第三章 ボルゴダへの航海編

第1話 ラクーン号

「もうすぐか」

 車窓から風景を眺めながらルヴィ様が言った。空は青く晴れ渡っており、石造りの家々の屋根の上に入道雲が湧きたっている。

「そういえば潮の香りがしてきましたかな?」

 ユーリクが鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。

 港町が近いのである。この数日間は、昼間は護衛付きの馬車の客車に閉じ込められているので退屈だったが、夜は豪華な宿に泊まりご馳走をたらふく喰うことが出来た。

 だけどルヴィ様とユーリクと俺、三人でボロ馬車に乗って、星空を屋根に眠るような旅が恋しくなったりするから人の心は不思議なものだ。

 もっとも暇さえあれば俺はクアリスと額を突き合わせ、様々なことを教えてもらっていたので、充実はしている。

「ゲンゴも大変ね。ボルゴダに着いたら英雄扱いされるのよ?」

 二人の世界の中でのクアリスは相変わらずの女王様で、言葉の鞭で俺をビシバシと俺を打ちまくる。

「本当は腰抜けだってバレたら、ボルゴダの人々の方が腰を抜かすわね」

 本当に憂鬱である。先行きが思いやられるなんてものじゃない。英雄ったって、どう振舞えばいいか、全く分からない。

 そして突然、耳元で囁くように言葉の飴が与えられる。

「大丈夫。心配しなくていいわ。ゲンゴは私の恩人だもの。ずっとついててあげる。 学校のことも色々教えてあげるわ。ゲンゴを英雄として恥ずかしくないように―」

 やっぱりクアリスは、俺のことを思って―、

「調教してあげるから」

「わんっ!」

 まあ、いい。この世界のこと、言葉、術理方式、その他、学ばなければならないことはたくさんある。授業でも調教でも教えてくれるならどうでもいい。

 しかし広いとはいえ客車の中である。五人のうち二人がべったりとくっつきあっているのは、傍から見れば異様な光景である。恋人だって人目をはばかり、こんなに密着はしないだろう。

 ときにクアリスは調教に力が入ると、俺にしがみついたりする。

「クアリス、そんなに抱きつかなくてもいいのではないか?」

 ルヴィ様が言うと、クアリスは真っ赤になって俺から離れる。

「す、すみません。ゲンゴが英雄の名に恥じないようにお教えさせてもらっていますが、ついつい力が入りすぎてしまって……」

「どうじゃな、ゲンゴ? この世界の言葉に少しは慣れてきたか?」

「は、はい。僕のような無能な人間でも、クアリス様に丁寧に教えていただき、なんとか分かるようになってきております」

 俺はこの世界の言葉でスラスラと答えた。

「ほう!この短期間にそこまで話せるようになりおったか!」

「そのような身に余るお言葉、もったいのうございます。私めはただただ、お言いつけに従い、勉強に励んでいるだけの犬でございます」

「しかしお前さん、そんな性格じゃったか?」

 ユーリクは首を傾げた。

 「キィーッ」

 突如、ダリアが叫んだ。

「ゲンゴはこんなじゃない! 馬鹿だけどもっと偉そうで、こんなおどおどしてないっ」

「ははは、それはダリア様のかいかぶりでございます。私めはそのような……」

「ほらぁっ! あんた、そんなんじゃないでしょ?」

「ダリアッ!」

 クアリスに名前を呼ばれたダリアは、ビクっと硬直した。

「ゲンゴの言葉遣いが少々おかしいのは私が至らないせいです。許して下さい」

 「あい……」

 ダリアは口をもごもごさせて黙り込んだ。

 さすがでございます、女王様。ダリアのような不気味な力を持つはねっかえりも、その威厳の前では鼻たれの小娘同然にございますね。

 そんなこんなの道中、護衛の兵士がついているというのに、ユーリクだけは警戒を解かず、絶えず馬車の前後をきょろきょろと警戒していた。あのドラゴンの来襲がよほどショックだったらしい。

「ついたぞっ!」

 ルヴィ様は客車から降りて地に立つと伸びをした。いつもながら猫みたいで可愛い。

「あ~あ、疲れたネ」

「座りっぱなしでしたものね」

 続いてダリアとクアリス、

「おお、海が見えるぞ、ジジイ、海だぞ!」

「なんじゃ、ゲンゴはガキみたいじゃのう」

 そして俺とユーリク。全員が馬車を降り、思い思いに体を伸ばし、深呼吸して潮の香りを楽しんだ。

 港には大小さまざまな帆船が係留されていて、マストのてっぺんには必ずといっていいほど、カモメが羽を休めている。岸壁から見下ろすと小魚が群れていて、手ですくえそうだ。

「ここから、船で大陸に渡って、国をいくつか越える。そうすればボルゴダじゃ」

「うへえ、先はまだ長いなあ」

「ははは。もうひと踏ん張りだ、ゲンゴ。船に乗って一日、陸路を五日ほど。そうすればボルゴダ帝国だ」

 どこがひと踏ん張りなんだか。でも、護衛もいなくなるし、気楽な旅にはなりそうだな。

「いや、その必要はない」

 聞き覚えのある声がした。全員が振り返った。

「ビトー!」

 ルヴィ様がとっさに身構えた。忘れもしない、焔獅子騎士団の若き副隊長、ビトーだ。俺はこいつが気に入らない。何が気に入らないって、高身長でスタイルがよく、非の打ち所のないイケメンで、爽やかなヤツだからだ。

「お前、ボルゴダに帰ったんじゃなかったのか?」

「ああ、帰ったよ」

「じゃあ……」

「また来たのさ。あいつでな」

 ビトーが指したのは巨大な船であった。明らかに漁船ではない証拠に、船体の側面には小窓が幾つもついている。戦闘時にはあの窓が開き、大砲が轟音を上げるのだろう。つまり、軍艦だ。

「ラクーン号! 驚いたな、お前あんなものに乗って来たのか?」

「驚いたのはこっちの方だ。ドラゴンがダゾンの市街地に、それも王宮に出現したと知らせが入ってな」

「知らせ?」

「長距離の念話だ」

 ルヴィ様は驚いて振り返った。

「ダリア……!」

「だって魁偉(かいい)レベルの魔物が出たら、それが世界のどこでも、魔導師には報告の義務があるもんネ」

 ダリアは涼しい顔をしている。

「そしてボルゴダは応援を派遣する義務がある。17カ国憲章にはっきりと記されている。一応、魔導士も連れて来てるぜ」

「私を捕らえに来たのではなかったのか」

 ルヴィ様は腑に落ちたのか、気が抜けたようだ。

「まあ、」

 対してビトーは、肩をすくめた。

「まったく間に合わなかったがな」

 と、苦笑する。

「ピルロ様、いや、ピルロがどうなったかも聞いたぜ。なんでも怪しい術を使ってドラゴンを呼んだのはあいつらしいじゃないか。だけど、はて……? あいつにそんな力があったっけ?」

「ピルロがドラゴンを呼んだ?」

「ああ。現在は王宮に拘留されてる。ことによっちゃボルゴダが責任を問われかねないぜ? これは、ダゾン王から追って入った報告だが」

 俺たちは顔を見合わせ、そして爆笑した。ダゾン王も気を利かせてくれる。話に尾ヒレがついたどころではない、罪を全部ひっかぶせた形だ。

「とにかく」

 ビトーは笑い続ける俺たちを変な顔で見ながら、

「ピルロは罪人になり失脚した。ルヴィ、お前の身も安泰だな」

「ふむ。そうあって欲しいものだ。だが、これでピルロも終わりだな」

「終わらんさ」

 ルヴィ様は不思議そうな顔でビトーを見た。

「あいつは血がいい」

「血?」

「血統のことだ。貴族のお前には分らんさ」

 そうか、ビトーの口ぶりではルヴィ様は貴族で、ヤツは平民らしい。何か身分を越えた愛!…的なドラマの匂いがするぞ、目を光らせていなければな。

「ピルロはほとぼりが冷めたころ、また何らかの重職に復帰するだろうよ、そんなことより」

ビトーは再び、船を指した。

「帰りはあいつに乗って、直接ボルゴダへ、三日もかからない旅だ。快適だぜ!」

 ユーリクの話だと、あれはボルゴダ帝国の誇る最新鋭感、ラクーン号。

 全長100メートル余りの巨大艦で、帆と蒸気機関を併用する機帆船である。船体には分厚い鉄板が打ち付けてあり、砲は大小取り混ぜて30門。このクラスの軍艦を持つ国は、数えるほどしかない。もっとも、ボルゴダの軍事力は、魔王軍との戦いに特化している。

「さすがにこれに乗っている間は、安泰じゃて」

 さすがのユーリクも大きく息をつき、少し柔和な顔つきになった。用心深いユーリクさえ、この軍艦の戦闘力で守られるということに安堵をかんじるのだろう。

 俺たちは、軍艦ラクーンに乗り込み、その日のうちに港町を後にした。旅程は三日である。

 しかし結果として、ラクーン号は、ボルゴダの港につくことはなかった。

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