第8話 ダゾン王宮

 おいおい、俺はまだスライムとしか戦ってないんだぜ? ちょっと間をすっとばしすぎじゃないか? 何をどうしたら、あんなのを倒せるって言うんだ?

「恐れていたことが現実になりよったか……」

 ユーリクは痛恨の極みと言わんばかりに、ぎゅっと杖を握りしめた。

「恐れていたこと?」

「ハマの村を発つとき、追手の目から逃れるためにと、わしは言ったじゃろう?」

「お、おい、追手とはピルロのことじゃなかったのか?」

「ヤツのせいで目立ち過ぎたわい。気づかれたのじゃ」

「だ、誰に?」

 ユーリクはじろりと俺を睨んで、一言、

「魔王じゃよ」

 と言った。

「出遅れたわい。すでにドラゴンを都(みやこ)のど真ん中に出現させるほど、局勢が進んでおったとは」

 兵士たちは統率を失いつつある。それでも投石や弓で応戦を続けているが、放たれた岩も矢も翼の風圧に屈し、かの巨体まで届くことはない。もし仮に届いたとしてもドラゴンに一筋でも傷をつけられるのか、甚だ怪しい。

「見てみい」

「へ、兵士たちが……」

 人間がアリを潰すかのように、ドラゴンは無造作に、そしてまとめて人の命を奪っていく。それは戦闘などというものではなく、蹂躙であり、掃討であった。

「あっ」

 クアリスが今、まさに大殺戮が繰り広げられている大庭園へ向かって駆け出した。

「無茶をするな、クアリス!」

「私はダゾンの王女です。これ以上、民が死ぬのを黙って見ているわけにはいきません」

「ま、待ってよ、クアリス、」

 ダリアも駆け出した。この流れは、俺もか? 俺もあの火の舞台に飛び込まなくちゃいけない流れか? 

「ええい、ルヴィ様のためなら、たとえ火の中、水の中っ!」

 俺も駆け出した。もちろんその横をマスターズの短距離走に推薦したいほどの足を持つ、ユーリクも駆けている。駆けながら、庭園を左右に見れば、惨憺たる有様だ。幾重にも重なった焼死体が、累々と続いている。

「おい、見ろっ!」

 ドラゴンはゆうゆうと飛翔し、本殿の上空を舞っている。やがて一番立派な塔の外壁をその鉤爪で鷲掴んだ。庭園方面の戦闘に興味を失ったのか、本殿の破壊に取り掛かかるつもりらしい。

「これ、幸いじゃ!」

 ドラゴンが本殿を襲っている間に、俺たちは大庭園を横切り、半ば焼け落ちた迎賓館の正面に位置どった。

「ああっ」

 クアリスが声を上げたが、それは限りなく悲鳴に近かった。迎賓館の建物から、侍女や給仕たちが、煙に巻かれながら次々と飛び出してきている。

「どうしよう、あの人たち、逃げ遅れたんだよぉ」

 ダリアは手足をじたばたさせた。この分では中に取り残されている人たちもいるに違いない。

「本殿を死守しろっ!」

「残存部隊をまとめるんだーっ!」

 その闘志を未だ奪われていない兵士たちが、反撃の準備を整えようと奔走していた。一人の兵士が、俺たちの傍を駆け抜けようとしたとき、

「アビス!」

 クアリスが彼を呼び止めた。

「ひ、姫様、よくぞご無事でっ!」

 敬礼姿勢の若い兵士の鎧は煤だらけだったが、どうやらケガはないようだ。

「王は、王はどうされたました?」

「それが……」

 兵士はとっさに言い淀み、巨大なドラゴンが張り付く塔を見上げた。

「はっきりとおっしゃって下さい」

「ドラゴンの襲撃当初は、迎賓館におられたのですが、今は渡り廊下を伝って本殿に避難されております」

 クアリスは顔色を失った。ドラゴンは、今、まさにその本殿の破壊にとりかかっているのだ。

「姫様も早くお逃げください! 私は行かねばなりませんっ」

 アビスという若い兵士は、そう言い残して走り去った。


 バリバリバリバリッ


「な、なんだ、この音は?」

「迎賓館が崩れ落ちようとしているんじゃ!」

 迎賓館の上部はほとんど焼け落ち、倒壊寸前だった。そしてついに、最後まで持ちこたえていた大きな梁が徐々に傾き始めた。あれが倒れれば、迎賓館は確実に崩れ去るだろう。


ギギギギギ……


「た、倒れるぞ、離れろ!」

 あの巨大な梁がこちらへ倒れてくれば、俺たちも無事では済まない。梁は火をまといながら、ゆっくり、ゆっくりと傾き始め、やがて……、止まった?

 梁は不自然な角度に傾いたまま、気まぐれを起こしたらしく、倒れるのを突如、中止したのだ。

「これは、いったい?」

「クアリス、無茶だよ、あんなのおっきすぎるよぉ」

 ダリアが金切り声で叫んでいる。見ると、瞳を閉じたクアリスの周りを、帯のような紋様が舞い踊っている。

 「術理公式……!」

 彼女の魔道が、あの梁の落下を防いだのだ。

「ダリア、お願いっ! 長くは持たないわっ!」

 クアリスの眉間にしわを寄せ、唇をかみしめている様子は、懸命に魔道を維持しているように見える。常人と同じく精神力に限界があるのならば、彼女はすでに倒木に四人の人間を乗せて、長距離を飛行するという、多分ではあるが、負担の大きな魔道を使用しているわけで、その疲労は尋常のものではないだろう。

「うん、分かったっ」

 ダリアはぴょんと跳ねると、両手を無い胸に当てて、大きく息を吸った。精神統一を始めたようだ。彼女の萌黄色の瞳が輝きを放ち始めた。

「あっ」

 俺は思わず呻いた。そうか、そうだったのか。彼女の瞳が輝くわけに、ここにきてようやく気付いたのだ。彼女の虹彩を取り巻くように、小さな紋章が浮かび上がっている。その瞳の中に、術理公式を留(とど)めているのだ。

「ちょっと待って……、残留思念が多くて……。 ジャマ、ジャマッ! 死んですぐだと、さまよっちゃうんだよネ、どうしてもネ」

 魔道を使いながら、ダリアはぶつぶつ独り言を言っている。

 イタタタタッ……。なかなかに不気味な光景だ。やっぱりこいつは普通じゃない。出来れば深くは関わりあいを持ちたくない娘だ。

「おっ、見つけた! 入口付近に固まってる……、すごく怖がってる……そうだよネ、どうしていいか、分かんないのよネ、待っててっ! 導いてあげるからっ」

 ダリアは気合を入れると、大きな瞳をより一層大きく見開き、ルヴィ様やクアリスがそうするように、呪を謡い始めた。可愛い唇から奏でられるそれは、天使の歌声のように、天使の歌声のように、いや、音痴だ。こいつ、とんでもない音痴なんだ! まったく残念なヤツ……。

 ダリアが突然、謡うのを止めて、叫んだ。

「そう、そこっ! そこはまだ大丈夫! そこから出てーっ!」

 黒煙に包まれている迎賓館だが、その壁はところどころ崩れ落ち、穴があいている。そこから一人、また一人、取り残されていた人たちが這い出してきた。

 「8・・・9・・・10人、11人、これで最後ネ、12人!」

 生き残りの一団は、迎賓館を脱出するなり、悲鳴を上げながら大庭園へ駆け出した。

「もう生きてる人残ってないよ、クアリス!」

「ダリア、ありがとう」

 クアリスは小さく微笑むと、ふ~っと後ろに倒れこんだ。

「危ないっ!」

 俺は、なんとかクアリスの体を受け止めることに成功した。その瞬間、ズズーンという地響きとともに、梁が落下し、それに続いて迎賓館はその姿を完全に火の海の中に消し去った。

「ダ、ダリア、お前すごいな」

「ウフッ」

 彼女も少し疲れたようだ。いつもの狂気じみた笑顔が弱弱しい。

「音痴で悪かったなぁ」

 うへっ、こいつあんな魔道を使いながら、それでも俺の心を読めるのか。しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。

「クアリスッ!」

 俺の腕の中でクアリスはぐったりと意識を失っていた。

「あれほど大きなものを支えたのじゃ。かなり消耗したようじゃの」

「くそっ! これからどうすれば……!」

 塔を仰ぎ見ると、ドラゴンはその爪で壁を切り裂き、倒れよとばかりに尾を打ち付け、破壊の限りを尽くしている。しかし、塔はよほど堅牢に出来ているらしく、パラパラと石片は舞い落ちるが、未だ倒れる気配はない。

「今、しばらくは持ちそうじゃの」

 だからといって、打開策など、どこにも見当たらない。状況は刻一刻と悪化するばかりである。

「そ、そうだ、ルヴィ様、ルヴィ様はどこだ?」

 王宮に飛び込んできてからというもの、予期しない出来事が立て続けに起こり、度肝を抜かれていたおかげで、本来の目的を見失っていた。

「ずっと探してるよ。だけど、こんないっぱいジャマッ気な感情が渦巻いてちゃ、見つけられないよ」

 じゃあ、どうする? ルヴィ様の居所が分からないなら、これ以上、俺たちは何をすればいいんだ?

「……サマ」

「ん?」

 クアリスの唇がかすかに動いた。

「お父様……、お母様……」

 閉じた瞼(まぶた)から一筋の涙が頬を伝って零(こぼ)れた。

「無理もない。彼女の両親、王と妃はあの本殿の中にいるのじゃからな」

「そうだよな……」

 だからと言って、俺に何が出来る? 何も出来ないじゃないか。 いかん、いかん、また無力感に襲われそうだ。小さなことでもいい、俺に出来ることがあるはずだ。

「ダリア、王と妃はあの本殿にいるんだ。場所は特定できないのか?」

「言ったでしょ? ジャマがい~っぱいなの! あの中にもい~っぱい、恐怖とか悲しみとか、渦巻いてて分かんないの。……もっと近くじゃないと!」

「じゃあ、行って来い」

「はあ?」

「お前、本殿の中に行って、王と妃を探し出して来い」

「じょ、冗談! あれが見えないの? ドラゴンが乗っかってんだよ?」

「お前、クアリスの友達だろ? こんなときに命をかけないでどうする?」

「ううっ」

 完・全・論・破! 

 そうだ、俺には素晴らしい力があったんだっ! 今の今まで忘れていた。俺は屁理屈が超得意なんだ。言うことを聞かない奴は、正論でもってどんどん追い詰めてやる! ダリアのようなガキに負けるわけがない。

 俺が今、出来ること、それはダリアを使って、王と王妃を探し出させ、そして救出させることだ!

「じゃ、じゃあ、あんたが行くならアタシもいく!」

「はあ?」

「だって、アタシ、女の子だよ? 王様がケガしてたりしてたらどうすんの? アタシ、重いもの持ち上げられないよ? 支えてあげられないよ? どうしても男の人の力が必要だよ?」

「ううっ」

 くっそー、ダリアめ、屁理屈言いやがって!

「いい加減にせんかあっ! クアリスの身になってみいっ」

 ユーリクが大喝した。

 クアリスはすでに意識を取り戻し、俺たちの醜い争いを悲しそうな目で見つめていた。

(や、やめてくれクアリス、そんな目で俺を見ないでくれ……)

 クアリスは、俺の腕にそっと手をおいた。もう大丈夫だということか。彼女はよろよろと立ち上がり、とつとつと訴えた。

「お二人とも、どうかご自重下さい。あなたたちの命を危険にさらすことは出来ません」

 そういうクアリスは涙ぐんではいるが、口元は引き締まり、毅然としている。

「ほら、クアリスは分かってんじゃん! 無理なものは無理なのっ!」

 ダリアが喚きたてた刹那、大庭園にファンファーレが響き渡った。

「なんだ、なんだ? 競馬か?」

「バカモン、来たんじゃ!」

「な、何が来たんだ?」

「ダゾン軍の本隊じゃ!」

 それは、大軍だった。王宮前の大庭園に、ガチャガチャと重装備の鎧の音をさせ、大軍がなだれ込んできたのだ。

「援軍だっ! 援軍が到着したぞ!」

 兵士たちがわっと声をあげた。

「おそらくダゾン軍の本隊じゃな。これまで戦っていたのは王宮づきの護衛兵じゃろう」

 援軍は、折から決死の覚悟で体制を整えようとしていた残存兵と合流し、にわかに士気が高まった。あちこちから、「おうっ」と、歓声が上がる。


 ガラガラガラガラ・・・


 何人もの兵士に牽かれ、兵器らしきものが運ばれてきた。一見するとさきほど使用していた投石機と似ているが、はるかに大型で、ものものしい。

「弩(おおゆみ)じゃ。あんなものを持っておったのか」

 その兵器には、石の替わりに、槍と見まごう巨大な矢が番えられていた。矢は柄の部分まで金属で出来ており、かなりの威力がありそうだ。それが全部で五台、塔に張り付いたドラゴンに向けて据えられた。

 「撃てぇっ!」


 ビュウン、ビュウンッ!


 凄まじい風切り音とともに、巨大な鉄の矢が、次々とドラゴンめがけて放たれた。

「おおお、やりおったわい!」

 矢は、ドラゴンの鱗を貫き、その体に深々と突き刺さった。ドラゴンの咆哮が響き渡る。それが痛みのためなのか、怒りのためなのか、推し量ることは出来ないが、ドラゴンは、猫目石の眼球をギョロリと動かし庭園に展開する兵士たちを睨みつけた。

「見ろ、塔を離れたぞ」

 ドラゴンは塔に食い込んでいた鈎爪を離し、大きく羽ばたくと紅い闇夜に舞い上がった。

「おおっ! ダゾン兵もやるおるわっ。ドラゴンがひるみおったぞ」

「ダリア」

「なんだよ?」

「い、行くぞ」

「え?」

「ドラゴンの注意が本殿から逸れた。行くなら今だ!」

「マジなの? あんたビビってんじゃん! あんた、心の奥で行きたくない、行きたくないって言ってんじゃん」

「行きたくないけど、行かなきゃならないんだよっ!」

「わ、わけわかんないよぉ」

(このままじゃ、クアリスに会わせる顔がないんだ)

 彼女は自分の両親の命が危ないって時に、そして自らが倒れそうなほどのときに、全力で人助けをし、今また俺やダリアの心配をしている。まったくなんて女の子なんだ! そんな彼女に応えなきゃ、クズやゴミにも劣る低レベル廃棄物だ。

「ここでやらなきゃ、いつやるんだよぉ! 今でしょおお!」

 俺は怖さをごまかすために絶叫した。

「ホントにわけわかんないけど、本気なんだネ?」

 ダリアは半ばあきらめ顔だ。

「ああ」

「おやめ下さい、ゲンゴさん。これはダゾン王国の問題です」

「違うよ、クアリス。これは俺の問題だ」

 俺は彼女に有無を言わせぬ勢いで、親指を自らの胸に突き立てた。クアリスは小さく首を震わせると、

「あ、ありがとうございます……、ち、父と母をお願いします」

 そう言って、あふれる涙を拭った。

「よいのか、ゲンゴ? 死ぬかも知れんぞ?」

「死なないかも知れないだろ?」

「確かにその通りじゃ」

 ユーリクは愉快そうに笑った。

「ユーリク」

「ん?」

「クアリスを頼む」

「言われるまでもないわい。小僧が格好つけよって……」

 ユーリクは苦笑したが、すぐ真顔に戻り、

「ゲンゴ、頼んだぞ」

 と言った。俺は力強く頷いた。これで後方の憂いはない。逃げることに関しては、このジジイは信頼できる。

「いくぞ、ダリアッ!」

「あーい」

 俺は走り出した。すぐ後にダリアが続く。恐怖のためか、現実感がサヨナラしてしまい、足がふわふわと雲を踏むようだが、それでも確かに前に進んでいる。上空にはドラゴンが旋回し、庭園の兵士たちの様子を伺っている。

「あれなら、しばらくは大丈夫そうだな!」

「どうだかっ!」

 俺たちは庭園を駆け抜けると、真正面から本殿に突入した。

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