第361話 ウルシの話
「ウルシの木ってのは、根付かせるまでがやっかいでね。根は深く張らずに浅いところで横に広がってゆくの。だから衝撃に弱くて、ちょっと強風が吹いたり大雨が降ったりすると倒れちゃうのよ」
「山にはいくらでも生えていると思ったが、そうでもないのか」
「良く生えるのよ。だけど大きく育たないの。水はけが良くて日当たりが良いところなら育つけど、それでも最初の3年ぐらいはヒヤヒヤものなの」
「やっかいな木なんだな」
「そうね。陽が当たりすぎると虫にやられちゃうし、当たらなければ育たないし」
ウルシ職人をもう15年やっているという、カワマタという女性の弁である。背の高いきりっとした大人のお姉さんである。ユウコの呑み友達である。アイヅの中通りの出身だそうだ。
「日当たりが良すぎてもダメなのか?」
「うん。ウルシってね、虫が付きやすい木なのよ。それをあの毒液で防いでいるの。だけど、陽が当たりすぎるとそれがどんどん飛んでしまった枯渇する。そうすると虫が付いちゃうのよ」
ウルシオール。人類の天敵ともいえる気化性有機化合物である。沸点は200度ぐらいあるのだが、気化しやすい物質であり、常温でも数10ppmの濃度で葉の上に存在する。そのわずかな量でも、人にかぶれという現象を引き起こすのである。
「ウルシなんか扱っていると、かぶれるだろ?」
「最初にここに来たころはすごく腫れて大変だったわ。ウルシに早く慣れるために、ウルシの葉を食べさせられたりしたものよ」
「食えるのか、あれ?!」
「新芽のころならね。最初は舌がピリピリとシビれたけど、慣れるとそれが結構快感に」
「職人怖い」
俺ならそのときに死んでるな。そういえばアチラも同じようなこと言ってたっけ。
「あれはお主がさせたノだ?」
「あははは。でもおかげでもう慣れちゃって、最近は葉っぱぐらい手で引きちぎっても平気よ?」
職人あるあるである。慣れとは怖いものである。
「ウルシ職人はたくさんいるのか?」
「うちの工房には4人だけど、村全体でなら20人はいるんじゃないかしら。私なんかまだまだ駆け出しよ」
「熟練工は一応いると。数は少ないな」
「それはね。仕事がそんなにないし、かぶれるから嫌がる人が多いし」
「そうだろうなぁ。それでウルシの生産量はどのくらいある?」
「うちは漆器に塗る分しか獲らないから、年間で1Kgぐらいね。5~6本ほどのウルシの木を使う。それで碗を40個、お盆を5個ほど作ってるわ」
「ということは増産は可能だよな?」
「少しぐらいならね。しかし倍は無理だと思う」
「え? そんな程度にしかならないのか?」
「ウルシの木は15年ほどで一人前になる。それから半年ほどかけて200gのウルシを採取するの」
「たったそれだけか?! でもそれなら採取する本数を増やせば」
「しかも、その木はそれでおしまいになる」
「おしまい?」
「採取の終わったウルシは、切り倒すの」
「「「はぁぁぁ!?」」」
意外だったのは俺だけではないらしい。
「当たり前でしょ? 木の皮を剥いで、キズを付けて樹液を絞り出させるんだもの。200g採取できるころには木なんかずたずただよ」
「そ、そうだったのか。見たことないから知らなかった。ということは15年もかけて育てた木から、合計で200gしか獲れないということか」
「そういうこと。だから増産は難しいの。それ以上採取するなら、自然に生えているものだけでは無理ね。植林するしかないと思うわ」
「しかしいまから植林しても、育つまで15年もかかっては」
「それとも、アイヅの山の中をひたすら探すか。しかし日当たりが悪い山中にウルシの木は少ないわよ。それにあまり奥地にあっても、採取に行くのが大変だし」
「うぅむ。増産が無理なら計画倒れかぁ。残念だが他のことを考えるしかないかな」
「ユウ。ウルシなら植林を計画的にやって生産している地域があるノだ」
「え? オウミ、知ってるのか?」
「ニオノウミ国で漆器を生産しているノだ。あれはお金持ちに良く売れるノだ。だからウルシを仕入れているノだ」
「知ってるんだったら最初に言えよ!!」
「だ、だって、聞かれていないノだ。いつ口を挟もうかずっとタイミングを見計らっていたノだ」
「それで、その領地とはどこだ?」
「ジョウボウジというところなノだ。このアイヅのすぐ北にあるセンダイ国」
「近いじゃないか」
「の北にあるハナマキ国」
「ちょっと遠くなったぞ、おい」
「の最北端にあるノだ」
「分けずに1度に言いやがれ! どんどん北に向かってるじゃねぇか。まあ、どっちにしても歩いて行けるような距離ではないな」
「そうなノだ。ニオノウミではホッカイ航路を使って輸入しているノだ。あそこのウルシはとても質が良いノだ」
「あれ? ということは、お前んとこにも、ウルシ職人がいるんだな」
「もちろんいるノだ。うちの職人は優秀なノだぞ」
「お国自慢してる場合か」
「あ、ニオノウミ国ってことは、あのヒノのことですか?!」
「そう、良く知っているノだ。どうだ、聞いたかユウ。我が領地の漆器はそのぐらい有名なノきゅっ」
「自慢はいいっての。カワマタ、ヒノってのは有名なのか?」
「おそらく漆器作りでは日本1のレベルだと思います。私もなんどそこに修行に行きたいと、留学願を出したことか。でも、人手不足とお金不足でそれもかなわず、悔し涙でウルシを何度もダメにしました」
「な、泣くときは時と場所を考えろよな。それなら、その職人たちをまるっといただいてしまおうか」
「待つノだ! それは困るノだ。彼らは我が領地の稼ぎ頭きゅぅぅ」
「じゃ、1人だけでいいから先生を派遣してくれないか。ひと月ぐらいでいい。そのぐらいならいいだろ?」
「しかし、我が国固有の技術を流出させるわけにはきゅぅぅ」
「ヒノで作っている漆器の生産量はどのくらいだ?」
「えっと、去年は腕に換算して4,500個ほどだったノだ」
「もっと作ったらもっと売れないか?」
「まだまだいくらでも売れるノだ。だから増産に次ぐ増産をしているノだ。だけどそう簡単に職人は育たないノきゅぅぅ」
「それなら、ここで増産したらどうだ」
「きゅう?」
「こっちにも職人はいる。もちろんヒノの職人と同じ技術ではないだろう。しかし漆器作りという技術はすでに持っている。指導は簡単じゃないのか?」
「1から教えることを思えばずっと早いきゅぅぅ」
「ここで作ってニオノウミに出荷する。お前んとこはそれを売る。それで結果として増産したことになるではないか」
「な、なるほど。なるほどなノだけど、ユウに言われるとなんか騙されているような気がきゅぅぅ」
勘の良い魔王は嫌いだよ。
「失礼なことを言うな。客はカンサイあたりの富豪か?」
「カンサイにもヤマトにもたくさんいるノだ。最近ではサカイからの注文がやたら多くなっているノだ。需要はまだまだいくらでもきゅぅぅ」
「ならいいではないか。ここで増産しろよ。それでお前んとこも儲けが増える。アイヅも仕事ができる。あと問題はウルシか」
「そうなノだ。ジョウボウジがウルシを売ってくれるかどうかというきゅぅぅ」
「そうだな。その交渉が必要だ。オウミ、ジョウボウジにはすぐに飛べるか?」
「何度か行ったことがあるから飛べる……その前にもう最後はきゅぅぅでなくて良いと思うノだ」
「そうだった。つい流れでな。じゃあ、スクナ」
「はい!」
「それから」
「はいはいはいはいはい」
「ハルミがなんで来る?」
「私は護衛だろうが!」
「怒るところかそれ。分かった、連れてくよ。あと、ハタ坊も一緒に来てくれ」
「分かった。これは私からの依頼でもあるからな、行かせてもらうよ」
「それから、タノモ」
「え? 私はちょっとそういうことは苦手で」
「そうじゃなくて、嫁さんを借りたいのだが」
「え? アシナですか?」
「スクナの護衛をやってもらいたいのだが、どうだろう」
「え? ユウさん、私ならべつに」
「ミノウを連れてきてないスクナは、ほとんど無防備だ。だがオウミとハタ坊は連絡や運搬係で使う可能性がある。ネコウサごときではスクナが守れない」
「な、なにを失礼なことを。僕だってスクナぐらい守れるモん!」
「万が一守れなかったら、どういうことになるか、分かって言ってるんだろうな」
「イッコウ」
「いいのよ、ネコウサはボディガードが仕事じゃないのは分かってるから。じゃあ、アシナさん、お願いできますか?」
「あなた?」
「分かった。それなら行ってこい。もともとアイヅの都合でお願いしたことだ」
「じゃあ、行ってくる。待っててね、ちゅっ」
「タノモはその間に、キタカタというやつに連絡しておいてくれ。自分の作品をいくつか持ってこの屋敷まで来いって」
「分かった。いつにする?」
「明日の朝でいいだろう。それじゃ行ってくる。まずはオウミとネコウサが先に行ってくれ。ネコウサがジョウボウジにポイント設定できたら、すぐ帰って来い。それから全員で飛ぼう」
「ほいノだ。ネコウサ行くノだ、ひょいっ」
「モん!」
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