第2話 涓滴の魔導士サイファ

 爽快だ! 爽快の一語に尽きる。空と海、白波と雲。一面が青と白の世界だ。その中をぐんぐんと船は進む。 

 ラクーン号は、最新鋭艦の名に恥じぬスピードで波を蹴立てて、大海原を走っている。これでも機関を使用していないというのだから驚きだ。三本のマストに張られた帆は風を一杯にはらんで、絶え間なく推進力を生みだしている。

「帆船ってのもいいもんだなあ」

  甲板の先頭にたって風に吹かれていると、今まであった嫌なこと全部忘れてしまいそうだ。

「人生まるごと忘れるつもりなのネ?」

 ダリアがニコニコしながら言った。

(俺の人生、嫌なことしかないんかいっ!)

 ああ、殴りたい。この娘は顔を見れば悪態をつく癖に、いつもちょろちょろと俺の周りをうろついている。

(クアリスは大丈夫かなあ)

 彼女は船が苦手らしく船室の方で横になっている。船酔いだ。さっき会ったときは、可哀そうに吐き気がするそうで顔面蒼白だった。

 今またユーリクが様子を見に行ったところだが、あのジジイ、ショボいが治癒系の魔道を使う。人を介抱するには役に立つ。

 それにしても気になることがある。

(何の話をしているんだ?)

 俺とダリアのすぐうしろ、ルヴィ様とビトーはメインマストにもたれて談笑している。

(そして二人はどんな関係だったんだ?)

 人はときに、今の俺のように宇宙の神秘や深海の不思議より、隣人の事情や秘密を喉から手が出るほど知りたがるものだ。

(人の心が読めるこいつなら、分かるかも知れないな)

 俺はダリアの可愛いつむじを見下ろした。

 だけどダリアに頼むのも借りをつくるのも癪(しゃく)だし、人の心の中を覗くなんて卑怯な真似も嫌だ。

「おいダリア、あの二人はどういう関係か、心を読んでくれ」

 俺は一瞬で主義主張をひるがえすという得意技を持っている。葛藤の末、誘惑に負けるのなら、その葛藤は余計だという合理主義のなせる業だ。

 ダリアはちらっと二人の様子を見ると、

「幼馴染だよ。間違いなくお互い好意はあるみたいネ」

 意外にも嫌な顔一つせず、あっさりと教えてくれた。

「ズキッ」と胸が痛む。くっそー、やっぱりそうか、あの野郎、ビトーめ。あんな奴がライバルでは、俺には勝ち目がないではないか。

「うぐぐ」 

 ショックを受けた俺は、思わずその場にひざまづく。

 ダリアはそんな俺を見て、「けけけ」と笑いやがった。

(そうか、そうだったのか)

 ダリアはこうなる結果を知っていたから、気軽に俺の頼みを聞いてくれたのか。もうぜってー何も頼まない。

 ところでこの船は、元の世界の科学を知る俺から見ても近代化されており、舵取りや帆の操作も、すべて艦橋で行えるようだ。甲板に船員の姿が見当たらない。おかげで俺たちが甲板を自由にブラブラしていられるわけだ。

 とはいっても、甲板の後方には、総舵輪や、それを取り巻く伝声管も備え付けられている。

「ボルゴダ帝国筆頭国定魔導士のルヴィ様であられますか?」

 はきはきとした声が鳴り響いた。振り返ると軍服姿の……、つまり一人の軍人が、ルヴィ様とビトーの前に気をつけの姿勢で立っていた。

 身長はおれより少し小さいくらいか。濃紺のブレザーとズボンをかっちりと着込み、頭には何かの紋章がついた制帽が乗っかっている。マントにはタツノオトシゴのような魚が描かれている。金髪の髪をこれでもかというほどひっつめて後ろに束ねているが、元来、縮れ毛なのか、何本か髪が跳ねている。切れ長の涼しげな青い目の下に小さなほくろがあった。全体に凛とした風貌をしているが、唇の形が可愛い。見たところ、二十歳前後の女性である。

「私はボルゴダ帝国軍、魔道部隊所属の魔道武官、サイファ准尉です。以後、お見知りおきを!」

 そういって彼女は再び敬礼する。

「あ、ああ……」

 サイファのあまりの勢いに、ルヴィ様がとまどっていると、ビトーが笑って、

「ルヴィ、許してやれ。彼女はしごく真面目なうえ研修を終えて、魔道部隊に配属されたばかりなんだ。要はすごく張り切っている」

「いや、許すも何も……」

「サイファ、ルヴィが戸惑っているではないか」

 ビトーが笑ってたしなめた。

「はっ。申し訳ありませんっ!!」

 また敬礼。

 サイファ本人はこれでもかというくらい、礼儀を尽くしてふるまっているつもりだろうが、それが行き過ぎて逆に人を戸惑わしている。

(ああいうのも一種のコミュ障かも知れないな)

 サイファの真面目くさった顔を見ながら俺は思った。

「なんだ、ありゃ?」

 ダリアすら、呆れたようにサイファを眺めている。

「しかし、軍人冥利に尽きます!」

 またまた敬礼しながらサイファが言った。

「なにがだ?」

 ルヴィ様が尋ねる。

「今回は、ドラゴン討伐には間に合いませんでした。それは誠に残念ですがっ」

 サイファはここで、一つ咳ばらいをし、

「さかのぼること19年前、かの久宝昌平もこの海を渡り、我が本国ボルゴダを訪れたと聞いております。彼の偉業はまさにそこから始まりました。今また、久宝昌平の生まれ変わりともいうべき、ゲンゴ殿を本国へお連れするという任務につくことは、これは軍人の本懐であります!」

「ちょ、ちょ、ちょっとまって! 俺はそんなたいそうなもんじゃない!」

 思わず会話に割って入った。

「おおっ! あなたがゲンゴ殿ですか! 私、魔道武官のサイファと申します!」

 今度は彼女は、俺に向かってビッシーッと敬礼した。

「いや、俺は久宝昌平の生まれ変わりなんてもんじゃないよ」

「さきほどルヴィ様のお連れの、お年を召した男性からそう伺いましたが?」

「ユーリークッ!」

 おれはジジイの名を絶叫した。あんのジジイ、どれだけハードル上げれば気が済むんだ。後で俺が困るのを見て、笑うつもりなのは目に見えているが。

「い、いや、俺、臆病だし、頭も悪いし、力も弱いし、犬のように扱われているし、英雄の素質なんて何もないよ」

「…………」

 サイファは、黙り込み震え出した。

(あ、あれ、しまった……期待を裏切りすぎたかな?)

「な、な、なんと謙虚な! ケンゴ殿! 私は今、真の英雄はこうあるべきという姿を学ばせてもらいました。真の実力を持つものは、かようにも謙虚なものかとっ! このうえは命の限り、お守り申しあげます!」

 サイファは、またまたまた敬礼した。

(うわ、なに、この人? まったく意志の疎通が出来ないよっ!)

「サイファ、お前の得意な属科はなんなのだ?」

 ルヴィ様が話題を変えた。きっと助け舟を出してくれたのだろう。

「はっ! 水のものでございます。およそ水に関する一切のものを操ることが出来ます。その点については、少しながら得意であると自負しております!」

「そうか、私は炎だ。どうも分が悪いな」

「めっそうもございません。『紅蓮の魔導士ルヴィ』といえば、ボルゴダ本国のみならず、その名を世界にとどろかす大魔導士。そして母校の偉大なる先輩にも当たります。こうしてお口を聞いていただけるだけで、我が身は光栄でございます」

「そんなにおだてられると、少々、居心地が悪い」

「はっ! 申し訳ありません。私の至らぬ点、どうか…」

 見かねたビトーがサイファの肩をポンッと叩いて、

「いいか、もっと肩の力を抜け。この航海は特に正式な任務だというわけではない。外遊していたルヴィ様の一行とたまたま出会ったから、船に乗ってもらった。それだけだ。ち・か・ら・を抜け」

「はっ! か、肩の力、をぬ、抜きます。 ぬ、抜けて、いますか?」

 無理やりに笑顔を作るサイファは気の毒なほどギクシャクし始めた。息が荒くなり、鼻からの呼吸音がフーフーとフイゴのように鳴り始める。

「ああ、俺が悪かった! 自分の好きなように振るまえ」

 ビトーが匙を投げた。

「はっ! お気遣いありがとうございますっ!」

 再び、通常運転に戻ったサイファが敬礼する。

 駄目だこりゃ。

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