第4話 ダゾン王国へ

 どこまでも続く草原の中、どこまでも続くあぜ道を、俺たちの馬車はガタゴトと行く。出発にあたって少しゴタゴタがあったが、まずは快適な旅だただたっ…舌を噛んだ! モノローグで舌を噛むという離れ業をやってのけた俺は、幌から顔を出し、

「ユーリク、もうちょっと静かに走らせられないんですかっ!」

 手綱を持って馬を御している老人に文句を言った。

「仕方ないじゃろっ! 道がガタガタなんじゃっ! 贅沢ぬかすなっ!」

「なんだと、このジジイッ!」

「文句があるなら、お前さんが、やれっ!」

 荷台にもたれてルヴィ様がやれやれという仕草をした。俺は幌を出て、ユーリクの隣に座り、手綱を奪い取った。

 この旅が始まってから、俺とユーリクの関係に変化が生じた。二人ともルヴィ様の従者という形になり、俺はユーリクの奴隷という立場から解放されたからだ。ユーリクの意地の悪さは相変わらずだが、俺はもう、それに黙って耐える必要はない。今では、年を越えたケンカ友達という風になっている。

「ほう、うまいもんじゃな!」

「もう出発してから一週間たつからな。ところでユーリク」

「なんじゃ?」

「俺、最近、ルヴィ様の言葉が分かるときがあるんだ。その…言葉が一つ、二つ分かるとかじゃなくて、わりとはっきりと」

「念話の影響じゃ」

「念話?」

「そうじゃ。念話は言葉で会話するより、はるかに密度の濃い情報の交換が出来る。ルヴィ様と念話を重ねていれば、言葉の学習方法としてはこれ以上のものはない」

「なるほどなあ」

「どちらにしろ、お前さんはこの世界の言葉を覚える必要があるんじゃ。いいことじゃないか。どれ、わしとも念話をするか?」

 ユーリクは前髪をかき上げ、皺だらけの額をむき出しにした。

「断固、断る」

 夜になると、テントを張り、ユーリクが炊(かし)ぎの煙を上げた。相変わらず飯をつくるのがうまい。俺は当初、洗濯係を買って出た。川を見つけると、たらいでみなの衣服をまとめて洗うのだが、

「俺がみんなの洗濯をします。一枚残らず洗いますとも!」

「いや、結構だ」

「ルヴィ様にそんなことはさせられませんっ!」

「いいから、それは私がやる!」

 ルヴィ様を少し怒らせたのち、洗濯係はルヴィ様の役目になった。

「ひっひっひ、まったく馬鹿じゃのう、お前さんは」

「何がだ?」

「いくらあの方が美しいとはいえ、女はルヴィ様だけではないぞ?」

「そんなこと分かってる」

「第一、ルヴィ様は随分、年上じゃろう?

「それも知ってる」

「ボルゴダには美しい女はゴマンとおるぞ?」

「そんなこと…何? 今、なんて言ったジジイ?」

「ひっひっひ」

 なんとしてもボルゴダに辿り着かなければならない。ルヴィ様を守り通し、無事、送り届けなければならないのだ。俺は決意を新たにした。

「その前に、ほれ」

 ユーリクが前方を指した。

「そろそろダゾン王国との国境じゃぞ」

 確かに、あぜ道の先に小さな村が見えてきた。

「心せえよ、ゲンゴ。ここからは何が起こるか分からないぞ。小国といえどダゾンはコオローンと比較にならん。行政もしっかりしておるし、警察もそれなりに機能しておる」

「でも、少なくとも俺たちはダゾンのお尋ね者というわけじゃないだろ?」

「ふむ。確かにそうじゃが、用心に用心を重ねて、困ることはないわい」

 実際、コオローン自治区は、寂れ果てた村の集合体ぐらいにしか思えないほど、存在のおぼつかない国だった。そういう意味では、この世界に来てから、初めて国らしい国を訪れることになる。

 俺たちはこの国を抜け、海に出なければならない。何もないあぜ道を旅するようにはいかないだろう。

 俺たちは、なんなく国境線を越え、ダゾン王国に入った。そもそも警備する人間もいなければ、柵もないのだから当たり前だ。コオローン方面から来る人間が皆無に近いのだろう。

「喧騒を避けよう」

 ルヴィ様の言う通り、俺たちは都会を避け、辺境の街道を走り続けた。のどかな田園風景、美しい湖、初めて目にするはずなのに、どこか懐かしい風情の家々、景色は移り変わっていく。

「のどかだなあ」

 こうしていると、世界が危機に瀕しているなどとは、到底思えない。野宿を繰り返し、俺たちの馬車は走り続けたが、先に進むにつれ徐々に建物が増え始め、往来を行き来する人々も目立ち始めた。

 この日は、街道をひた走った後、小さな宿場町に到着した。木賃宿が立ち並ぶその様は、俺がこの世界に来てから味わう初めての賑わいだった。

「今夜は宿をとろう」

 木賃宿の前に馬車を停めると、ルヴィ様は幌から降りて、「ん~」と伸びをした。はい、可愛い。猫みたいで可愛い。

「ありがたいわい。長旅は体に堪えるからのう」」

 ユーリクも嬉しいらしい。みんなに旅の疲れがたまっている。旅塵を払い、久しぶりにベッドでゆっくりと眠ることが出来るのだ。

「お前も疲れたろう」

 俺は馬車を引く痩せ馬を撫でてやった。実際、この痩せ馬は頑張ってくれている。馬の世話など、この世界に来てから初めて経験することだが、なんでも必死にやれば身につくものだ。今のところ、頭を噛まれること二回、肩を噛まれること一回、蹴飛ばされること一回で済んでいる。

 俺は厩に馬をつなぐと、ルヴィ様とユーリクを追って宿に入った。宿の一階は酒場になっており、食事もここでとれ、ということらしい。俺たちは、壁際の一席に陣取り、遅い夕食をとることにした。

 鶏の肉のような肉、牛の肉のような肉、ジャガイモと人参みたいな野菜の入ったスープ、どれも美味い。

「ええい、まどろっこしい。それは鶏と牛とジャガイモと人参じゃっ!」

 今更だが、この世界の生態系は、元いた世界とそうは変わらないらしい。

「たんと食えよ、ゲンゴ。お前は若いんじゃ、まだまだ入るじゃろ」

 相変わらず俺の飯の心配をするユーリク。

「言われなくても、いっぱい食べるって!」

 食べることに心配のない生活が、どれだけ贅沢だったのか思い知らされたのがつい最近である。俺の食事は一回、一回、気合が入ってるわけだ。

 ルヴィ様は、ワイングラスを片手に、微笑みながら俺の食事風景を眺めている。

「この分じゃ、ダゾンでは何事もなく通過できそうですね。ほら、ユーリク、通訳してくれ」

「やれやれ。お前さんも早く言葉を覚えにゃのう」

 ユーリクはぶつぶつ言いながらもルヴィ様に伝えてくれた。

「そうあって欲しいものだな」

せっかルヴィ様がそう言ってるのに、

「そう思うのが浅はかなのじゃ。これから王都に近づくのじゃぞ。不測の事態に常にそなえねばな」

 ユーリクは楽しい食事中にも、決して居住まいを崩さない。この用心深さはいったいなんなんだ。

 ―いや、そもそもの話。

「ここは、ボルゴダじゃなくてダゾンですよ。そこまで警戒しなければならないって、ルヴィ様はいったい何をしでかしたんです?」

 ずっと聞きたかったことだが、なかなか聞けなかったことだ。ルヴィ様とユーリクの顔色が変わった。

「しっ!」

 犬でもしつけるように、ユーリクは俺の口をふさいで、ルヴィ様と二言、三言、言葉を交わした。

「ゲンゴ、お前も運命を共にする存在になった。話そう」

 ルヴィ様がそう言ったらしい。

「ただし、ここではまずいじゃろう。部屋に行こう」

 ようやくルヴィ様の秘密を聞けるらしい。

 ―ルヴィ様が罪人? 裏切者?

 誰にそう言われても俺のルヴィ様に対する信頼はビクとも揺るがないが、何があったかは知っておきたい。

「術理公式を盗み出したあっ?」

「うむ。もちろん理由はあるのだが」

 部屋での会話はややこしいものになった。

 俺とルヴィ様が額を合わせ、かつルヴィ様は口頭でも話をする。これによって、俺、ユーリク、ルヴィ様が同時に会話できる。しかし、傍から見るなんちゅう怪しい光景だ。確かに酒場なんかでは到底披露できない。

「ボルゴダ帝国には、帝室術式格納庫という施設がある。ここには、ボルゴダ帝国の国定魔導士が研究を重ね、開発した術理公式が無数に保管されている」

 と、ルヴィ様。

「魔王軍と戦うためのものから、地震、台風などを巻き起こすもの、逆にそれらの天災への対策となるもの、疫病などの拡散を防ぐため、医療を目的としたもの、実にさまざまな術理公式があるぞ」

 と、ユーリク。

「中には禁忌とされるものもある」

「禁忌ですか?」

「そうだ。あまりにも禍々しい事象を発生させる術理公式は、封印され、厳重に保管される」

「例えば、お前さんの世界の核兵器や生物兵器などを想像するがよいじゃろう」

「なるほど。それは物騒だ」

「それ以上に危ないものもあるんじゃ」

「ルヴィ様はそれを盗み出した?」

「ウフッ」

 この微笑みは、そういうことだろう。

「厳重に保管されているのに?」

「私自身が筆頭国定魔導士だからな。術式格納庫には自由に出入りできるのだ。それでも盗み出すとなると簡単な話ではないが」

「ふーむ…、なるほど」

 今更だが、ルヴィ様は、ボルゴダ帝国の筆頭国定魔導士であり、17カ国連合に所属する防衛研究所の副所長を兼任している、お偉いさんなのだ。

「ルヴィ様は術理公式を何かに書き写したりしたんですか?」

「それは出来ない」

「じゃあ、巻物みたいな、原本みたいな、そんな感じのものを盗んだんですか?」

「術理公式には原本などない。いや、原本のみしか存在しないというべきか」

「それは不用心ですね。その倉庫みたいな…」

「帝室術式格納庫じゃ」

「そうそう、その格納庫。厳重に保管してるって割には原本しかないなんて不用心ですね。写しもとっておかないと」

「さっき、ルヴィ様が言ったじゃろう。術理公式は写しとることなど出来ないのじゃ」

「は?」

「術理公式というのは、それぞれが、世界にそれ一つしか存在出来ないのじゃ。ルヴィ様が盗み出したというのは、正しくその通りの意味なんじゃ」

「ちょっと何言ってるか分からない」

「分からないのもしょうがないかも知れん。お前さんの世界とこの世界は組成の概念から違うからの」

「いやいやいや、計算式とか、公式とか、ものじゃあるまいし、そんなもん盗めるようなもんじゃないでしょ?」

「ふむ。骨は折れるが、頭から教えてやろうかの。以前、この世界では、『式』そのもに力があると教えたな?」

「うん」

「その『式』には、大きく分けて万象公式と術理公式というものがあるのじゃ。

「バンショーコウシキ?」

 頭がついていかない。

「術理公式と違って、常時発動している公式のことじゃ。この万象公式こそ、この世の常(つね)、このよの理(ことわり)、森羅万象、全てを司る法則じゃ」

 こりゃあかん。まったくもって分らん。

「お前さんがこの世界を理解するためには、術理公式よりもむしろ、万象公式がなんたるかを知る方が手っ取り早いかも知れん」

 仕方ない。ない頭をふりしぼって理解に努めよう…そう覚悟をきめたとき、

 トントン。

 部屋の扉が叩かれる音がした。皆に緊張が走る。ルヴィ様とユーリクは目くばせし、それぞれ部屋の壁際に立った。俺はあわてて部屋の奥にあるベッドの後ろに隠れた。

「だれじゃ?」

 ユーリクが扉の向こうに声をかけた。扉の向こうからぼそぼそと返答がある。

「ユーリク、なんて言ってるんだ?」

「ダゾン王の使いで来たと言ってる」

 王の使い? ルヴィ様とユーリクは顔を見合わている。

(どうやってルヴィ様の存在をかぎつけた?)

(こんな安宿に夜遅く来訪して、いったいなんの用があるんだ?)

 俺でさえ様々な疑念を持たざるを得ないが、肝心の相手がもうそこにいるのだ。

「応対するしかありませんな」

 そういうとユーリクは扉の鍵を開け、王の使いとかいう人間を部屋にいれた。

 でっぷりと太った巨漢が、汗をかきながら慇懃にルヴィ様に挨拶した。安宿には似つかわしくない立派な衣装を身にまとい、髪はべったりと頭に撫でつけられている。おちょぼ口の上に丸いちょび髭がのっかっており、瞳がおどろくほどつぶらだった。

「ダゾン王国の外相だそうだ」

 ユーリクが囁いた。

(外相って外務大臣のことだったっけ?)

 そんなことを考えていると、ユーリクが視線で合図を送ってきた。

(男の後ろを見ろ?)

 男の背後、扉越しの廊下の壁に人の影がランタンの灯りにゆらめいていた。


 カチャカチャ。


 聞こえているのは鎧の音か? 雰囲気からすると、一人や二人ではないらしい。なんだかやばい空気になってきたぞ。

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