第3話 パイレーツ オブ 壁ドン
「そろそろ船内に入ろう」
ルヴィ様とビトーを甲板に残していくのは気になるが、クアリスの様子を見に行きたかった。俺たちは手すりを伝って階段を降りていった。廊下には等間隔に船室のドアが並んでいる。
俺たちにもこの二等船室がひとつづつ割り当てられているが、ルヴィ様には貴賓室というひと際大きな部屋が用意されている。クアリスは一国の王女だが、彼女も俺たちと同じく二等船室をあてがわれている。ボルゴダでは一学生に過ぎないし、学生は皆、平等という魔道術理学校の理念だそうだ。
だが今は具合が悪いということで、ルヴィ様の計らいで貴賓室のベッドに寝かされていた。
俺とダリアはその貴賓室を訪ねた。部屋に入るとクアリスはベッドの上に座り、その傍でユーリクが本を読んでいた。
「おお、ゲンゴか。クアリスはずいぶん具合がよくなったぞ」
ユーリクのいう通り、一時は真っ青だった彼女の頬に赤味が戻っており、表情も穏やかだ。
「酔い止めが効いたんじゃな」
さすがはユーリクの薬だ。これだけはジジイに感謝しなければ。
クアリスが俺を見て可愛いしぐさで微笑んだ。しかし、今では俺はその笑顔のすぐ裏にある感情を読み取ることが出来る。
「私が大変な思いをしているときに、お前はどこに行ってたのかしら?」
そういうことですね。えらいもので一日何時間も密接なコミュニケーションをとっていると、相手の気持ちが分かってくるものだ。
(もしかすると、これを極めればダリアみたいな能力になるのかも知れないな)
一つ考察の余地のあるものを発見し、うーむと心中で唸っていると、
「クアリス、起き上がって大丈夫なのか?」
ルヴィ様とビトーが部屋に入ってきた。
「はい、おかげさまで。ユーリクさんのお薬が効いたみたいです」
「それはよかった。だが明後日までは船の中だ。このまま私の部屋を使え」
「ありがとうございます。でもルヴィ様は?」
「なあに、私は二等船室で十分だ。というよりこんな部屋は気が引ける。その点、クアリスならお姫様だ。豪華な部屋は使い慣れているだろう?」
「そ、そんな……」
「冗談だ」
一同が笑った。色々問題はあるが、ルヴィ様、ユーリク、クアリス、ダリア、そして俺。仲間だよな。仲間っていいもんだと俺はしみじみと思った。もちろん、ルヴィ様の隣というポジションに我が物顔で立っているビトーは、頭数には入れない。
トントンとノックの音。
「だれだ?」
ルヴィ様が返答すると、
「帝国軍魔道部隊、魔道武官、サイファです!」
例のはきはきした声が聞こえた。
「入っていいぞ」
まさか、部屋に入れないわけにはいかない。
「はっ! ルヴィ―様、ここにおられましたか!」
サイファはさっそく一回目の敬礼をした。
「先ほどは失礼いたしまた。ぶしつけではありますが、魔導師として大先輩であらせられますルヴィ様のご高説を是非、お伺いしたいと参上したしだいであります!」
「そ、そうか、だが、見ての通り、仲間と今後のことについて話している最中でな」
ルヴィ様はこのサイファとかいう軍人が苦手らしい。いや、俺もこの人とそう長く一緒に居たくはない。
「了解しました! それでは、いつがご都合よろしいでしょうか?」
「そ、そうだな、夕食後にでも」
ルヴィ様は逃げきれないと悟ったようだ。気の毒なことこの上ない。
「はっ! ではその頃に改めてお伺いいたします」
そう言ってサイファが踵を返すと、彼女が出ていく前に扉が開き、また新しい人物が登場した。
「おお、お客さんが勢ぞろいだな」
そういって部屋の人間を見回した男は、一見して一癖も二癖もありそうだ。
年は27、28歳くらいだろうか。ビトーと同じほどの長身を海軍の制服に包んでいる。だがその着こなしはお世辞にも行儀良いとは言えなかった。広く開けた胸元から浅黒い、ほどよく筋肉がついた胸がのぞいおり、羽根や色とりどりの石があしらわれた首飾りがぶら下がっていた。ウェーブのかかったつややかな黒髪に、彫りが深く、なかなか端正な顔立ち。だが無精ひげと派手な向こう傷のおかげで、単にハンサムと一言で片づけられない野性味が漂っている。
「ああ、紹介が遅れた、彼が……」
そういうビトーをさえぎって、
「ラクーン号の艦長、ストランディルだ。よろしくな」
男はぶっきらぼうに言った。だが、次の瞬間、ルヴィ様を認めると口を半開きにさせた。寸刻のち、我に返ったらしく、
「おいおい、ビトー、人が悪いぜ?」
背中をバシンッと平手打ちして、
「こんなすごいべっぴんさんなら、早く言えよ! もっと早く挨拶にくるんだった」
「だから、会わせたくなかったんだよ」
ビトーはやれやれという風に肩をすくめた。ストランディルは、ずかずかとルヴィ様に近づくと、
「初めまして、ストランディルだ。あんたは?」
「ルヴィだ」
「ええっ? こいつは驚いた! あんたがあの紅蓮の魔導士ルヴィ様か? 俺はてっきり、腰の曲がった魔女みたいに思ってたぜ」
何がおかしいのか、ストランディルはくっくっくと笑った。貴賓室が広いと言ってもそこは船室だ。陸の一軒家ではないから、そこまで広くない。その広くない部屋に、ルヴィ様、クアリス、ダリア、ユーリク、ビトー、サイファ、ストランディル、そして俺と、8人もの人間がいると、かなり息苦しい。
しかし皆、そんなことは忘れて、この闖入者とルヴィ様のやりとりを固唾を飲んで見守っている。
そして俺には分る。ルヴィ様の顔からして、相当イラ立ってる。ヒヤヒヤものだ。
「ところで、ルヴィ、君はもう、決まった相手とかいるのかい?」
「おい、もう止めろ。失礼だぞ」
ビトーが眉をしかめて、この無法な男をたしなめたが、
「だからお前はいつまでたっても恋人が出来ないんだよ。イイ女にはすぐに悪い虫がつくもんだ。だから独り身でいる時間は、セミの寿命より短い。こうだと思ったらすぐに申し込まなきゃ、運命の女神は微笑んでくれないぜ?」
悪い虫はどうみても自分自身の癖に、逆に説教する始末だ。
(なに、申し込むだと?)
この男は俺や、もしかしてビトーも出来ないことを一足飛びにしようというのか?
「決まった相手などいないが……、少なくともストランディル、あなたのような男は全く興味はない」
ルヴィ様は挑戦的な目でストランディルを見つめた。その刹那、ストランディルの野郎、やりやがった!
ドンッ!
壁ドンだ! ルヴィ様に壁ドンをかますとは! この男は初対面の女性に、しかも衆人環視の前で壁ドンが出来る男だったのだ。
「なっ!」
さすがのルヴィ様も虚を突かれたようだ。ストランディルは、ルヴィ様を見つめて、
「試してみないと分からないだろ? 海の男たちのことわざにもある。『渦を見たらまず飛び込め』ってね。そりゃそうさ。その中に財宝が眠ってるかもしれないんだ。何事も試してみなければ分からない、そうだろ?」
「そ、そんなことをすれば死ぬばかりだ!」
「財宝を手に入れられるなら、本望さ。俺は常に、欲しいものの為なら命をかける準備は出来ている」
(あっ!)
俺はその一瞬を見逃さなかった。ルヴィ様が、あのルヴィ様の頬が赤く染まった…! が、さすがにそれは一瞬だった。
「無礼なっ!」
ルヴィ様が平手打ちを放ったのだ。
「おっと!」
ストランディルは余裕を持って、その手首を捕まえ、
「気の強いところが、ますます…」
バキッ!
今度は平手ではなく、見事なストレートパンチがストランディルの顔の中心を打ちぬいた。憐れな男は、反対側の壁までふっとび、後頭部をしこたま打ちつけた。
「いてて…」
顔を上げようとするストランディルの頭上で、壁に吊られた額縁がブランブランと揺れている。
(落ちろ! 落ちろ! いや、むしろ、落とせ!)
俺はクアリスを振り返り、「やれっ」っとばかりに、くわっ目を剥(む)いた。俺の気迫に打たれたのか、クアリスはおろおろしてからうなずいた。冷静に考えると女王様になんて真似としたのかと思うが、今はそれどころではない。
次の瞬間、額縁は落下し、見事にストランディルの頭頂部にガツンと直撃した。
「ぎゃっ!」
ストランディルは息絶えた。
「行くぞ、ビトーッ!」
ルヴィ様は振り返りもせず部屋を出ていく。
「ま、待てよ、ルヴィー」
慌ててついていくビトー。
「なんだ、あの男は? あれで帝国海軍の艦長? まるで海賊ではないかっ」
「ルヴィ、そう怒るな……」
廊下から聞こえる二人の声が遠ざかっていく。ビトー、お前、見かけによらずいいヤツそうだな。きっと振り回される人生を歩んでいるんだな。俺は初めてビトーに親近感を覚えた。
「お前さん、大丈夫か?」
ピクリとも動かないストランディルにユーリクが声をかけた。
「いててて…」
ストランディルはゆっくりと立ち上がると、俺たちを一瞥し、恥ずかしそうに、かつすごすごと部屋を出て行った。
「あ、あのっ!」
ああ、忘れてた、サイファもいたんだっけ。
「私はもう退出させてもらってもよろしいでしょうかっ?」
(いやいや、誰もお前なんか引き留めてないだろ)
ユーリクが手をひらひらとさせて、サイファを追い払う。サイファはサイファでなんだか、ぼっち臭がして、同情を覚えた。不器用な人なんだろうなぁ。
貴賓室には、俺と、クアリス、ダリアとユーリクの4人が残されたが、しばらく気まずい沈黙が流れた。それを無遠慮に破ったのはダリアだ。
「あーっ、面白かった! ネ、ネ、すっごいおもしろかったネ」
俺の手をとって、同意を求める。クアリスはぼーっとした様子で、
「ストランディル…、なんて野生的で素敵な…」
ポツッと言った。
「え?」
と俺がクアリスを見ると、
「あら? 今、私…、いえ、何も言ってません!」
頬を赤らめて黙り込む。
(嘘だろ?)
本音がぽろっと出たのだろうが、クアリスはあんなのが趣味だったのか? 不良っぽい男がモテるのは知っているが、あんなのでいいのか? いや、ルヴィ様が一瞬でも、頬を染めたのが信じられない。恐るべき壁ドン! 侮りがたし壁ドン!
(あいつ、モテるんだ…! 多分、ビトーよりよっぽど…!)
この衝撃的な事実! くそう、ストランディル、今に見てろよ。
「い、いやー、それにしてもとんだ来客ラッシュだったよな?」
そういう俺の声は震えていた。
「その来客ラッシュ、まだ終わっておらんみたいじゃぞ」
思いがけずユーリクの声が険しい。
「どういうことだ?」と聞く前に、その分けが知れた。
「来た…!」
と、ダリアが呟いたのだ。
「ヤツらが…来た! まだ遠いけど、こっちへ来てる……、すごい数…!」
ダリアの萌黄色の双眸が妖しい輝きを放っている。こいつの目が光るとロクなことがない。
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