第10話 ルヴィ様の騎士

「だいたい、あんたらはなんなんだ? この緊急時に、自分のことしか考えず、醜い言い争いばかりだ! 外がどうなってるのか分かっているのか? ダゾンの兵士たちが命がけでドラゴンと闘ってるんだぞ。そのなかに、王女クアリスもいる!」

「おお、クアリス……!」

 王様は天を仰ぎ、やがて涙を流し始めた。

「クアリスはな、この国を守るために、燃え盛る王宮に飛び込んできたんだ。そしてドラゴンが目の前にいるというのに、命がけで人の命を救ったんだ! 自分のことより、他人のことを、そしてこの国のことを考えている。あんたらとは豚に真珠なんだよ!」

 俺の言葉に、広間の誰もが頭を垂れた。

「月とスッポンじゃないの?」

 ダリアがジト目で指摘した。ええい、今は国語能力の無さに構っている場合ではないのだ。一世一代の大演説に水を差すんじゃない!

「だ、だ、黙れ! 従者風情に俺の何が分かる!」

 ムルチがわなわなと震えながら、俺を睨みつけた。

「従者?」

「そもそもあれは誰なんだ?」

「着てるものも粗末だし………」

 広間は高貴な身分の人たちばかりだ。「従者」と聞いて、俺を軽視するような空気が流れ始めた。最高潮だった俺のボルテージがしなしなとしおれていく。

「ゲンゴが従者? それは違うな」

 ルヴィ様が言った。

「彼は騎士(ナイト)だ」

「騎士だと?」

 ムルチが聞き返した。

「私のな」

 ルヴィ様が俺にウィンクをした。その瞬間、爆発的に俺は甦った!

「皆の者、聞いて欲しい!」

 俺の喉から魂のこもった声が迸しる。

 俺の人生において、これほどの肯定があっただろうか? これほどの光栄があっただろうか? 様々なコンプレックス、妬みや、嫉みや、僻みや、恨みが全て洗い流された瞬間だったっっ!!!

「王よ、ムルチを許しなされ。つまらぬ謀(はかりごと)をもてあそんだという意味では、あなたも同罪ではないか。今は一刻も早く、ここから脱出することが最優先であろう?」

 映画やラノベやゲームで学んだ、それらしい言葉遣いが炸裂する。もっとも、ダリアの伝逓(デンテイ)領域という、万能コミュニケーションツールあっての話だが。

「うむむむ…」

 王様は顔をしかめ、深い葛藤の中にいるようだ。

「娘が外で王の無事を祈っているぞ」

 そんな王の背中を押してやる。

「ム、ムルチ、王妃を放せ。お前のことは決して悪いようにはせぬ」

 王様は一言、一言、絞り出すように言った。

 「聞いたかムルチ、ここにいる人間すべてが証人だ。お前の命が奪われることはない」

 俺は、貴族たちや、侍女、給仕の顔を一人一人見回し、念を押した。

「あ、ああ………」

 ムルチの手から刃物が零れ落ち、広間の分厚いカーペットに突き刺さった。王妃はムルチの腕から逃れ、王様に駆け寄り、二人はそのまま無言で抱き合った。

 人生劇場の終幕に、広間の人たちは静まり返り、一言もない。

「さあ、みなさん、ここから出ましょう!」

 ルヴィ様が静寂を破って、今、一番しなければならないことを言った。

「お、俺はどうなるんだ?」

 ピルロが俺の足にしがみついてきた。

「お前の処遇はルヴィ様がよろしく取り計らってくれるであろう」

「ピルロ様、本当に面白いネ」

 ダリアがしゃがみこんで、ピルロの頭を撫でた瞬間、

 ガシャーンッ!

 広間の中央に巨大なシャンデリアが落下した。空気が引き裂かれ、人々の意識に、今度こそはっきりと恐怖がよみがえったようだ。誰もが悲鳴を上げながら、我先にと、扉に殺到した。

「みなのもの、落ち着けっ!」

 もはや俺の声など誰も聞いていない。広間を飛び出すと、通路を転げるように走っていく。

「ルヴィ様、俺たちも!」

「そうだな」

 俺たちも部屋を出て通路を走り出した。後ろに王様と王妃、そしてうなだれたムルチやピルロが続く。

「なんだ?」

 通路の端で、人々が固まり右往左往している。

「どうしたんだ? 早く階段を降りろ!

「ゲンゴ! こ、これじゃ、行けないよ」

 さすがのダリアにも焦りが見えた。何故なら、先ほど俺たちが駆け抜けた一階のエントランスの豪勢な通路は、辺り一面の炎のカーテンで閉ざされていたからだ。

「遅かったか………!」

 迎賓館から本殿へと火が燃え移ったらしい。壮麗だった天井の壁画は焦げて、剥がれ落ち、通路には瓦礫が散乱し、火の手を上げている。

「くそっ! どうすりゃいいんだ?」

 一旦、二階に戻って、別の降り口を探すしかない。だが、そこも火に覆われていたとしたら……、だがそんな心配は無駄だった。

「私に任せて欲しい」

 ルヴィ様が一歩前に出た。

「私は職業柄、いささか、火の扱いには長けている」

 そう言った刹那、マントを翻すと中空に小さな術理公式の紋様が現れた。ルヴィ様が一言、二言唱えると、あれほど燃え盛っていた火の手は、急激にその勢いを失い、しおれたように鎮火していく。

「あいかわらずルヴィ様はすごいのネ」

「いや、簡単なことだ。大気の組成をいじればいい。すなわち、酸素を奪い、窒素を与えよ、数ある消火方法の中でも一番単純なものだ」

 二人は世間話でもするようだが、そこにいた人々は、誰もが畏怖の表情を浮かべた。

「ま、魔道………!」

「悠長にしている暇はないぞ」

 ルヴィ様が声をかけると、人々は思い出したように、階段を駆け下り、出口へと走り出した。

「行こう!」

 俺たちも、人々の後を追った。炎はルヴィ様がなんとかしてくるかも知れないが、物理的に建物を破壊されては生き埋めになる。

 王と王妃は互いをかばいあうように、そしてムルチとピルロはにらみ合うようにして、俺たちの後に続いている。

「出口だ!」

 俺たちはついに本殿から脱出した。視界に大庭園が開ける。弩の残骸、兵士たちの死体があちこちで燃え上がっている。それでも反撃を続けるダゾン軍の勢力は三分の二ほどまで削られており、戦いの激しさを物語っていた。

「持ちこたえてくれたか」

 彼らのおかげで本殿は守られたのだ。つまり、俺たちの命も彼らに救われたといっていい。だが、ただ感謝するには、この光景は凄惨過ぎた。やりばのない感情が湧き上がってくる。

 振り返ると、今や本殿の窓という窓から火が吹き出し、その勢いは増すばかりである。そのはるか上、赤く染まった闇夜の雲にゆうゆうと旋回するドラゴンの影が映し出されていた。

 遥か頭上を旋回するドラゴンの影を仰ぎ見て、ルヴィ様は言った。

「私の責任だ」

「そ、そんなっ! ルヴィ様の責任なわけないじゃないですかっ!」

 彼女の顔は事務的でなんの感情も読み取れない。つまり感情を押し殺しているのだろう。もしこの惨事を引き起こしたのが自分だったとしたら……、ひええ、俺には耐えられそうにない。罪の意識にさいなまれ、気が狂ってしまうかも知れない。

「そうだよねー、鉄メンタルなんだよね、ピルロ様って」

 ダリアが微笑みながらピルロの顔を覗き込んだ。

「な、なんの話だ? お、俺は、悪くないっ! まさかこんなことになるなんて」

「い、いや、お前のせいだ! お前があいつを連れてきたんだ!」

 ピルロとムルチの醜い争いはまだ続いている。この緊急時に、責任のなすりつけあいをするとは、ダリアの言う通り、どんな精神力をしてるんだ。そのせいで人々は逃げ遅れ、危うく本殿ごと消え去りそうになったのだ。

「早く、避難しろっ!」

 俺は二人のケツを思いっきり蹴り上げた。

 脱出を果たした人々は、本殿を出ると大庭園を左に曲がり、そのまま城門の方へ逃げていく。ピルロとムルチも慌ててその後を追った。

「ゲンゴ! やりおったか!」

 ユーリクがクアリスとともに駆け寄ってきた。

「おおっ! じじいこそ、よく無事だったな!」

「なに、はじっこの方にずっと潜んでいたわい。ダゾン軍は思いの他やりよる。何十本も弩をくらって、さしものドラゴンも一休みというわけじゃ」

「お父様、お母様!」

 王と王妃が二人してクアリスを抱きしめている。

「愚かな父を許しておくれ。予は亡国の王になったようじゃ」

「違います、お父様! ダゾンはこれからです」

「そうか、そうじゃったな。予には、まだこの国には、お前がおる」

 王様はそう言うと俺の方を見て、

「この若者に教えてもらった」

 と言った。

「ゲンゴが?」

 クアリスは涙ぐんだ瞳で俺を見つめた。おいおい、何だか俺、やれてるんじゃないか? 王宮の前で腰を抜かしてたのはついさっきだぜ? 俺、やれてるんじゃないか?

「来るぞーっ!」

ダゾン兵が口々に叫んだ。

 上空を旋回していたドラゴンがゆっくりと降下し、炎に包まれた本殿の中央に陣取った。

「また戦いが始まるのか! せめて予が直接指揮をとらねば死んでいった兵士に申し訳がたたん」

 ダゾン王は王冠を外し、王妃に渡した」

「それには及びません。王はすぐに避難してください」

 ルヴィ様は静かに言うと、ゆっくりと歩き出した。

「ルヴィ様、どこへ?」

 彼女は振り返ると、

「心配するな」

 と、お決まりの台詞を言った。彼女は大庭園の中央に向かい、一歩、一歩、歩いていく。兵士たちが驚き、立ちつくしたのは、ルヴィ様が通るところ、火の手が次々に消えていくからだ。

 いつの間にか、庭園の中央から兵士たちは離れて、ルヴィ様が一人立つ。そして彼女はおもむろに振り向いた。ドラゴンと真正面に向き合う形だ。まさに一対一、あんな怪物と一対一って、いくらルヴィ様でも無茶じゃないのか?

「お父様、お母様、逃げて下さい。私はいかなければなりません」

 クアリスがルヴィ様の後を追って、駆け出した。

「クアリス!」

 呼び止める両親を振り返りもしない。

「待ってよー」

 その後にダリアも続く。やがて三人の女魔導師が、ドラゴンを前にして並び立った。

「か、かっこええ……」

 その光景の勇ましさ、可憐さ、悲壮感は筆舌に尽くし難く、俺の背筋をゾッとしたものが襲った。

「お前さんも行けばええ」

「え?」

「わしは行くがなっ!」

 俺とジジイはあの場にいても、役に立たないだろうに…などという考えは先ほどまでの俺だ。

「ええいっ! 俺もだ!」

 こうして、ルヴィ様、ダリア、クアリス、俺、ジジイの五人はドラゴンと真正面から向き合ったのだ。初めてまともに直視するドラゴンは、俺の好きなホオジロサメどころの迫力ではない。


 ギイイアアアアアアッ!


 ドラゴンがすさまじい咆哮を放った。

「うわあああああっ」

 負けずに俺も絶叫する。怖い、正直、怖すぎる。しかし、ルヴィ様は表情を変えることなく、

「それが挨拶というわけか、久しぶりだな、ガルシア」

 そうドラゴンに語りかけた。

「え?」

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