第3話 心魂の魔導士ダリア

 魔道を解き放つための言葉を発しようと、ルヴィ様の唇が小さく開いた。刹那、ビトーがピルロの前に躍り出て、膝をついた。

「ルヴィ様、おやめください!」

「ビトーッ! そこをどけっ!」

「どきませぬっ!」 

「このような男を生かしておく理由など、三界を探しても見当たらない! どけっ!」

 ビトーはルヴィ様を必死に制しながら、彼の上役の名を呼んだ。 

「ピルロ様ーっ」

「な、なんだぁ?」

「ここは一旦お引きください! あなたからルヴィ様に、その旨申し上げてください!」

「わわわわ、分かったっ! ル、ルヴィッ! 俺は、引くっ! 兵を引き上げるぞっ、もう二度とお前の後はつけないと約束するっ!」

「遅いっ!」

 中空にチカッ、チカッと小さな閃光が瞬くと、それらは瞬時に大きな火球へと成長し、広場に向かって降り注いだ! 灼熱の奔流が荒れ狂い、更に暴風を呼んだ。

「うわああああっ」

 たまらず俺は絶叫した。爆煙が立ち込め、大気の焦げる匂いがする。煙のため、目を開けていられず、呼吸もままならない。

「ゴホッ、ゴホッ、ユーリク、大丈夫か? ユーリクッ!」

 喉が焼けそうなのをこらえつつ、俺はジジイの名を呼んだ。

「慌てるな! もう終わったぞい」

 ユーリクの言葉を待たず狂奔の渦は力を失い、風も収まっていく。

「ひ、ひいいいいいいいっ!」

 ピルロは腰を抜かし、立ち上がることも出来ないようだ。彼の頭髪はすっかり縮れあがり、アフロヘア―になってしまっている。せっかくのこの特徴を看過することは出来ない。もうこけしピエロではなく、アフロこけしピエロと呼んだ方がいいだろう。

「これは…、外したのか?」

「いや、魔道は発動しなかった。ルヴィ様が直前に止めたのじゃ」

「止めたのにこの有様ですか? これじゃ魔道が発動していたら、俺らも黒焦げでしたね」

「ほっほっほ。そういうことにはなるまいが、ルヴィ様、よほど腹に据えかねたのじゃろうな」

 ルヴィ様が怒ったら、こうなるのか。よし、覚えておこう。俺は絶対に彼女を怒らせない! 命がいくつあっても足りないからな。

「ルヴィ様、よくぞ思いとどまってくれました」

 ビトーが立ち上がり、鎧についた煤を払った。

「て、撤収だ!撤収するぞっ」

 ピルロは誰を待つこともなく、あぜ道を一直線に駆けていく。ビトーは憐れな上役を一瞥もせず、落ち着いて兵をまとめはじめた。一人一人に声をかけ、立ち上がらせ、隊列を組みなおさせた。

「先に行ってピルロ様を護衛しろ」

 命令を下すと、兵士たちは粛々と広場を立ち去って行った。兵を見送ると、ビトーは俺たちの前にゆっくりと近づいてきた。

「たいした男じゃな」

 ユーリクが感嘆するのも無理はない。歩き姿一つとっても、腰が据わり、隙が無い。それでいてどこか優雅で品を感じさせる。見れば見るほど、いい男である。

「けっ! すかしやがって!」

 全方位からコンプレックスを刺激された俺は、ヤンキー漫画のモブキャラのようなセリフを吐かずにはいられなかった。

「見苦しいものをお見せした。私は帝国騎士団第7隊、副隊長ビトーという」

 ビトーは俺たちに礼をとり、さっと踵を返した。俺たちの自己紹介はいらないらしい。変なガキとジジイには興味はないのだろう。

「焔獅子騎士団か!」

 ユーリクが唸った。

「知ってるんですか?」

「うむ。ボルゴダ帝国の最強部隊じゃ。ボルゴダは世界平和に尽力する国ゆえ、他国との戦争はここ数百年、絶えて無い。その力は魔王を滅ぼすためそそがれておるのじゃ。第7隊は常にその最前線で戦い続け、焔の獅子と謳われるようになったのじゃ。歴代の隊長は、最強の剣士を持ってこれを任ずると言われておる」

「魔王軍と戦う最強部隊…」

(クソッ! カッコいいじゃねえか!)

「あの若さで副隊長とはな。いずれボルゴダの最強剣士になるやも知れん」

 まったく便利なジジイだ。民明書房並みのうんちくを蓄えてやがる。俺たちの雑談をよそに、ビトーはルヴィ様の前で立ち止まり、ふと微笑んだ。

「ルヴィ、相変わらずだな」

 沁みとおるような笑顔である。格好良すぎて、俺までもっていかれそうだ。

「迷惑をかけたな」

 ルヴィ様も微笑み返す。

(この二人、古い馴染みとか言ったな)

 二人が醸し出す雰囲気がなんだか、あれだ。他人が入れない空気だ。これはもうアカン。二人は幼馴染で、お互い好意はあるが、意地を張りあって言い出せないってやつだ。俺の入り込む余地など一ミリもない。オワタ。

「ビトー、済まない。だがこれだけは信じてくれ。私は誓って、私利私欲で動いているわけではない。この世界のため…」

 ヴィトーは、ルヴィ様の言葉を手で制した。

「分かっている。そして心を決めたら、例えそれが俺であっても、立ちはだかるものには容赦しないお前の気性もな」

 ビトーは明るく笑った。

「済まない…」

「そう何度も謝るな、ルヴィ―。俺は、お前のことを信じている。だからよくは知らないが、お前のやろうとしていることも信じる。…個人的にはな」

「だが、立場上は、捨て置けない…そうだろう?」

「軍人の厳しいところさ」

 ビトーは足元の石ころを蹴った。

「俺に出来ることは少ない」

「お前には何も望みはしないさ」

 ビトーは淋しそうに笑うと、俺とユーリクの方に向き直った。

「少年、老人、ルヴィ様を頼む。あまり無茶なことはさせないで欲しい」

 そう言い残すと、表情を引き締めあぜ道を歩き去っていった。

「ビトー…」

 その背中を見送るルヴィ様の背中に、声をかけることすらできない。オワタ。

「それで…」

 ルヴィ様は振り返った。

「どうしてお前はここを去らないんだ、ダリア?」

 気づけば、ダリアは俺とユーリクの間にいて、立ち去るビトーの背中に手を振っている。

「サヨナラー」

 そして、ルヴィ様の質問には答えず、

「ああ、ピルロ様って面白い」

 と言って、ケラケラ笑った。

「ねえ、ルヴィ様ぁ、ピルロ様は面白いよネ。あいつ、バカだものネ」

 ルヴィ様は眼鏡をかけると、初めて会ったときのクールな表情に戻った。

「ダリア、お前は行かなくていいのか?」

「うん、いいの」

「どういうことだ?」

「だってアタシ、勝手についてきたのだものネ。ルヴィ様に会いたかったから」

 ルヴィ様は、ため息をつきながら頭を振った。ダリアは、なんだかトンチンカンな娘だ。つかみどころがない。

「ユーリク、なんなんですか、あの娘は?」

「ルヴィ様から話は聞いていたが、善悪定まらぬ娘じゃのぉ」

 ユーリクの表情は思いのほか、険しい。

「で、これからどうするつもりなのだ?」

「アタシ、ピルロ様、コロシテあげようか?」

「なんだと?」

 さすがにルヴィ様は気色ばんだ。

「だって、ピルロ様が、お国にチクッたら、ルヴィ様、困るでしょ、ネ?」

「……」

「なんなら、ビトー様も……?」

 ダリアは首を傾げた。可愛いしぐさとは裏腹に、ガラス玉のような瞳は、妖しい光を帯びている。

(そうだな、ピルロやビトーを殺してしまえば、口封じできる)

 そうすれば、誰もルヴィ様の罪を知るものがいなくなる。それがルヴィ様にとって一番安全なはずだ。

 あのピルロとかいうやつは、ルヴィ様のいう通り生かしておく価値などないし、ついでにビトーもくたばってくれれば、言うことはない。ルヴィ―様は俺のものだ。

「そのかわりネ、ルヴィ様にお願いがあるの」

 ダリアがルヴィ様の顔を覗き込むように言った。彼女のいうことはもっともだ。彼女が、殺人を代行してくれるといなら、彼女が望むものを代償に差し出すのは当然だ。

「こりゃっ!」

 ユーリクが杖で俺の頭をポコッと殴った。

「いってえなっ! 何するんだ、ジジイじゃなかった、ユーリク!」

「バカモン、お前さん、憑りこまれておったぞ!」

「何を馬鹿な…え?」

「あの娘、心魂の術理を使いよる。あれは枉惑(オウワク)の瞳じゃ」

 「え……? 俺、今……」

 俺はたった今、生まれて初めて人の死を願ってしまったというのに、何の葛藤も罪悪感も感じてはいなかった。

「こ、怖ええ……」

 なんだかよく分からないが、ダリアは催眠術的な力を持っているのだろう。ルヴィ様が危ない!

「そうだな、ダリア…。ピルロとビトーをお前の手で亡き者にしてくれるならば、頼みを聞いてやってもいい」

 ルヴィ様は無造作に、ダリアに殺人を依頼した。

(あれは、ルヴィ様の本心か?)

 そうではあるまい。少なくともビトーという男を殺そうとは思ってないはずだ。

「ほんとにお願い聞いてくれるの? やったネ!」

 ダリアは飛び上がって喜んだ。

「ところで、ダリア?」

「なあに、ルヴィ様」

「ことの顛末を知っている人間がここにもう一人いるのだが。そのものの口はどうやってふさぐのだ?」

「え?」

 ダリアはきょろきょろ辺りを見回したが、

「も、もしかしてアタシのこと?」

「他に誰がいるのだ?」

 ルヴィ様はゆっくりと眼鏡を外した。

「だ、だってアタシはルヴィ様のこと大好きなんだよ? チクッたりしないのネ?」

「ああ…、小さくて可愛い私のダリア! …そして可哀そうなダリア! 秘密を知ったばかりに」

 ルヴィ様の瞳が冷たくダリアを見据える。それに反比例するようにダリアの瞳の怪しい輝きは失われてく。

「う、嘘っ!ぜーんぶ、嘘! アタシは何も知らないっ! ピルロ様も、ビトーも知らない! 誰も殺さないっ! 知らない、知らない、知らないーっ」

ダリアは駄々をこねる子供のように喚き知らしたあと、

 「ルヴィ様の意地悪っ! 知らな~い!」

言い残して、ぴゅーっと音が出るほどの素早さであぜ道をかけていった。

ルヴィ様がガクっと膝を折った。

「ルヴィ様っ!」

駆け寄って、抱き起す。

「心配ない」

 ルヴィ様は弱弱しく微笑んだ。今度こそはっきりと聞こえた。というより、彼女の言葉が分かったのだ。

「だが少し疲れた」

「無理もない、あのダリアという娘、恐ろしいほどの力の持ち主じゃ」

 ルヴィ様は、ダリアの精神攻撃的なものと闘っていたのだろう。かろうじて退けはしたが、かなり消耗したということか。

「いっそ、出発を延ばされますか?」

 ルヴィ様は首を振った。

「一日も早く、ボルゴダに着かなければならない」

 「何が起こるか分かりませぬぞ。あのピルロの胸先三寸で、ボルゴダにとって、あなたは罪人にも、裏切者にもなる」

「それでも…だ。私は行かねばならぬ」

「つらい旅になるかも知れん」とは聞いたが、どうやら違うようだ、これは「危険な旅」と言った方がふさわしい。しかも、だ。運よくボルゴダにたどり着いたとして、そこからがもっと危険そうだ。

 更なる危険に飛び込むために、危険な旅路を行くって不毛じゃね?

 だけど…!

 俺はは、ルヴィ様の後頭部に手を回すと、少々強引に額を押し当てた。突然の俺の行動にルヴィ様は驚いている。うむ、これを額(ガク)ドンと名付けよう。

「ルヴィ様、大丈夫ですか?」

「済まない、のっけからこんな様だ。無理について来いとは言わぬ」

「ルヴィ様をピルロとかいうヤツの花嫁には出来ませんよ」

「え?」

「俺に何が出来るか分かりません。むしろ足手まといになるかも知れない。だけど、どこまでもついていきますよ」

「す、済まない」

「何度も謝らないで下さいよ」

 俺はビトーの野郎を真似て、格好よく決めた。

「さあ、出発しましょう!」

「そ、そうだな」

 良かった、ルヴィ様はいく分元気を取り戻したようだ。

(おのれ、ビトー、ルヴィ様は渡さんぞ!)

 俺の理解では、なんだかよく分からないが、ルヴィ様は汚名を負ってまでその使命を果たそうとしているのだ。

―それは世界を救うことかも知れない。

 そんな大それた話に及ぶと、俺なんぞノミのような存在だ。だけど彼女の尻を追いつづけることなら出来る。世界を考えるから苦しいのだ。ルヴィ様の尻の素晴らしさだけを見ていれば、苦しくもなんともない。

 この世界のとりあえずの目標が出来た。一応、世界を救う感じのパーティの一員となったのだから、たいしたもんだ。俺にしては上等すぎるだろう。

 何? なりゆきまかせにしか見えない? こんなハードモードの世界で俺に何をしろっていうんだーっ!

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