第5話 俺、覚醒?

 木賃宿の前に馬車が止まっている。俺たちの幌馬車とは違い、華美な装飾が施された客車を、2頭の馬が引く立派なものだ。

「心配するな」

 ルヴィ様は額をちょんっとくっつけて、微笑みを浮かべた。なんだかいつもの行事のようになってきた感がある。例のでっぷりと太った男が、客車の扉を開け、うやうやしくルヴィ様に乗車を促した。

 ダゾン王国、外相ムルチ。この男の肩書と名前だ。ユーリクの通訳によると、ムルチの第一声は、

「ボルゴダ帝国の筆頭魔導師にして、十七カ国連合の防衛研究所副所長ルヴィ様、ご高名は常々お伺いしております」

 という、通り一遍のものだった。

「そのようなお方を、何のおもてなしも無しに、国を素通りさせては、ダゾン王国の名折れ、我が王はそう申されております。ちょうど今宵は我が国にとって特別な晩餐会が催されるゆえ、是非とも王宮にご招待するようにとのこと。お受けいただけますかな?」

 言い分はもっともらしく聞こえるが、背後に連れた武装兵士たちのせいで恫喝めいて聞こえる。

「お受けしよう」

 これが王の正式な招待であるならムゲには出来ないのは分かるが、ルヴィ様はムルチの招待をあっさりと承諾してしまった。

「従者の方はどうされます?」

 ムルチは、ハンカチで額や首筋の汗を拭きながら言った。相当な汗かきのようだ。

「わしらはご辞退もうしあげる」

意外にもユーリクはこの申し出を断った。

(お、おい、いいのかよ、ジジイ)

「それは残念です」

ムルチもすんなりと引き下がる。

 ―木賃宿の一室で、こういうやり取りがあって後、事ここに至るわけだ。

 ルヴィ様が客車に乗り込むと、ムルチもそれに続き、中から扉が閉まった。ルヴィ様は窓から顔をのぞかせ手を上げた。ユーリクがそれに応えると、

「ハイヤーッ」

 御者が一声上げて、鞭をくれた。馬は、ブルンッと一つ身を震わせると、カッポカッポと走り出した。通りには俺とユーリクと、武装した兵士の一団が取り残された。

「さて、眠るとするか」

 ユーリクはさっさと宿に入ると、部屋にもどるべく階段を昇っていく。

「ユ、ユーリク!」

 俺は慌てて後を追った。

「ジジイ、何を考えてるんだ? ルヴィ様を一人で行かせていいのかよ?」

 部屋に入るなり、俺は声を荒げた。何故、この宿にルヴィ様が宿泊しているのを知っていたのか? 何故、あのようにものものしい兵士を連れているのか? 怪しいところを挙げればきりがない。

「まさか、ジジイ、ルヴィ様を見捨てる気じゃ…」

「だとしたら、どうする?」

「お、俺一人でも王宮に乗り込むぞ」

「ひっひっひ、相変わらず知恵が足りんの」

「な、なんだとっ!」

「よいか、ゲンゴ。危急のときこそ冷静になるのじゃ。そうでなければ頭が回らんぞ」

「ど、どういうことだよ?」

「ムルチは、『従者の方はどうされます』とわざわざ聞いてきおったろ?」

「うん」

「普通はじゃな、主人が招待されれば、従者は無条件に付き従う、それがしきたりじゃ。主人を一人で伺わせる、そんな法などない。それをわざわざ聞いてくるということは、わしらに来てほしくないという意思表示なのじゃ」

「お、俺たちは邪魔者だということか」

「うむ」

ユーリクは頷いた。

「それについてルヴィ様は一言も抗議をしなさらなかった。つまり、わしらについて来なくてよいとおっしゃられたわけじゃ」

「お、おお…」

 あの短い会話の中にそんな深い意志のやりとりがあったとは、くそ、うかつにも見逃していた。

「じゃ、俺たちこれからどうすんだよ?」

「知れたことよ」

 ユーリクはベッドの上に置かれた少ない手荷物を肩に担ぎ、杖を手に持った。

「逃げるんじゃ!」

 言うが早いかユーリクは窓を開け放ち、外へ飛び出した。

「ま、待てよっ!」

 続けて俺も窓から飛び出す。ユーリクは闇の中、木賃宿の屋根づたいに飛ぶように走っている。

「ちくしょう、ジジイのくせになんて足が早いんだ」

「ルヴィ様はわざと誘いに乗って、わしらが逃げる時間を作ってくれたんじゃ」

 ユーリクの逃げ足は、黄昏の森で経験しているものの、屋根の上を自由自在に駆け回っているのを見ていると、稼業で泥棒でもしてたんじゃないかと疑ってしまうほどだ。だいたい、杖が必要か、あのジジイ。

(そういや、ユーリクって何者なんだ?)

 ルヴィ様よりも先に会ったというのに、そのくせ俺は、このジジイのことは何一つしらないのである。

「逃げたぞ!」

 宿の前の通りに散開会していた兵士たちが俺たちに気づいた。

「追え!」

「逃がすなっ!」

 口々に叫びながら、走り出し、俺たちに追いすがってくる。そのうちの一人が、矢をつがえるのがはっきりと見えた。

「ユ、ユーリクッ!」

「なんじゃ?」

「や、や、や、矢を撃ってくるぞっ!」


 ヒュンッ!


 言い終わらない内に、一本の矢が俺の背に突き刺さっていた。

「ぐわっ!」

 被弾の衝撃にかろうじて俺は耐えた。もし転倒し屋根から落ちでもしたら、それこそ兵士たちによってなぶり殺しになるだろう。

「く、くそっ! な、なんでだよ」

 普通、当たらなくない?

 屋根の上を走る主人公に銃弾や矢が直撃するシーンなんて見たことないぞ。スリルを出すために、頬をかすめてちょっとだけ血が出るとか、せいぜいそんなところだろう。だけども数々の修羅場を経て、俺はほんのちょっぴり強くなったようだ。

(致命傷じゃない)

 血は流れているが、矢は肩甲骨で止まっているらしい。速度は多少落ちたが、まだ走ることは出来る。矢に射られても走り続けることが出来るなんて、以前の俺からは考えられない。

「ユ、ユーリクッ!」

俺は先を走るジジイの名を必死に叫んだ。

「分かっておる!わしは先に行く!」

「バカ、違うわっ! 助けてくれっー」


 ヒュンッ、ヒュンッ


 次々と矢が飛んでくる。


 カカカカカッ!


 俺の足元に次々と矢が突き刺さる。

「死ぬ、死ぬ、死んでしまう!」

 なんかないのか? ツル植物を握ってターザンよろしく、兵士たちの到底届かない高いところまで飛び上がるとか、あるいは縄梯子を垂らしたヘリコプターが飛んでくるとか。俺は走りながら、眼下の通りを横目でチラッと見た。2~30人の兵士が屋根を見上げながら、並走している。

「これはアカン」

 どうも逃げ切れそうにない。

「あっ」

 ついに足をすべらせちまった。闇の中、屋根の上を走るなんて芸当をいつまでも続けられるわけがない。

「わあああああ」

 俺の体は通りに向かって自由落下を始めた。高さ5~6メートル。重傷は免れないだろう。いや、怪我がどうとか言ってる場合じゃない。通りには俺を殺すために追跡している兵士たちが待っている。彼らは俺を介抱してくれるどころか、すぐさまとどめを刺すだろう。

「わあああ・・・・・・・・あれ?」

 いつまで経っても地面に激突しない。自由落下特有の胃が持ち上げられるような感覚が薄れ、ふわりと体から一切の重さがなくなるような不思議な感覚が訪れた。

 ああ、あれか、走馬燈ってやつか…。俺はあきらめとともに目を閉じた。妙に安らかな気分だ。元の世界に残してきた母親の顔が脳裏に浮かぶ。

「厳五郎、何回言ったら分かるのっ! 靴下を脱ぎっぱなしにしないでっ!」

 ああ、そんなこともあったな。かあちゃん、今頃、どうしてるかな。グスン、ごめんよ。俺は見知らぬ世界で最期を迎えるらしい。

 よし、次の思い出、カモンッ!

 ………………。

 次の思い出カモンッ!

 ………………。

 ちょっと待て! 今ので終わりかよ? しょぼっ! 俺の走馬燈、しょぼっ! こんなんじゃ死にきれないよっ!

(そ、それにしても長すぎないか?)

 いつまで経っても激突の衝撃が訪れない。俺は恐る恐る目を開けた。

「な、なんじゃこりゃあっ?」

 う、浮いてる! 俺の体が、宙に浮いてるうっ! 地上から1メートルほどのところで、ふんわりふわりと、俺は浮いているのだっ!

 その様子を見守っていた兵士たちは俺と同じく驚き戸惑っていた。口々に何か叫んでいるが、その顔には一様に恐怖が張り付いていた。

 やがて、一人が叫びながら駆け出すと、関を切ったように、全員が我先にと蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。

 それを待っていたかのように俺の体はゆっくりと降下し始め、やがてトンッと両足から軽やかに着地した。

「な、なんだ? ついに俺は覚醒したのか?」

 兵士たちが逃げ去った後、背中から矢を生やした俺は一人、呆然と通りに立ち尽くしていた。 

「痛い…」

 俺は背中に突き刺さった矢に手をかけた。

「触るんじゃないっ!」

 闇から鋭い声が飛んだ。

「ユーリク、無事だったか…」

 ユーリクは油断ならない目で、辺りを確かめながらひょこひょこと近づいてきた。

「矢を下手に抜くと血が止まらんようになるぞ。後で手当てしてやるから、今はそのままにしておけ」

 このジジイには怪我に関しては何度もお世話になっている。素直に従った方がいい。

「お、俺……」

「見ておったぞ」

「……俺、浮いたよな?」

「うむ。まごうことなき魔道の力じゃ」

(ついに? ついに特殊能力が俺に宿ったのか?)

「とにかくここから去るぞ。いつまた兵士どもが戻って来るやも知れん」

 宿には馬車が置きっぱなしだが、取りに戻る危険を冒すことは出来ない。俺たちは通りを急ぎ足で歩いた。大きくない宿場町だ。ほどなく建物の影はまばらになり、街道に逃れることが出来た。

「街道沿いは危ないじゃろう」

 街道の脇が森になっている。これ幸いと、俺たちは森に分け入った。台風でもあったのか、ところどころに大木が無造作に倒れている。

「うへえ、俺は森は苦手だよ」

「案ずるな、黄昏の森ではないのじゃ。魔物などおらん」

「まあ、そうなんだけどさ」

「いても、熊か狼くらいなものじゃ」

「良かった……って、いや、もしかして熊とか狼って、スライムよりやばくないか?」

「言われてみればそうじゃのう」

「わああっ、やっぱり森は苦手だ」

 馬鹿な話をしているうちに、雨風をしのぐには格好の、大きく枝の張り出した大木を見つけた。

「ここでいいじゃろう」

  ユーリクは大木の根元に腰を下ろすと、

「さすがに疲れたわい」

  と言って、腰を何度か叩いた。

「俺なんか、重傷を負ってるんだぞ?」

 メチャクチャ痛いのだが、スライムとの激闘は確かに俺を育てている。あの恐怖と痛みに比べれば、まだ少しばかりの余裕はあった。

「なんとかして火をおこそう」

 まずいことに、野宿に必要な道具は木賃宿に置いてきた馬車の中だ。俺の持ち物と言えば、腰にくくりつけた皮の袋だけである。

「しめた!」

 幸いなことに火打石が袋の中に転がっていた。

「待て、火はまずいじゃろ。敵の目印になる」

「そうは言っても、こう暗くちゃ傷の手当ても出来ないよ」

「まあ、待っとれ」

 ユーリクは、古びたメモ帳のようなものを取り出し、目を細めてのぞき込んだ。

「暗くてよう見えんわい」

ページを繰りながらぶつぶつと独り言を言っていたが、

「あった、あったこれじゃ」

 あるページを開いたまま、もごもご口を動かした。


ポウッ


 青白い小さな光源が辺りを照らした。火よりもずっと優しく、熱さも感じない不思議な光だ。

「これなら大丈夫じゃろう。煙も上がらんし、敵の目にとまる心配はあるまい」

「驚いたな、ユーリクも魔道が使えるのか?」

「当たり前じゃ! わしにもこれくらいは出来る! お前さんの傷を治してやったのを忘れたか」

 プライドに触れたらしい。ユーリクはムキになって言い張った。しかし、すぐにしょんぼりして、

「薬草がないからの。わしの魔道だけでどれだけの手当てが出来るか分らんが」

 そう言いながらも、ユーリクは、極力、痛みの少ない方法で矢を抜き、魔道を用いて治療をほどこしてくれた。実際、それでかなり痛みが引いた。ユーリクが魔導士なのかどうかは微妙なところだが、小さな治癒系の魔道が得意なのかも知れない。

「うん、もう大丈夫だ。ユーリク、いつもありがとう」

「い、いや、なんじゃ、ほれ、お前さんは、たった一人の相棒的なところがあるじゃろ?」

 ジジイのデレなど見たくないが、照れるユーリクは少し可愛いとも言えなくもない。

「……俺たち、殺されかけたよな?」

「うむ」

 ……ということは、だ。

「ルヴィ様が危ないっ! いててっ」

 急に立ち上がろうとしたせいで、背中の傷に響いた。

「ルヴィ様一人なら、わしらと一緒にいるよりはるかに安全じゃ」

「どいうことだ、ジジイ」

「彼女の優しさは知っとるじゃろ。いざというとき、わしらを守りながらでは思う存分、戦えん。かえって足手まといじゃ」

「足手まといって……」

 俺はクタクタとへたり込んだ。彼女にとって俺は、足手まといにいしか過ぎないのか。じゃあ、一緒に旅をする意味って何なんだ?

「思いあがるな、ゲンゴ」

「なんだと?」

「事実を受け入れんかい。じゃあお前さんが宮廷までついていって何が出来るんじゃ? それとも、これから乗り込むか? ルヴィ様を助け出すとかほざくのか? ほれ、言うてみい?」

 くそ、ぐうの根も出ない。スライム一匹に殺されかける戦闘力しかない俺は、一人の兵士ともまともには戦えないだろう。

「己に出来ることを考えんかい」

 ユーリクの声が優しくなった。

「ルヴィ様が、わしらについてくるなと言ったのは、なんらかの危険を感じたからじゃろう? わしらに逃げろと言ってくれたんじゃ。わしらは立派に生き延びた。今はそれでいいんじゃ」

 くそ、じじいめ、俺を残して一目散に逃げたくせに、説得力のあることを言いやがって。泣けてくるじゃないか。

 俺は、自分の無力さを呪いながら、涙を噛み締めた。ルヴィ様、どうか無事でいてくれ。

 無力……? いや、さっきのあれは……!

「ユーリク、さっき俺、宙に浮かんだよな?」

「確かにの」

「俺は違う世界からやってきた人間だぜ? 何か特殊な・・・そう魔道と同じような力があるのかも知れない」

「否定は出来んがのぉ」

「そうだろう? 現に兵隊たちは、宙に浮かぶ俺を見て、ビビって逃げたんだぜ。あれで命拾いしたんだ」

「この国は魔道弱国じゃからな。魔道というものを必要以上に恐れていよる。ましてや大魔導師ルヴィの従者ともなれば、やはりこれも魔導士……そう思ったのじゃろうな」

「見ててくれ、ユーリク」

俺は背中の痛みを堪えつつ、立ち上がった。

「もう一度、浮かんでみる」

 俺は大地を蹴って勢いよくジャンプした。しかし背に激痛が走っただけで、ほんの一瞬、足が地を離れたに過ぎなかった。

「おかしいな」

 あの、重力から解放され、浮遊する感覚を思い出すんだ。精神を集中しろ! 俺はもう一度、渾身の力を両足に込めて、ジャンプした。

「いてっ!」

 背中のに激痛が走り、バランスを崩した俺は、着地を失敗し、尻もちをついた。

「ヒッヒッヒ、どうした、ゲンゴ?はよう、浮かんで見せろ」

「笑うんじゃねえ、ジジイ」

「ヒッヒッヒ、浮かないだけに浮かない顔ってか?」

 まったくこのジジイには閉口する。日本語を思い通りに操りやがって。

「心配せんでも、基礎すら知らんお前さんに、魔道など使えんわ」

「じゃあ、あれは何だったんだ?」

「知りたいか?」

「そりゃ、そうだろう。俺にもやっと役に立つ力が出来たかと思ったのに」

「ならば、ほれ、答えがそこにいよるわ」

 ユーリクが杖で刺した茂みがガサゴソと揺れた。

 何かの獣かと俺は浮足立ったが、そこから顔を出した顔には見覚えがあった。

「お、お前はダリア……!」

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