第2話 ピルロ、お前もか!

「馬車か!」

 俺は初めて見る本物の馬車に興奮し、車輪や幌に触れてまわった。簡素な荷車を牽引する馬は、少し痩せすぎている。


 ヒヒーーンッ!


 俺の心を読んだのか、馬は抗議するように嘶いた。

「あの寂れたハマの村じゃからな。金を積んでもこんなものしか用意できんかった」

 ユーリクが申し訳なさそうにしているのは、もちろん、俺に対してではなく、ルヴィ様に対してである。

「十分だ。無理を言ってすまなかった」

 ルヴィ様は、むしろしょんぼりしているユーリクをねぎらった。優しい人だなぁ。

「え?」

 今、俺、ルヴィ様の言葉が分かった?

「まさかな」

 念のため、ルヴィ様とユーリクの会話に耳を傾けてみる。やはり、気のせいだったのだろう。何を言ってるかさっぱり分からない。

 俺たちは村の端に位置する広場で出発の準備をしているところだ。この広場は村の玄関口であり、集会場でもある。一昔前はさまざまな催し物も行われ、それなりの賑わいがあったそうだが、現在は手入れもされず、広場を囲う柵もところどころ破れて、荒れ放題になっている。

 だけど、空は澄み渡っている。小さな雲が二つ、三つ、気持ちよさそうに泳いでいた。旅立ちには申し分ない日よりだ。

「春だな」

 間違いなく春の陽気であった。

 村の外へ目を向けると、あぜ道がどこまでもどこまでも続いている。この先にはまだ見ぬダゾン王国があり、海を越ると、これまたまだ見ぬ大陸があり、大陸の国々を越えていけば、魔法と文明の国、ボルゴダ帝国である。

 飯も宿も、金も心配ない。ずっとルヴィ様と一緒の旅だ。ほんの数日前、スライムに殺されかけていた時からすれば、まさに天国と地獄である。

 俺は食料やら衣類やら旅に必要な雑貨を、荷車に積み込みながら気持ちよく汗をかいている。

 ルヴィ様は馬車の傍らに立ち、どこまでも続くあぜ道の先をじっと見つめている。ふと、一陣の風が彼女の髪をなびかせた。

「おおおおお!」

 神々しい! なんという絵になる立ち姿だろうか。眼福という言葉の意味を今知った思いだ。ルヴィ様は俺の方を振り返ると微笑みながら近づいてきた。俺の胸は高まった。次に何が起こるか知っているからである。

 ルヴィ様は、眼鏡を取り、髪をかき上げると、額をそっと俺のそれに押し当てた。

「いよいよ、出発だ」

「はい」

「つらい旅になるかも知れん」

「覚悟は出来ています」

「ふふふ、頼もしいな。ところで……」

「ついに見つけたぞ、ルヴィ!」

 突如響き渡った下品な声が俺の至福の時間を奪い去った。


 ザッザッザッ


 鎧で身を固めたものものしい兵士の一団が俺たちの前に整列した。

(な、なんだ、なんだ?)

「苦労したぞ~、苦労した! こんな辺鄙なところに隠れていようとはな!」

 下品な声の主は、これまた下品な格好をしている。

 ピエロのような極彩色の衣装に、やせ細った体を包んでいる。マントには、ペイズリー柄のような模様があしらわれていて、これがまたとてつもなくダサい。

 そして、個人を識別する際にもっとも重要な要素となる顔面だが、一目見ると忘れることが不可能なほどの特徴を持っている。

(お、大きい! そして丸い!)

 小柄で痩せすぎの体に比して、極端に大きく、ぷっくりと丸いのだ。

(コケシだ)

 そう、一言で言うなら日本の誇る民芸品、コケシである。それも極彩色のコケシである。

 突如現れた兵士の一団に、ルヴィ様は驚明らかに動揺している。

「ピ、ピルロ……!」

 そして、それがこコケシの名前らしい。ルヴィ様は、一言、二言、男に言葉を投げつけたが、これも俺には何を言ってるか分からないのだから、もどかしいことこの上ない。

「よりにもよって、あの男が来よったか!」

 ユーリクが忌々しそうに言った。

「ユーリク、これはいったいどういう事態なんです?」

 認めたくないことだが、言葉の分からない俺にとっては、このジジイだけが頼りなのだ。

「要するに追手じゃよ」

「追手?」

「そうじゃ。追手の目から逃れるために、こんな片田舎を選んだというのにのぉ」

 ユーリクはうんざりしたように言った。

「ちょっと待ってくださいよ! どうしてルヴィ様に追手がかかってるんですか?」

「話せば長くなるのお。それよりどれ、ひとつ通訳をしてやろう」

「通訳?」

 ルヴィ様がピルロという男に何かを言った。

「ピルロ! どうしてここが分かった?」

「おやおや、いまさらそんなことを気になさるのですか?」

 二人が言葉を投げあうたびに、間を置かずにジジイが日本語に通訳する。

(おお! いいぞ、ジジイ)

 こんなトンチキな俺の物語を眺めている物好きのために、ここからはジジイの通訳を無いことのようにしてお送りする。

「あれほどの魔道を発動すれば、その余波が三界まで届くのは自明の理だ。そうではないかな?」

 勝ち誇るピルロの背後から、一人の少女がひょいと現れた。

「ダ、ダリア…お前か!」

 ダリアという少女を俺の言葉で表現すれば、ちょっと闇の入った魔法少女だ。黒を基調としたドレスに、大きな紅い花びらをあしらったマント、ショートカットの銀髪に萌黄(もえぎ)色の瞳。年齢は14、5歳だろう。魔法の杖の代わりに、鞘に納まった剣を携えているのが、ミスマッチかも知れない。ただ、大きな瞳がガラス玉のように底光りしており、少々危険な香りがする。

「ダリアは苦も無く、お前の魔道を探知したぞ?」

 ピルロはまるで自分の手柄のように得意げだ。

「ルヴィ様、ごめんよネ?」

 ダリアは困ったように微笑んだ。それはいたずらをした子供が、バツが悪そう笑うのに似ていた。

「ルヴィ、観念して縛につけ! そうすれば俺にも情けはあるぞ」

 ピルロは優位を確信してるのか、どこまでも居丈高である。

「まずいのお、ダリアとかいう娘まで連れておったとはのう」

「あ、あの娘も魔導士なのか?」

「そうじゃ。ルヴィ様の後輩だそうな。魔道術理高等学校では、天才と言われておるらしい」

「後輩なのに、敵に回るのか?」

「敵?」

 ユーリクは首を振った。

「それはちょっと違うな。ヤツらはルヴィ様を捕まえに来たんじゃ。なんせ、罪人じゃからのう」

「ルヴィ様が罪人?」

 俺が素っ頓狂な声を上げるのは、この世界に来てから、何度目だろう。

「あのピルロはボルゴダ人じゃ。地位や所属の差はあれど、ボルゴダの国家機関に忠誠を誓う身としては、ルヴィ様の同志じゃ。それをルヴィ様が裏切ったということになっとる」

「ルヴィ様が裏切者?」

 声が裏返ってしまうのを止められない。

「あの、ビトーもじゃ」

 ユーリクが指刺す先には、ひときわ立派な体格と装備を持った一人の兵士がいた。長身で、金髪碧眼、古代ギリシャの彫刻のような秀でた肉体、非の打ち所の無いイケメンである。

「少なくとも、あいつは俺の敵だ」

 醜い対抗心が俺の中に沸き起こる。他の兵士と違って、ビトーだけががマントを羽織っているところをみると、隊長格なのだろう。

「ルヴィ様…、なぜ、このようなご勝手をなさるのですか…」

 ビトーは沈痛な顔で言った。

「ビトー、済まない。この場は見逃してくれないか」

「それは無理というものです。あなたを自由にさせると、また無茶を繰り返すでしょう?」

「おい、頼む相手が間違っていないか? この場で一番偉いのは、枢密補佐官であるこの俺だぞ? たかが一部隊の隊長風情に何の力もないわ!」

 ピルロがヒステリックに割って入った。ビトーは、ピルロを一瞥すると、押し黙って一歩下がった。

「だからさ~、どうして俺に頼んでくれないのぉ、ルヴィ?」

 ピルロは体をクネクネさせて、自ら気持ち悪さを強調する。

「ビトーじゃなくさあ、俺に頼めばいいじゃん? まだお前のしでかしたことはお偉いさまの耳には入ってない。知っているのはここにいるものだけだ。握りつぶすのはわけないぞ?」

「お前に頼めば見逃してくれるというのか?」

「う~ん、だからァ……、この前のこと考えて欲しいんだよなあァ」

(この前のこと? 何を言ってるんだ、このこけしピエロは?)

「俺は、将来、ボルゴダの宰相になる男だよォ? そしてお前は国定魔導師だ。帝の顧問や、帝国軍の魔道部隊の司令官、どんな重職にもつける。その俺たちが、その、一つになればさァ、ボルゴダは思いのままだ」

「このテンプレ野郎っ!」

 ユーリクの通訳を通してとはいえ、それ以上聞いていられなくなった俺は、ルヴィ様と典型的過ぎる悪役の前に飛び出した。

「おい、このこけしピエロ! だまって聞いていればいい気になりやがって! プロボーズか? それはプロポーズなのか? 女に条件をつきつけて結婚をせまるとは、なんてゲスな男なんだああぁぁぉぉおお俺のことだったああああっ!」

 俺はその場にへたり込み、地面を叩いた。

「バカ! バカ! オレの馬鹿! 俺はこいつと同類じゃないか! こいつをとっちめる正当性などまるでないじゃないか!」

 俺が何を言っているのか誰にも分からないのが救いだった。ピルロが何か喚いているが、おおかた、

「な、なんだ、この変なガキは?」

 とでも言ってるのだろう。誰が、変なガキだ、ゴルァッ! ルヴィ―様は俺に近寄り、助け起こすと、かすかに笑って首を振った。

「心配するな」

(え?)

 また聞こえた。またルヴィ―様の言うことが分かった。いったいこれは…、と不思議に思っている場合じゃない。ルヴィ様は俺に下がるように、と手で指図すると、再びピルロと向き合った。

「あいかわらず下劣な男だな、ピルロ」

「……その口ぶりでは、交渉決裂…ですか」

 ピルロは心底、残念そうな顔をしたが、なんとか気を取り直したらしく、

「馬鹿な女だ! こちらには兵士20人と魔導士がいるんだぞ。いかなお前でもどうしようもあるまい! この期に及んで抵抗するつもりなのか?」

「ピルロよ、何故だ? 何故、軍を動かした? 何故、ダリアがここにいる?」

「お前を捕らえるのに当局の人間では心もとないのでな。ふふふふ。ビトーとは、古い馴染み、ダリアは後輩……この二人の前で醜態を晒すのはさすがに忍びないか?」

 ピルロの嫌な顔を見ていると、詳しい事情は知らないが、ルヴィ様に嫌がらせするために、わざわざ二人を連れてきたとしか思えない。

「ルヴィ様っ!」

 ルヴィ様の目に、光るものが伝う……ルヴィ様が泣いているのだ!

「ははははは、泣くほど、悔しいか…。俺としてもお前をそこまで追い詰めるのは心苦しいのだ。心中は察するが、悪いことは言わん。大人しく縛に着け」

「心中を察する?」

 ルヴィ様は静かに眼鏡を外すと、胸のポケットにしまい、目を閉じた。

「私の心中を察するというのか、ピルロよっ!」

 次にルヴィ様が目を開いたとき、その瞳は怒りに燃え上がり、真紅の髪はぞわぞわと逆立った。


 ザザザザザザッ


 突如、広場につむじ風が巻きおこった。

「ユ、ユーリク、こ、これは?」

 つむじ風は熱気を帯びており、それに吹かれると目や唇が一瞬で乾いた。

「ふーむ、すごいのお。ルヴィ様。術理公式を出す前から、すごい魔道感応じゃ」

(このジジイはなんでいつも呑気なんだ?)

 つむじ風はその勢いを増している。いまや小さな竜巻がいくつも空から落ちてきて、体を支えているのがやっとだ。

「ちょ、ちょっとやばくないですか?」

「ふむ。逃げる準備をしておけ」

「ルヴィ様を置いて? そんなこと俺には出来ないよ!」

「お前さんに出来ることなど無いんじゃぞ」

「で、でも……!」

 ピルロは俺以上に錯乱している。

「お、おい、ルヴィ、やめろ! お、お前ら、早くルヴィを捕らえろ!」

 ピルロはそう命令し、兵士たちの後ろに駆け下がったが、その兵士たちは動揺し、ちりじりになって、もはや隊列は崩れきっている。

「私の涙の訳を教えてやろう、ピルロ。お前だけならよかった。少しばかり火傷を負わせ、追い返すことも出来た。しかしビトーとダリアが、私の敵に回るというなら、一切、手加減は出来ない。傷つけてしまうかも知れない、もしかしたら殺してしまうかもしれない……それでも、成し遂げなければならないことがあるからだ!」

「な、何をしてるんだ、ビトーッ! 飛び掛かれ! ダリア、ほら、やっちまえ!」

 ピルロは身を丸めて喚き散らした。

「ムリ。ルヴィ様、本気で怒ってるもの。私、熱いの嫌だもの。ピルロ様、ゴメンよネ?」

 ダリアはあっさりと白旗を上げ、ててててっと広場の脇まで走っていくと、ちょこんと座った。

「ビ、ビトーッ! 俺を守れー!」

「恐れながら、それは無理というものです」

「な、なんでだあ?」 

「私は剣士です。対魔道訓練も受けてはおりますが、それは戦うために、己の身を守るもの。他人を守ることはとても叶いません。ただ、彼女を討てとおっしゃるのなら、相打ち覚悟の上、千に一つ、万に一つの可能性はございます」

「馬鹿か? 俺が助からなきゃ、意味がないんだよおお!!」

「ピルロよ、覚悟しろ!」

 ルヴィ様がマントを翻すと、小さな光の球が、中空に表れた。かと思うと、光の球は拡散をはじめ、やがて複雑な紋様に成長していく。紋様は、うねうねと流れ、絶えず姿を変え、留まることを知らない。

「おおおお……あれは、術理公式っ!」

「よく見ておけ、ゲンゴ。魔導士としてのルヴィ様の力を」

 ユーリクに言われるまでもない。俺は固唾を飲んで、成り行きを見守っている。

「ビ、ビトオオオオオッ! なんとかしてくれええええっ!」

 ピルロの醜い命乞いが響き渡った。

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