第7話 キ〇グスライムVS俺

「では、わしは退散させてもらうとするか」

「どうぞ、ご自由に!」

「ときに、ゲンゴ」

「なんですか、もう!」

「スライムは間違いなく全滅させたろうな?」

 ギクッ!

 何故このタイミングでそれを聞く? 

「だ、だだだ大丈夫ですよ。 一匹残らず狩りましたよ?」

「いやなに、老婆心じゃよ。それとお前さん、せっかくのスライムの心臓を回収しよらんのじゃないかと思ってな。では、達者でな」

 そう言うと、ユーリクはスタスタとこの場を去っていった。

 そういや、そうだ、スライムの心臓50個! こいつは一つ100円ほどで引き取って貰えるはずなのだ。

「お、俺の五千円がぁ~」

 死の覚悟を決めたことなどすっかり忘れ、日当への未練が湧き上がる。

(くだらないことを思い出させやがって! 本当に、心の底から意地の悪いジジイだ)

 俺のさもしい心境はさておいて、ルヴィ様は地面に描かれた術理公式の前に立ち、ゆっくりと眼鏡を外した。そしておもむろに呪を唱えだした。

(唄だ……)

 ルヴィ様の良く通る声で唱え上げられる文言は、異国の民謡に似て、耳を傾けているうちにうっとりしてしまいそうだ。

 詠唱は長きにわたった。ルヴィ様の額に汗が滲み始めた。広大な範囲に描かれている術理公式の紋様が、あわあわと薄く光を放ち始めている。

 光は強さを増しつづけた。やがて見渡す限り、見そう、渡す限りの森全体が光に飲み込まれていく。不思議なことにその光は熱もなく目を射ることもなかった。

「真っ白だ……」

 そう、白以外何もない世界。音も影も、熱も天も地もない。ただそこに俺とルヴィ様がいる。ようやく彼女は詠唱を終えた。そして俺を振り返ると、小さく微笑んだ後、音もなく倒れた。

「ルヴィ様!」

 叫んだはずの声は俺にさえ聞こえなかった。俺は彼女に駆けより、上半身を抱き起した。彼女の頬は紅く、胸がかすかに上下している。

 よかった、気を失っただけらしい。

 ついに明るさは白を凌駕し始めた。白以上の白、もはやなんと形容していいか分からない。俺は…、俺とルヴィ様は、どこにいるのか、今がいつなのか、その思考さえも白色に侵され、白色を超えて…白色を超えて……


     ◆


「眩しい…」

 突如、眩しくなかった光が眩しさを取り戻した。ほんの僅かに目を開き、辺りの様子を確かめると、木々の隙間から陽の光が差し込んでいる。

(陽が差し込む?)

 陽が差し込まないはずのこの森に、確かに陽が差し込んでいる。

 ピピピピッ、ピピッ

 小鳥のさえずりが静寂を打ち破った。ついでザーッと葉を揺らす風の音。あの絡みつくようなねっとりとした湿気も今は無く、空気は涼やかだ。

 高い木々が密集して生い茂っているのは相も変わらずだが、明らかに森の雰囲気が変わった。

「うん…」

 俺の腕に確かな重量を伝える、柔らかい体。俺はルヴィ様をお姫様抱っこして仁王立ちになっていた。女性一人の重量に耐え兼ね、俺の足はプルプルと震えている。なんと情けない。

「ルヴィ様!」

 俺の呼びかけに彼女のまぶたはかすかに震え、そしてゆっくりと開いた。そして俺の顔を見るなり、何かを呟いた。

 俺はルヴィ様の額に、自らの額を押し当てた。

「あ、ありがとう……、ゲンゴ」

「いや、俺は何もしてません」

「何かお礼をしなくてはな」

「いえいえ、お礼なんて、そんな……お気遣いなく、ハハハ」

「それはそうと、そろそろ下ろしてくれないか」

「そ、そうですよね」

 俺は彼女のを足をそっと地面に下ろしてやった。彼女はなんとか独力で立てるようだが、まだ足元がおぼつかない。

「ほっほっほ、こりゃすごいわい!」

 ユーリクがひょこひょこと歩いてきた。

「森はすっかり生まれ変わっとる。今や生命がいきいきと宿る普通の森じゃ。浄化に成功したようじゃな」

 ユーリクは嬉々としてまったく屈託がない。こっちは死ぬ思いだったんだぞ!

「まったくもう! 一度この世から消えて、再生されるなんて、人を脅かすのも大概にしてくださいよ」

「いや、お前さん、消えとったぞ?」

「へ?」

「森の外から見る分には、一度、丸ごと消えとったぞ」

 ユーリクが言うには、術理公式により魔道が発動すると、黄昏の森は急速に衰え、枯れ果ててしまい、やがて塵となって消滅してしまったそうだ。そしてそのすぐ後に、大地から若々しい無数の若葉が芽吹き、見る間に新しい森が形成されたという。

「わしゃ目は悪いが、確かに見た。黄昏の森が消滅したときには、枯れ木一本さえも残っておらんかった。お前さんも、ルヴィ様も影も形もなかったわい」

「……」

 俺は酸欠の魚のように口をパクパクさせた。何をどう解釈すればいいのか、その糸口さえも見つからない。

 俺は考えることを止めた。

 そのときルヴィ様が鋭く声を上げた。意味は分からなくとも、その調子から危急を告げるものだと分かる。

「ほら、おいでなすったぞい」

「な、何がですか?」

 ルヴィ様の視線の先へ目を向けると……、目を向けると……、

「な、なんだあれはーっ?」

 ルヴィ様の視線の先にいたもの! 

 それは山のように大きなスライムだった。目測で、直径10メートル、高さ5メートルほどはあるだろう。

「キ、キ○グスライムだあああっ!」

 とりあえず俺は、既知の言葉でいちばんしっくりくるものを選んで叫んだ。ヤツからここまでの距離はおよそ100メートルといったところか。例のグジュルグジュルといういやらしい音をたてながら、こちらに向かってくる。

「お前さん、やっぱり討ち漏らしとったのう?」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう! なんですか、あれは?」

「お前さんに見えてる通りのものじゃよ」

「そういうことじゃなくて! なんであんなのが…」

「スライムはこの世の理(ことわり)の外に棲まう魔物じゃ。実験段階のリーバの魔道を浴びれば、予期せぬことが起こるかも知れん、そう思ってお前さんに駆除を頼んだのじゃが」

 ユーリクは俺を責めるように、チラッチラッと癇に障る視線を送ってくる。

「分かりましたよ! 俺が悪かったです! でも、なんとかしないとっ!」

 しかし答えは返ってこなかった。いつもの意地悪で答えてくれないのではない。俺が話し終える前に、老人に似つかわしくない足の速さで、遥か遠くを飛ぶように駆けていたのだ。

「あ~んのジジイッ!」

 悪態をついている場合ではない。俺たちも逃げなければ! 巨大スライムは、その体格に不相応な速さでぐんぐん近づいてくる。岩や樹木などは、そのゲル状の体で、プルンッとすり抜けてしまい、障害物にもならない。

「ル、ルヴィ様、逃げましょう!」

 そう呼びかけ、駆け出そうとした瞬間、ルヴィ様はガクッと膝をついた。彼女は必死に何か叫んでいる。額をくっつけなくても分かる。「逃げろっ」と言っているのだ。

(ルヴィ様…!)

 俺の暫定的な嫁である彼女を見捨ててゆくことは出来ない。しかし残念ながら、彼女を抱きかかえて、あのスライムから逃げるだけの脚力などない。俺は彼女をかばうようにスライムの前に立ちはだかった。そして、長柄の槍をスライムに向かってまっすぐに構えた。

「かかって来やがれっ! このおばけ饅頭野郎!」

 俺はどこまでいってもスライムと死闘を演じる運命にあるらしい。とは、言ったものの、

「くそっ、あんなもんとどうやって戦えばいいんだ?」

 迫りくる巨大スライムは陽射しを浴びて、体の中までハッキリと見える。その中心付近に、巨大な心臓が脈動している。

「やっぱりあれを狙うしかないか…!」

 か、考えろ、考えるんだ、俺! スライムの直径は約10メートル……つまり中心にある心臓までは5メートル。対して俺の槍は4メートル。俺の体をヤツの体に1メートルほどめりこませることが出来れば、穂先が届く!

「これが知(チ)ってやつだ!」

 こうなったらミノムシ装備を信じるしかない。

「そしてこれが勇(ユウ)だあああっ!」

 俺は雄たけびを上げて突進した。

「おおおおおおおおおおっ!」

 鎗をまっすぐに構え、全体重をかけて半液体の体に突っ込んだ。

「勇を持って知を為すっ!」

 ジュジュジュジューッ

「うわあああああっ」

 溶けてるのはミノムシ装備か、俺の体か。俺の体はスライムの中にズルッとめり込んでいった。しかし半分液体といえども、その抵抗は思いのほか強く、なかなか先に進めない。

「おおりゃあああっ」

 それでも俺は力の限り押し返し、少しづつ内部へ、内部へと歩を進める。

「ここだあっ!」

 そして、心臓の位置あたりをめがけて、渾身の力を込めて一直線に槍を繰り出す。

「と、届けっ! 届けっ、届きやがれーっ!」

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