ
大爆発が起こり、触手が四散した。
ボタッ、ボタボタッ!
触手の残骸、その肉塊が甲板にばらまかれた。
「うげえっ」
「みな、避けるんじゃ!」
大きなものでは数メートルの大きさの肉塊である。下敷きになれば怪我ではすまない。甲板にいるものは必死で逃げ惑った。
「ちくしょう、何か手はないのか?」
俺は肉塊の落下を避け、ようやく顔を上げた。すると今また、触手が新しい攻撃を繰り出そうとしていた。四、五本の触手がこよりのように、ねじれ、絡み合い、一本の極太の触手を造り出していた。それが天に向かって、どこまでも伸びあがっていく。小さな希望を作るために仲間が次々とその命を散らす中、状況はまったく改善しない。
「な、なんなんだ、一体? いったいお前はなんなんだあっ?」
俺は極太の触手の柱に向かい絶叫した。甲板に生き残っているもの全てが、その目に希望の光すらなく、ただただ呆然と見上げている。極太の触手がラクーン号に向けて、ゆっくりと倒れ始めた、倒れるほどに加速し、そのまま船体の中央をしたたかに打ち据えた。
ズズズズズズズンッ
「うわあああああっ」
その絶叫すら聞き取れない轟音の中で、ラクーン号の船体は、見事に真っ二つに砕け散った。同時に何十人もの船員や兵士が海へ投げ出される。
「ああ、ダリアッ!」
傾いた船体から、ダリアの体が滑り落ちようとしている。俺もしがみついているのが精いっぱいで、ダリアが海中に没していくのを見守るしかなす術がない。
「ダリアーッ!」
「全員、退避っ! 全員、退避しろ―っ」
ビトーが叫ぶが、素朴な疑問が湧きあがる。
―いったいどこに?
それでも俺なりに答えを出した。
「じじい、船尾へ行くぞ!」
俺、ルヴィ様、ビトー、ユーリクの四人は、総舵輪の近くにいたため、分断された船体のうち後方部分にいた。船体がゆっくっりと傾き沈んでいく中、それに逆らいなんとか甲板を這い上がっていく。
一方、前方部分はすでに七割がた海中に沈んでおり、兵士たちはワラワラと上へ、上へと行き場を求めている。
「くそっ!」
その様子を見ていたビトーが甲板を拳で叩いた。
「ビトー副隊長!」
「お別れです!」
「焔獅子騎士団に栄光あれっ!」
口々に叫ぶ兵士たちを乗せたまま、大きな渦に巻かれながらラクーン号の半身は海中へと沈んでいった。
「うわああああ!」
「落ち着け、ゲンゴ! 落ち着くんじゃ!」
「これが落ち着いていられるか、ジジイ?」
「生き延びることだけ考えろと言ったじゃろ?」
「こんな状況でどうやって生き延び……」
(あっ!)
そのとき、甲板をつかんでいた俺の手が滑った。支えを失った俺の体は、甲板を滑り落ち、荒れ狂う海面に落下していく。
俺は虚空へ向けて手を伸ばした。今、生き残るために出来る俺の全てである。
ガッ!
その手をつかんだものがいた。一瞬、体が静止したのを見逃さず、俺は右手の爪を甲板に突き立てた。だが、俺の体の重みを受け止めたその人が、替わりにに海へと落ちていく。
「ルヴィ様あああっ!」
一瞬、彼女が微笑んだような気がした。
「心配するな」
いつもの台詞を聞いた気がした。もちろん幻聴である。
「ルヴィッ!」
ビトーが一瞬のためらいもなく、後を追って海へ飛び込んだ。
「ルヴィ様っ、例え火の中、水の中……!」
続いて俺も飛び込もうとしたとき、
「たわけっ!」
ユーリクが上の方から怒鳴った。
「ルヴィ様を助けなきゃ!」
「あの荒れた海の中で何が出来る! 溺れる他なかろう!」
「だ、だけどビトーは行ったぞ!」
「ビトーにはその資格がある」
「なんだとっ?」
「ビトーにはルヴィ様を命を賭して助けに行く資格があると言ったのじゃ!」
「俺にはないというのか?」
「お前の命をたった今、救ったのは誰じゃ?」
「!」
「分かったようじゃの。ルヴィ様は命を捨ててお前さんを救ったんじゃ。そのお前が命を粗末にすることは、ルヴィ様の一切の行為を無に帰することになるんじゃぞ」
「ぐっ」
一部の隙も無い正論だ。
「うわああああん」
俺は声を上げて泣いた。ルヴィ様は俺を騎士と呼んでくれたのに、彼女を救うどころか、逆に救われてしまった。ビトーのヤツは自らルヴィ様を守る騎士になると言った。そしてその通り行動した。この俺の受け身とビトーの自主性!
「生き延びるんじゃ。最後の一人になっても」
「寝言は寝て言え、じじい! この状況でどうやって生き残れって言うんだ。クアリスも、ダリアも、ストランディルも、サイファも、ヴィトーも、そしてルヴィ様も死んでしまった! 俺に何が出来るっていうんだ!」
「登って来るんじゃ!」
ユーリクはそれでも許してくれなかった。船尾から俺に向かって手を伸ばす。不思議とユーリクのその声に逆らえない。
「うわあああああっ」
また一人の兵士が甲板をすべり落ち、海に飲まれていった。いや、「また一人」ではない。「最後の一人」だ。
俺は鼻水と涙でぐちゃぐちゃになりながら、甲板を這い登りつづけた。そしてついに、船尾に辿り着いた。
急角度で海面から飛び出たラクーン号の船尾、その頂上へたどり着けたことで妙な達成感を感じて、なんだかすがすがしい。もう頭がおかしくなってしまったのか。見下ろすと、海面にはおびただしい数の船の残骸がプカプカと浮いている。
触手たちは大勢が決したのを知ってか知らずかか、ユラユラと揺れるだけで、ことさらに俺たちにとどめを刺すことを急がない。
「残念じゃった」
ユーリクが言った。
「お前さんとの旅は楽しかった。もう少し、一緒に旅を続けたかったのう」
ユーリクは悲しそうな顔をした。
「魔王どもに戦いを挑むための戦力を整えている最中じゃった。しかしこうも奴らの動きが早いとは、わしもに予想がつかんかったのう」
「へへへ。ジジイにも見抜けないことがあるんだな」
「馬鹿を言うな。先のことなど誰が知ることが出来ようか。まさか今日この日に死ぬ羽目になろうとは思わなんだわい」
「ユーリク、今までありがとうな」
「な、なんじゃ。やぶからぼうに気持ち悪い」
「ジジイがいなかったら、俺はあの森でとっくに死んでたもの」
「そうではない。お前の悪運の強さがそうさせたのじゃ」
「ははは。どっちでもいいや」
「友達じゃ」
「え?」
「わしとお前さんは、この先、何があっても友達じゃぞ」
「この先なんかないだろう? 頭がおかしくなったのか、このジジイは?」
「そうじゃったな」
ユーリクは照れたように笑った。
「でも悪くない。ユーリクと一緒に死ねるならな。友達だからな」
俺は右手を差し出した。
「おう、握手とかいうやつじゃな」
俺たちは固く手を握り合った。
ザアアアアアアッ
数本の触手たちが、今にも沈みそうな船体に近づいてくる。ついにラクーン号とその生き残り、俺とユーリクにとどめを刺すつもりなのだ。
「律儀なやつだなぁ。放っておいても、もうすぐ沈むって言うのに」
バカバカしい話だ。ただのガキとジジイしか残ってないのに。なんだかおかしくなってきた。
「ところで、わしは今日、死なねばならんが……、お前さんは死なんぞ。生き延びたのじゃ」
「な、何を言ってるんだ、ユーリク?」
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