第7話 ゲームバランスが崩壊している
「どうすんだよよ、ジジイ? これでもルヴィ様のところに行かないってのかよ?」
「むうう、事ここに至っては是非もない!」
ルヴィ様が王宮であの凄まじい魔道を使用した?
そんなことをすれば、王宮が吹っ飛んでしまう。いくらなんでも、やんちゃ過ぎるだろ、ルヴィ様!
―いやいや、ルヴィ様はそんな無分別な人ではない。現に、あの憎たらしいピルロに対しても、その矛先を引っ込めたじゃないか。裏を返せば、あの魔道を使用せざるを得ない、それ程のとんでもない事態に巻き込まれたということになる。
「行こうっ!」
もちろん、ダゾンの王都、その中心にある王宮にである。俺とユーリクが揃って立ち上がりかけたそのとき、
「お待ちくださいっ!」
クアリスが鋭い声を上げた。彼女は目を見開き、その握りしめた拳は小さく震えている。
「たとえ、君の頼みでも、こればっかりは無理だ。ルヴィ様が危ないんだ」
「そうではありません」
彼女は「キッ」と顔を上げた。
「ここから王宮まではかなりの距離があります。あなた方の足では間に合いません」
痛いところをつく。俺の頭には、「緊急事態が起こったから、とりあえずそれに向かう」という極めてシンプルな思い付きしかなかった。実際、ここから王宮までどれだけかかるのか見当もついていない。
「私がお連れします」
「君が?」
クアリスは辺りを見回した。そして5~6メートルほどの倒木を認めると、
「あれを使いましょう」
そう言って、例のクレーターが穿たれた月のマントを翻した。帯のような紋様がするすると中空に這い出し、倒木に巻き付いていく。
「術理公式……!」
彼女の形の良い唇が、ソプラノの美声を発した。
「ルヴィ様と同じだ」
やはり異国の民謡のような韻と律を奏で、耳に心地よい響きをもたらすものだった。帯状の紋様がひときわ輝いたかと思うと、
ズズズズッ
太い幹を持つ倒木が地を離れ、ふわりと宙に浮いた。
「さあ、お乗りください。 王宮まで飛びます」
(木に乗っかって飛んでいく?)
俄かには信じがたい話だ。と、いうよりそんなことあり得ない、いや、あっていいはずがない。
「どうした、ゲンゴ、早うクラリスのいう通りにせい」
「なんだよ、ユーリク! いやだなあ、こんなものに乗って、どうなるっていうんだよ?」
「私を信じて、もらえないのですか?」
クラリスが悲痛な顔をして俺を見つめる。
「ちがうよネ~、ゲンゴは、高いところが怖いんだネ」
ダリアが俺の本心をあっさり見抜いた。そうだよ、そうだともっ! 高所恐怖症で悪いか!
「落ちるよ! 絶対に落ちるでしょ? 翼もエンジンもないのに、どうやって飛ぶんだ!」
「たわけっ! そんなことを言ってる場合か!」
ユーリクに叱られても、俺の足は容易に前には動かない。
「うふふ、おじいさん、ゲンゴを思い通りに操る呪文を教えてあげよっか?」
「ふむ? なんじゃ?」
「ゲンゴはぁ、ルヴィ様が一大事のときでもぉ、高いところが嫌だと言ってぇ、ぐずぐずしてましたってぇ、ルヴィ様にいいつけ……」
「乗ります、乗ります!」
この娘、俺の一番、痛いところをもろについてきやがる!
(ええい、ままよっ!)
俺は倒木の先端にまたがった。どうしても乗らなければならないのなら、あえて先頭に乗る、これが俺の流儀だ。
「しようがないやつじゃ!」
続いてユーリクとダリアも倒木に飛び乗った。
「しっかり掴まっていて下さいね」
クアリスは俺と反対側の端に座ると、右手で扇で仰ぐようなしぐさをした。
「うわああああああっ!」
急上昇するエレベーターにも似た感覚が、俺の胃を突き上げる。俺はカエルのように押しつぶされ、倒木に張り付いた。俺たちを乗せた倒木は見る間に、森を遥か眼下に臨むほどの高さまで舞いあがる。
「たっかーいっ!」
ダリアがはしゃいだ。
「行きます」
アクリスが言い終わる前に、倒木はぐんぐんと加速し始めた。
「ひいいいいいいいっ!」
俺の乗っている側が先頭だと思っていた時期が俺にもありました。俺は進行方向と逆向きに、倒木を両手両足で抱え込んだ無様な姿勢で、このエアクルーズを味わう羽目になった。やがて巡航速度に達したのか、倒木はその加速を止めて、いくらか乗り心地がましになった。
(静かだ・・・)
違和感があるほどの静けさだ。見たところ、倒木はかなりの速度で飛んでいるのだから、強烈な向かい風(俺にしてみれば追い風になるが)や、それに伴う風切り音が鳴っていてもおかしくはない。
「私たちの周りの大気を固定してあります」
呼吸や会話のために、クアリスが施した一種の結界のおかげらしい。
「き、君はすごいねえ、クアリス……!」
ここにきて俺は改めて術理公式から発動される魔道のすごさに感嘆した。ルヴィ様にしても、このクアリスにしても、とんでもない力の持ち主だ。
「まだ気づかんか、ゲンゴ?」
「何だ、ユーリク?」
「わしらの周囲には、随分前からもう一つ、結界が張られておるぞ」
「え?」
「お前さんはなんで、ダリアやクアリスとやすやすと会話できていると思う?」
「あっ、そういえば・・・なんでだ?」
「伝逓(デンテイ)領域だよ」
ダリアが得意げ鼻を鳴らした。
「この結界の中では、どんな言葉を使っても、その意味が、伝わるんだよ!」
本来なら額をくっつけてなきゃ出来ないはずの念話が、一定の範囲内で使えるようなものらしい。
「アタシに感謝しなくちゃいけないネ」
そういうやり取りのうちにも、俺たちを乗せた倒木は、猛スピードで飛び続ける。
「むうっ、もう宿場町を越えたわい」
「は、速いっ!」
それから更に飛ぶ。そろそろと建物が密集し始めた。街灯りの数の多さで、すでに都会の上空を飛行しているのだと分かる。
王都は近い。
倒木の先頭に位置するクラリスの顔は青ざめている。事情があまりにも複雑なだけにその心境を推し量ることは出来ないが、少なくとも悲壮な覚悟を秘めているのだろう。
「な、なんなの? こ、こんな……あ、ありえない……!」
突然、ダリアが取り乱した。
「どうしたんだ、ダリア?」
俺は首を無理やりひねってダリアを振り返った。彼女は両手で頬を抑え、目を見開いている。
「こ、怖いよ……! 怖い……!」
それでいて彼女の萌黄色の瞳だけが、らんらんと光り輝いている。
「落ち着け、ダリア! いったいどうしたんだ?」
「王都の方から……たくさんの人の恐怖……、違うっ! これはもう恐怖を超えた恐慌の念……」
「恐怖……、恐慌……?」
釈然としないまま、俺は下界を見下ろした。眼下には、放射状に整然と並ぶ街並みが広がっている。
「王都に入りました」
アクリスが静かに告げた。二階建て、三階建ての建物が隙間なく立ち並び、通りは石畳で舗装されている。これまで通過した田舎町とは比べ物にならない構えと規模は、まさにダゾン王国の王都と呼ぶにふさわしかった。
「ダリア、なんじゃ? 何が起こっとるんじゃ? 言うてみいっ!」
「わ、分からないよぉ。たくさんの人の感情が入り乱れて、こんなの初めてだよぉ……。だけど、何か、何か恐ろしいものが……」
「お、おい、見ろよっ!」
夜だというのに、通りに人々が溢れかえっている。ただ混雑しているというわけではない。大騒ぎの中、人の波はただ一方向に押し寄せているのだ。
「王都から逃げだそうとしているのか?」
さすがにこの上空からでは一人一人の表情を伺い知ることは出来ないが、その混乱ぐあいは、まるで大規模な災害から逃れようとしているかのようだった。
やがて前方にポツンと赤い光点が瞬き始めた。見る間にそれは大きくなり、炎が立ち上っているのだと分かる。
「王宮が燃えているんじゃ」
ユーリクがかすれ声で言った。その様子をしっかりと確かめる前に、俺たちを乗せた倒木は、王宮前の広場の上空に達した。
「降ります」
アクリスの声で、倒木は静かに地に舞い降りた。俺たちの前に立派な城壁が立ちはだかっている。周辺の人々はすでに非難したのか、人影は見当たらない。だが城壁の向こう側、つまり王宮の内部からは、悲鳴や怒号に混じって、ズズンッ、ズズンと地を揺らす轟音が響き渡っている。
アクリスとダリアは、さっと倒木から飛び降りると、いかなる逡巡も感じさせず城壁へと駆け出した。
「俺もっ!」
さっと飛び降りたつもりが、足がもつれてすっころんだ。
「あれ、おっかしいな」
立ち上がろうとしたが、それは叶わず、再び俺は転んだ。足がすくんで体を支えることが出来ないのだ。
「無理もない……」
ユーリクが俺を見下ろしていた。
「するべきことが見つからないかの?」
この世界に来てから俺はいくつかの恐怖を克服したはずだった。だけど、それはすでに眼前に迫った脅威だった。生き延びるためだったり、或いは槍を突き立て、相手を倒すためだったり、生存本能に裏打ちされた明瞭な目的があった。
だけど、今回はどう解決すればいいか分からない事態をどうにかするために、自ら死地に飛び込もうとしているのだ。
「俺が行ったとて何になる?」
この世界に来てから散々味わった無力感。むしろ俺がいる方がルヴィ様の足を引っ張るかも知れないという疑惑。アクリスやダリアのように何らかの特殊な力があればまだしも、今の俺には、この場における自分に存在意義を見出すことが出来ないらしい。
……それに、この王宮を焦がす炎は唯の火事ではないということは、さすがに俺にだって分かる。城壁の向こうから放たれる禍々しく巨大な気配……それが何だか想像すらつかないが、何か……そう、とてつもなく恐ろしい何かが起こっている。
頭では前に進もうとしているのに、足は俺よりも俺を理解しているようだ。前に進むことを断固、拒否している。もしかするとこれこそが生存本能のなせる業かも知れない。
「足が動かないんだ」
俺は思い通りにならない足を抱え、ユーリクを見上げた。
「は、ははは……」
そして、弱弱しく笑った。
「ゲンゴよ」
ユーリクが優しい目で言った。
「それでも、行くのじゃ」
「行って何になる? 俺なんて足手まといじゃないか」
「己を知れと言ったじゃろう?」
ユーリクは俺の肩に手を置いた。
「今、起こっていることを間近に臨む、お前さんの出来ることはそれだけじゃ」
「行くだけでいいと?」
「そうじゃ。もしそれも出来ぬというなら、お前さんはこの世界に要らない人間じゃ」
(そうか、行くだけでいいのか……)
そういえば、俺はルヴィ様に大見えを切ったっけ? 「ルヴィ様と一緒なら例え火の中、水の中 」と、俺は彼女に約束したんだ。
「確かに火の中だな」
「うむ?」
「なんでもない。ユーリク、肩を貸してくれ」
俺は老人の肩に手を置いて、震える足を叱咤しながら、ようやく立ち上がった。
「よし」
左足、右足と交互になんとか歩を進める。
「行くだけでいいんだ」
何が出来るかなんて、そんなこと行ってみなければ分からない。しかし行かなきゃ最初からゲームオーバーだ。
一歩進むごとに足に少しづつ力がよみがえってきた。
「行くだけでいいんだ」
なんて簡単なことだろう。ここから数十メートル先の、あの城壁の向こうに行けさえすればいんだ。
いつのまにか俺は小走りを始め、そしてついに駆け出した。
「ユ、ユーリク!」
俺は意地の悪い年の離れた友人の名を呼んだ。
「なんじゃい?」
驚いたことに、ジジイは楽々と俺に並走しているではないか。
「ジジイ、なんでそんなに足が速いんだ?」
「鍛えておるからのう。若いもんにはまだまだ負けんわい!」
俺たちは、あたかも二人三脚をするように、城壁に向かって全速力で駆けいった。城壁はところどころ崩れている。ひときわ大きな亀裂があり、それを瓦礫の山が守っていた。山のてっぺんには、二人の少女が立っている。
「ここから入れそうです」
「びびり、びびり!」
(俺を待ってたのか?)
「お前さんが、来なかったとしたら、彼女らは落胆しつつ前に進んだじゃろう。どうじゃ、これだけでも来たかいがあったろう?」
ユーリクはうんうんと頷きながら言った。
「よーし、行くぞジジイッ!」
俺たちは瓦礫の山をよじ登り、頂上にいるクアリス、ダリアと肩を並べた。
「こっちです」
クアリスは瓦礫を駆け下り、建物と城壁に挟まれた隘路を左に向かった。俺たちもすぐさま後を追う。彼女なら王宮の作りは隅々まで知っているだろう。
肩を並べて走るうちにも、徐々に怒号や悲鳴が大きくなる。
「何が起こってるんだ」
「もうすぐ分かるわい」
目前に噴水が置かれた小さな広場があり、道はそこから三方に伸びていた。
「もうすぐ大庭園に出ます」
クアリスは足を止めることなく、右へと曲がった。一気に視界が開け、俺たちの前に広大な庭園が広がった。
「おおお……!」
期せずして声が漏れた。
庭園の奥には見る者を圧倒するほど豪奢で壮麗な王宮がそびえ立っていたのだが、俺が驚いたのはそれではない。
「そ、空が赤い!」
業火が王宮の一角を包み、その炎は天高く舞い上がり、闇夜の雲を赤々と照らし出していた。ここからは随分、距離があるというのに、顔や腕にヒリヒリと熱を感じるほどだ。壁が炎に耐えきれず剥がれ落ちるらしく、間断なく轟音が響き、火の粉が飛び散り、その度、悲鳴が上がる。
「迎賓館が……!」
クアリスが立ち尽くした。
燃えているのは王宮の中でも、「迎賓館」といわれる賓客を迎える施設らしい。炎の勢いはすさまじく、隣の本殿とおぼしき、大きな建物に燃え移らんばかりだ。
だが、それだけではなかった。
大庭園には、大人数の兵士が散開している。消火活動かと思いきや、投石機から岩を打ち出したり、隊列を組み弓を放ったり、つまりは何かと交戦中なのだが、おかしいのはその方向だ。彼らは、今まさにごうごうと燃えている迎賓館に向かって攻撃をしかけているのだ。
「まさか、ルヴィ様を攻撃しているのか?」
「アホウッ! ルヴィ様がこんな無茶をするかっ!」
「そりゃそうだ」
馬鹿なことを口走ってしまった。実際、彼女が本気になれば、王宮を吹き飛ばし、何人もの兵士が命がけで立ち向かう、つまり眼前の光景と同じような有様を作り出せるかもしれない。だけど、この光景を見て確信した。彼女は絶対にそんなことをしないはずだ。
「じゃあ、兵士たちは何と闘ってるんだ?」
「見てみい!」
兵士たちの投じる岩や、放つ矢は、迎賓館を焦がす煙の中に吸い込まれていく。そこに「何か」が、「何か」がいるのだ。業火のせいか、庭園にはおりから熱風が渦巻いていたが、一陣の強風が巻き起こり、煙が途切れた。その隙間から、紅い鱗をまとった巨大な尻尾のようなものが、のたくっているのを見えた。
「な、なんなんだ、あれは?」
俺の声は震えた。
途方もない大きさの「何か」が、燃え盛る建物の屋根に陣取っている。閃光が煌めいたかと思うと、煙の中に更に新しい爆炎が生じ、何本もの火柱が立ち上がった。
いや、火柱かと思われたそれは、真紅の巨大な一対の翼だった。
その翼がゆったりと上下運動を始めると、たちまち豪風が周囲を圧倒し、まといつく黒煙が霧消していく。ついにその怪物が全容をさらけ出した。
「ド、ドラゴン……!」
全身を覆う紅(くれない)の鱗は、金属質の鈍い光沢を放ち、凶悪な形の顎からは、凄まじい牙が何本も屹立している。人々の絶望と恐怖をそのまま具現化すればこのような怪物になるのではと、疑いたくなる威容である。
その太い首を震わせたかと思うと、ドラゴンは裂帛(れっぱく)の咆哮を上げた。大気が裂け、大地は揺れ、見る者、聞く者の心臓を凍てつかせた。
刹那、ドラゴンは眼下を炎の舌尖で嘗(な)めずった。何人もの兵士が炎に包まれ、悲鳴を上げながら悶え抜き、地に倒れ、やがて動かなくなった。
そこにいる誰もが、自分の無力さを呪うよりも、恐怖に打ちひしがれるよりも、むしろ眼前の死の形に安らぎを求めた。
俺は思った。
(ドラゴン? ゲームバランスが崩壊している)
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