第13話 女王誕生

「でも、分からないことがある」

 もとより、分からないことだらけの俺だ。だから何から知るべきかで頭を悩ませている始末である。

「なんで俺たちがあの木賃宿にいるって、ピルロやムルチは知ってたんだ?」

 ピルロの計画は進行中ではあったが、ルヴィ様の居場所を特定するには至っていなかった。俺たちの、王都を避け、辺境の街道を進むという作戦は功を奏していたのである。

「アタシがピルロ様に教えたもの」

 ダリアがシレッと言った。王宮でピルロと会ったときに、親切心から、ルヴィ様の居場所を探してやったというのである。

「おいおい、お前はクアリスと一緒に、ピルロの企みを知らせに来たんだぞ?」

「アラ、考えてみれば、これはすごい自作自演ネ」

「マジでなんなんだ、お前は? こっちの頭がおかしくなるっ!」

 俺は頭をぼりぼり掻きむしった。ユーリク曰く、ダリアは「善悪定まらぬ娘」だそうだが、そんな生易しいものではない。行動に一貫性がまるでない。

「ダリアを責めないであげて下さい」

 だまって聞き役に徹していたクアリスが口を開いた。

「この娘は一番近くにいる人に影響されるんです」

「なんだって?」

「そういうことなんだよネ。相手の心を覗いているうちに、同化しちゃう傾向にあるの。困ったことなんだよネ」

「他人事みたいに言うな! それに、その割には俺にはちっとも同化しないな?」

「ゲンゴはアタシを見てるからネ」

「はぁ?」

「アタシはその人のことをじっと見つめる。心や行動や言葉を。それなのに、ゲンゴはアタシを見つめ返してくるんだもん。見つめられたらやりにくいし、我に返っちゃう。ゲンゴはきっとアタシに興味があるのネ」

「バ、バカッ! 何を言ってるんだ、このちんちくりんは!」

 ルヴィ様が、ジトッと俺を見ている。や、やばい、ここは全力否定だ!

「お、俺が興味があるのは、背が高くてだな、年上の女性なんだよ!」

「クアリス、お腹減ったー」

「って、聞けよ、おいっ!」

 い、いかん。こいつには敵わない。やっぱり関わらない方が賢明だ。

「いや、まだだ! まだ終わらんぞ! お前はハマの村でルヴィ様を惑わそうとしただろ? あれについてはどう説明するんだよ?」

「あ、は? ははは」

「ごまかすな! ルヴィ様にお願いがあるって、あれはいったいなんだったんだ?」

「願い事? そんなこと言ったっけ?」

「もういい、ゲンゴ」

 ルヴィ様が俺を制した。

「ダリアが欲しいものはだいたい見当がついている」

「ほ、ほんとですか?」

「なあ、ダリア?」

 ルヴィ様がニヤッと笑って話を向けると、ダリアはクアリスの後ろに隠れやがった。お前の最後の逃げ場はそこなのか! クアリスはよしよしとダリアの頭を撫でているが、ちょっと甘やかしすぎではないか?

「じゃがのう、ゲンゴもこの世界の言葉を覚えんとのう。不便で仕方ないわい。ダリアがいるときはまだいいんじゃが、毎回、通訳させられたんではのう」

 確かにこれは急ぎの件だ。俺はユーリクかダリアがいないと、言葉が分からない。普段の会話に困る他に、行動範囲も限定される。

「どうじゃろう、ダリア。お前さんがゲンゴに言葉を教えてやってくれんかの。なあに、一日に数時間、おでこをくっつけて世間話でもしてればいい。一ヵ月も経たんうちに、簡単な会話なら出来るようになるじゃろう」

「じょ、冗談っ!」

「なんでじゃ? お前さんは随分、ゲンゴと仲がよさそうじゃ」

「そ、そんなことないっ! こ、こいつは気持ちわるいだけなのっ!」

「おでこをくっつけるだけじゃぞ? ふひひ」

「やーっ、絶対にやーっ!」

 あのダリアを追い込むとは、悪質な嫌がらせだ。さすが意地悪ジジイ、普段、手を焼かされていることの復讐か? 

 っておい、俺はゴミか? そんなに嫌なのか、ダリアめ! こっちはちょっとくらいなら……、一日10時間くらいならおでこをくっつけてても苦じゃないというのに!

「仕方ない。私が……」

 ため息をつき、ルヴィ様がそう言いかけたとき、

「私にお任せ願えませんか?」

 クアリスが訴えた。

 キターッ! ここでクアリスか! ルヴィ様とクアリス、どう転んでも勝ち組決定じゃねーかっ!

「ゲンゴは、私の恩人です。王と妃……、私の父と母を助け出してくれました。その上、父はゲンゴに諭され、改心するとまで言いました。これで恩を返せるとは思いませんが、私が、責任を持ってゲンゴに言葉をお教えいたします」

「そうか、頼めるか、クアリス。一国の王女に頼むのはいささか、気がひけるがの」

 と、ここはじじいが采配した。

「すまない、クアリス、礼を言う」

 ルヴィ様はあっさり引きさがった。少し淋しい気もするが、仕方ない。

「ダメーッ!」

 ダリアが叫んだ。

「クアリスがやるくらいなら、アタシがやるっ!」

「おいおい、ちょっと待てよ! お前、ほんとのほんとのほんとに、分け分かんないヤツだな? 最初に断ったのはお前だぞ?」

「勘違いするな、バカッ! お前のために言ってやってるんだぞ?」

「うるさい! クアリス、よろしく頼みます。俺、頑張って言葉を覚えるから」

「はい。私も頑張ります」

「もう! 知らないからネッ!」

 ダリアはイーッとした顔を俺に向けると、ドアを蹴り開け、部屋を飛び出していった。

「変なヤツ」

 俺は首を傾げながら開けっ放しのドアを見つめた。

「あれ?」

 クアリスが俺に何か話しかけているが、何を言っているのか分からない。そうか、ダリアの伝逓領域が消失したからだ。こりゃあ確かに速く言葉を覚える必要がある。

 おろおろしている俺にクアリスが近づき、その額を差し出した。恥ずかしいのか、その頬が少し朱に染まっている。

(か、か、かかかか、可愛いっ!)

俺はそっと額をクアリスのそれに触れさせた。

「こ、こうすると言葉が分かるし、二人だけで話せるんだよね? これからよろしく、クアリス!」

「言葉遣いに気をつけて、ゲンゴ」

「あ、ごめんごめん、もうちょっと丁寧にってことかい?」

「そうじゃないのっ! お前は平民、私は王族。それなりの態度を示せと言ってるのよ」

 俺は、一旦、クアリスから額を離した。

「えーっと」

 目の前のクアリスは、柔らかい微笑みを浮かべている。

(聞き間違いかな?)

 俺はもう一度、額を触れさせた。

「これから私が責任を持って、お前にこの世界の言葉、常識、風習なんかを教えてあげるから、光栄に思うのね」

「は、はいっ!」

(ナンダコレ?ナンダコレ?ナンダコレコレ?)

「お前は平民だけど、私の恩人であることは変わりないから、私に仕える栄誉を与えてあげる」

「い、いや…、お、俺は、ほら、ルヴィ様に聞かなくちゃ…」

「ルヴィ様は、ゲンゴは自由人で、自分の意志でここにいるって聞いたんだけど?」

「い、いや、あの……」

「それに、言葉も話せない役立たずでしょ? 怖いと腰を抜かす意気地なしでしょ? ルヴィ様はゲンゴのことなんかいらないと思うけど?」

(あがががががっ、俺のアイデンティティが…、やっと芽吹いた花が踏みにじられるーっ! でも、なんだろう、この気持ち…!)

「でも、時にはすごく勇気を出すんだよね? その勇気で私の父と母を救ってくれたんだよね……男らしいわ、ありがとう、ゲンゴ」

(あああ、こ、これはアメだ……、み、見え透いてるのに……全力でしゃぶりたくななっちゃう!)

「とにかく、私が面倒を見てあげるから、犬のように忠誠を尽くすのよ! 分かった?」

「は、はい…クアリス」

「クアリスじゃない」

「え?」

「女王様とお呼びっ!」

(ダ、ダリア……、助けてくれ……っ!)


     ◆


「だからぁ、ストレスがたまるのよねぇ。分かるでしょう? ああいう父を持った娘の苦労」

「は、はい。分かるでございます」

「周りの大人もたいがいのものだし。王妃であるお母様は気は強いのはいいのだけれども、政治には興味がなくて、舞踏会や晩餐会ばかり開いて楽しんでいるし……」

「そ、それは嘆かわしいことでござりまするね」

 ここは額をくっつけ合わせた俺とクアリスの内面世界。そのイメージはクアリスが、豪華なソファに腰掛け、床に座った俺に素足を揉ませているというもの。

 一応、俺にもプライドというものがある。

「な、なんだ、その横柄な態度はっ! いくら王女だからってなぁ!」

 と、文句の一つも言いたくなるところだが、目の前に投げ出された、色白で光沢のあるクアリスの足ときたら、これはもう極上の造形美なのである!

 冴えないモテない役に立たない男のプライドと、胸の大きな美少女の美しい足、どちらに価値があるだろうか? 100人が100人、クアリスの足の方が価値があると答えるだろう。もちろん、俺もその中の一人である。

 この状況には一切の不満はない。

「ずっと頼りになる男の人を探していたのよねぇ」

 そう言ってクアリスが俺を見つめる。


 ドキッ!


「ゲンゴはそういう私の期待に応えてくれるかしら?」

 フフと微笑みを浮かべながら、俺の頬をその指で柔らかく撫でる。

「さあ、出発するぞ!」

 ルヴィ様の声が響き渡ると、イメージの空間はたちまち消え去り、客車の中に座っている俺たちがいた。やましいことをしているわけではない(少なくとも表面上は)が、俺たちは慌てて額を離し、背中合わせになった。

「これは立派な馬車じゃわい」

「うわー、ひっろーい!」

 ユーリク、ダリアと次々に乗り込んできた。この馬車はダゾン王ヒマルが、大陸への船が出る港町まで、俺たちを送り届けるために用意してくれたものである。これまで使っていたおんぼろの馬車とは違い、豪華な四頭牽きの御車だ。客車内も比べ物にならないほど広く、まず快適な旅が約束されるうえに、港町までの警護がつくというのだから、むしろ窮屈なほどの念の入り様。

 最後に、ルヴィ様が乗り込むと、

「良い旅を」

 衛兵が一声かけて、扉を閉めてくれた。

「ハイヤーッ!」

 馬車は石畳の街道を走り始めた。四頭の馬のうち、一頭だけが細くてヨレヨレなのは、情が移った俺が、前の馬車の馬を使って欲しいと願い出たからである。

 こうして俺たちは、いろいろなことがありすぎた感のあるダゾン王宮を後にした。

 石畳の両側にはダゾンの王都の街並みが見える。いくつもの料理店、服屋、雑貨屋、花屋などが軒を連ね、行き交う人々も、どこかお洒落である。思ったより人影がまばらなのは、やはり先日の災厄の影響なのだろう。

「ゲンゴ、お勉強の時間です」

 クアリスが、窓の外を眺めていた俺の袖を、小さく引っ張った。

「クアリス、ゲンゴの世話はありがたいが、そうも四六時中でなくていいのだぞ。お前も疲れるだろう?」

「そうじゃのう。ダリアがいる間は会話にことかかんしな」

「そ、そうですね」

 クアリスは頬を赤らめ、袖を引く手を引っ込めた。この二面性! だが、それも仕方がないとも言える。

 ―なぜならば、昨日こういうことがあった。

 そう昨日のことである。

 俺たちは別邸の大広間に呼び出された。なんでも王様から重大な発表があるとのことだった。

 ルヴィ様を先頭に、ダリア、俺、ユーリクと続いて、広間に入ると、すでに入りきれないほどの人々であふれかえっていた。王宮の大広間ならこういうことにはならないのだろうが、現在は焼け落ちて使い物にならないのである。

 広間に集った人々の顔触れは、そのいでたちからしてダゾン王国の大小の貴族たちである。

「なんの発表なんだろうな?」

「なんといってもあの災厄の後じゃ。貴族も国民も人心穏やかではなかろうて。それを慰撫するためのものじゃろう」

 ところが開口一番、王様が発した言葉は、

「予は、譲位を決意した」

 で、あった。意表を突かれた人々がざわつき始める。

「予は凡々たる、いやもしかしたら劣った王であったかも知れぬ。だがこういう時代だ。予は、予なりに、この国の安泰を願って治世を行ってきたつもりだ。だが―」

 ダゾン王はいきなり俺を指した。

「そこにおるゲンゴとやら、礼を言うぞ」

 居並ぶ貴族たちはいっせいに俺を振り返った。俺は気をつけの姿勢のまま、石像のようにカチコチに固まった。

「かの者が予を諭してくれた。王女、クアリスよ、これへ」

 広間の後ろからしずしずとクアリスが歩いてくる。あの魔導士の衣装ではなく、一国の王女にふさわしい華麗なドレスに、小さな冠を被っており、いつにもまして凛とした横顔が印象的だ。

「これなるクアリス、我が娘ながら、その気高い精神、その覚悟、その知性、どれもが予を凌ぐ、得難い性質を持っておる。予はクアリスに譲位することをここに宣言する」

 貴族たちは息を飲んだ。王が本気で言っているならば、年若い単独女王の誕生である。そんな前例など世界中を探してもまずないだろう」

「とはいってもじゃ―」

 王の話には先があった。

「クアリスはまだ若年、そしてなにより、現在ボルゴダ帝国に留学しており、未だ学究の徒である。彼女が無事、学問を修め、帰国したとき、そのときこそ予は、喜んでクアリスに王の座を譲り渡すものである」

 人々はこの宣言に、しばらくざわついていたが、一人の小さな拍手がきっかけとなり、やがて大きな拍手が広間を包み込んだ。

「万歳! 女王クアリス様、万歳!」

 クアリスは穏やかな微笑みを浮かべ、人々に小さく手を振った。すでにかすかな貫禄を感じさせる所作であったが、俺は知っている。その内側では、ゆるぎない覚悟と悲壮な決意を秘めていることを。

「クアリス、これからはお前たち若い者の時代じゃ。この国を変え、世界を変えていくのじゃ。そのためにも、よりいっそう勉学に励むのだぞ」

「はい、お父様」

「ゲンゴ、娘を頼んだぞ」

「はい、おとうさ……いえ王様」

 ダゾン王ヒマルは、ルヴィ様に向き直った。

「この度の寛大な処置、まことに痛みいる。本来ならあのようなこと、許されることではない」

「いえ、王よ。権力の狭間でこのような小国が生き抜く難しさ故のことでしょう。それにあなたは英断なさった。これ以上、私が何を言おうか」

「感謝の言葉もない。こんなことを頼めた義理ではないが、くれぐれも娘をよろしくお願いする」

 ルヴィ様は力強く頷いた。

 ―回想を終えた俺は、クアリスをつくづくと眺めた。

 その小さな肩にかかる重圧は計り知れない。それでも、出過ぎず楚々として振舞い、ときには凛として果敢に行動する。その完璧な行動の裏で、心の中に押し込めたストレスはどれほどのものであろうか。それがあのような形で噴き出ているのだろう。


 これは俺としても、甘んじて受けなければならない! 心身が持つ限り。

 ところで相変わらず、俺には分からないこと、整理しておかなければならないことが山積している。思えば小さな宿場町の宿で、それらについて話し合っている最中に外相ムルチが部屋にやってきて、中断してしまったのだ。

 話はそれるが、そのムルチ、処罰は貴族の位を取り上げられるにとどまった。ついでにピルロの処置だが、拘留の末、ボルゴダへの強制送還ということに落ち着いた。

「今回の災厄において、人的責任は、全部、このピルロにある!」

 ルヴィ様の一言があり、その方針で取り調べが行われている。要するに全部の罪をひっかぶせてしまおうということだ。

 以上は余談だな。

 話を戻そう。

 そうなんだ。俺にはこの世界のことは分からないことだらけ。術理公式のこと、国際情勢のこと、ドラゴンの襲来だってそうだ。あれがルヴィ様とどう関係あるのか。 ボルゴダへ向かう旅の途中で、クアリスやユーリクに教えてもらわなければならない。

 それより差し迫っている問題がある。

 ―馬車の荷台に積み込んであるオリハルコンと言う希少な金属物質。

 これをどうするか、だ。

 もちろん、俺の手には余る。あれほどの量だと、一国の国富に相当するほどの価値があり、鍛えれば世界を救う聖剣になるかも知れないというのだからたいした宝である。ルヴィ様は、あれは俺のものだと言ったが、それはどういう意味なのか。

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