第二章 ダゾン王国編

第1話 ルヴィ様に認められた!

「あれ?」

 気が付けば、俺は天上に向かって拳を突き上げ、こねくり回していた。がばっと跳ね起きると、見知らぬ部屋のベッドの上だ。

 壁がしっくいのような材質で出来ているところを見ると、ユーリクの小屋ではないらしい。窓は開け放されていて心地よい風が吹き込んでくる。外を見ると、往来を見下ろせたのでここが二階だということが分かった。人の影はなく立ち並ぶ家々の壁は一様にツタで覆われている。

 景色に見覚えがあった。この世界に来て初めて立ち寄った寂れた村だ。


 トントントン…


 階段を昇る足音が聞こえる。間を置かず部屋に入ってきたのはルヴィ様だった。

「ゲンゴ!」

 彼女は喜色を浮かべ、ベッドの際までやってくると、眼鏡を外して、

「額を差し出せ」

 という仕草をした。そして、そっと額を重ね合わせる。

「どうだ、体の調子は?」

「どこも痛くもないし、大丈夫です」

「そうか、それは良かった」

 安堵のためか彼女は小さくため息をついた。

「それより、あのスライムはどうなったんですか?」

「うむ。私は気を失ってしまっていたからな。ユーリクが言うには、お前が槍で仕留めたということだ」

(そうか、やったのか、俺は…!)

 さすがにあの巨大スライムはボスクラスだといって差し支えないだろう。この世界に来て、ようやく実績らしい実績を作ったといっていい。

(それにしても、こんなに手ごたえがないものなのか?)

 あんな化け物を仕留めたのなら、意識が途切れる前に、とどめの感触があってもよさそうなものだ。

(待てよ?)

 俺はある見落としに気づいた。

(いや…、まさか)

 そんなはずはない。そんなことがあってたまるか。あの場所には俺とルヴィ様しかいなかったはずだ。

(やっぱり俺が倒したのか……)

 最後に火事場の馬鹿力でも発揮したのだろう。

「お前は私をかばってくれたそうだな」

「い、いえ、とっさのことだったので」

「済まない、危険な目に合わせてしまって…。本来なら私がお前を守らねばならなかった」

 そこでいったん、ルビィ様は額を離し、俺を見つめた。

「おお、目覚めおったかい!」

 ドタドタとユーリクが部屋に駆け込んできたやましいことをしているわけではないが、俺とルヴィ様はぱっと離れ、何食わぬ顔を装った。空気を読みやがれ、ジジイッ!

「それにしてもお前さん、お手柄じゃったの、どでかいスライムを倒して、ルヴィ様を守るとは」

(何をぬかしやがる、このジジイ。真っ先に逃げやがったくせに!)

 腹に据えかねる話だが、俺は別のことを言った。

「これもユーリクが俺に知と勇を教えてくれたからですよ」

「うむ、まさに知勇を振るったというところじゃな」

 ユーリクは得意げに頷いた。なんとなくこのジジイの操縦法が分かって来たぞ。

「ああ、そうそう、ルヴィ様がお前をボルゴダに連れていきたいそうじゃ」

「え?」

 俺はルヴィ様とジジイを見比べた。

「ボルゴダに?」

「そうじゃ。この世界の魔法文化の中心にして、17カ国同盟本部の所在する国、ボルゴダ帝国にじゃ」

「ボルゴダに…!」

 ついに俺の運命が回り始めたらしい。ってことでいいんだよな?

 たった今、運命の扉が俺の目の前で厳かな響きとともに開いた。その先に何があるかは分からないが、もとより選択肢は一つしかない。何も考えず飛び込むのだ。

 この世界は、それがどこであっても俺には見知らぬ土地である。つまりどこに居ても大差はないのだ。

(そうであるならば!)

 一番大事なことは「どこに居るか」ではなく「誰といるか」だろう。ルヴィ様と一緒に居られるなら、たとえそこが魔王の居城であっても、南国のリゾートのように感じられるはずだ。

「お前さん、見込まれたのう」

 ユーリクは顎を撫でながら、俺を見つめた。

「ルヴィ様の目に留まるとは、師匠のわしとしても鼻が高いわい」

(誰が師匠だっ! 誰がっ!)

  ルヴィ様がユーリクに断りを入れ、再び額を接してきた。

「ユーリクから話は聞いたか?」

「はい」

「どうだ? 無理にとは言わんが」

「行きます、行きます! ルヴィ様と一緒なら例え火の中、水の中!」

「フフフ。お前の場合、それが嘘でないから、頼もしい」

 受け入れられた……! 犬をの頭を撫でようとすれば噛みつかれ、猫の喉を撫でようとすれば引っかかれ、告白などしようもんなら、翌日は全校に知れ渡るという、およそ好意が受け入れられたことなどない俺のっ!……好意がっ!

 その昔の中国。漢の高祖劉邦は戦をすれば負け続けた。しかし最後の一戦、覇王項羽を倒し、平原を統一、大国、漢を興したという。

 この逸話と全く同じと言えよう。ルヴィ様に好意が受け入れられたなら、もう人生が報われたと言っても過言ではない。

 本命に一発命中すれば100発外れようが問題ではないのだ。

「なんだ、お前、泣いているのか…?」

「な、泣いてなんかいませんよ! ちくしょう、目にカブトムシでも入ったかな」

「とにかくだ、そうと決まれば先は長いぞ。ボルゴダへの帰還は生易しいものではない」

 むむ? 楽しい旅が待っているだけではないのか?

「陸路、海路を挟み、国境をいくつも越えねばならん。私は準備をするが、お前も2~3日の内には出発できるようにしておいてくれ」

 ルヴィ様は額を離すと、「じゃあ」という風に片手をあげ、部屋を出て行った。その後ろ姿を見送っていたユーリクは、

「まだ若いのにたいしたお方じゃ」

 と呟いた。

「あのリーバという術理公式、それをたった一人で発動させるとはのう。まだ粗削りだが、あの様はまさに七賢者の領域に触れんとするものじゃったわい」

「ユーリク、七賢者ってなんですか? 度々、聞くんですけど」

 ユーリクは、感慨を邪魔するなという風に、俺にシラケた視線を向けたが、

「仕方ないのう。お前さんは曲がりなりにもルヴィ様に見込まれた男じゃ。話してやるとするか」

 そういって椅子を引き寄せ、ベッドの傍らに座った。

「すでに言ったかも知れんが、七賢者とはこの世界の調停者にして強大な魔道を駆使するものたちじゃ。すなわち、緑常(りょくじょう)のデボワ、廓清(かくせい)のヴェーダ、熾盛(しじょう)のハーン、填星 (てんせい)のガレヌス、颶風(ぐふう)のリンガー、玄鑒(げんかん)のジグ、識閾 (しきいき)のドガリー、この七人のことを言う」

「ルヴィ様は、その……シジョウのハーンって人の弟子なんですね」

「うむ。七賢者は常人に比べると、その秘術を用いてはるかに長寿じゃが、やはり人間じゃ。やがては代替わりをする。各人、数名の弟子を持っており、その中から後継者を選ぶのじゃ」

 じゃあ、ルヴィ―様は将来の七賢者候補ってことになるのか。

「彼らはめったに人前に姿を現さないとルヴィ様は言ってましたね」

「たとえ現れたとて、その素性を容易に明かしはすまいよ」

「何故なんですか?」

「七賢者になるには、それにふさわしい様々な資格が必要なのじゃ。じゃが、なんといってもその強大な魔道が彼らをして、七賢者足らしめている。一人一人の力はゆうに魔王に匹敵するじゃろう」

「魔王に匹敵…!」

 それじゃこの世界に勇者や英雄などいらないじゃないか。一人で魔王に匹敵するなら、それこそ三人ばかり集まって、サックサック魔王を倒して回ればいいのでは?

 その疑問を口にすると、ユーリクは俺の顔を覗き込み、

「残念ながら七賢者の人格は、その魔力ほどのものではないんじゃ」

「どういうことですか?」

「性格が悪いというか、欲が深いというか、ぶっとんでるというか、そういう賢者もいるのじゃ。いや、そんなものたちだからこそ、魔道を極めることが出来るのかもしれん」

 一流の芸人の私生活が破綻しているのと同じようなもんか。芸のこやしと宣えば、どんな無茶な遊びも正当化されるというからな。

「過去にはそのあまりに強大な魔道の力で、世界を我が物にしようと企んだものもいるほどじゃ

「そ、それって……」

「うむ、新たなる魔王の誕生じゃ」

「じゃあ、ユーリクがこの前言ってた『魔王ども』っていうのは……」

「うむ。純粋な魔族の王の他、闇に落ちた賢者達も、魔王と呼ぶのに論を待つ必要はないじゃろう。その者たちが時には手を組み、時には仲たがいしながら、世界を手中に収めようと、常に人の世をのぞき込んでおるのじゃ」

 こんなの絶対無理! ムリゲーすぎる! たとえ勇者がいたとして、こんなのどうやって解決するというんだ?

「強大な力を有すが故に、賢者には世の権力者や、魔王どもが近づいてきよる。もちろんきっぱりとはねつけるものがほとんどじゃが、稀に誘惑に負けて堕落し、世界を脅かす存在になるものが出る。憂慮した賢者たちは、数百年前に開かれた評議会で取り決めをした。各々が世俗との関わりを極力持たぬこと。それに背けば、他の賢者たちが一致協力し、恐ろしい罰を加えること。賢者たちは今も互いに監視しあっている」

「めったに姿を現さないというのは、そういうことか」

「まあ、お前さんには関係あるまい。七賢者のうち、一人たりとも会うことはあるまいよ」

「そ、そんなこと分からないじゃないですか!現にルヴィ様の師匠が七賢者の一人、えっと、えっと……」

「ハーンじゃ」

「そう、そのハーンって人なんでしょ?」

「いや、ルヴィ様とて、直接ハーンには会ったことは無いはずじゃ」

「ええ? 弟子なんじゃないんですか?」

「会わなくても、修行を積ませることは出来る。身近にいなければ学べない弟子など、後継者にはとうていなれんわい」

「明日、出発するぞ」

 朝食の席でルヴィ様が言った。ここはハマの村に一軒しかない粗末な宿。それでも体を休めるには十分だったが、そのつかの間の休息を終えるときがきたのだ。「体を厭え」とルヴィ様が言うので、この三日間というもの、終日(ひねもす)ゆっくりしていたが、ここに来てさすがに飽きた。今日はこの村で最後の一日だ。村の様子を見がてら、外の空気を吸いたい。

「散歩にでも出るか」

 俺は唯一の持ち物である皮の袋を腰に結わえ付けると、宿の外に出た。散歩といっても行く当てなどない。いや、行く当てがないから散歩というのだろう。

「それにしても寂れてるなぁ」

 この村は、いわば限界集落だ。人が住んでいると思われる家は、10件あるかないかで、大半は空き家になっており、ツタに覆われ苔むしている。

 ショウヘイという男がいた頃は、コオローンにも勢いがあり、この村もそれなりに栄えていたそうだ。彼が失踪してから15年、17カ国連合は形がい化し、全盛期の力を失っている。後ろ盾を無くしたコオローンは、自治区という扱いになってしまい、今やヤツギ王国、ダゾン王国の両陣営は、領土的野心を隠そうとしない。

 ジワ島の緊張は高まってきている。その上、どういうわけかコオローンには、黄昏の森のが数多く出現し、人の住める場所が日に日に減少してきている。

「斜陽の国じゃな」

 ユーリクに言わせれば、コオローンは日を待たず、ヤツギ、ダゾンのどちらかに飲み込まれるか、紛争地域に逆戻りする運命だという。そうでなければ、黄昏の森に飲み込まれ、魔物が跳梁跋扈する人の住めない土地になるという。

「そんな…!」

 行きがかり上とはいえ、なんの為に命がけで黄昏の森を消滅させたのだ。これではまったく徒労である。

「もともとコオローンを、ましてやハマの村を救うためではなかったのじゃ」

「じゃあ、なんだというのです? ルヴィ様も危なかった。ああまでして黄昏の森を消滅させた理由はなんです?」

「それはわしの口からは言えん」

 ユーリクの苦い顔を思い出しながら、俺は行く当てもなく、ハマの村の往来を歩き続けた。あの様子では、どうやら意地悪で教えてくれないわけではないらしい。

「ギルドか…」

 俺の足はいつのまにか、この村の外れにある古い一軒の建物の前で止まっていた。例にもれず、この建物も濃緑のツタに覆われ、ひなびた雰囲気を醸し出している。

 ここは俺の冒険の出発地点、村の小さなギルドである。

 俺は腰に括り付けた皮袋を覗いた。中から干からびたスライムの心臓を取り出す。そいつを宙に投げ上げると、ギルドの建物に向かって言った。

「この皮袋は記念に貰っておくぜ」

 ちょっと、格好いい俺であった。

「ショウヘイ…か」

 その夜、俺はベッドに体を横たえながら、天井を見つめていた。この世界で、いつかその男と出会うことはあるのだろうか。ともあれ―、

「明日は出発だ」

  俺は毛布にくるまり、目を閉じた。

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