第7話 絶望の壁
「クアリス、あれをやるしかないな」
ルヴィ様が言った。
「はい」
クアリスは即答する。
そうか、ドラゴンを倒したあの技か! 二人の魔導士の術理公式を結合させる結合術理公式というヤツだ。行程が複雑で時間がかかるがそこから発動された魔道の威力は絶大だ。
「しかし、ガルシアのときとは、あまりにも条件が違う」
「分かってます」
クアリスは思いつめた目で、これも即答する。
「負担が大きいぞ? 分かっているのか」
「もう聞かないで下さい。やるしかないんです!」
確かにそうだ。何か手を打たければ全滅あるのみだ。
「おい、勇者さん教えてくれよ、彼女たちは何を言ってるんだ?」
ストランディルが怪訝な顔をした。
「あのタコを黒焦げにする相談さ」
俺が教えてやると、
「はっ! 冗談だろ!」
ストランディルは笑い飛ばしたが、
「いや待てよ、ルヴィ…紅蓮の魔導士ルヴィか!」
ルヴィ様の素性を思い出したらしく真剣な眼差しになって、
「ルヴィ、やれるんだな?」
と尋ねた。ルヴィ様は、小さく頷くと、
「ストランディル、お前の協力が必要だ」
と言った。
「分かった、なんでも言ってくれ」
「今度、あの触手が現れたら、出来るだけ接近してほしい」
「そんなことゴメンだ、といいたいところだが、OKだ。お前らにかけるしかないようだ」
そういうストランディルの視線の先には、兵士を再編成したり、負傷者を船内に運び込ませたり、陣頭指揮をとるビトーの姿があった。
「よし、あんたの魔道がどれほどのものか見せてもらうぜ! 機関、速度を落とせ! ヤツが現れるのを待つ!」
ストランディルは伝声管に一声かけて、総舵輪にもたれかかった。しばらく間が空くと、
「しかし、こうやって待つってのも、なんだな、ヒマなもんだな?」
そう言って、ジャケットのポケットにねじ込んであったワインをラッパ飲みした。実に不敵な男である。
「そういや、ルヴィー、話の途中だったな」
「話?」
「あんたに決まった相手がいるのかって話だ」
「ぷっ!」
ルヴィ様は吹き出した。
「何を言い出すかと思えば、こんなときに!」
「こんな時だからこそだ。数分後には死ぬかもしれん。だったら時間は有効に使いたいだろう? 俺が今、一番欲しいものはあんたなんだ」
「本気で言っているのか?」
「誰がこんなときに冗談など言うか。で、決まった相手はいるのか?」
「そんなものはいないな」
「じゃあ、約束だ」
「約束?」
「生き残ることが出来たら、俺に一回でいい、チャンスをくれよ。ワインが美味い店を知ってるんだ。お前を連れていきたい」
「ふふっ」
ルヴィ様は、目を閉じて笑った。
「いいだろう。約束だ」
「おおっしゃああああっ! 俄然、生きる気力が湧いてきたぜ! こんないい女とデートしないで、死ねるかってんだ、なあ?」
そう言ってストランディルは俺の肩に手を置いた。背中にダリアを背負ってなければ、さっきみたいに思いっきりバンバンと叩いていただろう。この男なりの照れ隠しなのだ。
(こ、こいつ、同じだ…! 俺と同じだ!)
俺も死ぬかもしれないと思ったとき、ルヴィ様に結婚を申し込んだっけ。だが俺とストランディルには決定的な違いがあった。俺の場合、ルヴィ様は冗談と受け取ったが、こいつとのデートの約束は紛れもなく本物なのだ。
(いいのか、ビトー! お前、それでいいのか、ビトー!)
ストランディルに勝てる気がまったくしなかった俺は、ビトーをけしかけることを思いついた。幼馴染で、多分ルヴィ―様に好意がある癖に、何もできないビトー。こいつもすごいイケメンだが、どこかどんくさい。こいつにルヴィ様を守らせ、その後、俺がルヴィ様とくっつけばいい。ビトーが相手なら、万が一にも勝ち目があるような気がするぞ。なんという情けない計画だ! だが、それも生き残れたらの話である。
そう、俺の目下の目標は生き残ることのみ! 俺は背中で意識を失っているダリアを抱え直した。
「ルヴィ様、クアリス、ユーリク、生き残ろう!」
みなは黙って頷いた。そのとき、
「で、出た! 艦長、出ました! 右舷、二時の方角です!」
伝声管から報告が入った。
「おいでなすったな! 機関、最大戦速! 今度は砲撃は無しだ。ヤツにぎりぎりまで近づく!」
ガラガラガラッ!
ストランディルは、総舵輪を思いっきり主舵に切った。海面から天に屹立する触手が、どんどん近づいてくる。何度見ても震えがくるような大きさだ。
「接舷ぎりぎりまで近づけぇっ!」
ルビィ様が眼鏡を外し、マントをひるがえした。
「クアリス、術理公式を展開しろ!」
「はいっ」
二人の前に、術理の紋様が湧き出で、成長しながら複雑に絡み合っていく。
「出来るだけ炎を根元に固定してくれ。上過ぎてはダメージが与えられん。海面すれすれだ」
「はい」
クアリスがうなずくと、二人の唇が動き、詠唱が始まった。
「いくぞおっ!」
ストランディルが、更に大きく舵を切る。巨大な触手はもう目前だ。収縮する吸盤の一つ一つがはっきりと見える。
「行けえっ!」
ルヴィ様とクアリスの魔道が発動した。
ドッ!
俺は、あのマーブルの火球がまたみられるのかと思っていたが、
フシューッ!
バカでかい間欠泉のような、水蒸気の柱が立ち上った。超高熱が瞬時に海水を蒸発させたのだ。辺り一面が真っ白になり視界が奪われた。
「あちちちちっ」
甲板上はまるでスチームサウナだ。高音の水滴が、肌を焼いた。兵士たちもあまりの熱さに奇妙な踊りを踊っている。
「み、見ろ!」
やがて水蒸気の霧が晴れると、海面には力を失った触手が漂っていた。どうやら、触手は根元から焼き切れたようだ。
「し、信じられねえ! やったぞ!」
ストランディルがルヴィ様とクアリスを振り返り、拳を突き上げた。兵士たちも歓声を上げる。が、次の瞬間、
ザアアアアアッツ
という音と共に、三本の触手がラクーン号を囲むように天高く伸びあがった。
「まぁ、そうなるわのぉ」
ユーリクが眉をしかめ、触手たちを見上げた。そりゃそうだ。もしクラーケンが巨大なタコに準ずるものなら、8本、イカならば10本、それ以上の化け物なら、何本の触手を持っているか分からない。今の攻撃は、その中の一本を仕留めたに過ぎないのだ。
「怒っておるぞ!」
確かに先ほどまでとは触手の動きが違う。明らかに動きが早く、うねうねとくねるその様は蛇が威嚇しているようにも見えた。
「来るぞっ」
ストランディルが叫んだ。一本の触手が左舷の艦底に潜り込んだかと思うと、今度は右舷から出現し、そのままぐるっと船の胴体に巻き付いた。甲板の中央を大蛇のような触手が横断している。
「おいおい、どうすんだ、これ? もう一度焼いてくれえっ!」
ストランディルが叫んだ。
「甲板では、さっきの魔道はやれんぞ!」
ルヴィ様が叫び返す。そりゃそうだ、そんなことをすればラクーン号が蒸発してしまう。触手はそのとてつもなく太い胴体で、ラクーン号を締め上げた。ミシミシと船体から不気味な音が絞り出された。
「機関全開だーっ! 脱出しろおっ!」
ストランディルが伝声管を怒鳴り上げた。機関が悲鳴を上げ、煙突からもくもくと煙が立ち上ったが、ラクーン号は少しも進まない。
「き、機関、限界です!」
伝声管から切迫した声が聞こえたが、ストランディルは怒鳴り返す。
「釜が焼けても構わねえっ! もっと炊き上げろっ!」
煙突から黒い煙が上がり始めた。触手とラクーン号の絶望的な綱引きが続く。
「焔獅子騎士団、行けえっ!」
ヴィトーを先頭に、兵士たちが船の中央を縦断する触手に突進した。剣を振るい、槍を突きだし、触手を切り刻むが、ぬらぬらした表面を少しばかり傷つけるのみだ。触手は意に介さず、ラクーン号をますます締め上げる。
「どけえぇっ!」
ヴィトーが叫んだ。兵士たちが慌てて彼から遠ざかる。ビトーは剣を頭上に差し上げると、「むんっ!」と気合を入れた。
「でるぞっ!」
「副隊長の必殺技だ」
ビトーの剣に光芒が集まり始めた。
リィィィィン!
透き通った音色はビトーの剣から響いているのだろうか。甲板が微震し、そこら中に落ちている剣や槍、刀がカタカタと小さく跳ねる。
「絶対斬陣(ぜったいざんじん)!」
ヴィトーが叫びながら、剣を振り下ろした。
シュバッ!
光と風圧が駆け抜けた。ヴィトーの足元から触手に向かって、刀痕が走る。その先でズッパリ切断された触手が、海の中にすごすごと帰っていく。残された方はうねうねと甲板上で暴れまっている。
「近づくな、危ないぞ」
そう言ってヴィトーががくっと膝をついた。
「副隊長、大丈夫ですか?」
「ああ」
一人の兵士が近づき、ヴィトーに肩を貸した。その顔は青ざめている。随分、体力を食う技らしい。ヴィトーは俺たちのところまでやってくると、へたり込んだ。
「バカ野郎、俺の船を切り刻みやがって」
ストランディルが悪態をついた。
「修理の請求書は、焔獅子騎士団の方に回しておいてくれ」
「ああ、そうさせてもらうぜ」
「ふふふ。隊長(おやじ)の怒り狂う顔が目に浮かぶ」
二人はヘラヘラと笑いあった。一方、残った二本の触手は、身をくねらせ、ラクーン号を伺っている。
「今のうちに、離脱するぞ!」
ストランディルが叫んだ刹那、ゴギンッと腹に響く嫌な音がした。煙突からプスンという音がしたきり、煙がとまる。
「あーあ」
ストランディルが腕を組んだ。
「どうしたんだ?」
俺が尋ねると、
「機関が逝っちまった」
泣きそうな顔で言った。
「そ、それじゃあ……!」
「もうこの船は走れんのう」
ユーリクが当然だという顔で言った。
「せ、僭越ながら!」
この甲高い声はサイファだ。サイファがストランディルに駆け寄り、敬礼した。
「わ、私にこの船をお任せい頂けませんでしょうか、ストランディル艦長!」
「ああ?」
何を言い出すのかとストランディルは眉をひそめた。
「この船は、足の折れた馬みたいなもんだ。今更、お前さんに何が出来るってんだ?」
「はっ! この船を走らせます」
「馬鹿か、お前? 勝手にしろ」
「はっ! 勝手にさせてもらいます」
サイファはそう言うと、肩でストランディルを押しのけ、総舵輪の前に立った。
「お、おいおい……」
ストランディルはふてくされてまた酒を飲み始めた。サイファは目を閉じ、精神を集中させているようだ。カッと瞳を開き、総舵輪を握ると、その輪を中心に術理公式の紋様が広がった。術理の紋様は、まるで船の帆のように展開していく。彼女は小さく呪を唱えた。
「んん?」
ストランディルの髪が、小さくそよいだ。その風は徐々に強くなり、彼の長髪がはたはたと、大きくなびき始めた。いや、風が吹いているのではない。ラクーン号が加速しているのだ。
「お、お前、何を…!」
ストランディルは目を見開いてサイファを見た。
「お、おお……、走ってるぞ」
船員の一人が、へりから身を乗り出してさけんだ。確かに白い波を蹴立てて、ラクーン号は進んでいる。
「掴まっていてください、飛ばしますゆえ!」
サイファが言うと、ラクーン号は更に加速した。船尾に巨大な波が打ち付け、船を前に、前に押し出しているのだ。
「こ、これがサイファの魔道!」
俺は唸った。水に関する魔道が得意だというだけある。
「こりゃすごいわい!」
ユーリクの髭も風圧で後ろになびいている。
「は、速い!」
「なんて速さだ!」
これならば、逃げ切れる! 誰もがそう確信した。しかし、ストランディルはぽつんと言った。
「こりゃあ、ルヴィとのデートは無理そうだな」
「あ、ああ……」
大男ぞろいの焔獅子騎士団の兵士たちの口から、蚊の鳴くような細い声が漏れた。
快足を飛ばすラクーン号の前方に出現したもの。それは天を衝く長大な壁だった。
数十本、いや数百本の触手がぴったりと身を寄せ合い、海だというのに水も漏らさぬ堅牢な壁を作り上げている。
まさに絶望の壁だった。
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