第9話 クアリスがいるからだ!
「天井、高っ!」
壮麗な本殿の造りに圧倒されながら、エントランス通路をダリアと共に駆ける。幸いまだ火の手は見当たらない。
「ダリアッ!」
「なんだよっ」
「悪いな、こんなことに付き合わせて」
「い、いまさらっ!」
「これからどうなるか分からないから言っとくけど、お前さ……」
「アタシってすごく可愛いんでしょ?」
「自分で言うなや!」
「あんたが思ったことでしょっ!」
いかん、やっぱりこいつと話していると頭がおかしくなる。ダリアは確かに可愛いよ? ただ可愛いんじゃなくて、ときにはその狂気じみたところさえ、一つのエッセンスになって、怪しい魅力がある。だからといって、嫁にしたいかと言われると、それはちょっと遠慮したいわけで…って、
「あれ?」
身の程知らずな妄想を繰り広げていると、いつの間にか隣を走っていたダリアがいない。振り返ると、彼女は荘厳な壁画が描かれた天井をポカンと見あげていた。
「いる……」
「どうした、ダリア?」
「上だ! この上に人がいっぱいいる…だけど、とっても混乱してて……」
「二階かっ!」
俺はまた走り始めた。
「待ってよ!」
ダリアが追いかけてくる。
取り残された人たちが混乱してるのは当たり前だ。今はそんなことよりも一刻も早く、そこに辿り着くことだ。王や妃がその中にいるかも知れない。
俺たちはエントランスの通路を走り切り、突き当りにあるホールへ出た。正面には赤いカーペットが敷かれた、やたらと幅の広い階段がある。俺はその階段を見上げ首を傾げた。
「変だな」
「何が?」
「まだ火の手はないし、こんなにでかい階段があるんだ。二階の人はなんで逃げて来ないんだ?」
「行けば、分かるじゃん」
ダリアは躊躇せずタタタッと階段を駆け上がった。
(そりゃそうだ)
俺もダリアの後に続いた。
「うひゃ~」
階段を昇り切ると、先が霞んで見えないほどの通路が見渡せた。大庭園を臨む窓と、細密な装飾を施された柱が延々と並び、一定間隔で十字路になっている。そして無数の扉が部屋の数の多さを物語っていた。
「す、すげえっ」
その外観に違わぬ壮大な造りだ。王様の居場所など、ダリアがいなければ探し出すことはまず不可能だ。そのとき、窓からカッと紅い光が差し込んだ。
「キァッ!」
「な、なんだ?」
俺とダリアは窓のへりにしがみつき、外の様子を伺った。
ドラゴンが上空を旋回しながら、兵士たちに向かって炎を吐き出している。兵士たちは、鉄の盾をかざすのだが、到底、防ぎきれるものではない。ドラゴンが咆哮を上げる度、必ず何人かの兵士が犠牲になった。せっかくの弩は、自由に空を飛ぶドラゴンを捉えることが出来ず、空しく虚空へ消えていく。
(くそ、まずいな)
ドラゴンに敵うかと思われたダゾン軍だが、戦局が一方的になってきている。ドラゴンが殺戮を終えれば、またこの本殿を襲うのは目に見えている。
「ダリア、頼む」
「こっち!」
ダリアは俺の前を走り出し、今度は俺がそれに続いた。いくつもの部屋を素通りするが、彼女は興味を示さない。
(本当に誰もいないのか?)
不安がないではないが、ダリアの能力を信じるしかない。なにしろ犬のように鼻が利く奴だ。
「犬じゃないっ!」
ダリアは叫びながら、次の十字路を左に曲がった。そのまま進むと、ひときわ大きく立派な扉が立ちはだかった。
「たしか、ここは大広間だったと思う」
「ここに人がいるんだな?」
「いっぱいいる! 王様もお妃様も、それから…!」
「行けば分かるだろ?」
ニヤっと笑った俺は格好よく、扉を開くと………、開くと………、開かないっ!
「お、重すぎるぅううう」
俺は体を扉に押し当て力の限り踏ん張った。
「この非力っ!」
ダリアも一緒になって懸命に扉を押した。
ズズズズズ…
重々しい音をたてながら、巨大な扉はゆっくりと動き出した。少し隙間が出来ると、俺とダリアは、体を差し入れ、大広間への侵入に成功した。
「あっ!」
そこに広がっていたのは予想だにしない光景だった。
大広間には予想を上回るほどの人々が、特に悲鳴を上げるでもなく、固唾を飲んで現在進行形の出来事を見守っていた。その誰もが突如、飛び込んできた俺とダリアに視線を向けたのだが、かといって俺の目玉は一対しかないわけで、全員と目を合わせるわけにはいかない。
だけど、なんと言っても最初に目があったのは、
「ルヴィ様ーっ!」
「ゲンゴ、来たのか!」
ルヴィ様は健在だった。広間の中央に毅然と、両の足で立っている。
ええ、ええ、来ましたよ。言ったでしょ? ルヴィ様の為なら例え火の中、水の中! 奇しくも本当に火の中に飛び込んできたわけだけども。
(良かった、無事で本当に良かった)
ルヴィ様の後ろには、王冠を頭に載せた豪華な衣装の男、年は40歳くらいか……、間違いない、あれがダゾンの王様、クアリスの父親だろう。心なしかルヴィ様は、その王様をかばって立っているように見える。では、誰からかばっているのか?
「誰一人、動くなっ! 動けば恐れながら王妃の命はないぞ!」
でっぷりと太った男が、これも王冠を載せた女性の首に腕を回し、刃物をかざしてながら喚きたてている。
「あれは、ムルチ!」
そうだ、ムルチだ。ダゾン王国の外相ムルチ。俺たちを罠にかけ、ルヴィ様を連れさった男だ。
「ム、ムムムルチ、貴様、なんの真似だ? お、お、俺の立場はどうなる?」
そのムルチに向かって、これまた喚きたてる男。
(ピルロだ! あのピエロコケシ野郎!)
こんなところにいやがったのか。しかし、なんでこいつが、ムルチと揉めてるんだ?
「ム、ムムムルチ! 望みはなんじゃ? いや、まず王妃から手を離せ」
ルヴィ様の後ろに隠れながら、ピルロ以上に取り乱しているダゾン王が割って入る。そして、この一連のやりとりを壁際からハラハラと見守る、貴族と思われる着飾った人たち、それに給仕や侍女たち。全部で50人ほどの人数が大広間にいるわけだ。
「え…っと、どういうことだ?」
「混乱してるって言ったでしょ?」
ダリアの言う混乱とは、火事や建物の崩壊でパニックになってるってことじゃなく、複雑な人間関係による修羅場のことだったのだ!
「見ての通りだ、ゲンゴ」
ルヴィ様は半ばあきれ気味に言ったが、状況がさっぱり分かりません。だいたい、なんでムルチが王妃を人質にとり、王様を脅しているんだ?
ズズズズズーン。
その時、轟音とともに建物が大きく揺れた。壁に亀裂が走り、その破片がぱらぱらと落ちてきた。広間の人たちが一斉に悲鳴を上げた。ピルロは、「ひゃあっ」と情けない声をあげながら四つん這いで逃げ惑っている。
「くそっ、ドラゴンがまた本殿を襲い始めたのか?」
「どうだろうネ? どっちにしてもやば~い」
もしそうだとすると、大庭園のダゾン軍はどうなってしまったんだ? まさか全滅してはいないだろうな。ユーリクとクアリスの身が案じられる。
「ピルロ、お前があのドラゴンを連れてきたのか? そのせいで全部、台無しだ! 俺はそんな話、聞いてなかったぞ」
ムルチがピルロに不信の目を向ける。すると広間の人間の視線が一斉にピルロに向く。
「お、俺じゃない!あ、あれは、あいつはきっとルヴィを追って来たんだ!」
今度は視線がルヴィ様に。
「確かにそうかも知れん」
ルヴィ様はうつむき、胸に手を当てた。そして顔を上げると、
「しかし私を罠にはめ、この城に連れてきたのは、ピルロ、お前ではないか? 王とムルチと共謀してな」
今度は視線が、王とムルチとピルロの間を泳いで回る。
「王よ、あなたはそんなことに加担していたのですかっ!」
更に今度は、王妃に視線が集まった。王妃の声は思いがけず鋭く、彼女を捕らえているはずのムルチも思わずビクッと身を震わせた。王と王妃の夫婦関係を伺わせるシーンだ。
「い、いや、予は…」
王は口ごもり、言葉を濁した。
「くっそ、ややこしいなあっ!」
俺は広間の人々の全てに向かって怒鳴り声を上げた。どうせこの世界にはなんの立場もない俺だ。この期に及んで王もヘチマもキメラの翼もない。
そもそも、こんなことをしている場合ではないのだ。ドラゴンが本気で本殿の破壊に取り掛かったら、どれだけ持つのか。
10分か、5分か?
それまでに建物から脱出しないといけないのに、この状況がドラマチック過ぎて、皆、自分の命を顧みるのを忘れているらしい。それとも、貴族たちは対面上、王や妃を放って逃げ出すことが出来ないのか? そうなると侍女や給仕も同じように逃げることがはばかられるのか?
「だいたい、なんであんたは王妃を人質に取ってるんだ!」
「うるさい、どうせ私は粛清される!」
「どういうことだ?」
「ルヴィを捕らえることに失敗したからだ。しかも、これはピルロが個人的に計画したことで、ボルゴダ帝国は関知していない」
「なんだと…? ピルロ殿、それは誠か? お主がルヴィはボルゴダの罪人だというから予は協力したのだぞ!」
王様は驚きを隠せない。
「そ、それではボルゴダからの支援の話も出まかせかっ? ピルロ殿っ?」
「そ、そんなことは、な、ないっ」
「ピルロ様はネ、どうせダゾンなんて、田舎の弱小国家だから約束を反故にしてもたいしたことはない、って思ってるんだよ」
ダリアがすらすらとピルロの心底を暴露した。つくづく敵に回したくないヤツ。
「か、勝手なことを言うな! そ、そんなことはない、王よ! 私を信じぬのか? ル、ルヴィはまだ、罪人ではないだけだ! 俺が訴えれば、これから罪人になるのだ!」
ピルロの憐れなほどの慌てようと、意味の分からない理屈で、そこにいた誰もが、この男はダリアの言う通り、王とこの国をたばかろうとしたのだと確信した。
「そ、そういうことだ! こいつは嘘つきだ! 嘘しか言わない!」
王妃を人質に取り続けているムルチも、目を血走しらせて、ピルロを責め立てた。
「国定魔導士であるルヴィが、この件をボルゴダ本国に報告すればどうなる? 『私はダゾン王国で罠にかけられ、捉えられようとした』、そう訴えればボルゴダはダゾンに対して、責任を追及するだろう」
まあ、それはそうだろうな。要人に危害を加えようとするならその国は黙っていないだろう。ワイドショーから得た知識で、この場で起こっている出来事を必死に読み解く俺であった。
「その前に王は私を処刑するだろう。『あれは大臣のムルチが勝手にやったことです。すでに罪に問い、処刑を済ませました。どうか穏便に済ませて欲しい』。何食わぬ顔で、そうボルゴダに懇願するのだ」
「な、何を馬鹿な! 予は……」
「あなたはいつもそうだ。失政の度に、誰かにその責任を押し付け、粛清し、ご自分の権力を守ってこられた。ここにいる貴族の方たちも知っているだろう? いや、むしろ加担しているものも少なくないはずだ」
王はがっくりとうなだれ、膝をついた。
「予は……、予は……」
自失し、何も話せない王様の様子から、ムルチは真実を言っているのだと俺にも分かった。
「そのくせに、ご自分の意志は持たず、大国のいいなりだ。後ろ盾がなくてはこの国も保てない。ご自分で何も決めることが出来ないからだ!」
ムルチは言いたいことを言いきったようで、大きく息を吐いた。広間はシーンと静まり返り、ときおり響く破壊音がやけに遠くに感じられた。
「おおお、終わった………。公爵家、伯爵家、名だたる名家が集う衆人監視の前で、このような屈辱……終わりだ! もう、ダゾン王家は終わりだ!」
「ははは、いい気味だ。だが終わりなのは王家だけではない! ここにいる貴族ども、お前たちも誰一人、この広間から逃がしはしないぞ」
ようするに、ムルチはどうせ処刑されるのなら、みんなを道連れに、この王宮ごと消えてなくなるつもりなのだ。
シェイクスピアさながらのダイナミックな人生劇を見せつけられ、俺はしばらく言葉を失っていたが、忘れてはならないある少女の決意を思い出した。
「いや、終わらないね!」
俺は力の限り叫んだ。広間の人々の目が一斉に俺に向く。
「なぜならクアリスが女王になり、この国を立て直すからだ!」
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