6−30.逃げられる手を避けない無粋

 国王であるエリヤを部屋で待機させたのは、この事態を予想したからだ。リリーアリス姫と一緒に入室したドロシアの顔は強張っていた。迎えに立ち上がって一礼する。ずきんと肩に痛みが走ったが、顔を歪ませるほどでもない。


 執務室の扉が閉まるなり、かつかつとヒールの音も高らかに歩み寄ったドロシアが右足を一歩引いた。彼女の意図に気づいたが、姿勢を正したウィリアムは動かずに甘んじて受ける。


 ぱちんと高い音を立てて、平手が頬を打った。痛みが走り、口の端が切れたことに気づく。力一杯手加減しなかったドロシアだが、やはり女性の力だ。武術を習ったわけでもなく、そのご令嬢らしからぬ行為と裏腹に、強いダメージは与えられなかった。


「きゃ……ドロシア、なんてことを」


「リリーアリス様、この男はこうでもしないと理解しませんわ! また傷を負ったと聞きました。いい加減になさい。己の身を犠牲にするたび、誰が傷つくと思ってるの」


「……悪かった」


 執政としてではなく、ウィリアム個人として謝罪を口にする。砕けた口調での詫びに、ひとつ大きく息をついたドロシアは怒りを収める。深呼吸する彼女の右手首を、ウィリアムの手が掴んだ。びくりと身を震わせたドロシアの白い手は、赤く腫れていた。


 力一杯男の硬い頬を叩いたのだ。下手をすれば手首を痛めている可能性もある。離せと騒ぐ彼女を押さえ込もうとしたウィリアムは、次の瞬間、殺気を感じて数歩下がった。


 離れたドロシアとウィリアムの間を、細身の剣が振り抜かれる。


「僕のドロシアに触らないで」


 おどろおどろしい声で、エイデンが脅しをかける。その表情も声も、本気で斬りかかると告げていた。両手をあげて逆らわないと示し、さらに2歩下がる。


「あぶねえな、エイデン。殺す気か?」


「彼女に触るなら、次は本当に殺すからね。ドロシア、その手見せて」


 腫れた手首を確認し、赤くなった手のひらを優しく包み込んだ。ひんやりしたエイデンの肌が心地よいのか、ドロシアは大人しく逆らわなかった。


 嫉妬を全面に出して唸る忠犬ぶりに、魔女の口元が緩む。思わずと言った感じで漏れた本音に、ウィリアムは気づかないフリをした。ここで茶化すと2人を確実に敵に回す。


「それと……またケガしたって?」


「すこし掠った」


 肩をそびやかして嘯けば、主治医を自認する青年はくすんだ金髪をかきあげて顔をしかめた。説教が始まる予感に、切り札をチラつかせる。


「エリヤを待たせている。さっさと行くぞ」


 この切り札が効くのは、エイデンやドロシアではない。リリーアリス姫だった。美しい薄紫の瞳を笑みに細め、栗毛の美少女は口を開く。


「早く行きましょう」


 仲のいい姉弟だが、互いの立場と狙われる状況が一緒にいられる時間を削る。目配せした3人がすぐに動いた。リリーアリスを大切にするドロシアが、彼女の手を取って歩き出す。守るためにエイデンが後ろについた。


 先に立って扉を開け、姫君をエスコートしながら廊下を歩く。国王の私室へ案内したウィリアムは、駆け寄ったエリヤに抱きつかれた。


「ウィル! その顔は?」


 姉への挨拶もそっちのけで、自分が殴られた痛みを感じるような悲痛な声で問われる。苦笑いして「やっぱ、こうなるのか」と呟いた。ここしばらく心配ばかり掛けたので、もう反論や言い訳の種も尽きた。


「ごめん、猫にやられた」


 後ろでむっとしたドロシアの気配、くすくす忍び笑うリリーアリス姫に気づき、ようやくエリヤが手を解く。子供っぽい真似をしたところを姉に見られ、赤く染まった頬を膨らませた。

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