6−29.籠の鳥は薔薇の花をもいで落とす

 目の端を掠めた光に、鍛えた身体は反射的に動く。構えた短剣で、大きな剣の力を逃した。目を血走らせた男は、つい先ほど話の端に乗ったアスター国の王太子だった。今は我が国の捕虜であり、罪人であり、王国が滅びた今はただのユストゥスだ。


 振り回すしか芸のない男の剣技を恐れることはない。しかし、今は後ろに最愛の王がいた。万が一にも王であるエリヤに掠めたら、取り返しがつかない。


「しねっ!!」


 剣の重さを受ける短剣が、ギリギリと嫌な悲鳴をあげる。回廊へ目をやれば、残してきた近衛騎士が駆け寄った。あと少し持ち堪えられるか。


「陛下! 閣下、ご無事ですか!?」


「曲者だ!」


 短剣を斜めにして、一度力を逃す。どこで奪ったのか、重量も力も十分に込められた一撃を受け流し、ウィリアムは舌打ちした。今の動きで傷が開いたのだ。じわりと滲む血がシャツを濡らす。気持ち悪さと、身体中の血が下がるような冷たい汗に気持ちが急いた。


 早くエリヤを逃さなくては……。


「ウィル!」


 一瞬だけ意識が逸れた。そのタイミングでユストゥスの振り上げた剣が、ウィリアムの肩を掠める。短剣を握る手を右から左に変え、右肩の傷を誤魔化すように深呼吸を繰り返した。痛みを自己暗示で封じ、無理やり身体を起こす。


 この程度の男に膝をつくわけにいかない。まだエリヤを自由にしていない。幼くして背の羽を奪われ、大空を知らない籠の鳥を解放すると約束した。


 命に代えても、この約束は守る。血で滑る手のひらを服に擦り、ぬめる柄を丁寧に拭いた。


「しね! お前のせいで! お前がいたから」


 昔よく言われた罵りに、ウィリアムの口元が笑みを作った。無理やり左右に引いて作った笑みは自嘲より、相手をバカにする色を浮かべる。


「……今更、そんな言葉が効くわけ、ねえだろうがっ!」


 吐き捨てて、短剣を目の前の太った男の腹に突き立てる。武器を失ったウィリアムの左手に、柄が触れる。そのまま抜いて狙った首を切り落とした。


 剣は本来叩き潰す目的で作られた武器だ。使い手の腕がよかろうと、首を切り落とすために作られていない。しかし首は花を落とすように、簡単に転げ落ちた。


 ごろんと転がるユストゥスの顔は驚愕に彩られ、目が合わぬまま薔薇の陰に消える。


「ウィル! 肩を見せろ……」


「触ると、汚れます」


 追いついた近衛騎士に対して取り繕う。主人への敬愛なのだと誤魔化し、伸ばされた手を拒もうとした。しかし抱きついたエリヤは怒っている。キツい蒼い瞳がまっすぐに貫いてきた。


 さきほどの剣先より、ずっと深い傷をウィリアムに与えた。ずきんと痛む胸を押さえると、赤い手に白い手が重なる。敵を屠ることのない白く小さな手は、しかし死神の手より温かかった。


「俺はお前に死も、逃げることも許可していない」


「わかってる、ごめん」


 命に代えても……その想いを見透かされた。いざとなったらエリヤを生かすために死ぬ覚悟を、許さないと断罪される。苦笑して東屋の床に座り込んだ。


 じわりと溢れる血を、近衛騎士が包帯で縛り上げる。一時的な処置だが、止血は全員習得する技術なので礼を言って立ち上がった。ふらつくが倒れるほどじゃない。


「では陛下、参りましょうか」


 部下がいる場所なので仕方ない。理解しているが納得できないエリヤが「わかった」と口先だけの了承を告げる。前後を近衛騎士に守られながら、今度こそ寝室までたどり着いた。


 わずかな距離で随分な襲撃とケガをしたものだ。エイデンが留守にしているため、別の医師に処置を任せる。傷による発熱と化膿の心配を口にした医師に、愛想良く頷いて帰した。エイデンなら簡単に引き下がらないのだが、腕はともかくあしらいは楽でいい。


「姉上に延期してもらうか……」


 明日のお茶会の延期を口にする少年王に、執政は「延期? 冗談じゃない」と笑って流した。


「エリヤが手を握って寝てくれたら、明日は体調不良もなく振る舞えるよ」


 治るとは言わない。それは嘘になる。しかし何もなかったように振る舞うことはできた。だから細やかな願いを口にして、エリヤの譲歩を強請る。男の珍しい甘えに、エリヤは蒼い瞳を見開いたあと「仕方ないやつだ」とそれを受け入れた。

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